131129 オランダ紀行11(ファン・ゴッホ2)

種をまく人 鎌で麦を刈る人
ミレーを模して

  ここではホントにたくさんの作品の写真を撮った。いつも書くことだが、ヨーロッパはこうした時の写真撮影に関してはずいぶん寛容だ。今回も全ての美術館で撮影が許可された。もちろんフラッシュだけは禁止されている。逆に日本ではほとんどが撮影禁止だ。この違いはいったい何なんだろう。ある人が、模写したものを展示してるんじゃないのと言っていたけどひょっとしたら・・・・・・・。

  せっかく撮った写真なのでできるだけ掲載したい。観光客が多くて、真正面から撮れない場合が多いので歪んでいたり、何かの光が写りこんでいたりする。それはご容赦いただいて、今日から6日間連続でアップします。

馬鈴薯を食べる人々

  初期オランダ時代は貧しい農民の生活を描いたものが多い。この「馬鈴薯を食べる人々」はその時代の代表作という。小さなランプの灯りに浮かび上がる慎ましいその姿はなにか厳粛ささえ感じさせる。

131126 オランダ紀行10(ファン・ゴッホ1)

  ガイドのユヤマ(漢字が分かりません)さんはとにかく熱心だ。これはと思ったら一つひとつ丁寧に解説する。素晴らしいなとは思ったのだが、残念ながら専門的なことは右の耳から入ってそのまま左の耳から出て行っってしまった。申し訳ありません。
でも、ひとつだけいまだに左の耳から出て行かなかったことがある。それは・・・・・・・・

  ゴッホは誤解されている部分の多い人です。その最たることは、彼は貧窮のうちに亡くなったと思われていますが、実際はそうではありません。という話である。

  彼は牧師の子として生まれ、画家として生きていく上でたしかにほとんどの作品は売れませんでした。しかし、パリで画商として成功していた弟の「テオ」の献身的な援助で制作に没頭することができました。

  10年という短い年月でしたが膨大な作品を残しています。それが今もこうして多くが残っているのも弟「テオ」の手助けがあってのことだし、そのテオが死んだ後には彼の妻とそして息子が彼の遺志を受け継いだからこそいまここにこうして残っています、ということであった。これしか覚えていないなんてあまりいい生徒ではなかったようだ。

131124 オランダ紀行9(ミュージアム広場2)

コンセルヘボウ ゴッホ美術館

  この広場でまず目に入ったのが「コンセルヘボウ」である。ここは世界で最高のコンサートホールの一つといわれている。その対面にレンブラントの「夜警」で知られる「国立美術館」がある。その他、お目当ての「ファン・ゴッホ美術館」や市立近代美術館が広場を囲んでいる。全てとは言わないがオランダの文化の中心地と言っても過言ではない。東京上野の森にあってここにないもの。それは、「動物園」。今日はゴッホ美術館と国立美術館に入館する。

国立美術館

  国立美術館の手前にある、モニュメントというのか看板というべきか。「I amsterdam」という文字がひと文字ずつ設置されている。2mから大きい文字で3mはあるだろう。ガイドさんの話では「アムステルダムの都市プロモーションのキャッチコピー」だそうだ。長すぎる。ガイドさんの言葉をけっこう書き留めたつもりだったが忙しかった。

I amsterdam

  「私はアムステルダム」。わが街、アムステルだへの「愛」・「誇り」を表した言葉か。若者たちが文字の上に登ったり寝そべったりしている。まるで子どもたちが遊んでいるようだ。彼らなりの愛情表現と思えば可愛らしい。日本だったらすぐに警備員が飛んでくるだろうな。

131121 オランダ紀行8(ミュージアム広場1)

 
  このオランダ紀行の最大の目的はもちろん美術鑑賞。ゴッホにレンブラントにフェルメール。そのために向かうのは様々な施設が集まるミュージアム広場。ガイドさん(この人についてはあとでたっぷり書くつもりだ)に引率されての広場までの行程も楽しい。街並みの素晴らしさ、なにより秋空に浮かぶうろこ雲がこの旅を祝福してくれているようだ。出発前から散々雨具を持ってくるようにと脅されたのだから。気温も15℃くらいでさわやかだ。出発する日の日本は25℃を超えていたんだから。

  写真を拡大して気がついた。右の写真の右端に「余郷さん」が写っている。彼についても書こうと思う。この旅での忘れられない人だ。

131118 オランダ紀行7(朝食)

 3連泊で、アムステルダム観光が中心なのでゆっくりと朝食が食べられる。これって意外とこうした旅行の時には大切なことだ。特に胃腸が弱い私にはありがたい。自分に合ったものを、適量(写真を見たら、これが適量?ってあきれられそうだ)なだけ、ゆっくりと食べるということは、その後の行動にもいい影響をもたらしてくれる。

 ソーセージにからっと揚げたべーこん、いり卵にバナナにヨーグルト。オレンジ色のは名前は忘れたけど果物。もう一皿。パンにナシにスイカにぶどう。そして、ミルク。このミルクは朝のトイレに不可欠なメニューである。特別に贅沢なものは一つもない。目の前で肉を焼いてくれるなんてパフォーマンスもない。3日間とも同じものを選ぶ。変わったのはパンくらいなものか。

 これからまた当分、オランダ紀行が続きます。

131115 院内石橋めぐり3

 「御沓橋」。3連アーチで川面に写しだされる姿も美しい。「夜間ライトアップ」とあるがぜひ一度見てみたい。岸辺でカモが一羽毛繕いをしていたが佐藤さん、えらく気に入ったようで何枚も写真を撮っていた。

 「鳥居橋」。ここでは珍しい5連の橋である。「石橋の貴婦人」と呼ばれていると案内板には書いてあった。今回見た橋全てに共通しているのが橋脚の形である。おそらく同じ石工の手になると思われる。そして、いつも名前が挙がるのが大正から昭和にかけて活躍した松田新之助である。

 鳥居橋のところで天気予報通りに雨が落ち始めた。全部で75も橋はあるのに今日はこれで5つの橋だ。全部を見るとなるといったいどれくらいの日数がかかるのだろう。夜、歩く時に股関節に違和感を覚える。翌朝になるとそれもなくなっている。そうか!川原に降りたり上がったり、おまけにカメラを抱えて川原の不安定な石の上を歩き回ったりしたのが響いたようだ。なんとまあ、年を取ったことか!

131113 院内石橋めぐり2

ふかし芋でのお・も・て・な・し 展望台から

 「道の駅いんない」を基点にまず訪れたのは「富士見橋」。あらためてマップを見るとなんでこの名前がついたのかが書かれている。「橋の上に立つと豊後富士(由布山)が遠くに見えることから」とある。全く見ていない。次は少し上がって「分寺橋」。2年生に「分寺」の苗字の学生がいるが、そうか、ここから通っているのか!

 ここで楽しいおばちゃんたちに出会う。川原に降りる場所が分からないので尋ねると、教えてくれるのはいいが質問攻め。どこから来たの?写真撮っているの?に始まって「男同士で来(こ)んでんが彼女と来(き)なはい」とまでつっこまれる。終いにはふかし芋をもらい、自家製のたくわんをふるまわれる。

 教員になって始めての赴任地が佐伯の大入島。そういえばあそこでは年寄りがそれぞれの家の自慢の漬物(つけもん)を持ち寄って「お茶食べよう」ってやってたなあ。私が出勤するのを見計らって集まってきて、地域で唯一の赤ちゃんである上の娘をあやしてくれていた。今思えば年寄りも娘にあやしてもらっていたのかも・・・・。

橋の上から すらりと伸びた長い脚

 三つ目が「荒瀬橋」。橋の上から撮った写真を見てもその高さが分かる。川原に降りてみると長い橋脚が美しい。

131111 院内石橋めぐり1

富士見橋1 富士見橋2

 この町には江戸末期から昭和20年代までの石橋が残っている。この町とは、お隣の宇佐市に合併された院内町のことである。小さな山間(やまあい)の田舎町に70を超える石橋が残っているというから驚きだ。

 ここはその地形上、山から流れ出る水によって隔てられた多くの集落が点在している。その川も急で石橋がなんとしても必要だったのと、その材料となる石とそれを組み立てる石工がいて、これだけの石橋が残っているのである。もうひとつ、それを大事に守ってきた地域の人々を忘れてはならない。

 佐藤さんとの話では初夏に出かける予定だったのが、私が病気をしたりいろんなことがあって今日(10日)まで延びてしまった。ほんとは今日も天気予報では荒れ模様ということで一度は延期したのだが、起きてみると夜激しく降っていた雨は上がっている。電話をすると気持ちよく私に合わせてくれた。それでもピンポイント予報では昼からこの地域に雨の予報が出ているという。院内石橋マップに載っている「2時間コース」を参考に回ってみようとなる。