130729 イタリア紀行40 アリベロベッロ2(SHIRAKAWA-GO)

この人の多さ、今日は特別ですとタケダさんは言う。今日はこの町のお祭りとかで、町の広場には特設のステージが設置され、若い人たちのバンドの演奏やダンスが行われていた。夜もにぎやかだったと出かけた人が話していた。こちらはホテルのすぐ近くにアリベロベッロ(なんだかこの言葉、癖になりそうだ)の駅があるとかで見に行ったのが精一杯。

その駅の構内で面白いものを見つけた。ここに来た証拠にと地名の入ったポスターの写真を撮っていたら、なんとその中に「SHIRAKAWA-GO」という文字を見つけた。たしかに合掌造りの集落の写真も載っている。まさかこんなところで見るなんて。姉妹都市かなんかだろうが、何のつながりなんだろう。おそらくトゥルッリのとんがり屋根と合掌造りの家の形が似ているということなんだろうが・・・・・・・・・・・・。

130727 イタリア紀行39 アリベロベッロ1(トゥルッリ)

昼食のあと、アリベロベッロへ。
とんがり屋根に白い壁の建物(トゥルッリと呼ぶ)が立ち並ぶ。一度見たら忘れられない建物だ。「アリベリベッロの旧市街にはトゥルッリの家が密集し、坂道が迷路のように続いており、おとぎの国に迷いこんだような雰囲気に満ちている」と案内パンフレットには書いてあるが、おとぎの国どころか現実は観光客であふれかえり、彼らを迎えるために今ではトゥルッリのほどんどが土産物屋かもしくは飲食店になっている。これではおとぎの国の「こびと」たちも出るに出れないだろう。

それにしても、白い壁が南イタリアの太陽にほんとに似合っている。この色は日本のように湿気を帯びた空気の中では似合わない。昔むかし、「太陽がいっぱい」という映画があった、なんてえらい年寄りのセリフだ。ラストシーンでアラン・ドロンが「太陽が眩しい」とつぶやいたが、なんてキザなセリフだろうと思ったものだ。そうか、この太陽の下でならぴったりのセリフだ。

130724 イタリア紀行38 マテーラ4(洞窟レストラン)

洞窟を利用したレストランで昼食を食べる。この暑さの中、ただひたすら歩かされた。そういえば、木陰なんて気の利いたものは全くなかった。ここは入るだけでひんやりとして火照った体に心地いい。

何はなくてもまずは「ビール」。イタリアのビールは軽くて飲みやすい。その代わり「スーパードライ」のようなのど越しにキリっとくる快感はない。ここで出た「耳たぶ」のようなパスタが美味しかった。誰かの言った「水道ホースのぶつ切り」とは明らかに違っていた。タケダさんが言っていた。イタリアは南に行くほど食べ物が美味しくなります。

隣のテーブルでイタリア人の家族が食事をしていた。おそらく二十歳にはなっていないだろう若い娘さんがいた。その彼女の食べっぷりたるや、ハムを2枚ほどホークに巻いて、チーズの塊をナイフで切り裂き(この表現でなきゃ)、口に入れると赤ワインで流し込んでいる(この表現でなきゃ)。いかにも全身全霊を傾けて食べているんだという口の動かし方だ。まさか写真に撮るわけにはいかなかったが、正直残念だ。今はこんなにスタイルがいいのに、なんであんなに(具体的には言えないが)なってしまうのか、その理由が理解できた。

130722 イタリア紀行37 マテーラ3(教会)

ここは小さな町だが、それでもたくさんの教会を見た。その中で写真に撮ったものを紹介する。

その一。洞窟住居群の中に小高い小さな岩山が見える。最初は気づかなかったのだが、周りの空気と明らかに違う。よく見ると頂上に小さく十字架が見える。岩山の岩盤をくりぬいて教会が造られているという。サンタ・マリア・イドリス教会という。

その二。町の中でひときわ目立つ優美な姿をしている。サン・フランチェスコ・タッシージ教会。

その三。ブルガリオ教会。別名「骸骨教会」。その名の通り、いろんなところに骸骨の彫刻が飾られている。入口の外には骸骨の石柱が。扉も骸骨で装飾されている。その上にも骸骨の彫刻が。その姿が何ともいえず楽しい。若い女性だったら思わず「か・わ・いー!」と声を上げるだろう。

130720 イタリア紀行36 マテーラ2(サッシ2)

とにかく暑かった。「南イタリアが降り注いでいます」と詩人のような表現をしたタケダさんの言葉が実感として理解できました。女性たちはショール(というのかな?)を頭から被ってまるでアラブの女性のようになっている。堀田さん曰く、「アラブの石油王の第2夫人」。

前回に書いたが、サッシは1年を通して室温が変わらず、大体15℃前後という。今は換気を良くし、冬には床暖房にしてとか快適に過ごせるが、昔は同じ洞窟の中に家畜と一緒に住んでいたこともあって、衛生的には最悪で幼児の死亡率は飛び抜けていたそうだ。

とはいえ、この暑さの中、これまでの疲れと睡眠不足がたたって、ダウン寸前。昔の暮らしを再現した洞窟に入ったが、見学するというよりはただひたすら壁に額をくっつけてそのひんやり感を楽しんだ。

130718 イタリア紀行35 マテーラ1(サッシ)

南イタリアの町、マテーラにはサッシと呼ばれる洞窟住居群がある。石灰岩に掘られた横穴式住居の上に家が建てられ、そのまた上に家が積み重なり、どこからどこまでが岩でどこまでが家なのか分からなくなっている。渓谷を挟んで対岸には旧石器時代の集落跡が発見されているというから、古くから石灰岩を利用して人々が住み着いてきたようだ。

第二次世界大戦後、廃墟と化していたサッシは南イタリアの貧しさの象徴と見られていた。政府が保存に乗り出し、世界遺産への登録が後押しになって人々が戻り始めたという。現在は5分の一ほどが再利用され、オフィス・ホテル・レストラン(あとでその一つに行く)、もちろん住居としても一年中室温が変わらないという特色を生かして快適に住んでいる人もいるそうだ。なによりも、狭い地形で車が入ってこれないので、静かな日々を過ごしたい人にとっては理想的な土地になっている。

130715 イタリア紀行34 アマルフィ4(ドゥオーモ広場)

アマルフィの街の中心部、金色に輝くモザイクのファサードが見事なドゥオーモの下の広場は、多くの観光客でごったがえしている。冬には人影もまばらなのだが、暖かくなるとドイツ、ロシア、北欧三国から、太陽の日差しを求めてたくさんのバカンス客が押しかけてくるそうだ。ちょうどその走りが始まったのだという。広場に見える人のほとんどは観光客で、地元の人は・・・・・・・・・、地元の人は二階のベランダから珈琲を飲みながら彼らを眺めていました。

ドゥオーモの中。素晴らしいのだが、始めて見た時の感動もだんだんと薄れてきている。あまりにもたくさんの教会を見過ぎたようだ。“過ぎたるは及ばざるが如し”

これがイタリアでの2回目のジェラート。もっとカラフルで、もっと果肉かなんかが入っているのかとフィレンツェでも思ったのだが、意外とあっさりしている。そういえば、この辺りで博多姉妹がピザを美味しそうに食べていた。

130713 イタリア紀行33 アマルフィ3(エメラルドの洞窟)

このツアーには、青の洞窟とポンペイ遺跡の二つのコースがある。私たちが出発した日はポンペイの方だった。この頃「青の洞窟」というのが有名なのでそちらも行きたいなとは思ったのだが「エメラルドの洞窟」があるからいいやと。それに船には弱いし。ポンペイ遺跡は大満足だったが、この洞窟には正直がっかりした。この程度の洞窟なら日本にだってあっちこっちにありそうだ。

エレベータで地下へ。降りたところに水をたたえた洞窟がある。規模(広さ)もこんな程度かというほどのものしかない。その中でライトの当たった水面がエメラルド色をしているのだ。時々、船頭さんが櫂をバシャバシャしてくれる。ただそれだけのこと。そういえば、堀田さんのコメントにも「ネットの投稿動画とかスゴイんですがね」とありました。

くりかえすが、この程度の、いやこれ以上の洞窟なら日本にもたくさんありそうだ。看板に偽りありの見本。船頭さんの「ニッポン ガンバレ! テンジョインサン ガンバレ!」の掛け声の方が印象に残った。