111030 フランス紀行14(モン・サン・ミシェル3)

 モン・サン・ミシェルにいる間、激しい雨風に遭ったかと思うとまた晴れ間がのぞくといった繰り返しだった。海辺だけに天候の変化が激しいが、特にここはそうだ。
 今はわずか数名の修道士と修道女が近隣の町から通ってきて管理しているそうだが、これだけの観光客に押しかけられたら落ち着いて瞑想にふけるなんて夢のまた夢。それにしても土産物屋が坂道に軒を連ねていたりしていて6月に行った台湾の九份(台湾紀行14)を思い出す。最上階にある回廊はちょうど出発前にテレビで特集を見た。よくいう空中庭園といった趣だ。明るい光と優美な柱とがおそらく厳しい修行の合間の安らぎを与えただろう。 

111028 フランス紀行13(モン・サン・ミシェル2)

     

 サン・マロ湾に位置するわずか200mにも満たない岩山に8世紀の始めに修道院が築かれる。当時のオベール司教が夢の中で大天使ミカエルに「この地に聖堂を建てよ」とのお告げ(奇跡)を受けた。三度目にやっと信じた彼が礼拝堂をここに建てたのが始まりという。
 もともと当時の人々は、ほとんど平地のこの地に、しかも海の中に浮かぶ岩山に何か異様(=神聖)なものを感じていたのだろう。そこにこの奇跡が結びつくことによってモン・サン・ミシェルという信仰の地が生まれたのである。この湾の干満の差は最大で15mもあり、最も大きい満ち潮の時には猛烈な速度で潮が押し寄せ、多くの信者たちが亡くなったという。ここまでは全て江尻さんの受け売り。ここからは私。
 彼らは押し寄せる海水に恐怖を感じながらこのモン・サン・ミシェルの地で、この崇高な姿を見ながら生を終える幸福感を覚えていた。こうした岩山にこれだけの修道院を建てた信仰心とここにたどりつこうとただひたすら歩き続けた信仰心とその姿を見た喜びと、大天使ミカエルの愛に包まれ、恍惚とした想いで溺れていった、と思いたい。

 モン・サン・ミシェルといえば、海の中に浮かぶ修道院を思い浮かべる。ほとんどの人はそう思うし、だからこそ憧れの地でもある。ところが、現在のモン・サン・ミシェルは島と陸地の間に陸続きの道路が造られ、潮の干満に関係なく渡れるようになったのだが、これによって潮の流れがせき止められ、今では島の間際まで潮が満ちてくることはほとんどなくなっている。そこで、かつての姿を取り戻すべく道路を取り壊し、新たに橋を架けることが計画されているそうだ。これだけ陸地化が進んでいるのにかつての姿を取り戻すことなんてできるのだろうか。それこそ「奇跡」なのでは・・・・・ 

111026 フランス紀行12(モン・サン・ミシェル1)

  ホテルを8:00に出発。モン・サン・ミシェルまで300キロ、5時間の行程。5時間というとたしかに長いのだが、フランスの田園風景に見とれて長いとは感じなかった。時間というのは気持ちしだいでどうにでも感じられる典型例。
 途中、農家を改造したレストランで昼食。外からは古く見える(馬車などを置いて)が、中はリニューアルしたばかりで洒落た清潔な造りになっている。若い娘さんたちが声を上げて写真を撮っているのにつられて何枚か撮る。
 料理も素朴ながら美味しい。ふだんあまり食べようとしない野菜がおいしい。特にニンジンが甘くて連れ合いの分までもらって食べた。ビールも銘柄は分からないが口当たりのすっきりとした味である。ラベルを見るといよいよモン・サン・ミシェルが近づいたなという感じである。これまでのところ日本でいうフレンチというほどのものではないが、フランスでふだん食べられているものがほんとに美味しい。

111024 市民の本棚

   

 図書館から連絡が入る。リクエストされた本が入荷しました。一週間以内に貸し出しに来てください。今回は二冊頼んだ。佐々木譲の「警官の条件」と今野敏の「隠蔽捜査4転迷」である。確か新聞に新刊書として広告が出ていたのを見て図書館に申し込みに行った。これまではどうしようか迷いながら結局は本屋で予約するか店頭に出るのを待って購入していた。娘のようにネットで買うというところまではいっていない。
 そうすると本棚がまたあふれてしまう。退職した時、教育関係の本はほとんど処分した。それでも全集などはもう読みもしないのに捨てきれず埃をかぶっている。片付けるのが大好きな連れ合いには事ある毎に捨てろ、すてろと言われ続けている。
 そういう状況なのでこの「リクエストカード」は全くありがたい制度である。自分で買う必要もなく、読み終われば図書館に返せばいい。新刊でなく中津の図書館にない場合は 県内を探して取り寄せてくれるし、県外であれば送料の半額を負担すればよい。新刊を希望すれば購入してくれる。この制度を知って以来どうしても読みたい本はリクエストするようにしている。ちょっと厚かましいかなとは思わないでもないが、市の図書館のモットーのひとつに「市民の本棚」とあるし、館の人が自分のお金で買うのではなく図書館の予算で買うようになっているし、第一、そういう制度があるのになんで利用するのが厚かましいのかと開き直っている。
 さっそく図書館に出かけ受け取ってくる。帰りに明屋(本屋)で立ち読みをしていると読みたいなという本を新たに見つけた。海堂尊の「ナニワモンスター」。しかし、すぐに申し込むのはやはり「厚かましいかな」とさすがの私も考える。悩ましいところではある。

111023 フランス紀行11(ベルナール)

     

 アンボワーズ城を対岸に見るところでバスが停まる。運転手のベルナールが河岸にレオナルド・ダ・ヴィンチの像があるからみんなに見せたいと言う。寄りかかっているのは「メデューサの頭」。頭髪は無数の毒蛇で、見たものを石に変えるというギリシャ神話に出てくる怪物。中学時代、学校の図書室で借りて夢中になって読んだ記憶がある。現代のギリシャは大変なことになっているようだ。
 前回、ダ・ヴィンチを弘法大師に例えたが訂正する。ダ・ヴィンチはアンボワーズ城で晩年の3年間を過ごし、死後、遺言により城の教会に葬られているという。ということでシャンポール城の「二重らせん階段」は彼の設計であるという可能性は大きい。

 「ベルナール」-見るからに人のよさそうな典型的なフランス人(とはどういう人のことを言うのかな?)。笑顔もいいし、なぜかみんなに好かれる。目尻が下がって、ひげを生やして(ここまでは私もそうなんだが)いつも笑っていて、若い女の子の言い方をすれば「かわいい!」となる。気軽に写真を撮ってくれるし、一緒に映ってもくれる。
 食事の時にはスマートフォンに入れている女の子の写真をみんなに見せてくれる。江尻さん曰く、「奥さんでないのはタシカ。でも、彼女であるかは定かではない」そうだ。とにかくみんなの人気者。 

111021 フランス紀行10(古城巡り)

  ブロワ城  ショーモン城 アンボワーズ城 
   

 ロワール渓谷は「フランスの庭園」とも呼ばれ、2000年には渓谷全体が世界遺産に登録された。シャンポール城は81年にはすでに世界遺産に登録されていたので、あらためて2000年の登録に組み込まれた。
 ホテルまでの道筋にもいくつかのお城を見ることができたが、写真と城の名前が一致したのは「ブロワ城・ショーモン城・アンボワーズ城」の3つだけだった。ロワール渓谷の数あるお城の中には、橋のような形をした「シュノンソー城」や「河の中洲に建てられその美しさから「ロワールの真珠」と称えられた「アゼ・ル・リドー城」といった美しい城が多く、古城巡りが人気らしい。

 ネットで見つけた上記の二つの城の写真を掲載しておきます。

 シュノンソー城   アゼ・ル・リドー城
   

111019 フランス紀行9(シャンポール城)

 大聖堂のあと、ロワール地方にある(一説には1,000ともいうが)古城の中でも最も人気のある(世界遺産に登録されたのが最も早いお城)シャンポール城の見学に向かう。ここでは下車観光、つまり車から降りて外から見るだけの予定だったが、時間に余裕があるのでという江尻さんの提案で城内に入ることになった。入ってよかった。外からでは分からない、そとからではとうてい見ることのできなかったすばらしいものを見ることができた。もちろん入場料として9.5ユーロ(約1,000円)が必要だったが・・・・
 シャンポール城はここロワール渓谷の中でも最大の威容を誇る城で、華麗に装飾された屋根が素晴らしい。しかし、一歩中に入ってみると住むのには全く適していないのがよく分かる。この城を造ったフランソワ一世自身がほとんど滞在したことがなかったというが、それはそうだろうと納得。
 この城の見所のひとつに「二重らせん階段」がある。ふたつの階段を使えば相手に出会うことなく昇り降りができる造りになっている。これを設計したのはレオナルド・ダ・ヴィンチだといわれているそうだが、どこにでも現れる弘法大師のようなものか?  

111017 フランス紀行8(シャルトル大聖堂3)

 一歩内部へ足を踏み入れると、そこは外とは別世界。暗闇の中にステンドグラスを通して様々な光が舞うように零れ落ちてくる。ゴシック建築特有の高さとステンドグラスの色彩が私たちの目を高くたかく、天へといざなってくれるような錯覚を覚える。おそらく中世の人々はその光(神)に包まれて恍惚とした想いになっただろう。
 白や赤や黄色や様々な色が使われているが、全体としては青で統一されている。「シャルトルブルー」というのだそうだ。『神は「光あれ」といわれた。すると光が現れた(新約聖書・創世記より)』。光=神。だから教会はいつの時代もこの光を表現するために様々な工夫をしてきた。その最大のものがステンドグラスなのです。そして、文字の読めない多くの人々に聖書の物語を伝える、いわゆる「マンガ」だったのです、とはいずれも私の覚えているガイドの大田さんのふたつのことば。

 上の段の中と右のステンドグラスは「バラの窓」と呼ばれているそうだが本当にすばらしいものだった。ついうっとりとなってしまった。ぜひ写真をクリックしてみてください。