吉田拓郎の「a day」(←クリック)の歌詞の中に
今日の私はちっぽけなイモの花
夢はあるけれど言わないんだよ
というのがある
始めて聴いた時、イモの花がどんなものか分からなかった
そりゃそうだろう
ふつう、見ることなんてないもんな
自分で種芋を植えて、育てて、出てきた花を見て、
あっ、この花だって分かった
ジャガイモの花だったんだ
吉田拓郎の「a day」(←クリック)の歌詞の中に
今日の私はちっぽけなイモの花
夢はあるけれど言わないんだよ
というのがある
始めて聴いた時、イモの花がどんなものか分からなかった
そりゃそうだろう
ふつう、見ることなんてないもんな
自分で種芋を植えて、育てて、出てきた花を見て、
あっ、この花だって分かった
ジャガイモの花だったんだ
本殿の正面には、野々宮神社の主催神として「野宮大神」の額が掲げられているが、
正式には「天照大神」のことである
本殿といいながら、屋根と柱だけの造りですっきりとしたものである
ちょっと風通しが良すぎるかもしれないが・・・
たしか鎌倉でも同じ造りの社に詣でたことがあったが、どうしても思い出せない
額(ひたい)に流れる髪のように「野宮大神」の額(がく)にも黄色い紅葉が流れている
黒木の鳥居から本殿への紅葉の黄色さが見事(←クリック)なのだが、
私の写真ではその色の鮮やかさがとらえられていないのが残念である
※「見事」な紅葉の写真を見つけたのでリンクしておきます
急に「利休梅」のことが書きたくなった
というより私がいかに好きだったかを知ってもらいたかったというのが本音である
そのためには言葉よりも見てもらう方が分かりやすい
その代わりその写真を見つけるのが大変である
ピクチャーの中にある膨大なファイルを一つひとつ調べていかなくてはならない
調べるというよりファイルをクリックして、
ただひたすら写真を見ていくという単純な作業の繰り返しである
そして、「05/04/29四月の庭」から3枚、
「14/03/16三月の庭」から2枚の写真を見つけました
これ以降のファイルの中にはなかったので、2014年以降に枯れてしまったようです
ついでですが、「利休梅とウグイスについて書いたブログ」(←クリック)を見つけたので
リンクしておきます
我が家には3本の楓が植わっている
2本は私が植えたもので、もう1本、玄関の前にある楓はいつのものか分からない
小さい時、母親に連れられて畑仕事の手伝いに母の実家に来ていたが、
その時からあったのを覚えているので、樹齢はひょっとすると百年に近いのではなかろうか
なんでこんな事を思い出したかというと、
2階に上がる階段の踊り場から若葉が目に飛び込んできたからである
淡い淡い薄緑の下に、赤い葉がぶら下がっているのが何とも可愛い
そしてこの赤い葉は1週間程度で散ってしまう
ひょっとしたら紅葉の時期よりもこの時季の方が好きかも・・・・・
そういえば、昔はこの紅葉と並んで木槿の樹があって、
梅雨時には花びらが壁にべっとりとくっついてホースで流すのが大変だったことも思い出した
その木槿もここに家を建ててから何年か後にはいつの間にか消えてなくなった
うるさくなって私が切ってしまったのか、虫にやられて枯れたのか
そういえば、一番好きだった「利休梅」の樹も虫にやられて泣く泣く処分したこともあったなあ
なんでこんないろんなことを思い出しているんだろう
野宮(ののみや)とは、天皇の代理として伊勢神宮に使える斎王が、
伊勢神宮に赴く前に身を清める場所として籠った仮の宮殿である
斎王と祭主とはどう違うんだろう
昔、黒田清子さんが祭主になったという話をテレビで聴いた覚えがある
野宮の場所は毎回異なっていたが、嵯峨天皇の時から現在の地が野宮と決まったと
これがこの地を第2の目的地に選んだ理由
それ以上に、天龍寺から729m、9分という距離の方が一番の理由でした
野宮神社は嵯峨野の竹林に囲まれた、いや、包まれたと言った方がふさわしい
とにかく竹林が気持ちいい
ここはかの有名な「竹林の小径」の入り口に位置すると看板にあったので、
そこに行ってから次の目的地を決めよう
ちょうど小径を赤いひもうせんを膝にかけた人力車が見えたので、慌ててカメラを向けた
若いカップルが乗っていると勝手に思っていたら中年のカップルでした
文句はありませんが、どちらが「竹林の小径」に似合うかな