110129 絵手紙

 
 

 本公民館でも「絵手紙教室」が開講されている。講師は外園雅美先生。始めて小学校に赴任した時の学校、永岩小学校でご一緒したことがある。先生は校長1年目で、今でいうスーパー教師であった。遠足ではアコーディオンを弾いてフォークダンスを踊ったり、名前だけの体育主任であった私の代わりに鉄棒の模範演技をしたり、特に水泳では県体の選手として出場するほどであった。絵画に至ってはプロ並みで、先生の絵を使って切手が作成されたほどである。
 思い出として残っているのは、放課後子どもたちが帰った後の時間を利用して、職員一人ひとりにシンピジュウムの栽培やハガキを使った絵手紙の指導をしてくれたことである。そうそう、永岩小学校まつりでは、先生の指導で職員全員で皿まわしと手品を子どもたちと保護者の前で披露したことがあった。充実した楽しい1年だったのを記憶している。
 どうしてこんな話をするのかというと、講師の杉田さんから素敵なハガキをいただいたからである。2枚。1枚目は、講座についての連絡文書を送ったところ、それに対する返事がハガキで送られてきた。そのハガキには文字だけでなく、簡単な絵が描かれている。ひょっとして「ピラカンサ」か?2枚目は、講演のあと私がお礼の手紙を出す前に杉田さんの方からハガキが届く。今回は梅の花が添えられていた。
 寒いさむい今年の冬の中の、ほんのりとした温かい点描。

 外園先生は、自分の素晴らしい水彩画を使ってブログを開設している。タイトルは「山国川おさんぽ」。その名の通り山国川流域の情景を描いたシリーズが続いていたが、それも終わって今は花や魚や旅行先の風景が掲載されている。
 やわらかなタッチと色使いがなんともいえない雰囲気を醸し出している。ぜひ「山国川おさんぽ」をのぞいて見てください。 
 

110127 いいオンナ

 

 1月の文化の森大学の講座は、大分から杉田吉成さんを呼んで講演を行った。96年にOBSを退社し、現在は大分合同新聞社の「話し方教室」の講師をされているとか。タイトルは「顔にシワ 心にときめき」。市の公民館講座一覧の中にこのタイトルを見つけた時、いつかは本耶馬渓でもと思っていた。完全に個人的な好みでの選択である。
 まず、顔にはどんなシワがどのようにできてくるのかを詳しく話してくれた。面白おかしく話すので会場は笑いに包まれたが、ホワイトボードに描いていくシワがまるで自分の顔が描かれているようで、そして、このシワはもう取ることができないと断言された時にはちょっと悲しくなってしまった。
 それではどうすればいいのか。「いいオンナになればシワは目立たない」のでこれからは「いいオンナ」を目指そう、と。いいオンナの条件を10個上げた。そして、その中から⑥「言葉使いがきれい」と⑩「いつも笑顔であること」を取り上げ、言葉美人と笑顔美人であることがいいオンナの条件として特に大切であることをいろんな例を挙げて説明してくれた。
 なかでも、美しい日本語の7位「あなた」の話が心にぐっときた。はじめて日本隊が南極で越冬した時、残された妻が隊員に電報を打ったそうだ。「あなた」。たったこれだけである。「あなた!」ではない。「あ な た」である。「あ」と「な」、「な」と「た」の間にどれだけの思いがこめられていることか。二人のこれまでの人生と、これからの未来がこめられた言葉である。携帯でもメールでもこうはいかない。電報であるからこそ彼女の思いがひしひしと伝わってくる。こうした言葉は久しく聞いたことがないし、そもそも聞いたことがあっただろうか。
 最後に、「ときめく」ためには外に出よう。人生に積極的になろう。好奇心を持とう。恋をしようでまとめられた。ほとんどが70歳を越えた受講生だが、「恋をしよう」でほとんどの方がうなづいていたのがほほえましかった。

110125 小倉記念病院2

 

 10:55 心電図が終わる。早い。いったいどうしたことだろう。昨年は心電図が終わったのが昼を過ぎていた。
 この病院に通うようになって今年で18年目である。倒れたのは48歳の時だった。忘れもしない。有田陶器市に行く途中の車中で起きた。1ヶ月ほど風邪を引いたような症状があった。医者は風邪をこじらせたんでしょうという。胸というより胃の方が締め付けられるようで運転ができなくなった。となりに連れ合いがいたのが幸い。でなければそのまま発作を起こしたまま死んでいたか、岩にぶっつけていたか、崖から落ちていただろう。場所は下郷の先である。
 12:55 心電図は早く終わったのに診察はなかなかである。名前を呼ばれたのは2時間が経とうとしていた。心配しなくてもちゃんと昨年並みの時間になった。担当医は副院長の野坂秀行先生。18年前、私の手術を担当した時はたしか外科部長だった。診察は「お元気でしたか?」で始まり、聴診器を当て、脈を診て、血圧を測る。最後に「また来年、お顔を見せてくれますか?」で終わる。この声を聞きたくて年に1回やってきているのかもしれない。
 13:00 こちらでの医者が変わり、預かった手紙を渡す。「分かりました。賀来先生はよく知っています。返事をすぐ書きますので渡してください」と。18年間通ったこちらでの病院を変わらなければならなかったのでちょっと心配していたのだが、野坂先生の明快な声にホッとする。

110122 小倉記念病院1

   

 新しい写真がありません。「困った時の」の写真も底をつきそうです。どなたか写真を送ってください。

 毎年年に一回小倉記念病院に出かける。8:23分の普通列車に乗る。南小倉駅で下車。雨の中、どこをどう間違えたのか方向が分からなくなってしまう。得意の、人に聞くこともこの雨の中ではままならない。なんとか紫川まで出ることで記念病院独特の外観を見ることができた。
 10:37、まずレントゲン写真を撮る。順番を待つ人の顔は一様に深刻な表情をしている。というより努めて無表情を保っている。その中で係員が順番のきた患者さんの名前を呼ぶ声が響く。相変わらずすごい人である。おそらく大部分が年に一回の方だろうに、どこにこれだけの病人がいるのかとあきれてしまう。私もその中の一人なんだが・・・・。
 目の前を「となりのTちゃん(小さい頃隣の家に住んでいた一つ上の親戚の女性である)」が歩いている。そういえば昨年もここで彼女を見ている。ということは今日が彼女も私と同じように年に一度の検診日というわけだ。まさかこんなところで出会うことになろうとは。自分のことは棚に上げて思う、ずいぶん恰幅がよくなっている。受付で私も名前を呼ばれているので知らないはずはないのだがと思いながら、こうした場合の礼儀と思って声はかけない。

110119 ゴデチャ

いただいた苗 ネットから拝借した画像

 今朝はとうとうマイナス1度を記録した。これまでの最低温度は0度である。毎日毎日「今年一番の寒さが」とテレビで放送している。明日・明後日(15・16日)は最強の寒波がやってきて平地でも積雪の恐れがあるという。連れ合いは日曜日「初釜」である。どうなることやら。私の方は早々と月曜日の朝、2時間の代休を取った。いつも期限切れで流すことばかりなのでこの際である。こうして用意するとたいてい雪も降らないのであるが、それはそれ、準備完了!
 やはり大荒れにはなったが、我が家の周りは雪は大丈夫だった。しかし、本耶馬の方は大変だったようだ。図書館の方は日曜日、雪がぼっこり降ったので、梅ノ木瀬から歩いて出てきたという。
 見たことのある方が事務室に入ってきた。たしか多志田の遠入さんである。ちょうど樋田地区公民館の館長の相手をしていたので、対応は指導員がしてくれた。センターにコピーしに出かけたりして帰ってきた時にはすでに大会議室に入っていた。机の上には薩摩・蒸気屋と書いた紙袋が置かれ、中には鉢に入った何かの苗があった。遠入さんが館長さんにと持ってきてくれたというのである。あわてて遠入さんを探してお礼を言う。「館長さんが一番喜んでくれるので・・・・・」と。彼女がこれまでで一番きれいに見えた。
 教えてもらった名前「ゴデチャ」をネットで調べる。別名「イロマツヨイ(色待宵)」とある。待宵草の仲間で花色が紅色であることから付けられた名前だとか。アップされた写真を見ると待宵草に似ているけれどいろんな色があってもっと華やかなようだ。昨年は「タイマツソウ」や「ゲンノショウコ」をいただいた。5年勤めてやっとこんな関係ができた。できた頃には辞めなければならないが・・・・。

110116 タイガーマスク運動

   

我が家の庭の春はこのロウバイから始まる。昨年末撮っておいた写真が役に立った。次回ももうすこしアップした写真を掲載します。この時期、新しい写真がありません。2月には出かけようと思います。

 タイガーマスク運動がニュース番組を席巻している。朝起きれば、みのもんたがめくるボードで説明している。夕方はどのテレビ局もどこでどんな贈り物があったかをまくし立てている。この頃では、エスカレートしてこの現象の奥にあるものはから日本人論、はたまた寄付についての国の違いまでが取り上げられるようになった。ある意味平和な日本である。
 とうとうこの運動が日本全国に広がったそうである。こういう話は自分はしているのではないが、なんとなく照れくさくて聞くこと自体恥ずかしくなってしまう。ところが、熊本市では90歳の方が24万円を寄付したという。埼玉県草加市では小学6年生の女児二人が市役所にノートと菓子を寄付したと報道された。こういう話になると感激して涙もろくなってしまう。
 ところが、ある県では前もって伺いますと連絡があり、カメラが待機しているとタイガーマスクのマスクを被って、まるでヒーローのように話し、走り去っていく場面が映っていた。だから・・・・・と言われそうだが、やはりちょっとね、と思ってしまう。関係ないことだが、ある県とは「大分県」というのがひっかかる。こうした行為は、人に知られずに行うべきだという「陰徳の美学」という考え方が日本人にはあったように思うのだがどうだろう。
 いずれにしろこれも含めて今回の運動は素晴らしいものだし、できれば一過性のものでなく、こうした行為が普通に行なわれる社会になればいいと切に願う。

追伸  今回の報道を通して、昔々読んだ本を思い出した。学生時代だから45年は経っている。ルース・ベネディクトの「菊と刀」である。 

110112 山芋

     

 「今度また山に行きましょう」
いつ頃からか冬場になると山芋掘りに連れて行ってくれるようになった。ずいぶん足手まといになっているだろうにと気の毒なのだが、気持ちよく誘ってくれる。山に囲まれた所で育った彼は、ほんとに山のことをよく知っている。山芋に関して言えば、この時期になるとツルは枯れ、全てが途中で切れ、どこにつながっているのかは素人ではまったく分からない。それを推理してここだと見つけるのである。
 時間通り8時半に迎えに来てくれる。道路に設置されている温度計は1度を示している。始めに行った場所は左手に県の農業公園が、そして、すぐ上を湯布院への高速道路が通っている。手前の田んぼには氷が張っている。何年か前に何度か来たことのある場所だ。そろそろいい頃ですよ、と張り切ったのだが、登ってみて驚いた。あるはあるは、至るところ穴だらけである。イノシシではない、人間である。最近山芋掘りの人がずいぶんと増えたという。
 あきらめて移動。昼までに6本掘る。ほとんど彼が掘りあげたもので、私も見つけてもらったツルを手がかりに掘ってみたが、1本は途中で石に阻まれてあえなく撃沈。もう1本も掘るだけ掘って、最後は彼に掘りあげてもらった。
 気がついたら山の中はけっこう暖かい。何より風のないのがありがたい。そして、ただひたすら掘り続けるので汗ばんでくる。明日には身体が悲鳴をあげますよと脅されたが、たしかにすでに左腕が痛くて上がらない。しかし、妙に充実感がある。土と格闘して、汗をかいて、山の恵みを頂いて、悪いわけがない。 

110108 教え子

   

マッターホルン。私が撮った写真といいたいところですが、 困った時の「ひみこ」さんです。

 前回、「美人過ぎる教え子」について少し書きました。そうすると・・・・・あるんですねー。
 夜遅く、電話に出た連れ合いが楽しそうに話している。昼間来ていた彼女の友だちかな?娘からかな?と思っていたら、「お父さん、幸彦くんからよ」と受話器を差し出す。大入島中学校時代の教え子である。学校を出て一年間臨時講師をして、9月に正採用になって赴任した学校に彼はいた。定期便のように年に1回か2回は電話がかかって、いい年をした二人が長々と話すのが恒例である。
 教育事務所に呼び出されて、担当者から「島です!」と言われた時にはびっくりした。なかなか採用のなかった時だったので有りさえすれば御の字と思っていたのだが、それにしても島とは全く考えていなかった。佐伯の街で一泊し、翌日港から連絡船に乗った時はちょっと心細かった。ところが、島といってもその島は港から目の前に見える島で、佐伯管内で一番便利のいい島。異動の対象としては常に人気上位にランクされる学校であったと、後になって知る。
 学校は3番目の船着場(堀切)の目の前にあり、同じ敷地内に小学校もある小さな学校である。彼は当時2年生。ということは私とは10歳しか違っていない。この島での思い出を書けば尽きることがない。ここで結婚したし、上の娘も生まれた。こうしていまだに連絡をくれる教え子もできた。
教え子といっても彼にも孫が4人もできたという。今では教え子というより「同志」と言ったほうがぴったりかもしれない。なんの「同志」かはよく分からないけれど・・・・・。