110330 筑後柳川 2

前々回に書いたコマーシャルについて、抗議の電話が殺到したそうだ。とにかくしつこい。「エーシー」という高いメロディーが不快さを感じる。がん予防の内容にも「こんな時にがん検診なんか行けるか」と言った内容。中には脅迫じみたものまであったとか。八つ当たりかもしれないが、やはり無神経だったといわれても仕方ない。あわてて音声を削除するように民放各社に要請をしたそうだが、私の感じ方もあながち特別でもなかったということだ。
 

 「さげもん」を見たいというのが今回の柳川訪問の理由である。が、もう一つ理由はあった。ちょっと照れくさいので佐藤さんには言わなかった。ここに「北原白秋詩集」(新潮社文庫、昭和31年1月25日12版、定価70円)がある。31年とあるからおそらく古本だろう。その時ハイネ詩集も買って、今も本棚のどこかにあるはずだ。ちょうどそんなちょっとカッコつける年頃である。
 

   
   

 その本の中で今でも心に残っているのが、「邪宗門」の『われは思ふ、末世の邪宗、切支丹でうすの魔法』と「思ひ出」の自序にある『私の郷里柳河は水郷である。さうして静かな廃市の一つである』の二つのフレーズである。「邪宗門」ではなんとも官能的な言葉の魔法に夢中になってしまった。そして、「思ひ出」では廃市水郷柳川への強い憧れが残ったのである。  

110327 大震災に思う 3

新聞の写真を一度カメラで撮影し、パソコンに取り込みました。
どうしてもこの画が頭から消えません。

 今度の震災は、その規模、その被害、その悲惨さ、いずれをとっても桁違いである。毎日まいにちほとんど一日中テレビは震災関連の報道一色である。新聞もまた然り。その報道量は未曾有のものとなった。
 そうした中、14日の朝日新聞の一面に載った映像がどうしても心から離れません。場所は、宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区。周りは瓦礫で覆われ、遠くには津波で壊されてしまった建物の残骸がかすんで見える道路の上に、若い女性が座り込んで涙を流している。この映像の中に全ての悲しみ、全ての苦しみが凝縮されているように思えた。
 いつだったか、海外でこの震災がどのように報道されているかという番組があった。たしか英国のBBCだったと思う。その番組の中でこの写真が映し出されていた。自分にこの写真に思い入れがあったからかもしれないが、その時、「あっ、これだ!これがこの震災の全てを映し出す1枚なんだ」と分かった。 

110325 大震災に思う 2

安曇野通信より 
何ときれいな霧氷か!3月でもまだ見ることができるとは。

 もう一つ言葉について書いてみよう。言葉というよりもその言葉が繰り返されることへの私の個人的な嫌悪感である。
 「こころ」はだれにも見えないけれど、「こころづかい」は見える。
 「思い」は見えないけれど、「思いやり」は誰にでも見える。
これは大震災が起きて以来、テレビで繰り返し繰り返し未だに聞かされている言葉である。1週間はどのテレビ局もコマーシャルを自粛してきた。その代わりがこれを始めとするいくつかのCM(?)である。
 始めのうちは言葉自体も素晴らしいし、こういった状況にはぴったりだと好意を持って見ていたのだが、毎日まいにち、そして、どうかすると続けて映されると、「しつこいよ、もういいよ!」と思うようになってしまった。ついには、この映像の後に出る「AC」という文字と「エーシー」という音までが癇に障るようになった。
 こんなふうに思う私の方がおかしいのではと反省したくなるのだが、どんなにいいことで繰り返し言われると、つまり強制されると中身まで胡散臭さを感じてしまうのだがどうだろう。
 同じものに、
 38歳の時、子宮頸がんを発病しました。
 娘には同じ思いをさせたくなかったから
 ず~と一緒に検診を受けています。
というのがある。我が家ではこちらの方が評判が悪い。 

110323 大震災に思う1

久しぶりの安曇野通信。3月始めに届いたものです。せめて写真だけでもきれいなものをと考えました。

 11日の午後2時46分、東北・関東大震災が起きる。この未曾有の出来事に対して、何か言わなければ、何か記録しておかなければと思うのだが、あまりのことに頭の方が拒否してしまって何も考えられない状態が続いた。あれから10日が経ち、ようやく少し考えられるようになった。それでもまだきちんと整理だっては考えられないので、とりあえず今、この時点で書けること、書きたいことを掲載してみようと思う。何度も言うが、あまりの出来事に、あまりの情報の多さに圧倒されてしまって、何をどう書くべきか・・・・・。我ながらしつこいなとは思っている。言い訳はいいから早く書け!と自分に言いたい。
 とりあえず言葉と写真について書いてみる。まずは言葉。
 これまでに2回この映像を見ている。それはある避難所でがんばる子どもたちのこと。取材に入ったレポーターが子どもたちに聞く。「今、何が一番欲しいですか?」。レポーターとしては当然の質問だとは思うのだが、なにか無神経さを感じてイライラしてくる。聞かれた小さな男の子が「水かな?」という。もう一人が「家が欲しい」という。横で汚れ物を洗っていた中学生くらいの女の子がサラッと言う。「命があれば十分だよ」。
 呆気にとられてしまった。これまで、これでもかこれでもかと悲惨な映像を見せられてきたし、辛い苦しい思いを聞かされてきた。もちろんそれが何も悪いことでもないのだが、もういいよ(すいません!)と思い始めたのも事実である。そんな時にこの言葉である。子どもたちの明るさと笑顔と、「命があれば・・・・・」の言葉に、私の方が勇気をもらった。 

110322 筑後柳川 1

一番狭い川幅で、この幅で川下りの船は造られているという。  

  今日(20日)ほど雨の欲しかったのは、昔々日照りが続いて田んぼの水がなくなったあの時以来か?!なんて・・・・。今日は柳川市で2月11日から4月3日まで続く「さげもんめぐり」の一つ、「おひな様水上パレード」が行なわれる予定だった。今度の大震災で各地のイベントが軒並み中止になっているので、念のため柳川市の観光協会に電話すると、応対に出た女性の方は「もちろんやりますよ。雨が降ったら順延になりますけど」とけっこう明るく応えてくれた。
 ところが、19・20日は何日も前から天気予報の雨の確率は80%だった。それでもいったん決めたことだからとガマンしてきたのだが、18日に「これじゃとても無理だから明日行きましょう」と佐藤さんに電話する。おかげで天気に恵まれ楽しい時間を過ごすことができた。なのに、今朝は穏やかで時々晴れ間も覗いている。ひょっとして夕方には雨が降り出すかもしれないからと、連れ合いと二人で図書館まで歩いて出かける。
 帰りは河口の堤防沿いに歩く。今まで一度も歩いたことのない地区である。ここが「船頭町」なのかと始めて知る。その頃になって潮の匂いに混じって、かすかに雨のかけらが顔にかかるようになった。「やっと降りだした。これで昨日出かけたのが報われた!」なんて思う自分がいるのがなんとも情けなかった。

110320 伏木峠

     
     

 日田のひな祭りにがっくりきているのが分かったのだろう。こちらの山道を通ると日田の町並みが見渡せる展望台があります。行きませんかと誘ってくれる。たしか昔の日田と中津を結ぶ街道であった道である。日田往還とも「代官道」とも呼ばれ、物資の輸送・人の往来で賑わったと云われている。途中に伏木小学校という今は廃校になった学校があったのを覚えている。三郷小学校に勤めていた時、この伏木地区から来ていた臨時の先生がいた。あの当時、ミニスカートで通っていたのにはびっくりした。
 

     
     

 展望台は杉が大きくなっていて、日田の町も全然見えなくなっていた。近くに「白馬の滝」という看板が立っていたので脇道に入る。倒木があったりして大変な思いをしたが、暗い中に滝が浮かび上がって、思いがけず素晴らしい景色を見ることができた。廃校になった伏木小学校には、取り残された門柱に今も『日田市立 伏木小学校』の札がかかっていたし、壊れかけた百葉箱がひっそりと立っていたし、『お願い 正面からの車の出入りはできません。車は西側の車道を通って、校舎裏の駐車場へ入れてください。学校長』という看板が未だにうす汚れて金網にかかっている。
ちょっと脇道に入ると、思いがけない景色に出会う。 

110317 吉井町(鏝絵)

   
   

 わずか2時間程度の散策では全てを見たとはいえないが、白壁土蔵の町並みは堪能できた。中でも薬種問屋や酒造所をやっていた「矢野家」の裏には当時の蔵が残り、改装された薬の蔵はギャラリーとして開放されて様々なイベントが行なわれているとか。大きな酒蔵もあったのだが、今は湯布院に移築されているとか。当主の方は体調を壊して今は居ないが、その方が住んでいた隠居所は総檜作りの素晴らしいものだ(たしかに一見しただけで違うなと分かる)とか。これは近くのお店に入った時にそこのお年寄りがそっと、自慢そうに話してくれた内容である。なのにせっかく訪れたのにどうしたことか写真を撮っていない。時々こうした失敗があってあとで悔やんでいる。その時も「撮っておけよ。でないと後で悔やむぞ!」と自分に言いきかせてはいたのだが・・・・。

   
   

 旧い町並みを撮っていて気づいたのだが、白壁の美しさもさることながら白壁と水路の丸石積みが見事に調和して素晴らしい。水路があっての白壁である。もう一つ、白壁に浮き出る鏝絵(こてえ)。安心院の鏝絵のように彩色はされていないが、あることで白壁が映えてくる。 

110313 妙な感覚

     
中は祖父。両側は孫でいとこ。二人ともこの春、高校に合格する。   少年太鼓。今年も全国大会出場。女の子がずいぶん増えた。 太極拳・夜の部 

 今日(13日)は公民館まつり。あわせて私の担当している「文化の森大学」の修了式でもある。今年は二重の意味でこれまでとは違ったものになってしまった。

     
女声コーラス「もみじ」  テリー斉藤。西谷に移り住んで5年。西谷の仙人と呼ばれていると自分で言っている。  今年の記念講演は、大分大学の教授を呼んでの大分方言について 

 一つは、私にとって最後の、文字通り最後の公民館活動であるということ。この頃会う人ごとに「さみしいね~」と言ってくれるのが何よりうれしいし、うるうるとさせてもくれる。昨日は最後の町長のおくさんがお父さんが作ったものだけどと、竹で作った見事な靴べらと孫の手とバターナイフをお別れにと持ってきてくれた。
 もう一つは、もちろん東日本の大震災である。このまつりとは直接の関係はないけれど、想像を絶する被害に頭の方が追いつかず、考えることを拒否してしまったようだ。友だちからメールが来た。「・・・・・・ひどい。天災とはいえ本当にひどい!何ができるか考えないといかんなあ」。目の前をまつりのプログラムが過ぎていくのが不思議な出来事に、つまり、ありえない出来事のような感覚になってしまった。
 日本は、わたしの国はいったいどこに流れていくのだろう。