091130 秋月(眼鏡橋)

 お腹が満たされると、あとはほんとにゆったりと秋月の里を散策するだけ。歩きながら、ここは「秋月」という地名でずいぶん得をしているなと思う。漢字もいいし、アキヅキという響きもいい。いかにも静かで、古びた、ふるさとというイメージを与えてくれる。個人的な感じ方だが、やはり「中津」ではこうはいかない。

 黒門茶屋のところを左に入る。古びた町並みを通り抜ける。途中、古道具屋をひやかし、道路の脇を流れる水路に置かれた小さな水車を動かしてみたり、そうそう、夢中になりすぎて胸のポケットに入れたデジカメを水の中に落としてしまう。もちろん私ではないですよ。そのデジカメ、奥さんのと言ってたが帰ってどう説明するんだろう。他人事ながら気になる。

 そうこうしているうちにもうひとつの目的地、「眼鏡橋」に到着。秋月街道のすぐ横、野鳥川に架かる石造りのアーチ橋であり、日本で唯一花崗岩(御影石)が使われていることでも有名である。私の勤務する本耶馬溪町には8連の通称「オランダ橋」がある。毎日それを見ている私にはなんとも小ぶりな可愛い橋に見える。

 その橋の反対側にある「月の峠」という手作りのパン屋さんで、幹事さんができたてのアンパンを買ってくれた。それを半分分けにして川沿いの石に腰かけて食べたのが、なんとも美味しかった。半分というところがみそである。食べ物といえばもう一つ。帰りにもう一度杉の馬場に戻り、長屋門で老人会のおばあちゃんたちが接待してくれた「抹茶と饅頭」を味わう。古びた長屋門にぴったりの古風なお嬢さんの接待。値段も300円。ほかのお店の半額。「お客さんの喜んでくれる顔がなによりです、という彼女の言葉と笑顔が心地良い。

 素敵な一日でした。幹事さん、ありがとう。できたら次回もお願いしたいくらいです。

091129 秋月(黒門)

 山国に寄り道をしたが、高速を使い、11時には到着。駐車場には運よくあと2台で満車という中で滑り込みセーフ。あとはのんびり歩くだけ。旧秋月街道から左に入り、杉の馬場を散策。名前は杉の馬場だが、今では古い桜並木が続き、春にもう1度来たいなあと話す。何年か前、連れ合いと来た時はちょうど満開の桜の時期で、人の波にもまれながら散る桜の花びらの下を歩いた。

 右に秋月美術館を、左に秋月郷土館をながめ、いろんなお店を冷やかしながら歩く。中学校になっている秋月城跡を通り、メインの「黒門」にたどり着く。ここから奥にある垂裕神社にかけては紅葉の名所なんだが、今年の紅葉はいまいち冴えない。まだ緑の葉があるかと思うと紅く色づいた葉っぱも赤味が足りないというか、汚い。色づかないままに落ちてしまいそうである。

 すぐにお昼になったので昼食のできる場所をと探したが、少し脇道に見つけたカフェレストランは高くて、おまけに秋月にはふさわしくないハンバーグとかいったものばかり。幹事さんが頑張って探してくれた黒門の下にある「古処庵」で食事を取る。行列ができていてずいぶん待たされたが、雰囲気もいいし、みんなで頼んだ「山菜おこわ定食」がよかった。おこわも吸い物も美味しかったし、水前寺のり(川茸)も珍味でよかった。値段も980円と手ごろ。幹事さんに感謝!

091128 秋月(かかしワールド)

すぐ横では花嫁花婿、そっちのけで宴会をしています。

親子で肥桶を担いでいるのもありました。昔やらされたなあ。

これはほんとにリアルでした。ビックリしました。

 21日、久住山の会のメンバーで秋月に出かける。昨年も久住ではなく菊池渓谷だった。だんだんと年をとったからか、登ろうという声が小さくなってきた。今回は私が腰が悪いといったのが原因だったので小さくなっている。

 8時半に集合する。山ではないのでゆっくりでいい。一人がどうしても出席しなければならない会議があるとかで総勢7名。2台に分乗して出発。だれが言い出したのか、山国の「かかしワールド」に寄って行こうということになった。

 山国町は5年前から町おこしのイベントとして案山子の展示に取り組んでいる。5年目の今年は、守実地区だけで12のワールドが出現している。その中のメイン会場「あざみ村」に立ち寄る。朝早くということで人出もちらほらでゆっくり見学できた。道は一方通行になり、警備員も出ている。展示された案山子も年々リアルになり、見物客の多い時はどれが案山子でどれが人間か分からなくなるそうだ。

 昔の祝言(結婚式ではしっくりこない)の様子や野良仕事、魚釣りがリアルに、ユーモラスに作られている。それぞれの展示の横には案山子の会話が書かれている。昔の言葉というか田舎弁というべきか、、なんとも楽しい、懐かしい会話である。
「山国町 かかしワールド」で検索してみてください。

091126 道人会

1年ぶりの道人会

 下の3枚は、安曇野通信のカエデの木が日立のCMに負けない銘木だというコメントをもらったので、九州にもすごいカエデのあることを知ってもらおうと思って載せました。6年前に福岡県の前原市にある「雷山千如寺」に行きました。時期が少し遅れたため葉っぱは大部分落ちていました。それでも素晴らしいカエデでした。

 20日、一年ぶりの「道人会」がいつもの「高野」で行われた。なにかに間違われそうやなあと言いながらも、この名前をつけた人は少し悦に入っていた。分からない人のためにあえて説明すると、九州には広域指定暴力団として久留米に本部を置く「道人会」がある。この会を立ち上げた頃、大きな抗争事件を起こして有名になっていたというのが説明である。

 この会は25回、つまり、四半世紀を数える。今から25年前、私たちが勤めていた三光村が文部省の道徳教育研究の地域指定を受けて、4つの小学校と1つの中学校が共同で研究に当たっていた。期間は2年間。1年目はただの兵隊として授業のことだけを考えておけばよかった。ところが、時の校長が急に辞めて、研究主任をしていた方が急遽教頭になり、そのあおりで研究主任が私に回ってきたのである。

 2年目は発表の年である。研究のまとめとして紀要の作成はしなければならないは、公開研究会の準備から発表の原稿作りに、おまけに自分自身の公開授業にまで取り組まなければならなくなってしまった。大変な1年だったが、そのおかげで38年の教師生活中で最高に充実した時間を過すことができた。自分には戻れる自分の学級があったし、支えてくれる学年があった。その時間があったからこそ、そのあとに素晴らしい季節(とき)を持つことができた。

 そして、当時の各校の研究主任と会長・副会長・事務局長の8名で作った「道人会」が25年も続いたのである。しかし、やはり25年は長かった。8名の会員のうち、Y小学校の研究主任だったN先生が亡くなり、昨年は事務局長だったT先生が長い闘病生活の末旅立った。会長も今年で85歳になったという。毎年「高野」に集まって、思い出話にふけり、また来年の再会を約しながら分かれる。

091124 さだまさし(2)

 

前回書いた有名な人を見つけた。彼の名前は「辻邦生」。文庫本「さだまさし 時のほとりで」のなかで、さだのことを「現代の吟遊詩人」といっている。さだへの評の中で最大の褒め言葉だと思っている。

⑤「飛梅」。昨日も大宰府に行ってきました。この歌にはいろんなことが詰まっている。
⑩「検察側の証人」。面白い設定。こんな歌は初めてです。悲しい歌なのについにやっとしたくなります。
⑪「神話」。この歌の題名をCDの題名に使いました。昔聞いたはずなのに全く覚えていません。それが今回聞いて、胸にグサっと  突き刺さって抜けません。「あたし 少しバカだけど・・・・・」-なんとも辛く、悲しい歌。下の娘がさだまさしは暗いから嫌いだと言ってたのも無理ないか。そう思うけどついついこんな歌に惹かれてしまう私はなんなんだろう、と。
⑫「モルダウ」。上の2曲があまりにも暗いので、せめて次の曲は心は洗われるものをと。彼にはこの歌を使った「男は大きな河になれ」というのがあります。今回は元歌を。
⑬「掌」。この曲はたしかピンクレディの恵ちゃんに提供した歌だった。その時は、さだまさしが作ったのかとしか思わなかったのに、30年経って今、そして本人が歌うのを聞くと、心に沁みるものになっていました。
⑭「晩鐘」 ⑮「風の篝火」 ⑯「ほおずき」 ⑰「線香花火」 ⑱「雪の朝」
最後の2曲はいかにも「グレープ」って感じ!

 今ではウォーキングの時、このプレイリストを聴くのが日課になっている。

091121 さだまさし(1)

 

書庫を探したら、なんと「さだまさし」のLPが6枚も出てきました。一時彼に凝っていたなーとは自分でも分かっていたけど、6枚とは・・・・。小倉の厚生年金会館でのコンサートの時、声が出ませんでした。昔のきれいな高音を知っている自分としては、「もういい!」でした。

 彼について、現代の吟遊詩人だと評価した文章を昔見た覚えがあります。今も残っている彼の本を探したのですが、見当たりません。それを書いた人はたしか当時非常に有名な人だったなあと覚えているのですが・・・

 上にも書いたのですが、書庫には6枚の彼のLPが残っています。これらを含めたいろんなLPは、退職してからゆっくりと聴こうと思って残していたのですが、肝心のステレオの方がありません。今となっては捨てるに捨てられず、人にやるには惜しいと、意地汚いですね。

  その60曲を3つに分けました。まず、愛の歌(失恋ばかりですが)。次に社会派の歌。3つ目は、残り物。その愛の歌バージョンのタイトルを中の曲名からとって「神話 さだまさし」とつけました。
①「鳥辺野」 ②「まほろば」 ③「春告鳥」 ④「安曇野」 ⑤「飛梅」 ⑥「津軽」 ⑦「縁切寺」 ⑧「精霊流し」 ⑨「檸檬」
この9曲に共通するのは、ご当地ソングということです。京都、奈良、安曇野、大宰府、青森、鎌倉、長崎、東京。全て好きな歌ですが、 特に一つ挙げるとすれば「檸檬」か?2行目の「君は陽溜りの中で盗んだ檸檬細い手でかざす」の「盗んだ」をずっと「結んだ」とばかり思っていた。そうすると意味としたらおかしいのだが、・・・。音として聞くばかりだから、まさか「盗む」なんて思いもしなかったというのが真相である。

 それが歌詞をはじめて文字として見た時、びっくりしてしまった。いったいこの女の子の行動はなんなんだ?と。と同時にこんなむちゃくちゃな行動をとる彼女が愛おしくなってしまった。それ以来、この歌が私にとってさだまさしのBest1になった。ひょっとしたら、私には少しおちゃっぴいな、行動的な女性への憧れがあるのかもしれない。

091118 外食(我が家 de ランチ)

 先月、先輩にランチをご馳走になる。というのも、初夏にあげたサルビアのお礼が伸びて、やっと実現したのである。今年はサルビアがたくさんできすぎて、おまけに、インターネットで珍しい種類の種を取り寄せ、その種も上手く芽を出してくれたからである。いろんな方に声をかけて貰ってもらったけど、ちょっぴり強制的なところもあったかもしれない。しかし、そのおかげでランチにありついたのだから、いい(?)サリビアだったと思う。

 名前は「我が家 de ランチ」。その名前の通り、ごく普通の民家をお食事処に模様替えし、まるで「我が家」で食事をしているような雰囲気を作り出している。「日替わりおまかせランチ」はもうけもの。「雑穀と菜食」をテーマに地元で採れた旬の食材で作られたもの。その上に、自家製ケーキとコーヒーが付いて800円。

 先に来ていたお客さんのグループの一人は、先輩の教え子で、おばあちゃんが来たがったので連れてきたとか話していた。そういえばずいぶん人生の先輩に見えたが、「美味しい、おいしい!」といいながら食べる姿は、見ているこっちまで楽しくなっていい雰囲気だった。コーヒーを飲み始めた頃、お坊さんがやってきた。あの格好は完全にお坊さんだ。黒い和服を着て、どこかお参りしたあとに食事に寄ったという雰囲気で、この店にぴったりだ。

 万田の旧道から入った住宅街の中にあるので見つけにくいかもしれないが、行ってみる価値のあるお食事処だと推薦します。
☎24-9589

091115 吾亦紅(2)


2階の書庫から見つけ出したLPのカバー。
ベンを誘惑するミセス・ロビンソンの素敵な足。
それを見つめるベン(ダスティン・ホフマン)のなんと若いこと。

 「八ヶ岳」。私が30の年、急性肝炎で長期入院をしました。そのおかげでいまでも別な意味で「キャリア」と呼ばれています。その時に、島での教え子が見舞いに持ってきてくれた2枚のカセットテープ。陽水の「断絶」と杉田二郎の「題名のない愛の唄」を毎日まいにち聞き続けました。川下くん、ありがとう!好きな歌は「積木」でしたが、youtubeにはありませんでした。代わりに安曇野に行ってしまった千晴にぴったりの「八ヶ岳」を見つけました。妻子を持つ若い男の幸福感を見事に歌いきっています。

 「春うらら」。歌詞は色っぽいがいやらしさは感じません。でないと、いままで残るはずがない。メロディーもそうですが、「ほてりほてり」などのオノマトペがたくさん使われ、それが効果的です。これを始めて聴いた時はショックを受けました。30過ぎだったと思うのですが、自分的には中学生か高校生。いちばん興味津々な頃で、布団の中で親の目を盗んでエロ本を見ているような心境です。もう一度聴きたいと思い続けていたので、見つけた時にはぞくっとしました。

 「ダスティン・・・」を聴くとやはりあのシーンが浮かんできます。結婚式場でベンはエレインの名前を叫ぶ。16回も・・・・。永遠の青春映画です。もちろん私もそこが大好きです。だけどもっと素敵な場面があります。それは、二人はバスに乗り込み、ベンが最後に見せた、間の抜けた放心状態の表情です。これがどうしても演技だとは思えませんでした。そこに、“サンド・オブ・サイレンス”が流れる。ステレオはなくなったのに、いまだにLPを大事にとっています。

 (1)で書いたように、収録曲がいつも 変わっています。たとえば、最初は入っていた五輪真弓の「恋人よ」や村下孝蔵の「初恋」が姿を消しました。これでは決定版になるのは当分無理です。進化しているといえばカッコイイのですが。