100829 阿久根市長(2)

   

  ネットを見ていて、「リコール住民投票実施は確実な情勢」という記事を見つけた。これでは前回書いたブログの話も早く掲載しないと新鮮味がなくなってしまうと焦った。ところが、今日の新聞でまたしてもあきれてしまう話が載っていた。
 久しぶりの議会で、市長によって選任された副市長の専決処分が不承認になったにもかかわらず、「手続きは踏んだ。専決が議会の議決に優先するので、私は完全に副市長です」と仙波は自分の正当性を強調したというのである。市長も「これがルール。これで誰も文句は言えない」と、不承認とされた後、歯をむき出して笑いながら握手を交わす市長と仙波の写真が載せられている。非常事態における「専決」であるはずが、ここまで法を無視できる精神状態は異常としか言いようがない。

 政治の混乱といえば、隣の福岡県でもあった。添田町である。50年にわたって町長として君臨してきた山本前町長は、贈賄容疑で逮捕起訴されたにもかかわらず居直り続けてきた。しかし、リコールされそうになってあわてて実施した町長選で敗北した。負けが分かった時のマスコミの取材が惨めだった。若い女性記者に声をかけられて腹を立てている姿は、これがあの全国町村長会の会長にまで上り詰めた人間なのかとある意味さみしくなった。
 あたらしい町長がインタビューを受け、満面の笑みを浮かべて抱負を述べた後、場面が変わって、80を過ぎたであろう老婆の一言が、穏やかであっただけに余計にずきりと胸に突き刺さった。
             今度の長町さんには世間様に笑われんようにしてもらわんとな。

 市長の暴走を止められるのは彼を選んだ市民だけであると前回書いたが、笑われているのは市長だけで市民はそうでないことを祈りたい。(8/26) 

100827 阿久根市長

   

 この頃、マスコミで取り上げられるものといえば、民主党の騒動と児童虐待と、聞けば聞くほど、読めば読むほど気の滅入るものばかりである。そうした中でもほんのわずかだが、溜飲の下がる言葉に出会うこともある。
              面会をはっきりお断りしているのにお見えになるのは、
                  明らかなパフォーマンスではないか
 一部メディアを除き、報道各社の取材を拒否してきた市長が、自分の都合では記者会見を開く。そこでは自分の考えを一方的に伝えるだけ。知事に呼ばれて、議会を開かないことの不当性を指摘された時には、「知事もしょせん役人に過ぎない」とまで大ミエ切ったのに、その市長が今度は臨時議会召集を報告するために知事公舎を訪れる。ところが、今度は知事の方が面会を拒絶する。その時、知事公室長が伝えた知事の言葉である。
 専決処分で副市長に選任した仙波敏郎氏について、県は選任に疑義があるという立場である。それに対して市長は「正当か不当かの判断は司法にしかできない」と反論する。これまで裁判所の判断に耳を貸そうとさえしなかった市長が、どの面下げて言えるのか。こういうことを平気で言えるところに彼の異常性を感じるのは私だけか。
 まるで子どものけんかである。といったら子どもの方に失礼だろう。それを真面目にやっているのが大人だけに始末が悪い。それにしてもどう考えてもこの件では市長の方が分が悪い。とはいえ、こういう市長が前回のリコールでの選挙でなぜ再任されたということは考えなければならない。そして、もし市長の暴走を止めようとするなら、それをできるのは阿久根市民だけである。(8/25)

100826 菅尾の滝

   

  日曜日から月曜日にかけて連れ合いは妹とSのコンサートに出かけました。もう今年が最後といいながらよく続いています。一人取り残された私は、日曜日の夜、パソコンの師匠と「一合」で飲んだ。2月の「青い林檎」以来だからずいぶんになる。彼は東京の出身で、この夏久しぶりの里帰りをしたという。さだまさしの唄に出てくる土地を歩いたそうだ。聖橋とか湯島天神とか。10歳の年齢差があるのだが、どうかすると彼の方が年上ではとつい思ってしまう落ち着きを備えている。話も合うのか合わせてくれているのか、楽しい。さだまさしを出すところをみると、後者の方が強い。
 私のブログの写真で話が盛り上がったのだが、東京にいる時、「池の平湿原」には何度か出かけたそうだ。ぜひ一度は行ってみるべきですよと勧められたが、ネットで調べるとわりと簡単にアプローチできるようだ。「いつか必ず」の引き出しの中に入れておこうと思う。彼は安曇野通信の花や山の写真を見るのが楽しみだという。私も困った時の安曇野通信に使えるので、安曇野の住人さん、ぜひ新しい写真を送ってください。
 月曜日は、「菅尾の滝」に出かける。紫側の上流に位置し、水源は福知山系に発している。椎田道路を通り、香春町に入る手前で右折する。以前から気になっていた(名前から)滝だったが、期待通りとは行かなかった。何よりもこの頃の日照りで水量が少なく、女性の化粧も滝の飛沫で「すがお」になるところから付けられたという名前の由来の水の落下も、実感できるほどには程遠いものでした。ここは水子供養のスポットにもなっていて、近くには沢山のお地蔵さんが置かれている。
 たどり着くまでには肝心なところで案内板もなく、道に迷ってしまった。山道は狭く、帰りにはトンネルの中で対向車と出会い、とんでもない目にあった。おそらく二度と行くことはないと思う。

 日中の暑さは相変わらずですが、中津もここ二晩ほどは、窓を開けて寝ています。 

100824 憲法9条(3)

エゾカワデナデシコ タカネサギソウ

  今日の花の名前は自信がありません。

 護憲にしろ改憲にしろ、相当な覚悟と犠牲が必要になってくる。たとえば、他国から侵略された時(護憲の人はこの前提がそもそも間違っているという)、目の前で自分の家族が殺されることだってありうる。もちろん自分も殺されることもあるだろう。それを受け入れることができますか。その覚悟があって始めて9条という理想は維持できるはずである。
 反対に、自衛のための戦力を保持したとしたら、それを本当に自衛のためだけであり続けるためには、そう有らしめるための個人と国全体の理性と不断の努力とがなければならない。すぐに「一億総○○化」になりやすい我が国民性では特にそれが必要である。
 もう一つ、軍というのは強力な殺傷力を持っているという点では猛獣にたとえていい。飼いならす必要がある。これは一般論としてでなく、日本は、昭和陸軍軍閥が暴発し、ついに国を滅ぼしてしまったいう生々しい過去を持っている。したがって、自衛のための戦力であっても常にそうあり続けるための組織作りと努力を忘れてはならない。
 いずれにしろ、両者は背後にそれぞれ「覚悟」があっての議論でなければならない。田嶋さんのあの形相を見ると、理性に裏打ちされた覚悟があるとはとうてい思えない。
 
 まだまだ書き足りないのですが、こんな堅い話、いつまでも聞きたくないですよね。今回はこの辺で矛を収めましょう。

100821 憲法9条(2)

マツムシソウ ツリガネニンジン

 沖縄・興南高校が悲願の夏の甲子園を制しました。おめでとう!閉会式で真紅の優勝旗が手渡された時、「47回大会、津久見高校」の文字が見えました。

 第9条を改めて読んでみた。たしかにすばらしい条文である。言葉だと思う。ところが、「しかし」とつい思ってしまう。あくまでもこのすばらしい9条を変えないとするなら現実の方を変えるべきだと思う。しかしそうした場合、国が国である存在理由の基本である「国民の安全確保」はどうして保障するのか。私たちは「平和を誠実に希求」する国ですから、といえば済むのか。
 世界で軍隊(軍隊をどう解釈するかが問題だが)を持たない国は約25カ国といわれている。その大半は公国や島などの極端に小さな、軍隊を持つだけの人口や経済力を持たない国である。たしかにコスタリカのように1948年、軍隊を持たないことを法律で決めた国もある。そうした国はあとあるだろうか。
 私は、スイスやスウェーデンのことを考える。両国とも「中立」を国是とし、世界もそれを認めている。しかし、ともに自国を守るために強力な軍隊を組織している。特にスイスは、近代的で高度な装備を有する正規軍を持ち、同時に多数の成人男子が予備役もしくは民間防衛隊として有事に備えている。また、軍事基地が高い密度で存在する上、岩山をくりぬいて建設されるなど高度に要塞化されている。たとえれば、「ハリネズミ」である。「攻めてきたら高くつく」という認識を相手に与えることが最大の抑止力であるという考えを実践しているのである。ー繰り返すースイスは永世中立国である。この行きかたの方が現実を認識した上での平和論であると思うがどうだろう。
 つまり、9条の後に、「ただし、自衛のための戦力はこれを保持する」と追加修正をしたらどうだろうというのである。戦後、軍事に関することはタブーとなり、あたかもバイキンに触れるような恐怖症の気分が続いてきた。そろそろ現実を直視した議論を始めるべきだと思う。 < 続く >

100819 憲法9条(1)

ニッコウキスゲ ハクサンフウロ

 日曜日、「たかじんのそこまで言って委員会」をよく見る。この番組は出演者がそれぞれくせ者ぞろいで、それぞれが言いたい放題しゃべることを売り物にしている。今回はその中でも「田嶋陽子」さんの発言が気になった。
 「日本国憲法どうすればいいですか」という質問に対して彼女は「9条は変えない!!」との意見である。それは一つの意見であるから少しも問題はないのだが、ある大学教授が憲法改正についての意見を述べている時、突如として彼女が吠え出した。吠えるという表現が我ながらぴったりだとと思う。「9条は絶対に変えてはいけない!」というのである。繰り返すがそれも一つの意見である。ところが、彼女は改正を言う人に、目を吊り上げ、口角泡を飛ばして威嚇するのである。他人が話している時にである。これまでは偏りすぎてはいるが、いいことも言うのになあ、くらいであったが、今回の彼女の顔を見ていたらうんざりするのが先になった。
 彼女はいう。9条があることで日本は世界から尊敬されている。羨ましがられている。自衛隊は災害派遣部隊としてなら存在理由がある。その仕事に特化すべきだと、と。理想論を言う人は他人の考えを認めようとしないことが多い。それがいかに現実と遊離したものであろうと、現実を見ようとしないか現実の方が悪いと考えてしまう。「9条、9条・・・」と唱えれば世界は平和になると思っているのだろうか。「安全」とはなにか。どうすれば確保できるのか。それを考えてみたい。

100816 猛暑、お見舞い申し上げます

 
 

 あさ、8時20分に家を出る。車の温度計を見てびっくり。今年は温度計を確認するのが習慣になってしまった。これまでは28℃からどうかすると30℃ということもあったが、今日は32℃という数字が目に飛び込んできた。思わず口をついて出てきた言葉が、テレビドラマ史上最も有名な(と個人的に思っているのですが)セリフ、「なんじゃ~こりゃー!」。
 クーラーはどちらかといえばあまり好きではない。どんなに寝苦しくてもこれまで一晩中付けっぱなしにしたことがなかったのに、今年はとうとうそのこだわりも捨ててしまった。今年の寝苦しさは半端でない。地球規模の異常気象が始まったのだろうが、それよりも我が家の周りでは水田が少なくなったのが大きい。前も後ろもとにかく水田に囲まれていたのが、アパートだらけになってしまった。ちょっと前までは、田植えが終わってからず~と田んぼには水が張られ、その上を渡ってくる風が天然のクーラーになっていたのに、今では熱と湿気の混ざった空気が入ってくる。そういえば、うるさいほど鳴いていたかえるの声も聞かなくなった。
 帰り、エンジンをかけると「38」という数字が見えた。動き出すとすぐに37℃になったが、それにしても38℃とは・・・・。あまりの暑さに、ほとんど家を出ることがありません。ただひたすらこの暑さが通り過ぎていくのを首をすくめて待つのみです。ということで、ブログのネタも写真のストックも切れてしまいそうです。せめて涼しげな写真をと思い、安曇野から届いたばかりの写真を何回かに分けて掲載します。次が届くのを首を長くして待っています。

   
 燕  岳  コマクサ

100815 ソルト

久留米のグループ。一番j良かった! 下関の大学生「震度10」

 前回(7月18日)は「インセプション」を観た。連れ合いは「必死剣・鳥刺し」を観たかったのだが、封切してから時間が経っていたのか上映は夕方からの1回になっていた。あきらめて私に付き合ったのである。それでもテレビでもけっこう宣伝していたし、主演はディカプリオで、渡辺謙が出演しているというのも決め手になったようだ。
 私もけっこう期待していたのだが、一言で言えば「分けのわからん」映画でした。ネットでは「リピーターが続出している」と出ていたがほんとだろうか。たしかに映像には圧倒されたが、筋は分かりにくいし、特に現実でない夫婦の話には辟易した。隣に座っている彼女の居心地悪そうな雰囲気がひしひしと伝わってくる。映画が終わってもお互いに感想を一言も言わないのが全てを物語っている。
 今回の「ソルト」は、主演のアンジェリーナ・ジョリーがお気に入りだったが、何よりも筋がはっきりしているのがいい。そして、私好みのスピード感あふれるアクションの連続。CIAエージェントとして働くイヴリン・ソルトは、自分でも知らないうちにロシアのスパイ容疑をかけられてしまう。見に覚えのない嫌疑を晴らすために、そして自分を陥れた黒幕の正体を暴くために、あらゆるスパイ技術を駆使したソルトの孤独な戦いが始まる。今も繰り返し観ているマット・デーモン主演の「ボーンシリーズ」に近い。
 連れ合いの観た映画はどんなだっただろう!?(8月8日)