260525 鎌倉紀行57(明月院3山門)

「明月院」の石柱横を進むと、総門が見えてくる
大きな寺院の総門とは違って「院」の総門にふさわしくかわいいものである
門の下は閉鎖されているので、左側の拝観口から進む

桂橋を渡ると本堂に続く表参道に出る
緑あふれる道で、歩いていると心が落ち着てくる
山門へ続く石段の両側には、五月下旬から紫陽花であふれかえります
品種は、日本の古来種であるヒメアジサイ
その美しい青色から「明月院ブルー」(←クリック)と呼ばれている
なんとか生きているうちに見ることはできないものか・・・・・

〇赤い文字「明月院ブルー」をクリックする
〇下に出た文字をまたクリックする
〇写真が出てくる

260520 鎌倉紀行56(明月院2谷戸)

左には小さな川(今はほとんど水がない)で、右は山肌が迫っている
今は山肌に生い茂っているシャガの花が明るさを生み出しているが、
深い木々に覆われて、昼間でも薄暗くなっている
この谷間で見られる住宅はいい雰囲気なんだが、ちょっと住む気にはなれない

ふだん住む我が家は、周りは何にもないのっぺらぼうだから
そうそう、親父の田舎は宇佐の山奥だし、
おふくろの父親たちは豊前の山奥から、
当時出来た豊前海の干拓地の水田目指して降りて来たのだと聞いたことがある

260515 鎌倉紀行55(明月院1谷戸1)

建長寺を出て道を下ると、500mほどで「明月院」と書いた小さな石碑に出会う
そこを右折して「明月院の入り口」までは約250m
「明月院通り」と聞けばなんと爽やかな雰囲気を感じるかもしれないが、
道はやっと車がすれ違いできるような狭さ
ホントに狭い道である
鎌倉の典型的な地形で、「谷津(やつ)」「谷地(やち)」と呼ばれるもの

丘陵地帯が侵食されて形成された谷状の地形である
なぜそんな狭いところに人は住むのか?
そこが、農業の始まりの地であるから

260510 鎌倉紀行54(建長寺10方丈3)

裏手には開山の蘭渓道隆の策定と伝えられる国指定史跡の美しい庭がある
縁側に座ってゆっくり眺めることが出来る
右に大きな建物があるが、パンフレットには「得月楼」とある
どんな意味があるのだろう
月を眺めるためのものとは想像がつくが・・・・
庭の中心の池は「心字池」と名付けられている
となるとすぐに思い出すのはさだまさしの「飛梅」(←クリックである
またかと言わずに聴いてください
心字池に架かる 三つの赤い橋は
一つ目は過去で、 二つ目は現在(いま)
三つ目の橋で君が 転びそうになった時
初めて君の手に触れた 僕の指

どうしてこんなすてきな歌詞が書けるんだろう

※ ①赤い文字の「さだまさしの「飛梅」」にカーソルを持って行く
➁クリックすると下に「youtube.com/watch」が出てくる
➂そこをクリックするとさだまさしの「飛梅」に飛びます

260505 鎌倉紀行53(建長寺9方丈2)

仏間から外にずいぶん派手な門が見える
屋根が唐破風の形をしていてので「唐門」と呼ばれていて、
本来はここが方丈の正門になるという
それにしても派手である
この金色に輝くきらびかさは、禅宗のお寺というイメージからはかけ離れている
いったい、どうしたんだ、建長寺!!といいたくなる

260501 蛇

なんとも品のない、おどろおどろしいタイトルで申し訳ありません
今、玄関横の日向で「蛇」が横たわっています
ヘビならとぐろを巻いて、と表現するところですが、
このヘビ、だらっと伸びていて、ただひたすら日の光を浴びて、気持ちよさそうです
ホントはこの時点で、おかしいなと気づくべきだったのでしょう

家の周囲には田んぼの水路が流れていて、石垣で造られているので、
昔は暖かくなると、石垣からヘビがよく覗いていました
今はその石垣もコンクリで固められていてそんな情景も見なくなりました

今朝、タマネギを収穫しようと玄関を開けると、目の前にヘビを見つけ、こちらもびっくりですが、
ヘビの方も慌てて生垣の下の草むらに逃げていきました
今、気持ちよさそうに寝ているヘビはその時見たヘビです

何時間も同じ姿勢でピクリともしません
さすがにおかしいと近づいても、ピクリともしません
ネコやカラスに襲われたふうでもありません
表情も少しだけ目を開けていて、穏やかです

金ばさみに挟んで水路に流しました・・・・合掌!!