131029 オランダ紀行2(出発)

適した写真がないのでいかにもオランダらしい風車にしました。

 家を5時50分に出発。8時30分には空港内の案内所に集合といわれたが、日田廻りで7時45分に着いた。

 飛行機まではバスで移動。帰りもそうだったがこれはあまり感じが良くない。乗ってからも日本人乗務員が「当、福岡空港は滑走路が1本しかないため、離陸する飛行機を待ってから離陸します。今しばらくお待ちください」という。10時25分離陸が55分まで待たされた。市内に近くて便利なんだが、その分狭くていろいろ不都合が多い。

 席についてびっくりしたのがエアコンが効きすぎていることだ。長袖のTシャツの上に薄いレザージャケットを着ているのだが寒くて仕方がない。隣の人はフリースを持ち出して着ている。私もリュックに入れておいたパーカーを出して着た。それでも寒い。なんでこんなに冷やしているのか、オランダでの食事で納得できた。

131026 オランダ紀行1(始まり)

 きっかけはTVである。8月31日(土)朝、いつもだと畑か庭に出ているのだがこの日はのんびりとTVを観ていた。若い女性2人(ひとりは井上陽水の娘)と男の3人でオランダを紹介していた。あとで調べるとKBC(9:30~)の「よくばりミルキィ」という番組だった。特に見たい番だったわけじゃない。というよりこれまで観たこともなかった番組じゃなかったかな。結局は阪急交通社のCMを兼ねた番組だった。

 3人がにぎやかにあちこちを紹介してくれるのだが、
① KLMオランダ航空で往復とも「直行便」
② オランダだけ
③ 5日間(前回のイタリアが9日間だったので疲れた)
の3つが決め手だった。

 連れ合いに話すと乗り気なので、その場で申し込む。一か月を切っているのでキャンセル料が発生しますと言われてしまった。今から考えるとなんであんなに慌てて決めてしまったんだろう。

 出発したのは9月の26日。ちょうど一か月前だ。これまでずっと原稿を作ってきた。イタリアほどではないが40回は超えそうだ。美しい景色、楽しい会話、えっと思うようなこと、気になること・気になる言葉などを記録することにしている。それに撮りためた写真を使って原稿を作るのだ。これがけっこう楽しい。旅行よりも楽しいかもしれない。つまり、旅行はこの楽しみのために行ってるようなものだ。途中、別な話が入ります。そうこうしながらオランダ紀行、頑張ります。

131022 怒涛の一日part2

 10時30分-市民病院。新しくなってから始めてだ。15年ほど通ったのだが感慨にふけっているひまも余裕もない。直ちにここでも検査。エコーと血液が加わる。その結果を待っていると担当の医師が来て、このまま入院です。ここからは車いすに乗ってくださいという。「えっ、それってもしかして悪いってこと!?」。着いた部屋には「CCU」とある。何の意味かは分からない。分からないけど聞くだにおどろおどろしい感じがする。

 やっと落ち着いた(すぐ前のベッドには今にも・・・・・という様子の病人がいるので実際はそうじゃないのだが)と思ったら、「このあと12時半からカテーテルをします」と。おいおい、どうなってるんだい。「これまでの検査でとにかく異常が出ています。もしかして心筋梗塞かもしれないし狭心症かもしれません。それだと大変ですからカテーテルの順番を一番にして、とにかく確認を最優先にします」。

 12時30分-いよいよカテーテル。20年前にもこういうことがあったなあ。あの時は不安で仕方なかったけど、今回は妙に気持ちが落ち着いている。こんなことには慣れたくないんだけどなあ。連れ合いに聞くと、入って25分で出てきたのでびっくりしたという。この短さが吉と出るか凶と出るか。医師の説明。心臓を取り巻く血管は元気です。ということは心筋梗塞でもないし狭心症でもありません。おそらく心臓に風邪のウイルスが入って炎症を起こしたのでしょう。肺に入れば肺炎で、心臓に入れば心内膜炎です、と。

 次の日には胸の痛みも熱もなくなり、血圧も正常になる。「怒涛の一日」は終わったが、3連休があったため退院は火曜日に持ち越し。

 退院の日、近所のみどりさんが退院祝いだと「鯛」を持って来てくれた。だんなさんが国東で釣ってきたのだという。美味しく頂きました。

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131020 怒涛の一日part1

 9日の午前1時30分-胸が締め付けられ息苦しくて目が覚める。横になっているのがきつくて、起き出してテレビの前に座る。真っ先に思ったのが心筋梗塞。始めて発作が起きたのは48の時。それ以来一度も起きていないし、年に1回の検診でも「問題ありませんね。また、来年会いましょう」と言われ続けてきたので「それはないだろう」と思うばかり。

 3時30分-ようやく横になれるようになる。もちろん全く痛みが消えたわけじゃない。少し落ち着くと余計にいろんなことが頭に浮かんでくる。

 6時30分-連れ合いが起き出す。いつものことながらオロオロしないでくれるのが有難い。というより「大げさなんだから!」と思っているのか。

 8時30分-かかりつけの賀来内科に自分で運転していく。9時に先生が出て来てから、心電図・レントゲンと検査が始まる。それからだ。怒涛の一日が始まった。検査の結果連れ合いも呼ばれ、すぐに市民病院に行くように言われる。それも奥さんの運転でいくように、と。おまけに私がそうするかを看護師に確認するように指示をしている。

131017 私の読書5

  最も繰り返し読んできた本としてはおそらく長部日出男の「天皇はどこから来たのか」があげられるだろう。長部は作家であり学者ではないのだが、自分の歩いた体験をもとに展開される論は、細かい字句に拘ったり史料を満載した学者の本よりずっと読みやすく、読み応えがある。この本はベッドの横に積み上げられた(これをツンドクという)本の中にいつもある。

 こうした分野の本を読むきっかけとなったのは松本清張の「古代史疑」である。奥付に「昭和48年9月15日14版発行」とある。そういえばあの頃は邪馬台国ブームだったと思う。何で買ったのか。おそらく、著者が「松本清張」であること。そして、最大の理由は、赤く塗りつぶされた「古代史疑」というタイトルの斬新さに引かれたからだと思う。

131015 私の読書4

  いろんな分野の本に手を出すのだが、繰返し読むのは決まっている。この「繰り返し」読むということが連れ合いにはどうしても理解できないようだ。最も繰り返し読んでいるのは「山本七平」だ。それを決定づけたのが「空気の研究」である。なんとも味もそっけもない題名だが、日本人のものの考え方、日本人独特の意思決定の仕方を「空気」という言葉に見つけ、私にとっての日本人論の決定版になっている。ところが、この本も本棚の中には見つからない。いったいどうなっているのやら。

  ちょうど一週間入院しました。先ほど退院してきたばかりです。このことについてはできるだけ早めに報告しようと思っています。

131008 私の読書3

 前回取り上げた本の範疇に入るものとして谷沢永一の「完本 紙つぶて」がある。これは「紙つぶて 二箇目」となり、「紙つぶて 自作自註最終版」と続いていく。内容としては書評よりも文化人との論争が楽しい。特に同僚の大学教授に向ける罵倒の凄まじさは痛快を通り越して、牙を向けられた人が気の毒になってしまうほどだ。

 3冊ともあるはずが「完本」が見つからない。本棚の中に埋もれているとは思うが、誰かに貸したままになっているかもしれない。その可能性の方が大きい。昔、ビートルズのLP(ジョン・レノンのイマジンが入っていたので大事にしていたのだが)を若い英語の先生に授業で使いたいというので貸してあげて忘れてしまい、退職する頃に思い出していまさら言えず、あきらめたことがあった。あ~あ!

 彼のゼミでレポートの不備を突かれ、立ち往生しただけでなくとうとう泣き出してしまった女子学生がいた。私もどうして逃げおおせることができたのか。その時のことを夢に見て、何年に一度の割合でうなされることがあることを見ると、後遺症はいまだに残っているようだ。

131005 夕食4(教え子)

  帰りにこれまで立ち寄った2度とも満席で断られている「bar St fellows」に三度目の正直と寄ってみる。昔々、本町の紅心堂というカメラ屋さんの近くにあったサントリーバーに似た雰囲気で、連れ合いも興味深々のお店だ。こじんまりとしていてマスターは若くてイケメンでとても爽やかな雰囲気だ。

  お店を出ようとした時、「先生!原田先生じゃないの。変わらんね~」と声をかけられる。50前(おそらく、多分、perhaps)の女性が二人、外のカウンターで飲んでいる。「ダレか覚えておらんのじゃろ」という。名前は出てこないが見覚えはある。学校でのことは全く覚えていないのに、木の子という山のふもとに家があって、家庭訪問に行ったということは思い出した。30年以上前の教え子だが、彼女の息子は私の最後の学校の時の5年生でお気に入りの「鉄平くん」だ。その子もいまはもう大学生だという。甥から「敬老の日」と祝ってもらうのも当たり前か。

  昔々の教え子に声をかけられ、彼女をちゃんと覚えていて感激され、甥に敬老の日を祝ってもらって、今日(9月21日)はなんとよき日であったことか。