220730 ゆり子の布花物語41(夾竹桃)

庭の西側、水路沿いにあった夾竹桃の花が
真夏の日差しに映えて、
なんだか、元気を出して!!と言ってるみたい!

大きくなるにつれてすごく根を張り、石垣を壊してしまい、
とうとう伐採してしまいました
義母のくれた夾竹桃
在りし日を思い、布花で

220725 長崎さくら紀行10(八坂神社1)

諏訪神社から5系統の電車に乗ると、終点は目的地の「崇福寺」
下車してから立て札に沿って歩く
角を回ると急に目の前に大きな鳥居が現れる

「八坂神社」と額が架かっている
全く予想もしてなかったので、
ラッキーとばかりに上り始めるが、
連れ合いは急な石段を見ただけで、
「ここで待っとくから、一人で行ってきて!」

下の鳥居から神門までは70段と段数は多くはないのですが・・・・
何度も言います
やはり坂の街、長崎
急勾配です

220720 三遊亭圓歌

今日(16日)は、小倉まで落語を聴きに行きました
13時開演なので漫画ミュージアムへ行く時間がありません
彼女は井筒屋の中のお店をサーフィン
私は椅子に座ってただひたすら読書(=隠蔽捜査5.5自覚)
いい買い物ができたようで、お昼は何を食べてもいいよ・・・・と
そのあと川向こうのリバーウォークへ

6階の北九州芸術劇場・中劇場で「三遊亭圓歌独演会」
二人とも好きで、昔むかし、山国の「コア山国」まで聞きに行ったことがあります

昨年11月に聞いた「滝川鯉人」は評判倒れでしたが、
圓歌は「歌之介」の時代からの贔屓で、安定感があります
13時ぴったりに始まり、、途中10分間の休憩をはさんで、
2席を熱演して15時ぴったりに終演
1席目は「左甚五郎(竹の水仙)」
2席目は「爆笑龍馬伝」
合間には「B型人間」ネタが挟まり、2時間たっぷり笑いました

この頃嫌なニュースが続いたので、いい憂さ晴らしができました

220715 長崎さくら紀行9(諏訪神社4)

「さくら紀行」に戻ります

境内の中にはほかにも見るべきものがたくさんあります
事前に調べておいたのですが、
書いたノートをバッグに入れたままだったので、
いくつかは忘れてしまいました
例えば、
本殿から長崎公園の途中の石垣に埋め込まれている
猪の目(ハート文様)(←クリック)とか

➀「神馬像」
➁「さざれ石」 出雲大社でも見た
➂「噴水」 神社のすぐ隣の長崎公園にある噴水
日本最古の公園噴水を再現したもの
➃「太鼓楼」
➄「玉園稲荷神社」
➅「月見茶屋」 時間があれば名物のぼた餅を食べたかったなあ

最も印象に残ったものは・・・・・・下の写真の「パネル」です

まだ喪失感が抜けません
安倍晋三に恋していたのかな・・・・?

220709 眩 暈(戦争のできる国)

朝、台所で顔を合わせると、
「おはよう」の前に、「なんか疲れたね。きょう、小倉に行くの止めようか」という
忘れていたのを気づかれないように、
「そうだね、昨日の今日だしね」と返す

朝の日課を終えると、庭に出て、紫陽花の剪定の続きを始める
なんか、昨日以上に暑さが堪える
耳には、スマホに保存している「虎ノ門ニュース」が聞こえている
今日のゲストは有本香と飯田康之
どの政党の誰が言ったのか忘れたけど、
自民党のいう「憲法に自衛隊を明記しようとしているのは、
日本を戦争のできる国にしようとしているのだ」と・・・
めまいがした
昨日も書いたが、「備えをする」のは=戦争することではない
今目の前で起こっているあの悲惨なプーチンの戦争の現実を見ても
まだこんなお花畑なことを真顔で言う馬鹿が政治家にいるのだと思うと、
ほんとに「めまい」がする

220708 憂 鬱(安部晋三死す)

紫陽花の剪定を途中でやめて、連れ合いの用意した昼食を食べて、
TVをつけてびっくりした
それから16時までつけたままにしていたけど、同じことの繰り返し
うんざりしてソファーに寝転んでスマホを見ていたら、
たしか17時ちょうどだったと思う
画面の上に「安部元総理死去」という速報が出た

この気持ちをどう表せばいいのか
いろいろ考えて出てきた言葉が  「憂鬱」
合わないのは重々承知だが、浮かんできたんだから仕方ない

その時思っていたのは・・・・
いったいSPの危機意識はどうしてこんなに幼稚なのか、と
どうしてこんなに簡単に接近を許したのか
おそらく こんなことは起こるはずはないと思っていたんではないのか
いや、思ってもいなかったんだろう
そんな程度の警護だったんだ

これはSPだけではなく、日本人が危機に対して甘いのだと思う
だって日本の目の間には、世界に冠たる専制国家が三つも並んでいる
中國は常に日本の領海を犯し、北朝鮮は日本海にミサイルを撃ち込んでいる
ウクライナで虐殺を行っている野蛮な国家ロシアは
中國と一緒になって脅迫してきている
なのに日本はそれに対する備えをおろそかにしている
対策を先送りにしている
おそらくそんなことは起こるはずもないと平和ボケになっているのだ

そうか、私が安部さんへのテロに対して
怖いや悲しみや激しい怒りでもなく「憂鬱」なのは、
日本人の「こんなことは起こるはずがないという平和ボケ」に対するものだったんだ

220705 三十三回忌

7月2日(土)
親父と長兄の33回忌と母親の25回忌をまとめて行った
お寺さんも融通を利かしてくれて助かった
コロナで延期していたのだが、
今回はみんな都合をつけて集まってくれた
甥や姪は大丈夫だろうが、
姉は88、次兄は86ときては、おそらくもうこの次はない
お斎に行く前にお寺の納骨堂にお参りする
ここに写った鐘楼(兼正門)と隣にある納骨堂は、
親父と長兄の合作である

料亭は以前紹介した島田神社の裏にある「兆(きざし)」
けっこう楽しく食べて・飲んで・・・・
いつの間にやら「〇〇家三十三回忌」などというライングループが出来ていた

次の日からラインが飛び交って賑やかなこと!!
その中に私も持っていない写真が3枚出てきた

 

その中の2枚に母親が映っている
我が親ながら、おそらく若い頃はきれいな人だったんだろうなと思ってはいたが、
実際に写真で見ると、ほんとに美人だったんだとちょっと自慢したくなる自分がいる
年を取ってからは、お寺さんもビビらせるほどの、「怖いおばあちゃん」でしたが・・・・

220701 長崎さくら紀行8(諏訪神社3)

神社の入り口には大きな新しい石造りの鳥居が出迎え、
「鎮西大社」の額が見事です
両サイドには巨大な石灯篭と
「諏訪神社」と彫られた石碑が目を引きます
ずっと先には鳥居が続き、調べたら5つの鳥居と載っていました

鳥居を過ぎると、見事な門が見えてきます
この写真ではよくわかりませんが、
門の前には73段もの長い坂が待っています
「長坂」と呼ばれていて、坂の町長崎のシンボルです
というのはもちろんネットからの孫引きです
坂の下は広場になっていて、ここが毎年秋に行われる「長崎くんち」の会場です
こんなに狭い会場なので、地元の人でもテレビでないと見ることができないそうです

大門の先には、やはり坂の上に「拝殿」が見えます
坂の下から見上げるのと、後ろから鎮守の森に抱かれた姿が素敵です