260420 鎌倉紀行51(建長寺10法堂2)

堂内には「千手観音像」が安置され、
手前には「釈迦苦行像」がある
愛知万博で陳列された後、パキスタンより建長寺に寄贈されたそうだ
それにしても骨と皮だけの姿には修行の凄さに圧倒される、
というより正直言うとちょっと気持ちが悪くなってくる

天井には日本画家「小泉淳作」が描いた水墨画の「雲竜図」が描かれている
畳80畳分の大きさがあり、迫力満点です

【豆知識】 野菜や豆腐入りの「けんちん汁」はここが発祥らしい

260415 鎌倉紀行50(建長寺9法堂1)

建長寺は北鎌倉駅から徒歩で15分ほどで、北鎌倉の顔である
建長5年(1253)、五代執権北条時頼によって、宋の禅僧「蘭渓道隆」を迎えて開山された
境内図にある通り、三門と仏殿と法堂が一直線で並ぶ様式は禅宗特有のものである

かつて建長寺の総門の前には東西の外門があった
1923年の関東大震災で倒壊後、1984年に再建されたのは西外門のみで、
東外門に掲げれていた「東海法窟」の扁額は、
今はこの法堂に掲げられている
法堂も「ほうとう」と読まずに「はっとう」と読む
何か潔さを感じて禅宗らしい響きである

260410 鎌倉紀行49(建長寺8仏殿)

禅宗には珍しく、本尊は「地蔵菩薩坐像」である
建長寺の建つ谷は、もともと処刑場で地獄谷と呼ばれていた
ここにあった心平寺にはここで処刑された者の死後を救済する地蔵菩薩が安置されていたのが、
後に建長寺の本尊になったというわけである

地蔵菩薩は台座を含めると5mにもなる巨大な仏像である
また後ろの欄間の鳳凰の透かし彫りは見とれてしまうほど見事である
金彩の天井画には花鳥図がびっしりと描かれ、天蓋も見事です
といいながら、天井画はほんのちょっとだけで、
天蓋に至っては写真に撮るのを忘れています

260405 鎌倉紀行48(建長寺7奇妙な像)

門の下には奇妙な像が置かれている

名前を「賓頭慮尊者」(ビンズルソンジャ)といい、
看板には
「神通力第一と称せられる撫で仏です。どうぞお撫で下さい」とある
どれほどの人たちに撫でられたのか、つるつるに照り輝いている
今回はコロナの後だし、前回来た時に撫でたのが効いたのか・・効いていないのか

そういえば、4月5日(水)長野善光寺本堂から「びんずる尊者」が盗まれ、
盗みの疑いで熊本県の男逮捕、像も発見という事件があった
いったい、何やってんだか・・・・・!!

これ(三門)は「建長寺2総門」の後に書くべきものだったのを
どうしてかわかりません  順番が違ってしまいました
おそらく「総門」の後に「大分3区」が入ったので、見落としたのでしょう
いずれせよ、このブログもそろそろ止めべき時が来たのかもしれません

260401 鎌倉紀行47(建長寺6三門)

少し進むと見事な「三門」が見えてくる

銅板葺きの二重門は圧倒的な迫力で迫ってくる
下層は吹きっさらしの柱のみで、ありがちな仁王像も門扉もない
それにひきかえ、上層部は軒が唐破風で、
「建長興国禅寺」の扁額が架かっていて重厚感がある

そういえば、「三門」と「山門」の違いは何なのだろう  答え(←クリック)

260325 鎌倉紀行46 (建長寺6桜)

古木といえば、総門を入ってすぐに、見事なものがあった
おそらく桜の古木だろう

幹の下半分が見事にうねり曲がっていて、風雪に耐えてきたことを感じさせる
ひょっとして桜の寿命としては、とっくに超えているのではないか
この頃こうした存在に心惹かれることが多くなった

できれば・・・・ 桜の季節に来ることが出来たらと
強く願っている

260320 鎌倉紀行45(建長寺5柏槇)

仏殿の前の参道には8本のビャクシンの木が植えられている
左側の3本の真ん中の樹が一番大きい
高さ13m、幹回り6.5mもある
左右に幹を伸ばし、堂々とした威厳さえ感じられる
この途に生を受けて、何年様々なものを見てきたのだろう
右側に立つ1本 大きさでは負けるが、
いかにも古木らしい風格を感じます

樹齢750年 寺伝によれば、
開山の蘭渓道隆が宋から持参した種子を植えたものというが、
いかにももっともらしく聞こえる

260315 鎌倉紀行44(建長寺3鐘楼)

三門横にある鐘楼は茅葺きの見事な佇まいを見せている
おまけに吊るされた梵鐘は国宝に指定されたものであり、
形の美しさだけでなく、
音色が人の泣き声に似ているという(誰が言い出したものやら)ところから
「夜泣き鐘」とも呼ばれているそうだ
「夜泣きババア」を連想しそうで嫌だなあ

そうそう、
「鐘つけば銀杏散るなり建長寺」は夏目漱石が読んだ句である
正岡子規の
「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」は、
夏目漱石の句を参考にして作られたとかしてないとか・・・・・