111231 京都の旅2(清水寺と坂の道)

     
     

 清水寺。昨年の4月、娘と孫と、三人で桜の京都を散策したことがある。桜は見事だったが、さすがに今回の清水寺の紅葉はすでに盛りを過ぎていた。

     
三年坂・産寧坂・再念坂とも言われている。  二年坂・和服を着ている女性は中国人の観光客だった。  八坂の塔・坂を下りていくと急に現れる。 

 

 今回の「神戸ルミナリエと京都の旅」もこれで終わり。ルミナリエ見学の時間帯には雨の予報が出ていたのに、とうとう一度も雨に遭うことなく旅行を終えることができた。これが最高。7時間もかかったバスの移動も意外と苦にならなかった。ルミナリエにも感動できた。お仲間とも楽しく行動できた。またこのメンバーで旅行に出かけようとなった。4月になりそうだ。

 今年も一年「おーちゃんのブログ」に訪れてくれてありがとうございました。あと10回分残っている「フランス紀行」を終えたら4月まで旅行の予定がありません。それでも何やかやと「紀行」にはならないブログを載せるとは思いますので、ぜひ覗いてみてください。それでは今年はこれで!

111230 京都の旅1(平等院鳳凰堂)

  OO先生は修学旅行で来たことがあるという。そう言われてみれば来たようなないような。鳳凰堂を見学する間は何も感じなかったのに、外に出て駐車場を見た途端、あれ!これは前に見たぞとなってしまった。これを視感感というのだろうか。そういえば、明治神宮での清正の井戸や八芳園での石柱の時にも感じた感覚である。
 単なるデ・」ジャブではなく実際に来たことがあるようだ。バスが駐車場を出て、町を出て、宇治川沿いに出た時にも「あれ!」となってしまった。それにしても、肝心の鳳凰堂は覚えていなくて、何の変哲もない駐車場や川筋の風景が心のどこかに残されているなんて、こういう感覚を何というのだろう。
 阿弥陀堂の見学。壁や柱にも触るな、もたれるな!たしかに国宝で、保存のためには仕方ないにしても、写真もだめですとなったら楽しみも半減。ついついルーブルと比較してしまう。担当者の荘重な口調で説明を聞くと、ホーと感心してしまうのだが、暗い中で見るとほとんどかすれてしまった壁画などは心にも残らない。

111228 神戸ルミナリエ8(南京町)

 ルミナリエに行く前に、何はともあれ食事をと南京町に出かける。ところが、ここは横浜の中華街にはとうてい及ばないし、長崎の中華街よりもずっと小さい。添乗員さんのアドバイスでは、お店の中に入って食べるよりもここでは立ち食いが多いとの事。何度も同じことを繰り返していたが実際に行ってみるとその通り。規模が小さいだけでなく、いわゆる観光客が安心して食事を楽しめるお店も見当たらない。さすがに立ち食いは、ということで、ちまきを買い、それを持って餃子の専門店で食べることに。もちろんギョウザとビールを注文し、ちまきを持ち込むことの了解も取って。
 当然の事ながらこれでは一時しのぎにしかならず、ルミナリエの会場の屋台で神戸牛(と書いてあったが、神戸牛にもピンからキリまでありそうだ)の串焼きをみんなで食べる。帰りにもう一度南京町に寄り、ラーメンの立ち食いに挑戦。素敵なレストランでの〇〇料理もいいけれど、これはこれで美味しかったし、いい思い出になった。 

111226 神戸ルミナリエ7(市庁舎24階)

スパリエーラ フォンテ 希望の光

  東遊園地の隣に神戸市庁舎がある。その最上階24階の展望所から神戸の夜景が見られると聞いていたのでみんなで上がる。おそらく今はルミナリエの期間、相当時間がかかるだろうと脅されていたので並ぶのは覚悟していたのに、2台のエレベータがフル稼働で意外とあっけなく24階に到着することができた。
 ここからは真下に東遊園地を見ることができる特等席だ。スパリエーラや希望の光が下から見るのとはまた違った雰囲気で面白い。特に、祈りの泉・フォンテが青い光のアーチとなって暗闇の中に浮かんで見えるのは幻想的である。
 ここにある売店の方と話す中で、九州からだというと「ご苦労様です。大変だったでしょう」と労っていただいた。駐車場では青森・八戸からのバスが停まっていたそうだ。何もなければそれこそ遠くから来てるんだなあで終わりだが、今年はそのことさえ様々な思いが交差する。

111225 神戸ルミナリエ6(光のアーチ3)

 「フロントーネ(聖なる暗号)」と「ガレリア(未来を見つめて)」の旅を続けた旅人は、「ミニアトゥーレ(精霊達の庭)」「スパリエーラ(不死鳥の中庭)」「フォンテ(祈りの泉)」をたどり、「希望の光」へと導かれる。
 メッセージは続く。
・・・・・祈りの泉に至るこの旅を経験することで/旅人たちは/困難をも勇気に変える/希望の光を/手にするでしょう ―
 「神戸ルミナリエ」は、阪神・淡路大震災犠牲者への鎮魂の意を込めるとともに、都市の復興・再生への誓と希望を託して、大震災の起こった1995年の12月に開催され、以来17回を数えている。今回は「東日本大震災の震災地へ犠牲者の鎮魂と復興支援のエールを送る」ことが開催趣旨として新たに加わり、特別な「神戸ルミナリエ」になっている。 

111223 神戸ルミナリエ5(光のアーチ2)

 目の前に光のアーチが続く。300メートルにわたってアーチが重なり光の渦となっている。あまりの美しさにこうした時に出るはずの声も少ない。圧倒されてしまったのである。そういう私もただ「うわー」としか言葉が出てこない。写真でも見たし、テレビでも見ている。特集での素晴らしい映像も見てきている。それでもやはり現実に目の前で見る感動には及ばない。この感動は言葉でも映像でも上手く伝えられそうもない。
 今年のテーマは「希望の光」。仲町通りの会場にはまず「フロントーネ(聖なる暗号)」と「ガレリア(未来を見つめて)」が続く。作者のダニエル・モンテベルデ氏はメッセージの中で、
ーさまざまな夢や希望を胸に/会場を訪れた人々は/「希望の光」を探すために/魂の旅を始めます/聖なる暗号を読み解き/・・・・・
と述べている。 

111221 神戸ルミナリエ4(光のアーチ1)

 荷物をホテルに置いてそのまま会場へ。ホテルから歩いて15分のはずが・・・・・
 入り口はなんと元町駅の近く。車の進入をストップして、周りはパイプ製の二重の柵と数メータおきに配置された警官とガードマンに誘導されていく。「立ち止まらないで下さい」「危険ですから立ち止まって写真撮影しないで下さい」と言われ続ける。「この列から出ると再入場は入り口まで戻ってください」。
 こちらの感覚では直接仲町通りのルミナリエ会場かメイン会場の東遊園地に行けるものとばかり思っていた。まあ、会場の入り口ではいくらかは待たされるだろうとは思ったが。それが入り口が元町とは。とにかくものすごい人である。それでも今日は普通日なので土・日の3分の一ですよ。3日の土曜日に来た時には大丸の前で1時間待たされました、と添乗員さん。
 とにかくひたすら人波に着いて行くだけ。そして、最後の角を曲がると・・・・・・ 

111219 神戸ルミナリエ3(異人館)

 ゆっくりと北野坂を登る。途中、西村珈琲のお店を見つける。前回来た時に、ここでお茶したのを思い出す。というより、これは連れ合いの受け売りでそんな昔のことを覚えているような私ではない。言われてみれば、そういえば、という程度である。
 突き当たりは風見鶏の館と萌黄の館がある。なんで「モエギ」というのかと思ったら建物全体が萌黄色なんだ。とはいえ、「萌黄(モエギ)」という言葉から受けるイメージとは程遠い色彩だったけれど。
 隣の北野天満宮にお参りする。急な石段にちょっと尻込みする。その人が一番元気に登るのがほほえましい。その後、時間もないので北野通りだけを散策する。旧パナマ領事館、ラインの館、北野美術館と続き、道の反対側には英国館、洋館長屋(仏蘭西館)、ベンの家と続く。洋館長屋にはたくさんのサンタが飾られている。これも見たような印象がある。ひょっとしたら何かの番組だったかもしれないし、似たような別な場所だったのかもしれない。
 そのあと、今日の宿、「ポートタワーホテル」へ。 

たった今、北朝鮮の「キム・ジョンイル総書記」が17日、急病のため死去したという速報が報道された。この頃、50日以上も消息のないのはおかしいと盛んに取り上げられた例のアナウンサーが重々しい口調でそのことを伝えている。この後、どんなことが起きるのだろう?