〔蝶が岳を背景にミヤマダイコンソウ〕
日が山稜に暮れると、山あいの里は急に肌寒くなる。
昼間のあの暑さはなにかの錯覚ではなかったのか、とつい思ってしまうような涼しさである。
谷の底、この頃の晴天続きで枯れてしまったような渓流は、いつの間にか闇の中に沈んでしまっている。
その闇の中から、ヒョロヒョロヒヒヒ・・・・と清涼な声が聞こえてくる。
河鹿である。
確か5月に来た時にも鳴いていた。
ご主人に聞くと、3月頃から鳴いているそうで、都会から来たお客さんの中には、何の鳥ですか?と尋ねる人もいるそうだ。
蕎麦に添えて出すご主人手製の山菜のつくだ煮を肴に、料理の話、山の話を聞きながら飲む酒の味は、又格別である。
ほとんど家では晩酌をしたことのない、酒の席には寄り付こうともしない私も、この時ばかりは美味しくいただく。
8時半ごろ、みんなで蛍を見に行く。
私たち一家4人に、ご主人夫婦に一番下の男の子、近くで喫茶店をされている方の奥さんと二人の娘の、計10人という大部隊である。
蛍の多いという谷まで来ると、どうしたことか、谷の向こう側にわずかに点滅しているだけである。
昨年は谷いっぱいに群れをなして飛び回っていたのに。
それでも子どもたちは、近くに飛んできたといっては追いかけていく。
蛍の光は哀しい。
白く冷たい光が、ゆらゆらと舞い上がり、舞い戻り、そして、ふっと消える。
この哀しみを味わうには、この位の方がちょうどいい、とこれは負け惜しみ。
暗闇に聞こえるのは、子どもの声と足音だけ。
河鹿鳴いて石ころ多き小川かな(子規)
これは、昭和58年6月8日の出来事。そして、写真は安曇野の友から。