150107 同窓会1

3日、耶馬渓中学校を1981年に卒業した教え子たちの始めての同窓会が、駅前のヴィラルーチェであった。この学年は佐伯から転勤して来て最初に担任した学年で、3年間持ち上がったのでとりわけ思い出深い学年だ。

当時担任していたのは私を入れて3人だったが、一人は50代で亡くなったし、もう一人もどこかの施設に入ったとかで、35年ぶりの再会に参加できた幸せをしみじみ感じることができた。

いつものことだが顔には懐かしさはあるのだが名前が出てこない。分かったつもりで話していたら別人だったりで申し訳なかった。それでも2次会に付き合う頃にはほとんどの生徒の中学生の時の顔が浮かんできた。かれは信ちゃんだし、栄ちゃんだし、彼女は由香に、仁美だ。こんな思いをしたのはこれまでの同窓会ではなかった。不思議な気分だった。2次会を早めにあとにしたのだが、連れ合いの待つ場所まで寮生3人組が送ってくれた。これも嬉しかった。

追伸
和さん、和ちゃん。なんて呼んだらいいのやら。
お久しぶりです。
ブログを読んでくれてありがとう。
コメントを書いてくれるとやりとりできるんだけど。
あす、「ビストロ・ヴォライユ」で新年会をします。

150104 ボーリング

 31日、風呂に入った時、タオルを絞るのに力が入らない。元日から右足の付け根が痛い。2日、右手に違和感を感じる。

 30日に孫の要望で連れ合いと娘は「カラオケ」に行く。のんびりしたければ家にいていいよという娘のお言葉に甘えて、一人を満喫する。昔は人並みに出かけたし、「氷雨」に「22歳の別れ」に「夢一夜」が持ち歌だった。それが今では声を出すのにも苦労するようになった。

 31日。ボーリングはピンを紐で吊るしていた時代を知るほどだし、飲み会のあとにけっこうやったし、佐伯では大会に出たこともあった。それが前回はいつだったかとんと覚えていないし、投げてみると流れるような投球フォームとはお世辞にも言えない状況だ。まるでできの悪いロボットの関節のようである。孫には何とか面目を保ったが、気を付けないと腰を痛めてしまいそうだ。

 次回は、六郷満山の最終回と思ったが、昨日、「同窓会」に呼ばれた。それを書こう。

150101 明けまして

おめでとうございます。

 平成26年も無事に過ぎ、新しい年を迎えることができました。元気に過ごせるのも「70」までと思い定めていたのですが、その年もすぐそこです。まずそのことに感謝です。このあとは親父の年までと思いたいのですが、親父は「88」まで生きました。さすがにそれは・・・・・・・・・、と弱気になります。

 ところで、年賀状を出す枚数がずいぶん少なくなりました。最近では、連れ合いのものと共通のものと自分のものの3種類を作成しています。上の賀状はもちろん自分のものです。これもいつまで続くことやら。上の孫が写真を撮られるのを嫌がり始めました。

 と、弱気で始まった27年ですが、「今年もあなたにとって有意義な年でありますように!」-これは昔々ある方にいただいた年賀状の文句です。昔を振り返る年です。