090723友情2(サルビア)

《 これはトーチライトという名前がついていた 》

この頃、サルビアに凝っているので、起きるとそのまま庭に出てしまう。これまではパンジーとビオラを種から育てていた。最後の年に一緒になった教頭さんに種から育てることを教えてもらい、ずっと挑戦している。

2年前、九州大会が別府であった時、私の花の師匠である友だちと会場の前にある公園にたくさん咲いていたサルビアの花を、紀要の入った袋いっぱいに取った。一ヶ月もすると枯れた花柄からすごい数の種が残った。それを次の年の5月に種から育て、秋まで楽しむことができた。残った苗はいろんな人に届け、喜んでもらえた。こういうところから友情は芽生える。

もちろん出てきた花は赤だけだったが、今年はいろんな種類に挑戦してみた。ほんとは赤だけでよかったのだが、花の師匠が紫を育てたというのを聞いて俄然やる気が出てきた。インターネットで「トーチライト・サルサ・シズラー」の3種類を取り寄せる。

種を蒔いたのは4月の始め。初めは調子が良かったが、種の蒔き方が密集していたので苗が徒長し始める。慌てて間引く。それでもなんとかポットに植えるところまでいったが、そのあと、旅行が待っていた。2泊3日の短いものだったが、その間水をやらないわけにはいかない。全部で300を超えるポットなので、水遣りだけでも大変だ。いろいろ悩んだが、近所に魚市場に勤めている人がいるのを思い出し、発泡スチロールでできた箱を分けてもらう。一つの箱にポットを30ほど入れて水を張っておくと上手くいきそうだ。全てを北側の屋根のある通路に置いて旅行に出る。帰ってくると苗は枯れることなく、順調に育っていた。

自分の家と公民館に必要な苗を優先してプランターに植えてみたが、300もある(根切り虫にやられたり枯らしてしまったものもあるが、それでもずいぶん余ってしまった)ものだから、近所の花好きな人に、職場のいつも私の花を褒めてくれている人に、どうしてもあげたかった人(その中には12年ぶりに再会した人もいる)に、半ば強制的にもらってもらった。こういうところから友情は生まれると思っている。

090718友情1

《 さっそく夕食にのぼる破竹の煮物 》

日曜日、外にいると、携帯が鳴ってるよと大きな声で呼ばれる。退職するまで仲良く付き合っていた友だちからである。退職後、途切れていたが、彼が同じ内容の職に再雇用されたことでまた付き合い始める。以前は何年も山芋掘りに連れて行ってくれた。それも近くの山ではなく、別府から湯布院への高速道路沿いの山が多かった。

枯れてしまってかすかに残る蔓の残骸から山芋のある場所を探し出す。まさに名人芸である。小さい頃から、学校から帰るとカバンを放り出し、夕方まで家の前の山に入り込んで遊んでいた。年季が違うと言う。年季もそうかもしれないが、こっちは海の近くに生まれたので、彼の話はまさに別世界の出来事。

車から遠くの山肌に蔓の残骸を見つける。言われてみると黄色くなった蔓の葉がけっこう緑の中に鮮やかに見える。足場の悪いところで汗びっしょりになって芋を掘り出す。この場所で、こういう方向から、こんな風に掘って、と手取り足取り。私がやっと1本掘り出す頃には彼はどうかすると3本くらい掘り出している。私は途中で折ってしまうことが多いが、彼は見事に山芋用の鍬一本で折ることもなく掘り出してしまう。昼には家に帰り着く。それからは何日も山芋三昧。一番は、熱いご飯にすりおろした山芋をぶっかけて。これが最高。

その彼から、「破竹を採ったので、今から持って行く」と。届けて一席ぶつ。「わしゃー、季節の旬のものを追いかけちょる。旬のものが一番。これを食べちょら、絶対身体にいい。冬にはまた行くけ、身体を鍛えちょってな」。もちろんお返しを、と探す。適当なものがなくて、お取り寄せしたばかりの「メロン」を一つ。

くそー! しかし、こういったところから友情は生まれるのである。

090715いのちのバトンタッチ

《 黒ゆり 立山登山道にて 》

金曜日(10日)、文化会館に講演を聴きにいく。今日は、扇城学園の110周年記念講演。講演者がいい。「青木新門」さん。あの、アカデミー賞をとった「おくりびと」の原作者である。

いい講演でした。声もいい(けっこうこれが講演の良し悪しを左右する)し、もちろん内容は聴く前から期待いっぱいで、保証つき。前半はやはり映画ができるまでのエピソード中心。モックンの素晴らしさが際立つ。これでも分かるように、自分のことはあまりアピールしない。できるだけ他を立てるし、この話はもっと聴きたいな、ほかの人だったら当然話すだろうなというようなことをかえってさらっと流してしまう。あとで考えれば、たしかに枝葉のことばかり。それでもなおさらいい話だとなってしまう。

そうそう、その中の一つ。「納棺夫日記」を出版して10年で10万部。それがアカデミー賞をとってから4ヶ月で40万部。おかげで静かに余生を送る予定が狂ってしまい、こんな風に全国を飛び廻る羽目に陥ってしまったとか。そういう目に合ってみたい気もする。

後半になって、演題の「いのちのバトンタッチ」の内容に入る。それも自分の仕事であった納棺夫としての体験からと富山に生まれた者として身体に脈々と流れる真宗門徒としての思いが重なったものとして。死はそこで終わりではなく、それを見つめる人たちに「命の大切さ」として続くものとして。自分がひょんなことから納棺夫の仕事を始めた頃はまだ、家で、家族に囲まれて死んでいく人たちがほとんどだった。それが、今では99%が病院や施設で息を引き取るようになり、死から人々が離れていくにつれ、死を汚いもの、怖いものとしてとらえるようになってしまった。死んだ直後の、どの人にも浮かぶあの穏やかな、あの安らかな顔を見てもらいたい、と。いい話でした。いろんな場面で拍手が起きるし、家内も感激してしまう。

ところが、私の中ではこの話がそこで終わらずに、あちらこちらへとさまよってしまった。おそらく昨日始まった「阿修羅展」のことが頭に残っていたからか。「阿修羅」といえば「光瀬龍」。また、あの本を引っ張り出してみよう。

090712吸殻のある風景

《 風土記の丘から移した捩子花 》

「吸殻のある風景」とはどこかで聞いた言葉。歌の題名?それとも、本の題名?なんかロマンを感じさせる言葉だが、実際はそうでもない。大きな会合や研修会が終わるときまってあちこちに吸殻が散乱している。この「散乱」という言葉がいい。吸殻を見ていらいらしている私の気持ちがこの二文字によく表現されている。これが「落ちている」では単に情景を表しているに過ぎない。「いらいら」までは表現できない。

計量器の定期検査が行われている。案の定、計量器を持ってきた人たちが玄関前でタバコを吸いだした。それを注意に行く。いい大人に注意するなんて、けっこう気を使う。「敷地内は禁煙です。昨日も誰かが吸殻をプランターに突き刺しています。」というと、「わしじゃ、ねー」と腹を立てる。このプランターは私が丹精こめて育てたサルビアを玄関前に飾ったものである。腹を立てたいのは私の方である。どうしてもタバコ飲みはあちこちで言われ続けているためか被害者意識が強い。すみませんという人より、過激に反応する人の方が多い。灰皿を撤去したために、この頃は植え込みの中に吸殻を突っ込んでいることもあるし、玄関前のプランターに突き刺していることもある。マナーが悪すぎる。

吸殻では、とんでもないことがあった。昨年、ある大会当日、中に入らずにホールでおしゃべりをしている人たちの中にタバコを吸っている人がいた。その日は大会の事務局の人に頼んで開会の前に参加者に「禁煙」を呼びかけてもらった。それでもこんなざまである。お互い嫌な気持ちになるのが嫌で見逃したのが失敗。会が終わって点検をすると座っていたイスの下、床の上でタバコがねじ消され、吸殻が放置されていた。あまりのことに事務局の人にきてもらい、確認をし、、片付けてさせた。後日、その会の理事長が謝罪に来たが、「だいたいやった人は分かっているので、注意しておきます」とまで言ってくれたのにはこちらの方が恐縮する。

できれば、ロマンはなくとも「吸殻のない風景」が欲しい。

父の日(090709)

送ってきたばかりの「白糸の滝」の写真

「父の日はいつだったかな」というと、事務所の人が「もうとっくに終わりましたよ」という。そういえば、娘たちからは何もなかったな。連れ合いにとって私は「おとーさん」と呼ばれても、たしかに父親ではない。

だんだんと老いを感じるようになってくると、なぜか自分の父親のことを思い出すようになった。無口な人でした。自分の若い頃のことを話すことはほとんどありませんでした。お酒を飲んだ時に、まれに、どうしたはずみか、若い頃のことをほんの、ほんのちょっぴり漏らすことがあったくらいです。幼い私にとっては、たまに聞く父の話は、考えられないことばかりでした。時代が違うといってしまえばそれまでですが、私がこれまで歩いてきた道とは全くかけ離れたものでした。父の歩いてきた道は、小説になりそうなことがたくさんあります。ところが、私の道には、せいぜい石ころ程度のお話しか転がっていません。

無口な父は近寄りがたい人でした。というより、馴れなれしくするにはあまりに威厳がありすぎて、敬して遠ざけておいた方が無難といった存在でした。

その父が死んでからもうすでに20年が過ぎました。この日曜日、12日が命日です。

090705ほたる3

090630合歓の木 〔 山国・吉野合歓の木 〕

 犬にせがまれて散歩に出ていた上の娘が笑いながら言います。お父さんの好きなもの、見せてあげようか。合わせた掌を近づけます。そっと開いた掌の中から、たった一匹の蛍がやわらかな光を点滅させています。いつの間にか蛍の季節になっていたのです。(61,6,2)

 この上の娘の子どもが私を「おーちゃん」と呼ぶ。サーズの時、就学前だったので、4月から7月まで日本に避難してきた。この時、始めて彼をほたる狩りに連れて行った。それからはこの季節になると決まって電話がかかる。「おーちゃん、ほたる、飛んでる?きれいだったね!」。また、一緒にほたるを観に行くのが夢である。

 下の娘が咳き込みます。時計はとっくに9時を回っています。娘を抱いて外に出ると、向こう岸で小さな灯りがゆれています。もう蛍の出る季節になっていたのです。娘も私も、じっと息をつめて見つめています。ちょうど私たちの呼吸するようにゆらりと舞います。娘の目には、そして、心には、この淡い灯りがどのように映っているのでしょうか。いつか、娘の咳は止まっていいます。(53,6,4)

 こうした体験がきっと人間の豊かさをつくってくれると信じて・・・・。

紫陽花1・090702

020527大船山 030

〔 庭に咲く紅山あじさい 〕

 梅雨入りをしたと宣言されたのは、もうだいぶ前のことでした。ところが、その宣言を待っていたかのように雨はどこかほかへいってしまった。娘のメールでは、東京は毎日雨ばかりで、けっこう気温も上がらないと言う。そのおかげでこちらは空梅雨。ダムの貯水率も落ちて、農業用水にも事欠き始めた。三光の友だちのところも田んぼの水が足りなくて、田植えができないと嘆いている。4・5年前にも同じようなことがあったが、季節が季節らしくなくなってきているような気がする。

 新聞の片隅に、高田のお宮に咲くアジサイの記事を見つけた。そうそう、鎌倉にもアジサイ寺と呼ばれるお宮がありました。5年前、家内と下の娘の3人で鎌倉をまわった時に訪れました。幼い頃の社寺は、近づくには心しなければならないところでした。その空間だけが周りから切り離された、別の時間が流れています。ところが、今は、若い人、特に女性たちで賑わう社寺を増えてきました。信仰というよりファッションと言ったほうがいいようです。

 高田市内を流れる川のすぐ横にそのお宮はあります。参道の両側に、境内に、裏庭に一面のアジサイです。雨が降っていたからでしょう。まわりにほとんど人影を見ません。アジサイに囲まれ、この花が私たちだけのものと思うと、うれしいようなもったいないような複雑な気持ちです。

 帰りに、私たちより少し年配(としておきましょう)の二人に会いました。一本の傘に肩を寄せ合い、参道を歩いてきます。時折、花の前に立ち止まっては静かに花を眺めています。

ほたる2(090630)

090620蝶が岳2

〔蝶が岳を背景にミヤマダイコンソウ〕

日が山稜に暮れると、山あいの里は急に肌寒くなる。

昼間のあの暑さはなにかの錯覚ではなかったのか、とつい思ってしまうような涼しさである。

谷の底、この頃の晴天続きで枯れてしまったような渓流は、いつの間にか闇の中に沈んでしまっている。

その闇の中から、ヒョロヒョロヒヒヒ・・・・と清涼な声が聞こえてくる。

河鹿である。

確か5月に来た時にも鳴いていた。

ご主人に聞くと、3月頃から鳴いているそうで、都会から来たお客さんの中には、何の鳥ですか?と尋ねる人もいるそうだ。

蕎麦に添えて出すご主人手製の山菜のつくだ煮を肴に、料理の話、山の話を聞きながら飲む酒の味は、又格別である。

ほとんど家では晩酌をしたことのない、酒の席には寄り付こうともしない私も、この時ばかりは美味しくいただく。

8時半ごろ、みんなで蛍を見に行く。

私たち一家4人に、ご主人夫婦に一番下の男の子、近くで喫茶店をされている方の奥さんと二人の娘の、計10人という大部隊である。

蛍の多いという谷まで来ると、どうしたことか、谷の向こう側にわずかに点滅しているだけである。

昨年は谷いっぱいに群れをなして飛び回っていたのに。

それでも子どもたちは、近くに飛んできたといっては追いかけていく。

蛍の光は哀しい。

白く冷たい光が、ゆらゆらと舞い上がり、舞い戻り、そして、ふっと消える。

この哀しみを味わうには、この位の方がちょうどいい、とこれは負け惜しみ。

暗闇に聞こえるのは、子どもの声と足音だけ。

河鹿鳴いて石ころ多き小川かな(子規)

これは、昭和58年6月8日の出来事。そして、写真は安曇野の友から。