090908 白露

 白露にふさわしい写真がないので、「八重のどくだみ」で代用します。ちょうど、ある方にどくだみの絵を送るついでがありました。このどくだみはほんのりと赤い色が浮き出てきます。貝殻に入った紅を小指の先にのせて、花びらに映したようだといったら、笑われました。

 9月8日、暦では「白露」。歳時記をひらくと、「二十四気の一、陰暦八月の節で・・・・・陰気ようやく重なり、露凝って白き意である」とある。中国の秦の時代に作られた24節気というものがある。1年を24の季節に分け、およそ15日間の節気ごとに2字の名前をつけたもので、日本にも輸入され、今日でも使われている。立春、夏至、大寒など、今日でも親しまれている。

 盆トンボが群れをなして飛び回っていたのがつい先ごろ。いつの間にかいなくなったと思うと、季節はすでに仲秋に入っている。そういえば、夜、畦道を歩くと、足元が夜露でびっしょりになっている。「白露」。それにしてもなんという美しい言葉だろう。「蜘蛛の井の穂草をつづる白露かな」。

 秋を色で表すと、何色がふさわしいか。人それぞれに自分なりの色を持っているでしょうが、私はやはり「白」です。純粋、清らかさ、爽やかさ、無垢、はかなさ、涼しさ・・・・いろんな言葉が浮かんできます。それらをトータルした季節はやはり秋。そういえば、言葉の魔王とまで言われたのは北原白秋。彼の号「白秋」はどうして生まれたのか。

 季節の移り変わりほど面白いものはない。夏の暑苦しい濁った空気を、秋の爽やかな空気が少しずつ押しのけ、やがて澄み切った空気が大地を満たすようになる。「夏果てて秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気をもよほし、夏よりすでに秋はかよひ」といったのはたしか兼好法師。季節は「目にはさやかに見えねども」確実に動いています。夜、歩きに出ると、まだまだ明るかったはずが、もうすっかり暗くなってしまっている。つるべ落としの秋の夕暮れがすぐにやってきます。