231025 神戸京都59(北野天満宮5)

楼門と本殿の間にある門をふつう中門というが、
北野天満宮では天井に日と月と星の三つの光が彫られていることから「三光門」と名前が付けられたという
ところがどうしても「星」の彫刻が見つけられないところから「星欠けの三光門」とも言われている
何ともカッコイイ呼び方ですが、どこかで聞いたような気がすると思ったら、
そうだ「星影のワルツ」でした
歌手は「千昌夫」
こんなスローテンポの歌なんて今の若い人には・・・・なんじゃこりゃ!でしょうね
話を戻します
星が見つからないという話でしたね
➀実際に刻まれていなかったという説
➁平安時代の御所からは三光門の上に北極星が輝いていたから刻んでいなかったという説
チコちゃんじゃないけど、「諸説あります」
私は断然➁押しですね

正面の「天満宮」の額が鮮やかに目立ちますが、
周りの彫刻も見事なものですので、4枚ほどアップしておきます

 

231020 神戸京都58(北野天満宮4)

三の鳥居の先に堂々とした「楼門」が建っている
その楼門をくぐってすぐの右側に座り込んだ牛の像がある
そういえばここで見る牛の像はみんな座った姿をしている
なんでなのか  ここで豆知識!
道真公は「自分が死んだら牛車に引かせて、牛が立ち止まった処に埋葬するように」
と遺言したそうです
そこで、全国の天満宮にある牛の像のほとんどは
「臥牛(がぎゅう)」と呼ばれる伏せた姿勢の牛の像となっています

最後の牛の像は材料の石のおかげでこんな姿になっています
写真だとちょっと気持ち悪いですね
そうそう、ここ北野天満宮では一体だけ立ち姿の牛がいるそうです
それは石の像ではなく、欄間に刻まれているというのですが、気が付きませんでした
というより、そんな小さなもの、おまけに欄間なんて気が付く方がおかしいやろ・・・・

231015 神戸京都57(北野天満宮3)

菅原道真で「飛ぶ」といえば、次の話が有名である
道真が太宰府に左遷される時、邸内の梅の木に
「東風吹かば 匂ひ起こせよ 梅の花
あるじなしとて 春な忘れそ」
と詠んだ
そして、その梅の木が太宰府まで主を慕って飛んできたという有名な話がある
なんかいろんなものが飛んでるな
その伝説を歌ったのがさだまさしの「飛梅」(←クリック)である
スマホのミュージックのさだまさしのプレイリストの第一番に入れたのが「鳥辺山心中」(←クリック)で、
これが一番好きだと思ってきたが、5番目の「飛梅」の方が好きだったようだ

たっくん、何も残してあげらるものはないけど、
おーちゃんの本とレコードを引き継いでくれないかな

231010 神戸京都56(北野天満宮2)

一の鳥居をくぐると右手に大きな松の木が植えられている

「影向松(ようごうのまつ)」と名付けられたこの松は、創建当時からこの地にあると伝わるご神木
ということは、樹齢は1000年を超えていることになる
菅原道真が肌身離さず持っていた仏舎利が
道真の死後、太宰府から飛来してこの松に架かったと言われている

余談になるが、「飛ぶ」といえば、空海が帰国する時、
唐の港から投げた「三鈷杵(さんこしょ)」が高野山の松に架かったという話がある
昔、高野山に訪れた時に、その「三鈷の松」を見たような気がするのですが、
ずいぶん昔の話なので記憶が曖昧になってしまっています
さみしい話です
この話は、司馬遼太郎の「空海の風景」と夢枕獏の「沙門空海 唐の都にて 鬼と宴す」で知った話
こちらの方がスケールが大きい

 

231005 神戸京都55(北野天満宮1)

北野天満宮 全国天満宮の総本山
テレビで観て素晴らしかったのでぜひ行きたいという連れ合いの要望で
今回の「きぬかけの路散歩」の中に急遽足しました
タクシーで820円
今出川通りに面して建つ11.4mの鳥居
立派な額に金色に書かれた「天満宮」の文字が美しい
鳥居の下には怖い顔をした狛犬が並んでいる

※「青もみじ公開」というのぼりが立っています
帰りに覗こうと思います

231001 神戸京都54(仁和寺6)

大玄関を入ると、白書院・黒書院・宸殿・霊明殿などの建物が渡り廊下でつながっている
歴史で習った寝殿造りである
と言っても、どんな建物で、どんな風につながっているのか全く覚えていない
だから、どこをどう通ったか分かるわけがない
いろんなところで美しい螺鈿細工や四季を表す優美な襖絵を見たのは分かっている
それがどこの建物のものなのか・・・
ということで、この御殿の中で撮った写真を説明なしで載せておきます

仁和寺はこれで終わります
次は、「北野天満宮」です