ほたる2(090630)

090620蝶が岳2

〔蝶が岳を背景にミヤマダイコンソウ〕

日が山稜に暮れると、山あいの里は急に肌寒くなる。

昼間のあの暑さはなにかの錯覚ではなかったのか、とつい思ってしまうような涼しさである。

谷の底、この頃の晴天続きで枯れてしまったような渓流は、いつの間にか闇の中に沈んでしまっている。

その闇の中から、ヒョロヒョロヒヒヒ・・・・と清涼な声が聞こえてくる。

河鹿である。

確か5月に来た時にも鳴いていた。

ご主人に聞くと、3月頃から鳴いているそうで、都会から来たお客さんの中には、何の鳥ですか?と尋ねる人もいるそうだ。

蕎麦に添えて出すご主人手製の山菜のつくだ煮を肴に、料理の話、山の話を聞きながら飲む酒の味は、又格別である。

ほとんど家では晩酌をしたことのない、酒の席には寄り付こうともしない私も、この時ばかりは美味しくいただく。

8時半ごろ、みんなで蛍を見に行く。

私たち一家4人に、ご主人夫婦に一番下の男の子、近くで喫茶店をされている方の奥さんと二人の娘の、計10人という大部隊である。

蛍の多いという谷まで来ると、どうしたことか、谷の向こう側にわずかに点滅しているだけである。

昨年は谷いっぱいに群れをなして飛び回っていたのに。

それでも子どもたちは、近くに飛んできたといっては追いかけていく。

蛍の光は哀しい。

白く冷たい光が、ゆらゆらと舞い上がり、舞い戻り、そして、ふっと消える。

この哀しみを味わうには、この位の方がちょうどいい、とこれは負け惜しみ。

暗闇に聞こえるのは、子どもの声と足音だけ。

河鹿鳴いて石ころ多き小川かな(子規)

これは、昭和58年6月8日の出来事。そして、写真は安曇野の友から。

ほたる1(090628)

 10日(水)、雨が気になりながらもお店を予約してしまったため、予定通り、ほたる狩り兼登山の反省会で山国までやってきた。お店の名前は「わらじ屋」。以前は中津警察署の近くで小さな小料理屋をやっていた。都合でご主人の実家の山国に移って、同じような店をしていると聞いていた。

 美味しいと評判だったし、その前(30年近く前)、212号線沿いで「ドーリアン」という喫茶店をしていて、その時は足繁く通っていたという個人的な歴史もあったので、私の順番ではなかった幹事役を買って出てみんなを招待した。山に登ったのは半数の4人だったが、反省会にはどうしても都合のつかない一人を除いて7人が参加した。

 この山国には、ほたるの名所と呼ばれる箇所がいくつかあって、そのためのマップまで用意されているからちょっとしたものである。10数年に勤めていたときには、そのうちの何箇所かには出かけたこともある。店のおかみさんの話では、昨夜(9日)が最高だったとか。自分もお客さんを連れてでかけてみたが、暗くなるほんの少し前に、山からほたるがいっせいに降りてきて、まるでイルミネーションのようでした。ところが、今日はこの雨ですから・・・・という。

 それでも、せっかく来たし、少し小雨になってきたのだからと出かけてみた。まずは、藤野木というところ。2年前までは渓流に沿って歩けたのに、今はいのしし除けのためか、鉄柵が張り巡らされていて、離れて見ることしかできない。案の定、2年前の10分の一程度のほたるだった。それでも宇佐からの仲間は喜んでくれたが、自分として物足りないし、私が感動したあのほたるの凄さをぜひ体験してもらいたかった。

 次回は、私が昭和58年に体験したほたるの話を紹介します。

ミヤマキリシマ(090627)

 6月7日、日曜日、久住に登りました。いつ頃からか(10年は経っているはず)この会に入れてもらい、毎年年に2回のペースで、主に久住山に登っている。今回の参加者は、8人のメンバーが、減ってへって、最終的には4人にまでなってしまった。途中、深耶馬で小雨が振り出しびっくりしたのですが、男池の駐車場に着くころには晴れてきました。

 途中、関西のおばちゃんのご一行様に遭遇しました。さすが関西!若いガイドさんが二人もついていて、そのガイドさんにいかに自分たちはベテランかということを、関西特有の大声で喋りまくっていました。下関からバスを仕立ててやってきた熟年(老年?)の団体にも出会いました。とにかく還暦以上の方々の多いこと。この日、「久住山開き」。2万人の登山客が押し寄せたとか。自分もそうでありながら、暇と金をもてあましているのは年寄りかと、つくづく思いました。年寄りこそ、健康的な遊びをしたがるが、若い人たちは、不健康な遊びの方が魅力的なんでしょう。私だって、若かったらこんな空気のいい、こんな健康的なところにはいなかったはず・・・・・

 大戸越えから見た平治岳のミヤマキリシマの美しさときたら・・・・。久しぶりです。それと山頂までの渋滞。それこそ一寸刻み。昼食をゆっくり食べて、コーヒーを味わって、時間をつぶして、1時間ほど経って登ろうとしたけど、渋滞は変わらず。私たちもブツブツ文句を言いながら並んだけど、この渋滞がすごく良かった。時間はかかったけど、疲れることは全くなかったから。すみません、文句を言い過ぎました。その代わり、ロープの所を越えたら今度はノンストップできつかったなんのって・・・・。なんとか手前の頂にたどり着いたら、その先の山頂まで続くミヤマキリシマの美しさに圧倒されました。誰もが、頂にやっとたどり着いてホッとする前に、その景色を見て感嘆の声を上げていました。今年は掛け値なしにこれまでで最高のミヤマキリシマです。

 この話を長野に移住した友だちにメールすると、アルプスに恋焦がれて移り住んだけど、この久住のミヤマキリシマだけは忘れられない。絶対誇りに思っていい、とまで言ってくれました。彼の送ってくれる写真の方がずっといいと思うのだが・・・。彼のことはこれからもこのブログにちょくちょく登場することになる予定です。

 帰り、深耶馬の新しくできた「もみじの湯」というのに入りました。反省会は、10日(水)、山国まで蛍を見に行こうということになりました。天気予報では雨が激しく降るとか。本当は火曜日に決まっていたのに、車の中ではOKだった☆☆さんが、月曜日の朝6時55分に携帯をかけてきて、「ごめん!会議が入ってた。私、その世話役なんで、どうしても抜けられん・・・・!」。

 どうなることやら・・・・。

 追伸  以前の話を思い出しながら書いているので、表現が少しおかしくなることもあります。乞う、ご容赦!!

お一人様

連れ合いが30周年の記念パーティで配布する写真集の打ち合わせで出かけた。

夕食を用意するというのを断って、駅前の「ビストロ・ヴォライユ」に出かけた。

はじめにこの店に来たのは一年前の夏。

お城でのお茶会に出かけた帰りに連れられていったのが最初。

2回目は先週の日曜日、小倉からの帰り。

美味しかった。

それに味を占めて、「お一人様」で行くことにしたのである。

当然飲むので、自転車で出かけたが、昼間のうだるような蒸し暑さが消えて、風が心地よい。

カウンターに座って、すぐに出た「アミューズ」を肴にビールを飲む。

料理も美味しく、店の雰囲気もいいのだが、やはり寂しい。

いくら美味しいものでも一人というのは・・・・・

テレビで話題になった「お一人様」というわけにはいかないようだ。

基本的には、喫茶店以外は一人はだめだ。

友達に電話するが、終わるのは8時前になりそうだという。

待てるかどうか自信はないが、一応待ってるからと伝える。

この店は客の注文を聞いてから作り始めるので、ふだんは少しイライラする時もあるのだが、今日はその方が都合がいい。

7時半にやってきた。

それからは男同士なのに9時まで飲みながら、食べながら・・・・

彼は一回りも年下なのだが、話が合う。

そして、私のファッションの先生でもある。

彼が店長をしてる店で購入している。

前はほとんどお任せであったが、退職してからは自分の小遣いの範囲であるため、けっこう文句を言ったり値切ったりしている。

ところが、その私のわがままをいつも聞き入れて、サプライズ・プライスで応えてくれる。

久しぶりに、ほんとに楽しい時間を過ごすことができた。

メニュー

○アミューズ  フォアグラのテリーヌのカナッペ

○オードブル  ・地アナゴのあぶり焼き(ソース カフェ・ド・パリ)

・イチジクと生ハム

・小エビのソテー(バジルソース)

○スープ    ジャガイモの冷製スープ

○メイン    牛ロースのソテー(こがしバターソース)

○デザートの代わりに

チーズの盛り合わせ

・リヴァロ

・ブリード・モー

はじめまして(090624)

昔から文章を書くのは好きだった。
私の場合、好きということは単に書くことだけではなくて、その書いたものを人に見てもらいたいという思いもあった。
そういう話を友だちにすると、俺は絶対にだめだ、という。
だけでなしに、彼の表情には、「目立ちたがりの変わったやつだな」という思いがありありと見える。
職業上からも文章を書くことが多くて、その中に自分のものをそっと入れ込んだりして発表(?)してきた。
ところが、定年退職した後は、連れ合いの書いた文章を彼女のブログに書き込んであげたりすることと、友だちとのメールのやり取りをするくらいしか文章を作成することはなくなってしまった。
そんな時、連れ合いのブログを管理している、そして、私が勝手にパソコンの師匠にしている方とのやり取りの中で、自分もブログをやってみようということになった。
初めに書いたように、「昔から文章を書くのが好きだった」ことが一番の理由で、そろそろ第2の定年を迎える時期になって、何かすることを見つけたいと思っていたことと、私を「おーちゃん」と呼ぶ孫のために何かを残しておきたいと思ったことが、私の思いを後押ししたようだ。
だから、ブログの題名も「おーちゃんのブログ」としてみた。
読者は多いほどいいが、少なくとも私がこの世を去った時、このブログが孫の中に残る「おーちゃん」の姿を形づくる助けになってくれたらと願う。