120131 フランス紀行30(サンルイ島1)

 大宰府での彼の目的は友だちへのお土産である。いろいろ迷っていたが、境内のお守りを売る所で小さな絵馬のお守りと参道のお土産物屋で小さな提灯を買う。自分にもお守りが欲しいというので買ってあげたが、自分ではおみくじを買っていた。「小吉」。特に、学問のところで「勉強して時を待て」の言葉に、今の自分の置かれた状況を考えて納得しているのにはおかしくもあり、ほほえましくもあり・・・・。
 一番連れて行きたかったのは「お石の茶屋」である。11歳の子どもにはなんの思いも残らないとは思いながらも、いつか「おーちゃん」とあそこに行き、おーちゃんのくだくだ話すことを聞きながら、うどんと梅が枝餅を食べたなあと思い出してくれたら最高なんだが。
 もう一箇所、「都府楼跡」。この日は21日(土)。翌日からは今年一番の寒気が入ったとかで震え上がる陽気だったが、この日は日向では汗ばむくらいだった。青空の下の、広い都府楼跡での時間は彼にどう映っただろうか。

     

 夕食はパリに戻ってサンルイ島の小さなレストランで。歴史あるお店という話だが、バスを降りて渡る橋の上からノートルダム寺院が真正面に見える。みんな立ち止まって写真を撮るが、橋の下ではタキシードとウエディングドレスの二人を撮影している。カメラマンだけで付き添いもいないので本物の新婚さんではないようだ。
 小さな男の子と子犬を連れた中年の男性が声をかけてくる。寺院をバックに私たちを撮ってくれるというのである。言葉は通じなくてもそれ位は分かる。「メルシー」なんてカッコつけて、その話を江尻さんにすると真顔で「絶対にだめよ!」と言われてしまった。そんな風にしてカメラを持っていかれることが多いのだそうだ。「気をつけてください」と言われ続けてきたことはこれなんだと理解できたが、カメラは返してくれたし、その男性の笑顔も素敵だったからいまだに実感できていない。 

120127 フランス紀行29(プチ・トリアノン宮)

 18日から1週間、旧正月を利用しての里帰りである。11歳になる。4月からは中学生だ。なんと早いことか!これまでは年に2回ほど帰ってきていた(サーズの時には感染を恐れて2ヶ月近く避難してきたことがある)が、そんなこんなで私にとってこの子は特別な存在である。このブログも、彼にとっての「おーちゃん」が、私にとっての「たっくん」がどんな存在であるかの証として始めたのがそもそものきっかけである。
 どこかに連れて行きたいがいつまでも水族館ではないし、小倉に行っても映画だけではこちらが面白くない。連れ合いの提案(中学生になるので)で私の好きな大宰府に行くことになった。といいながら提案した本人は娘と井筒屋に行きたいというので大宰府へは私とふたりである。50歳以上も離れているのに、行きは日田からで約2時間半かかったのに全く苦にならない。そういう意味でも特別な存在である。

 旅行会社の謳い文句風に言えば、「秋限定!こだわりの観光スポット~マリー・アントワネットが別荘として愛した小トリアノン宮」となる。庭はヴェルサイユ宮殿とは真逆の英国風で手つかずの自然のままといった風情である。小道にヒイラギが赤い実をつけていたのが印象的である。
 池にはたくさんの魚と鳥たちがいて、女の子たちが昼食に出たフランスパンのかけらをあげていたが、魚たちの上に乗って鳥たちはそれを食いちらしている。生存競争のすさまじさを実感した。池の対岸には農家風の建物が点在し、ここでアントワネットは家畜を飼い、野菜を植えたそうだ。そうしたことからここは「王妃の村里」と呼ばれたそうだが、案内には「農婦ごっこに興じた」とある。そういえば、たしか彼女のための小さな劇場を見たのもここではなかったか?どんな芝居だったのか。ひょっとして「ヴェルサイユのばら」だったりして・・・・・。そんなことに興じたアントワネットの心境は・・・・? 

120123 フランス紀行28(ヴェルサイユ宮殿2)

 今、孫が旧正月の休みを利用して帰ってきている。あまりの寒さに震え上がっているのだが、今住んでいるところと比べれば仕方のないことだ。それにしてもあまりにうるさいので、「寒い」という言葉を口にするたびに100円という決まりを作ったがついうっかりこちらの方が口にしそうである。彼とのことは次回に詳しく掲載しようと思う。

 パンフレットには庭園の広さは100万㎡と書かれている。見当もつかない。復興予算11兆と言われても理解できないのと同じ。せめて豆腐であれば10チョウであろうと20チョウであろうとすぐに理解できるだが。カニは自分の甲羅に合わせて穴を掘るというが、自分の価値観・経験値に合わないものは頭脳のほうが拒否してしまう。それと同じで狭い国土にちんまりと生きてきた日本人のDNАがしっかりと根付いているのも拒否する原因となっている。
 この庭はルイ14世が自ら工事現場を監督したそうだ。作業員はやりにくかっただろうな。おまけに彼は「庭園案内の手引き」を書いたほどだったというから、彼は王様になるべきではなかった。この庭はフランス式庭園の最高傑作だといわれているが、感想はただ「ふ~ん」である。とにかく広い。とにかく整然としている。その幾何学模様はそれなりに見事なものだが、どうも違和感を覚える。自然と共存する。調和する。包まれて生きるという思想はかけらも見られない。刈り取り・切り刻んで思い通りにしたのがこの庭園である。どうもこのヴェルサイユ宮殿でのテーマは「違和感」になってしまったようだ。  

120119 フランス紀行7(ヴェルサイユ宮殿1)

 4月の韓国、桜紀行の話し合いを持つ。場所は「赤とら」。新年会も兼ねてである。JTBの「旅物語」で行こうとすんなりと決まる。そこから呑みはなれ、食べなはれとなった。気分が高揚したところで用意した「上海カニ三昧3日間」はどうだろうかと切り出すと、いいなあとなってしまった。提案したこちらの方があっ気に取られたというのがほんとのところだ。それが2月。
 ある人が言っていた。「行ける時、行っとらんとなあ」。妙にしんみりと心に沁みた。これがだめを押したみたいだ。

 ヴェルサイユ宮殿。とにかく「豪華絢爛」「絢爛豪華」。至るところに使われている純金の装飾が鮮やかで、、しかしきれい過ぎる。
 室内での見所は「鏡の間」。当時鏡そのものが宝石に匹敵(?)するものだったという。それが長い室内の片側の壁一面に張られ、そこで毎夜舞踏会が開かれた。いかに当時にフランスが全盛を極めていたかを物語る鏡の間である。
 あとは一応すごいなと思うものの、だからどうなのといった感じである。わび・さびに生きる日本人にはちょっと消化しきれない豪華さである。人気はある秀吉になぜか軽さを感じてしまうのは、やはり彼の桁外れの派手好みについていけないのと似てはいないか。あるご婦人がつぶやいていた。「住みたいとは思わないなあ」。その正直な感想にひそかに共感である。 

120115 フランス紀行26(昼食)

 嵐山光三郎がこう書いていた。「景気が悪くて不安な時代には美談が流行る。・・・・・景気が良くて幸福な時代には凶悪事件が起こる・・・・・」。なんでこの言葉に引っかかったかというと、毎年のように成人式の後には若者たちが荒れたかということを繰り返しくりかえし報道していた。まるで、すべての成人たちがそうであるかのように。ところが、今年は全くその姿を見ることはなかったからだ。ひょっとしてあったのかもしれないが、テレビっ子の私が全く見ていないのである。繰り返し報道されたのはある市長が今年はAKB48の歌を式典で歌ったことくらいである。
 善悪の問題ではなく、荒れる若者が本当にいなかったのかが気になる。嵐山の視点で言えば、「成人式の日に、アンちゃんたちが酒を飲んで暴れるのが幸福な時代の産物」であるとするならば、それさえもなくなった、あるいは、報道されなかったのはそれだけ今は不安な時代だということになってしまう。

   
   

 予定表には「昼食はシャンビニヨンソースの肉料理(シャンビニヨンなんていうと特別美味しく思えるから不思議)とイチジクのタルトをお楽しみください」とある。イチジクの酸味が効いて美味しい。こんなのばかり食べてると帰ってからが大変だ。

 先輩に、あんた、美味しいものばかり食べてると身体によくないよ、と言われてしまった。書く内容に困るとよく外食(そとしょく)の話を載せるようにしている。まあ食べるのは嫌いじゃないし、撮った写真も見映えがいい。読んでくれる人の中には「そのお店、どこ?」と聞いてくる人もいる。みんな食べるのが嫌いじゃないようだ。ところが、上のようなことを書いているといつも食べてると思われてしまいがちだ。ところが、普段は野菜中心のヘルシーなものばかり。退職して弁当がなくなったら昨年の検診に比較して、体重が2.6キロ、ウエストが3センチ減った。おかげで血糖値も正常値に戻る。 

120111 フランス紀行25(モネの庭3)

 耳たぶが赤くなっている。触ってみると熱を持っているし、こりこりとした触感がもある。いつからか耳をいじる癖がついてしまった。こういうのを心理学者は何というのだろう。それで傷ついてしまったからよ、と同情してくれない。朝早くから耳鼻科へ。医者は、これはあたり過ぎではなくて、なんか虫にやられているようですよ、と。薬局へ行くとあれこれ聞かれる。薬事法の改正とやらで聞かなければならなくなったそうだが、正直な話、時々うんざりする。今時虫刺されですか?これがうんざりでなくて何を・・・・・。「医者がそう言いました」とぶすっと言うとそれ以上は聞こうとしなかったが。

 モネの家は壁がピンクで、窓枠・雨戸が緑色。とても印象的である。さすがモネだといったらおこがましいか?
 室内は撮影禁止なのでひたすら庭にカメラを向ける。この時期でもいろんな花が咲いているが、これがすいれんの咲く6月だったら、この庭はそれこそ色彩であふれていることだろう。
 帰る時に気がついたのだが、ここには中国人がいない。いたとしても似合わないし、おそらく居心地悪いだろうなあ。ゆったりとした気分で過ごすことができたのは、庭の素晴らしさは当然の事ながら、あの我が物顔の中国人のいないことが一番の理由のようだ。 

120107フランス紀行24(モネの庭2)

 「せり・なずな・ごぎょう・はこべら・・・・」ー今日は七日。七草の日である。春の七草が直ぐ出てくるのは、秋とは違って食べることができるからであると誰かが言っていたが「花より団子」である。今年に入ってなかなかブログを書くことができない。こうも寒いとただひたすらコタツにもぐりこんで寒さをやり過ごすことに専念している。ということで、途中下車していた「フランス紀行」を再開することにします。「モネの庭1」で中断していました。「証文の出し惜しみ」のような気がしないでもないのですが、付き合ってください。

   
   

 庭は彼が自ら池を掘るところ始め、朝の光から夕闇までの姿を繰り返しくりかえし絵にした。自分の絵の題材にするために造った庭園もいつの間にかその世話をすることが主になり、ほとんどの時間をそれに費やすようになってしまったとガイドさんは言うが、そうすると200点以上もの作品はいったいいつ描いたのだろう。
 この日、私が見た専属の庭師は5人だったが、それ位はいないとこれだけの広さ、これだけの植物たちの世話はできない。同時にモネの大変さが理解できた。ひょっとして彼もうんざりしていたのではないかと、庭と畑の草取りに追い回される私としては妄想してしまう。 

120101 明けまして・・

 

 今年の年賀状の言葉を何にするか。「おめでとう」はちょっと使えないなあ、という人が多いらしい。ちょっと天邪鬼なところのある私としては「なんでー」となってしまう。たしかに未曾有の災害があり、家を流され、家族を流され、どうして生きていけばいいのか途方にくれている人たちが多くいるのにとは分かっているけど、だからといって「明けましておめでとう」まで使っていいのかどうかなんて、そこまで落ち込まなければならないのか。
 生きていることで確かに分かっていることは、誰もがひたすら「死」へ向かって今を生きていることだけのはず。その生きている中では大なり小なり誰もが「苦」を抱えているし、抱えているからこそ「生」を確かに感じることができる。それなのに・・・・・・・・・・・・・・・・・
 なんか分けわかんなくなってきました。ということであえて「明けましておめでとう」と言うことにします。ということであえて「ヒロさん、明けましておめでとう。元気な貴方に会える日を楽しみにしています」と言うことにしました。