190330 奈良紀行82(平城京跡2)

だだっ広い空間の中に復元された第一次大極殿がそびえている
幅44m、高さ27mと、壮大の一語に尽きる
その巨大さと柱の朱と壁の白さが際立つ
連れ合いは「すごい、すごい!」と繰り返している
その巨大さと浮き立つ朱色を初めて目にした古代の人々の驚きはいかばかりであったか
目にした瞬間に脳はマヒして、ただひれ伏すしかなかっただろう

遠くに少しかすんで朱雀門が見える
遠すぎてこの疲れた身体をムチ打ってという気にもなれない
社会見学で来ている小学生たちが走り回っている
羨望と同時に老いの哀しみを改めて考えてしまう

190327 奈良紀行81(平城京跡1)

最後の訪問地は「平城京跡」
西大寺駅から5、6分と駅員は言う
実際は15分かかった
たしかに疲れてヨロヨロとしてはいたし、昼食に飲んだビールも効いてはいたが・・・

途中、小さなちいさな川を渡る
看板には「秋篠川」と書かれている
流れる水量からいえば、家の敷地の横を流れる農業用水と変わらない
奈良ではこんな小さな川でさえ大した名前を持っている

190324 奈良紀行80(唐招提寺4)

もう一か所
境内の奥まった場所に鑑真和上の墓所がある
ここを訪れるのは初めてだ

土塀の中にあり、御廟までの細道の両側には木々の間に一面、苔が敷き詰められている
その淡い緑に木漏れ日が降り注いでいる

御廟は一段高いところに位置し、木々に囲まれた薄暗い中に佇んでいる

5

190321 米山公園

歩いて10分ほどのところに公園がある
名前は米山公園という
この頃、昼間に時々出かけては歩くようにしている
このところの暖かさで雪柳の花が満開になっている

この公園は、たっくんが中学生くらいまで二人でやってきてはキャッチボールをしていた
その彼も大学生
おそらくもう二人で来るなんてことはあり得ないことだろう

 

190319 奈良紀行79(唐招提寺3)

修学旅行では、金堂と講堂を見て、中の仏さんたちを拝んで、というのが決まりだったが、
今回は二か所増やしました
この寺は聖武天皇に招かれ、日本に戒律を伝えるためにやってきた「鑑真和上」の創建されたもの
5度の渡航失敗を重ね、その苦労で失明しながら初志を貫く姿は、井上靖の「天平の甍」で知られている
娘の本棚にあったのを記憶してるのだが、何度探しても見当たらない

その戒律を授ける儀式「受戒」の行われる場所が「戒壇堂跡」である
今は戒壇が残るのみ
だが、その何もないことがかえって今も何かが残っているような気がする
不思議な場所です

190316 小倉記念病院

1年ぶり(3月11日)に小倉記念病院に出かける
ますます1年の経つのが早くなってきた
駅で連れ合いと別れ、彼女は「井筒屋」へ

病院までは駅から屋根の付いた高架道路があり、雨に濡れずに行くことができる
動く歩道まで付いて至れり尽くせりだ
遠くに見える工場はおそらく新日鐵住金だと思う
血液検査にレントゲン、負荷をかけた心電図検査に担当医の問診で、10時半から2時間かかった
一階ホールにあるコンビニでおにぎりを買って昼を済ませる
あとは漫画ミュージアムに行って連れ合いからの連絡があるまでのんびりとマンガを読む

夜、連絡が入る
同級生が急死したと
明日が通夜で明後日が葬式だという
16回生11人で沖縄に行き、帰り那覇空港で倒れたと
おそらく心筋梗塞ではないかと
同じ病気で倒れた後25年間何もなくて元気で過ごす私と
高校時代柔道部でずっと元気印でやってきて、一回の発作であの世に行った彼との「この差」はいったい何だろう

※ブログの調子が悪くて写真が入ったり入らなかったりで、順番がおかしくなりました

190314 奈良紀行78(唐招提寺2)

華麗な薬師寺を見た後なので、唐招提寺が質素に見えてくる
しかし、奈良という風土にはこちらの方が似合っていると思うのだがどうだろう

南大門をくぐると正面に金堂が見える
薬師寺の金堂のように派手はでしさはないが、かえってどっしりとした風格さえ感じる
前面に並ぶ8本の円柱が美しい

前に立っている石灯篭が気になるのだが、どこにも説明がない
ないとなると余計に気になってしまう
後ろの講堂は、平城京にあった東朝集殿という建築物を移築したもの
奈良時代の宮殿建築で唯一残っている貴重なものだそうだ
両側に流れるような屋根の姿が美しい