110831 平戸紀行5(紐差教会)

  紐差(ひもさし)の町を一望する高台にあり、鉄筋コンクリート造りの白亜の教会である。「白亜」ということばが似合う色と規模だ。かわいらしい宝亀教会のあとだけに余計にその大きさが際立つ。信者の数も多いという。平戸島に住む半数がこの教会に属しているそうだ。
 ここには訪問者がメッセージを書けるようにノートが置かれていた。
 20日の欄には「北九州より来ました。大スキ!」とある。もう一つ、「熊本から来ました」。ここまでは理解可能なんだが、30日には「横浜市○○区○○2-16-18 △田△徳」とある。住所まで書いて、何を期待してるのか?25日には「大分県中津市下池永○○○ー○ △井△△・△△」とある。思わず佐藤さんと顔を見合わせてしまった。二人とも中津市在住で、佐藤さんにいたっては「上池永」に住んでいる。ただの偶然に過ぎないし、だから何なんだ、なんだが・・・・・。こんなこともあるんだよね!

110828 平戸紀行4(宝亀教会)

 平戸大橋を越え、左折し南下する。千里が浜、川内港沿いに約20分。左に海、右に山。間を国道383号線が走る。今日は海沿いから山道に入ると決まって雨が降るか靄がかかる。案内板が出ているので右折し山に入る。「宝亀教会」「宝亀教会・参道」と続き、「宝亀教会・保育園」という看板が出ると教会はそのすぐ先である。山あいにひっそりと佇む木造の小さな教会が姿を現す。
 今日見た教会の中では最も小さいものである。だけに、いかにも信徒たちの手造りといった雰囲気がある。左右側面にはテラスが設けられ(教会でこんな形ははじめて見た。そうか、長崎の洋館と同じだ)、テラス側のドアが開けられていて光と風が入っている。今日のような梅雨空には特に気持ちがいい。
 なんといっても素晴らしいのは正面から見た眺めである。白い漆喰とレンガ色のコントラストが美しく、小さい教会ながら信徒たちの誇りが感じられて好ましい。

110825 平戸紀行3(田平教会)

 とにかく絵になる教会である。高台にあって、遠くからでもレンガ造りの優美な姿を見せてくれる。今回見た4つの教会の中でも一番素敵なものだ。あまりそういうことを言わない佐藤さんまで言うのだから確かである。数多くの教会を設計した鉄川与助自身も「自信作」と言ったそうだ。3年の歳月をかけて信者たちの手で造られたそうだが、彼らの思いがそのままにじみ出た素晴らしい教会である。
 ところが、ドアには鍵がかかっていて中に入れない。中はあきらめようかという(こういうところに性格の弱さが出てしまう)と、「せっかく来たのだから開けてもらいましょう」という。今日の佐藤さんはけっこう強気だ。 さいわい、裏の小さなドアをためしに押してみると、開いてしまった。
 内部は白い柱で三つに分かれており、上へ上へと目と心を向かわせる。絵画を思わせるステンドグラスと白い柱と高い天井と、隣には信徒の眠る墓地もあって、辺り一帯不思議な空間を創り出している。

110822 平戸紀行(日頃の行い)

K2さん、ほんとに小説のような話ですね。私もロマンチストだと自負しているのですが、安曇野の住人には負けます。33回忌なんてあってはならないことなのでしょうが、そういうことを背負って生きていけるなんて、ある意味、○○な事なのかも・・・・・・・・

平戸大橋 平戸城

 今年は例年になく梅雨らしい梅雨になった。それも週末のたびに決まって大雨だったような気がする。6月11日(土)、18日(土)、25日(土)と雨になり、決行したのが7月の2日になってしまった。その間、19日には高速料金上限1000円が廃止になり、散々である。
 今回もまた、「土ーくもり、日ー曇りのち晴れ」と良くなるはずが、土曜日は激しくはないが雨の予報に変わってしまった。とはいえ現に降っていない以上、出発である。日田の手前でフロントガラスに雨とはいえないがしずくがかかってきた。高速道路上では何度か降られたが、どうしたことか始めに訪れた「田平教会」で始めに傘を使っただけで、平戸にいる間、あとはほとんど降られることはなかった。日頃の行いが・・・・とは言わないが、帰りの高速では雨のために80キロ規制が出ている状態なので、やはり「日頃の行いが」だったのか。
 しかし、紅く化粧された平戸大橋も、平戸の海を臨む山に立つ平戸城も、靄の中にかすんでぼんやり見えるだけである。青空の中で見ることができたらと残念でならない。 

110819 安曇野通信(コマウスユキソウの涙)

やっと始まった平戸紀行ですが、安曇野通信が残っているので1回お休みにします。

   

 昔、何度か一緒に山に登った「彼女」のことを思い出し(その気持ち、分かるなあ~)30数年ぶりに近況報告を出す。木曽駒が岳から帰ると返事が届いていた。ところが、差出人の名前が違っている。封を切ると、それは彼女のお母さんからで、「娘は冬の穂高で遭難死致しました。今年は33回忌です」との内容。読んでいくうちに涙が溢れました。

 「肝心の写真を送っていませんでした」のタイトルにコマウスユキソウの写真と上の内容が記されていました。綿毛がいっぱいの白い花についた霧の滴が、貴方の涙のように思えてきました。
 年を重ねると、お互い涙もろくなりますね。 

110816 平戸紀行1(祈りの島)

 佐藤さんと一緒に行った「平戸紀行」がやっと開始である。台湾紀行が思いがけず長くなったのと、シリーズ物の間にけっこう単発ものが入ってしまい、「やっと」となってしまった。すこし時間的に不自然な表現が出てくるかもしれませんが、ご容赦を・・・・

 4月5日の「筑後柳川5」の最後に、「次回の候補地として挙がっているのは『平戸』である」と書いた。名前は聞いていたが、佐藤さんに言われなかったら行かずに終わっていたかもしれない。
 ネットで検索して平戸について下調べをする。すればするほど魅力的な街の姿が浮かんでくる。見るべきところは多そうだが、まず頭に浮かんだテーマは「教会巡り」である。ところが、今一イメージがわかない。そこで、例によって平戸市の観光課に問い合わせ、厚かましくもたくさんある教会の中から選ぶとすればどこがいいか、そして、どういう順番で廻るといいかまで聞いてみた。すぐにファックスで返事を頂いたし、たくさんの資料まで郵送していただいた。その資料を使って自分なりの平戸紀行の資料も作ってみた。
 その資料に添えられた手紙の中に「是非、この祈りの島に足をお運びください」とあり、最後に「お越しを心よりお待ち申し上げます」とあった。いつも優しさに甘え放題だが、こうしたことばを目にすることができて幸せである。 

110813 わっしょい百万夏まつり3

幟山笠 飾りをはずす 先端部の取り付け
12段目の取り付け  両脇には頂上からたらした綱で
バランスを取るベテランがついている 
普段は見ることのできない 
他の山笠との競演
     

 お目当ては「戸畑祇園大山笠」だ。祭りの中日には4基の大山笠と4基の小若山笠(なんと中学生たちが担ぐとか)が一堂に会しての競演会が開かれる。一度は目の前で見たかったのだが、この会場には当番山の東大山笠と小若山笠が参加している。そして、ここでは昼の幟山笠から夜の提灯山笠への変化を目の前で見せてくれる。
 昼間の幟山笠の飾り物一切を外して、台上に4mの柱4本でやぐらを組み、この上に高さ3mの5段の提灯をつけた角錐形の先端が取り付けられる。ところが、今日は台風の余波で風が非常に強い。観覧席の後の木々が枝を大きく揺らしている。竹竿を使って一気に上げるのだが、正直、見ている方が悲鳴をあげそうになる。
 つづいて6段目から12段目まで組み上げ、提灯309個、高さ10m、重さ2.5トンの提灯山笠が完成する。約80人の担ぎ手が鉦や太鼓のお囃子に合わせて「ヨイトセ ヨイトセ」の掛け声と共に勇ましく動き出す。「ヨイトセ ヨイトセ」の掛け声で山笠が跳ねるように動く様は、なぜか身震いする。 

110812 篆刻

小林蒼舟先生 始めての作品
左の私を右は先生が直したもの  宿題をお願いした 
   

 今日(12日)から篆刻を習い始めた。三郷小学校に教頭で勤務した時、臨時の若い先生に教えてもらってかじったことがある。それ以来、10年以上音沙汰もなかったが、公民館を辞めたのを機会に思い切って始めることにした。小林先生には私の勤めた本耶馬溪公民館に作品を展示していただき、いつかはこの先生について勉強をしてみたいものだとずっと思っていた。
 その作品の見事さは・・・・いつかはこのブログでも紹介していきたい。いまも大幡公民館に展示している「般若心経」は見事の一語に尽きる。お年も喜寿とはとうてい思えない若々しさで、篆刻だけではなくこちらも見習わなければならない。引きこもり気味の私が一大決心で外に飛び出したのである。まずは、何が何でも続けていこう!