100928 彼岸花(1)

   

  8:30、佐藤さんと待ち合わせる。昨年もこの時期、彼岸花を見に一人で竹田の七つ森古墳に出かけた。一人で出かけたが好きなように動けて気楽なもんである。特に写真を撮り始めると、周りのことなどお構いなしに動き回るので連れ合いは嫌がる。それでも道中の長さと退屈さには閉口したので、今年は私のパソコンの師匠である佐藤さんに声をかけると気持ちよく応じてくれた。彼の写真の腕は私よりずっと上なのでその点でも心強い。
 いつもだと山国川沿いの田んぼの畦を鮮やかに縁取っているはずの彼岸花が今年は少ない。星野支所に電話をして確かめたが、担当の人も今年はずいぶん遅れています。いつが最盛期なのか自信を持っては言えません。すいません、という。不安になりながらもダメな時は高良大社にでも行きましょうかなどと話してみる。私の一方的なおしゃべりを絶妙な相づちで助けてくれる。やはり彼を誘って正解である。
 日田から夜明けダムで筑後川を渡る。浮羽町から左折し、山の中に入っていく。「上原地区」と書いた小さな看板を見つけ、2・3台の車が停まっていたので降りてみたが、「えっ、これがあの棚田!?」としか言いようのない情けない情景である。少ないけどたしかに棚田があり、畦には彼岸花が咲いているし、稲刈りも始まっていた。何枚か撮ったが、「これで終わりだったら仕舞いには怒るでー」と文句を言いながら先へ進む。(9/25)
 

100926 おくりびと(セリフ)

ニコライ堂 湯島天神

 三つ目はせりふ。わずか5分の遅れを口汚くとがめた男が、葬儀の後には涙を流して感謝する。妻に先立たれ、それも幼い子どもを残して・・・。男のとまどい、いらだちが一気に噴き出したものだろう。だから余計に「あいづ、今までで一番綺麗でした」というセリフが切なく沁みてくる。思わず涙をこぼしたが、一番後ろの席でよかった。
 いろんなことがあって辞めるという主人公に社長は昼食に誘う。フグの白子をチューチュー音を立ててしゃぶりながら言う。「これだってご遺体だよ。生きものが生き物食って生きてる。死ぬ気になれなきゃ喰うしかない。喰うならうまい方がいい。うまいんだよなあ、困ったことに」。社長のなんともうまそうにしゃぶりつく表情ににやにやしながら、「うまいんだよなあ、困ったことに」とすまなそうな表情にしんみりとなってしまう。生きることとはつなぐことなんだなあと感じてしまう。
 銭湯のおばさんの葬式の帰り、二人は川原にいる。そして、男が小さくてきれいな石を妻に渡す。「昔さあ、人間が文字を持たなかったくらい大昔ね。自分の気持ちに似た石を探して相手に送ったんだって。もらった方はその石の感触や重さから相手の心を読み解く。・・・・」。男は幼い頃父親と「石文(いしぶみ)」の交換をする。家族を捨てた父親は子どもからもらった石を握りしめて亡くなる。
 脚本家の小山は、向田邦子のエッセイで「石文」の話を知ったそうだ。いろんな意味でこの映画の底に流れるものの象徴がこの石文なのだろう。図書館の安永さんに探してもらったら、その向田邦子のエッセイ「男どき女どき」は耶馬溪の図書館にあるという。 

100923 おくりびと(音)

神田川。この電車に向けて檸檬を投げたのかな? スクランブル交差点。今ではどこにでもある風景!

 ひょんなことから「おくりびと」を観る。文化の森大学では講座の一つとして映画鑑賞をすることにしている。これまで、18年「北の零年」、19年「蔵」、20年「博士の愛した数式」、21年「武士の一分」を鑑賞してきて、今年は「幸せの黄色いハンカチ」であった。ところが、前日試写をしたところ、パソコンではきれいに写った映像もスクリーンに拡大するとぼんやりとしてはっきりしない。古すぎたのかな?映画サイズの横長の画も妙に観にくい。あわてて第2候補だった「おくりびと」に変更する。
 変えてよかった。ずいぶん観易かったし、内容も素晴らしく、心に残った。
 まず、映像。山形庄内地方の移り変わる四季の自然が表情豊かで美しい。広々とした田んぼに遠くには雪を被った鳥海山がその優美な姿を見せる。冬には鶴が舞い、春にはサクラがその花びらを舞い散らせる。どこかで見た覚えがあると思ったら、藤沢周平の小説に登場する舞台である。
 次は音。それもふたつ。主役の男は元チェロ奏者という設定である。彼が劇中で弾くチェロの深く暖かい音色が、内容と風景とぴったり合っている。「静謐(せいひつ)」という言葉が浮かんでくる。
 もうひとつは衣ずれの音。納棺の儀式がひたすら美しい。特に色の失せた唇に紅を差すことであたかも命がよみがえるように見える死に化粧と、死に装束に着替えさせる時の衣ずれの音が、その場の空気をピーンと張り詰めさせ、同時になぜか心地良く響く。本木雅弘の所作は舞を見るようで、ひとつの様式美にまで高められているといっていい。俳優でうまくいかなければ納棺師でもやっていけるよ、と言われたとかいうエピソードもありそうだなと思える。

100919 磯屋

 久しぶりの磯屋である。19日、鳥栖のアウトレットに行こうと言っていた連れ合いが、当日お寺の用事が入っていたのを思い出し、代わりに磯屋に行こうとなった。前回行ったのはいつだったのか。このお店のいいところはいつに変わらず気持ちよく迎えてくれるところだ。昔、よく贔屓にしていた居酒屋で、何ヶ月か間が空いて久しぶりに出かけると、「ご無沙汰でしたね」と言われたことがあった。特に思いがあったわけではなかったのだろうが、こちらの方はその言葉に棘を感じて二度と行くことはなかった。
 このお店は天神町の小さなお店の時から行き始めて、ユメタウンの近くにお店を構えてからも、美味しいお鮨ととろけるようなお酒とゆったりとした時間が恋しくなると、年に何回か出かけてきた。まずお造りとビールを頼む。刺し身のネタが新鮮で、こりこりとした感触がなんともいえない。その後私はアサリのバター炒めを、連れ合いはサーモンのマリネを頼むのが定番である。今回は茶碗蒸しに代えた。この頃にはビールも終わり、私は「雷神(佐賀の焼酎)」をロックで飲む。ところが、雷神は製造中止になったとかで、もう手に入りません、という。この店に来たら「これ」と決めていただけにショックは大きい。代わりに西の関の冷酒を頼んだのだが・・・・。
 最後にお鮨を頼むのだが、いつからか連れ合いは「アナゴ」を、私は「玉子」を必ず入れるようにお願いするようになった。こだわりと言えば、座る場所にもこだわっている。カウンターの一番左、壁ぎわである。予約する時、その席が空いているかどうか確認するようになってしまった。ここだと隣に誰も来ないし、酔ってくるとシャンと座れなくなるので、壁にもたれかかってもいいからである。
 昨夜は熊本から出張で来た若い二人が居て、「耶馬美人」を盛んに褒めていたので別な意味でもいい気分だった。とはいえ、冷酒が効いたようで、歩いて帰るのがきつかった。

 磯屋  0979-24-3633 中津で一押しのお店。絶対満足できます。

100918 職業病(返事に代えて)

湯島天神 聖橋

 私が以前さだまさしの「檸檬」について書いたブログを覚えていて、東京に里帰りした時に歌に関係したた場面の写真を撮って送ってくれました。

 憲法9条(3)に書いてくれた宇佐の虎ファン氏のコメントを見て、昔のことを思い出してしまった。
 30年以上前、耶馬溪中学校に勤めていた時、PTAの広報部を担当し、活動を通してある保護者と懇意になった。彼は耶馬溪の旧家の出で、どこが気に入られたのかずいぶん親しくしてもらった。家族ぐるみの付き合いになり、祭りに呼ばれたりホタルを見に出かけたり、楽しかった。
 その中でも特に印象に残っているのは、彼に連れられて湯布院に出かけ、当時地域おこしのリーダーで知られていた溝口薫平氏に会いに行ったことである。理由は何であったのか、もう忘れてしまったが、溝口氏の語る地域おこしへの情熱と思いを直接聴けたのは貴重な体験であった。
 宇佐の虎ファン氏は今回の湯布院映画祭に出かけたという。若松孝二監督と寺島しのぶさんのオーラに圧倒されたと書いていたが、若松監督には学生時代ずいぶんお世話になった。もちろんおじさんでも知り合いでもなんでもなく、彼の作る日活ロマンポルノの方にである。本採用になり、島の中学校に赴任したが、島にはほとんど店もないようなところで、土曜の昼から連絡線に乗って港まで買出しがてら遊びに出るのが楽しみであった。
 楽しみといっても、港からバスで中心街(大手前)にあった寿屋に行くか、駅前の喫茶(たしか「石」という名前だった)に寄った後、パチンコに行くか映画に行くかである。ある時、ロマンポルノを上映する映画館に入ったはいいが、出る時になって外で知った人に会わないか、特に、教え子に合わないかと不安になってしまい、こんな思いをするのならとそれ以来、その手の映画には全く出かけなくなった。
 こういう「不安」も一種の職業病なのかもしれない。 

100916 民主党代表戦(ちょっと待て!)

   
   

今年始めてみた彼岸花です。いつもより遅れているのかな。真坂小学校の下の212号線沿いに咲いていました。

 民主党の代表戦が終わった。菅氏の圧勝である。ところが、翌日(15日)の新聞の見出しには「菅氏 綱渡りの完勝」という文字が躍っていた。「完勝」には「完」と「菅」をかけたのであろうが、ただのお遊びにしかみえない。その前に「綱渡りの」という言葉があるので、いよいよ意味不明になっている。ただ目を引けばいいという編集者の卑しい思いが透けて見える。
 おそらくその下にあるサブタイトルの「国会議員の半数が「反菅」」が言いたいのであろうが、この編集者はよっぽど文字遊び(ダジャレ)がお好きとみえる。たぶん「反感」にかけたものとみえる。ところで、この「国会議員の半数」という言葉が、結果が出てからいろんなところで使われている。「国会議員の半数が菅さんに「NO」を突きつけたので、これからの政権運営が大変だ」というのがその中身だが、今朝も鳥越さんが同じことを得々と話していた。石原都知事(この人には「傲慢無礼」という言葉がぴったりだ)にいたっては、素人の国民に何が分かるんだと言わんばかりに「国会議員の半数」を持ち上げていた。
 しかしちょっと待て!始めは国会議員票は圧倒的に小沢有利の評価だったはずだ。たしかに、小沢グループの150に鳩山(今回この人ほど人間としての程度の低さを見せつけた人はいなかった)グループの60だけでも200を超えている。それが、基礎票(菅50、前原40、野田30)の120に負けたのである。そう考えたら200対206の持つ意味は大きいはずだ。結果の出た後の番組で、小沢を支持した議員が言っていた。「党員・サポータ票の差には驚かなかったが、国会議員票で負けたのはショックだった」と。
 この議員の感じ方の方がどう考えても正常である。そう思うところから始めて次にどうすべきかが生まれてくるからである。

100911 頭痛・めまい・吐き気

能楽堂とハス この木の右手に霊水の井戸がある

 火曜日朝、起きてびっくりした。ベッドから離れようとすると、めまいがして吸い込まれそうになる。なんとか起き上がったが、めまいはいよいよ激しくなり、頭痛まで起きてくる。階段を降りるのもひと苦労。気がつくと首から肩にかけて錘を載せられたようで、きつくてきつくて!とうとう吐き気まで起きてしまった。
 これまで風邪等では頭が痛くなることもあったが、いわゆる頭痛持ちではない。頭痛持ちといえば死んだ母親がそうで、梅干の皮をこめかみに張っていたのを思い出す。初めての経験で何がなんだか分からず、ただ不安になるばかりである。こうした時ありがたいのは連れ合いが経験者なのでいろいろ教えてもらえ、よく効く薬も常備薬として持っているので安心である。
 なんとか出勤した公民館も早退して行きつけの整骨院へ。肩に触れた途端先生が「どうしたんですか?!よっぽど激しいことをしたんですね。僧帽筋が腫れていますよ」という。そういえば、土曜、日曜日と日頃にないことをしている。今年の暑さと日照りで庭の草木が枯れ始めている。庭の横を水路が通っているので電動の水中モーターを使って水遣りをすることにした。水路は庭より2m下を流れているので、いったん下ろしたモーターを移動させるのも大変である。おまけに場所によっては泥が多くてうまく水を吸い上げてくれない。そうなると重いモーターをロープ1本でゆすって水を吸い上げてくれるようにしなければならない。ところが、言うは安し。モーターの重さとホースの扱いにくさに意外な水流とでけっこう力が要る。日曜日は疲れて果てて昼までしか外にいることができなかった。おそらくこれが今回の原因だと思う。
 次の日には首や肩の痛みも落ち着き、めまいもなくなったが、ほんとに話、前科があるのでいろいろ考えて不安になってしまった。おかげで4日からブログも休んでしまったが、今回だけは参った。すこしのんびりとやっていきましょう。お互い、若くはない!  

100904 コウホネ

 
 池の奥。ここでカワセミをよく見た。 コウホネ 

 能楽殿の横を通って奥に行くと、静まりかえった沼みたいな池がある。菱形池という。八幡大神がここに現れたという言い伝えのある池である。右に行くと御霊水と呼ばれる湧き水がある。ひしゃくも置かれているが、濁っている上に枯葉などが落ち込んでいてとても飲めたもんじゃない。昔ここに来た時にはすくって飲んだような気がするが定かではない。
 その前にある小さな島(と言えるのかな?)には「水分神社(みまくりじんじゃ)」と呼ばれる小さな祠がある。その先の石の橋を渡ると両側の水面に、この時期、黄色い花が顔をのぞかせ(この表現がぴったりだ)る。ある人にこの花の名前(コウホネという)を教えてもらったが、あれから20年以上が経っている。この方には花や植物、鳥などの名前をずいぶん教えてもらったものだが、私がこの頃、そうしたことに興味を持つようになったのもこの人の影響が大きいようだ。私がいくつかの花を種から育てるようになったのを知って、「まさか、あなたがね!?」と笑われてしまった。
 当時、この池にはカワセミがいるよとも教えてもらって何度か通って、その優美な姿を眺めたものだ。わざわざそのために出かけないと、おそらく気がつかなかっただろう。木々に覆われた、ほとんど訪れる人もいない静かな池である。

 今日は、いつになく思い出に浸った一日でした。(8/29)
たっくんを連れて時々ここを訪れる。