150228 春ジャガ(1)

  昨年は3月8日に種イモを植えた、とカレンダーに書いていた。今年は畑の準備が早くできたので10日ほど早いが、近所の人も植えたというので完全な「隣百姓」となった。

  準備。12日に予定の畝に苦土石灰を撒く。これまでは粉を買っていたのに粒状のものを見つけたので買ってみたが、粉末と違ってどのくらい撒いたらいいのか見当がつかない。かっこつけるもんじゃない。

  1週間後の19日に堆肥と化成肥料を撒いて耕しておく。たしか昨年は種イモを植える時に種イモの間に施したがどちらがいいのだろう。堆肥は昨年1年間かけて作ったもの。好きだねえなんて言われるが、暇だけはたっぷりある。市販のものに負けないものになっているといいのだが。

150223 シロ(6)

  上の娘はなぜかシロに好かれていた。死ぬ時も、香港から孫を連れて帰省してくる彼女を待って、彼女に看取られながら息を引き取った。かわいそうなのは下の娘である。始めに彼を見つけ、我が家に受け入れるきっかけを作ったのも彼女である。なのに「どうしてもシロは私を下に見てる。姉ちゃんとは扱いが違う」そうなのだ。孫に関しては全く相手にしていない。寄っていくといつの間にか離れている。それでも手を出そうとすると「ウー」とうなる。家族にもこうであるから、番犬として見事にその職責を全うした。特に吠えていたというのではないのだが、郵便配達の人は、つないでいても怖いとよく言っていた。

  彼が生きている間、毎晩連れ合いと二人でシロの散歩に付き合った。連れ合いとは二人きりになった今も毎晩歩いているが、誰かが言った「かすがい」が必要になり、シロを思い出す。

  左の写真はおしりに腫瘍ができて手術をした後のものである。この時着いたあだ名が「エリマキトカゲ」。結局この腫瘍が再発して死ぬ原因になった。書きためたシロの原稿もこれで終わり。次回はスペインにもどる前にシロ以外に書いていた原稿が2枚残っていたので、忘れないうちにそれをアップしようと思う。

150219 シロ(5)

  私には素直でイケメンに見えたシロだが、野良犬の時代に迫害を受けたのか、容易には人を信用しなかった。特に子どもが嫌いで、どうかするとうちの孫にも身体を触られることを嫌がった。よっぽどいじめられたのだろう。そして、家庭内の序列をきちんと守った。私と連れ合いは明らかに彼よりも上である。家庭内の私の立ち位置を良く見ているし、連れ合いにはえさをもらっているのだから、逆らうわけにはいかない。

150215 シロ(4)

  昨年の8月18日に亡くなったシロ(と、当時書いてます)は、我が家で15年もの間、番犬として過ごした。家の中に入れたのは、蚤を取った日と、その後何日かだけである。たとえ「家族の一員」であろうと「運命の出会いで巡り合った犬」であろうと、犬は犬である。というのが私の考え方だ。前の犬「ユウ」は、死ぬ直前に2日ほど家にあげて看病したが、シロはとうとうそれもなかった。見事に「犬」として全うしたと思っている。

  ユウはお嬢さんで、あまったれで、すぐにお腹を見せて服従の姿勢を取った。ユウの時代はまだまわりも難しくなくて、けっこう放し飼いにできていた。洗ったあげた後、庭に放すとすぐに外に飛び出して近所の魚屋さんに出かけていた。えさを貰いに行くのではなく、魚の内臓を身体にこすりつけて、シャンプーのにおいを消そうというのである。それが犬の本能だろうと大目に見たが、その強烈な臭いともう一度洗う煩わしさには閉口した。シロは洗い終えると身体についた水を私に振りかけるか、せいぜい土の上で転げ回って私の努力を台無しにするくらいだった。

150211 シロ(3)

  勤務を終えて帰宅してみると、連れ合いと娘が洋間で犬を抑え込んで格闘している。見ると、テーブルの上には蚤の死がいがきちんと並べられている。あっけにとられたが、すぐに正気を取り戻し、風呂に水を入れるように指示をする。暴れる子犬を抱えて水風呂につけると、意外におとなしくしている。これ以来15年間、時々シロを洗う役目は私のものとなった。引き上げると水は濁り、水面に蚤が浮かんでいる。何度かシャンプーで洗ってやると、ようやく白い毛並みを取り戻した。ご褒美に牛乳をあげると何杯もお代わりをする。こうして、彼は我が家の一員になった。

  家族は素敵な名前をつけようと張り切ったのだが、私の「シロ」という一言で決着はついた。これ以外に彼にふさわしい名前があろうか。名前は平凡だが、女たちにとって「シロ」との出会いは運命的な巡り会いであり、特別な存在になった。どうして女たちはこうした考えが好きなんだろう。その考えに懐疑的な私は、この件に関しては彼女たちから村八分の仕打ちを受けることになった。

150208 シロ2

  2008年の(あれからもう7年もなるのか)8月18日に亡くなったシロは、我が家で15年もの間、番犬として過ごした。彼がやって来たのは、前の犬「ユウ」が死んだ半年ほど経ってからだった。

  その時、下の娘が高校3年生で、登校の途中から電話してきた。「おかあさん、今ね、豊後町で白い子犬を見かけたけど、どこに行ったのか分からなくなったの。早く探しに来て!」。 連れ合いはあわてて車をとばしていったが、その時にはとうとう見つけることは出来なかった。

  その話を、花を習いに(彼女は布花を教えていてそろそろ40年になるんじゃないかな)きた生徒さんにしていたら、「先生、ひょっとして今の話の犬はそこにいる犬かもしれませんよ」という。びっくりして振り返ると、テラスに置いたままにしていた(なぜか片づけ難くてそのままにしておいた)ユウの犬小屋に、子犬がもぐり込んでいた、という。

150205 シロ1

  今年は暖冬といわれてきて、たしかにこの頃は暖かい陽気が続いていた。ところが、一昨日あたりから寒気が入り込んできて、夜歩く時、ひさしぶりにほっぺたや鼻が痛く感じられる。それでも日差しが出て風のない日中は、ぽかぽかして絶好の草取り日和だ。

  座り込んで芽を出し始めた草をゆっくりと取る。草との長い格闘の始まりだ。庭の片隅にふたつ、土の盛り上がった個所がある。小さい方が「ユウ」。 大きい方が「シロ」の墓だ。そこにも草が生え始めたので取っていると、色の褪めた首輪が出てきた。シロを埋めた時にその土の上に置いたものだ。

  090818(あれ!?この日付はちょうど一周忌だ)のブログに『クロアゲハの飛んでいくその先にはメランポジュームが今年も咲き誇っている。今年のその花の下には、昨年の8月18日に死んだ愛犬「シロ」が眠っている。シロについてはまた書こうと思っている』と書いた。ところが、原稿まで作ったのにそのことも忘れてしまい、首輪で思いだした。

150201 記念病院2

  受付から心電図、レントゲンを済ませ、担当医の診察が終わるまで1時間ほどしかかからない。森永というほんとに若い方で、野坂先生は私を担当した時にはすでに循環器科の部長だった。だから、何だという話なんですが。

受付番号169番。担当医は森永先生。 待合室の様子。1時間もするとここが患者であふれかえる

  小倉まで約1時間かかる。時間つぶしに一応本を用意する。井沢元彦の「逆説の日本史1 古代黎明編」。「一応」と書いたのは本のほかにもうひとつ、「ipod」も用意した。こちらの方がメインなのだ。

  昨年の3月、退職して困ったことの一つに、毎朝聞いていた武田鉄也の「今朝の三枚おろし」が聞けなくなったことがある。加奈さんの「おはようございます 水谷加奈です」という爽やかな声と何とも耳に心地よく響く笑い声が聞けないのだ。それが、佐藤さんの助けでyoutubeからダウンロードできるようになった。それもなんと、4月からこの1月までの全ての内容だ。これは夜歩く時にも活用している。前は自分で作った音楽CDを聞いていたのだが、さすがにこの頃飽きがきた。