230731 神戸京都45(竜安寺5石庭)

「日本庭園史に凛然と輝く枯山水の庭」とか
「エリザベス女王が絶賛し、『Rock Garden』として世界中に知れ渡りました」とか
京都の、いや日本の代表的な文化財として「世界遺産」に登録されています
というのが代表的なCMです

白砂に15個の石が配置されているだけの75坪のシンプルな庭
それを眺めながら、ただひたすらに静寂に浸りたい(ほんとですか??)と思うのですが、
外人さんを含め溢れるほどの観光客に圧倒されてしまいました

京都は、ゆっくりと旅をするところではなくなったようです

230725 神戸京都44(竜安寺4群仙図)

庫裏の中に入ると、さすがに古いお寺だけあって薄暗い
石庭までには屏風の書や襖絵など見ごたえのあるものが多いのだが、
あとからあとから入ってくる人の波に押されてゆっくりできない
襖絵の「群仙図」は、明治の廃仏毀釈で流出したもので、
115年ぶりに戻った6面のうちのひとつだそうだ

途中の廊下に石庭のミニチュアが展示されていた
「目のご不自由な方の為のミニ石庭」とあるが、
これを目の不自由な方がどうやって鑑賞するんだろう
だれか 教えて!?

230720 神戸京都43(竜安寺3三笑橋)

「三笑橋」を渡る(といってもただの石畳にしか見えない。改めて写真を見ると、たしかに石橋だ)と、
その先には庫裏へと続く長い石段が続いている

今はカエデの緑が覆いかぶさるように溢れていて、その先の庫裏がよく見えない
石段の両側にはひし形をかたどった低い竹垣が設けられている
その独特の姿から「竜安寺垣」と呼ばれている
その先に庫裏が見えてくる
ここでも白壁と柱の木組みのコントラストが美しい
庫裏とはもともとはお寺の台所であったところだが、
竜安寺では今は一般拝観の入り口として使われていた

※気になったので「三笑橋」の意味を調べたけれど、どうしても見つかりませんでした

230715 神戸京都42(竜安寺2鏡容池)

山門をくぐるとすぐ左手に池が見える
竜安寺ができる前からこの地にあったという池で、
かつてはおしどりが群れ遊んだところから通称「おしどり池」と言われ、
平安時代には石庭よりも有名だったそうだ
それが周囲の木々や草花を池の澄み切った水が映し出すところから、いつしか「鏡容池」の名前が付けられたとか
けっこう広い池で、平安貴族が竜頭の船を浮かべて遊んだそうだ
今は睡蓮が水面を覆っている

池には島が二つあり、弁天様の祀られた「弁天池」と虎が伏せている姿に似ているところから名付けられた「伏虎島」(←クリック)がある
虎に見えるかどうかは異論のあるところ

230710 神戸京都41(竜安寺1山門)

金閣寺からは1,5㎞ 20分程か
衣笠山の山すそに沿って狭い道を歩く
「石庭拝観通路」という看板が立っている

その先に「山門」が見えてくる
禅宗の山門にしてはずいぶん小ぶりに見える
昨日、南禅寺の特大の山門を見たばかりなので余計にそう見える
その分、緑に覆われて風情がある

 

230705 神戸京都40(金閣寺6夕佳亭)

「夕佳亭」 読んで字の如し
「この茶室から見る夕方の景色が特に佳い」ということでしょう
この茶室には知られたものが三つあります
ところが、狭いところに写真でもわかるように芋の子状態
「南天の床柱」はばっちり撮りました
南天は普通高さ1mもならないはずだが、
この床柱、ほんとうに南天なら(疑ってすみません!)、超、超、貴重なもの!!

「不動堂」 石造りの不動明王が祀られている
弘法大師の作と伝えられ、首から上の病に効果があるとか
年ですので、一応煙だけは浴びておきました

帰りの坂道です
この人の多さ、さすが金閣寺です

 

230701 神戸京都39(金閣寺5龍門の滝)

「龍門の滝」(←クリック)  大分県にも同じ名前の滝があったはずだが・・・・
そうそう昔、孫を連れて行き、滝滑りをやりました
中国の故事・滝を登り切った鯉が龍に変身するという「登竜門」にちなんで「鯉魚石」が置かれています
まあそう言われれば見えなくもないといった程度
鯉の水浴びです

「安民澤(あんみんたく)」 境内の奥深い森の中にある池
金閣寺ができる前からあったそうで、この水が「鏡湖池」に流れている
池の中央にある島には西園寺家の守り神といわれる「白蛇の塚」が建っている
と、ここまで書いたところで昔見たアニメを思い出した
「白蛇伝」

 

230625 神戸京都38パート2

新たに写真が2枚出てきたのでパート2を作成します
前回は「お手洗いの水」でしたが、
「義満公 御茶の水」というのが2枚ありましたので付け加えます

昔、保育園の隣に小さな畑が1枚だけポツンとあった
何度か母親に連れられて草取りに行ったことがあったが、保育園ができる前に業者に売った
その畑の片隅に「黒田官兵衛のお茶に使用した井戸」と我が家だけで伝えられていた井戸があった
こういう話はすぐ上の兄が詳しかった
うちの家は上毛町の西友枝の山奥から兄弟二人で流れて来て住み着いたとか言ってたな
おそらくこんな話も私の代で絶えてしまうんだろうな
本家も我が家も娘しか生まれず、みんな都会に出て行ったのであと何年かで林〇家も消えてしまうんだろうな
それも人の営みか・・・・・!