091208 梅ケ枝餅

三軒のお店の写真にしようと思ったのですが、「松屋」の庭、柿の木を中心にしました。ほんとに柿の実がきれいです。

 太宰府といえば梅ケ枝餅。太宰府に流された菅原道真を慰めようと土地の人が作ったお餅だと言い伝えられている。参道にはたくさんの梅ケ枝餅を売るお店があるが、この頃雑誌に載せられると行列ができてしまい、まわりの店は閑古鳥が鳴くという現象が起きている。載ったお店はホクホクだが、周りは迷惑な話である。だって、そんなに味が違うわけでもないのに、雑誌に載るか載らないかが勝負を決めてしまうのである。

 私はその参道では、三軒ほどのお店をその時の気分で使い分けて買うことにしている。参道の入り口右手には「松屋」。中に茶房があるが、その奥にこじんまりとした素敵な庭がある。その庭でもお茶を飲むことができる。特にこの時期は柿が見事である。柿の葉も大振りで、色がなんともいえず美しい。この店では水盤に柿の葉を入れていた。ただそれだけなのに草花をたくさん飾ったものよりも遥かに素晴らしい。また、実が美しい。柿の実に美しいは似合わない気もするが、ほかの表現が見当たらない。空の青の中に浮かんだ柿の実をなんと表現したらいいのだろうか。
それと中ほどにある「かくだ商店」。ここは上品なおばあちゃんがひとりで焼いていて人気があった。連れ合いも好きで、彼女はほとんどここで買っている。そのおばあちゃんも4年ほど前に亡くなってさみしくなった。

 もう一軒は「きくち」。以前は行列のできる店だったが、今ではそれも他の店に移り、ゆっくりできるようになった。ここはお土産に買うよりも、2階にある喫茶でお抹茶を飲みながら梅ケ枝餅を食べるのがいい。

091207 太宰府天満宮

 太宰府といえば梅。中でも「飛梅」が有名である。道真の歌で「東風(こち)」という言葉を知り、風を表す言葉に興味を持ち、「南風(はえ)」などの言葉を知る。ところが、何度訪れても梅のきれいな時期に巡り合うことがなかなかできないでいる。その代わりいつも感動するのがクスノキである。境内のあちこちにクスノキの大木がある。鳥居をくぐったすぐ右手にも。心字池にも池を覆うような大木があり、本殿の裏にはこんなにも大きくなるのかと感心するほどの大木が。

 こうした木を見るたびに思うことがある。それは、この木を古代の人たちはどんな目(心)で見ていただろうかということである。圧倒されるほどの生命力を前にした時、人は自然と仰ぎ見るか、静かに頭を垂れるかのどちらかである。それは人知を超えたものへの畏敬の念である。だれもが素直にそうした心を持てた時代というのは、心は健康で幸せだったのではないか。

 心字池には三つの赤い橋が架かっている。いつも多くの人がその上を通っていく。この三つの橋は、「過去・現在・未来」を表しているというのをさだまさしの歌で知った。題名は「飛梅」。それ以来、二つ目の橋の上で後ろを振り返って見ることにしている。「今」から「過去」を振り返るというわけである。もちろん過去が見えるわけではないが、なぜかここではそうしたくなる。

 ここにはたくさんの思い出が詰まっている。そろそろ三つ目の橋への距離が短くなった今、「これまで」を大事にしていきたいと思う。

091206 光明禅寺

6日間もブログの掲載がなかったのは初めてではなかったか。3日間東京に行っていたので空いてしまいました。そのことについてはまたブログで紹介します。それでは「太宰府」の巻の始まりです。

 この寺に最初に来たのは30代の終わり。それからすっかり忘れてしまい、再び訪れたのは50代の始めでした。

 ここは別名「苔寺」。苔で陸地を、白砂で大海を表現している。そして、石を「光」の形に配置しているとパンフレットには書いてあるが、何度見てもどこに光があるのか分からない。凡人には無理なのか。

 ここの醍醐味はなんといっても紅葉。佐賀の「九年庵」の帰りに寄って見た紅葉の美しさには言葉もなかった。特に部屋の中から見ると、鴨居と柱と床が額縁のように外の景色を切り取って、まるで一幅の絵を見るようだった。部屋の中が暗いため紅葉の鮮やかさが際立つ。その後何度訪れてもその時の美しさを見ることはできないでいる。上の写真は2002年11月16日の時のものである。

 5月にはシャクナゲが見事だと聞く。そういえば庭の奥、山の斜面にたくさんのシャクナゲが見える。いつかその時期に訪れてみたいものである。2月の厳冬の時に訪れるのも一興である。さすが禅寺というべきか、開け放たれた部屋の畳に座り、下からこみ上げてくる底冷えの中で、葉を落としてしまった木々の中に見える庭を眺めるのも風情がある。自宅ではわずかな寒さにも不平不満たらたらなのに、場所が変わって禅寺となると「風情」になるから不思議である。

 タタミあるいは廊下の床に座り、ただひたすら庭を眺めていると、自分が消えてしまうような感覚を持つことがある。ひょっとしてこれが「悟り」か、なんて夢のような話。それにしてもこのごろの人の多さは!もうすっかり観光名所である。

091130 秋月(眼鏡橋)

 お腹が満たされると、あとはほんとにゆったりと秋月の里を散策するだけ。歩きながら、ここは「秋月」という地名でずいぶん得をしているなと思う。漢字もいいし、アキヅキという響きもいい。いかにも静かで、古びた、ふるさとというイメージを与えてくれる。個人的な感じ方だが、やはり「中津」ではこうはいかない。

 黒門茶屋のところを左に入る。古びた町並みを通り抜ける。途中、古道具屋をひやかし、道路の脇を流れる水路に置かれた小さな水車を動かしてみたり、そうそう、夢中になりすぎて胸のポケットに入れたデジカメを水の中に落としてしまう。もちろん私ではないですよ。そのデジカメ、奥さんのと言ってたが帰ってどう説明するんだろう。他人事ながら気になる。

 そうこうしているうちにもうひとつの目的地、「眼鏡橋」に到着。秋月街道のすぐ横、野鳥川に架かる石造りのアーチ橋であり、日本で唯一花崗岩(御影石)が使われていることでも有名である。私の勤務する本耶馬溪町には8連の通称「オランダ橋」がある。毎日それを見ている私にはなんとも小ぶりな可愛い橋に見える。

 その橋の反対側にある「月の峠」という手作りのパン屋さんで、幹事さんができたてのアンパンを買ってくれた。それを半分分けにして川沿いの石に腰かけて食べたのが、なんとも美味しかった。半分というところがみそである。食べ物といえばもう一つ。帰りにもう一度杉の馬場に戻り、長屋門で老人会のおばあちゃんたちが接待してくれた「抹茶と饅頭」を味わう。古びた長屋門にぴったりの古風なお嬢さんの接待。値段も300円。ほかのお店の半額。「お客さんの喜んでくれる顔がなによりです、という彼女の言葉と笑顔が心地良い。

 素敵な一日でした。幹事さん、ありがとう。できたら次回もお願いしたいくらいです。

091129 秋月(黒門)

 山国に寄り道をしたが、高速を使い、11時には到着。駐車場には運よくあと2台で満車という中で滑り込みセーフ。あとはのんびり歩くだけ。旧秋月街道から左に入り、杉の馬場を散策。名前は杉の馬場だが、今では古い桜並木が続き、春にもう1度来たいなあと話す。何年か前、連れ合いと来た時はちょうど満開の桜の時期で、人の波にもまれながら散る桜の花びらの下を歩いた。

 右に秋月美術館を、左に秋月郷土館をながめ、いろんなお店を冷やかしながら歩く。中学校になっている秋月城跡を通り、メインの「黒門」にたどり着く。ここから奥にある垂裕神社にかけては紅葉の名所なんだが、今年の紅葉はいまいち冴えない。まだ緑の葉があるかと思うと紅く色づいた葉っぱも赤味が足りないというか、汚い。色づかないままに落ちてしまいそうである。

 すぐにお昼になったので昼食のできる場所をと探したが、少し脇道に見つけたカフェレストランは高くて、おまけに秋月にはふさわしくないハンバーグとかいったものばかり。幹事さんが頑張って探してくれた黒門の下にある「古処庵」で食事を取る。行列ができていてずいぶん待たされたが、雰囲気もいいし、みんなで頼んだ「山菜おこわ定食」がよかった。おこわも吸い物も美味しかったし、水前寺のり(川茸)も珍味でよかった。値段も980円と手ごろ。幹事さんに感謝!

091128 秋月(かかしワールド)

すぐ横では花嫁花婿、そっちのけで宴会をしています。

親子で肥桶を担いでいるのもありました。昔やらされたなあ。

これはほんとにリアルでした。ビックリしました。

 21日、久住山の会のメンバーで秋月に出かける。昨年も久住ではなく菊池渓谷だった。だんだんと年をとったからか、登ろうという声が小さくなってきた。今回は私が腰が悪いといったのが原因だったので小さくなっている。

 8時半に集合する。山ではないのでゆっくりでいい。一人がどうしても出席しなければならない会議があるとかで総勢7名。2台に分乗して出発。だれが言い出したのか、山国の「かかしワールド」に寄って行こうということになった。

 山国町は5年前から町おこしのイベントとして案山子の展示に取り組んでいる。5年目の今年は、守実地区だけで12のワールドが出現している。その中のメイン会場「あざみ村」に立ち寄る。朝早くということで人出もちらほらでゆっくり見学できた。道は一方通行になり、警備員も出ている。展示された案山子も年々リアルになり、見物客の多い時はどれが案山子でどれが人間か分からなくなるそうだ。

 昔の祝言(結婚式ではしっくりこない)の様子や野良仕事、魚釣りがリアルに、ユーモラスに作られている。それぞれの展示の横には案山子の会話が書かれている。昔の言葉というか田舎弁というべきか、、なんとも楽しい、懐かしい会話である。
「山国町 かかしワールド」で検索してみてください。

091126 道人会

1年ぶりの道人会

 下の3枚は、安曇野通信のカエデの木が日立のCMに負けない銘木だというコメントをもらったので、九州にもすごいカエデのあることを知ってもらおうと思って載せました。6年前に福岡県の前原市にある「雷山千如寺」に行きました。時期が少し遅れたため葉っぱは大部分落ちていました。それでも素晴らしいカエデでした。

 20日、一年ぶりの「道人会」がいつもの「高野」で行われた。なにかに間違われそうやなあと言いながらも、この名前をつけた人は少し悦に入っていた。分からない人のためにあえて説明すると、九州には広域指定暴力団として久留米に本部を置く「道人会」がある。この会を立ち上げた頃、大きな抗争事件を起こして有名になっていたというのが説明である。

 この会は25回、つまり、四半世紀を数える。今から25年前、私たちが勤めていた三光村が文部省の道徳教育研究の地域指定を受けて、4つの小学校と1つの中学校が共同で研究に当たっていた。期間は2年間。1年目はただの兵隊として授業のことだけを考えておけばよかった。ところが、時の校長が急に辞めて、研究主任をしていた方が急遽教頭になり、そのあおりで研究主任が私に回ってきたのである。

 2年目は発表の年である。研究のまとめとして紀要の作成はしなければならないは、公開研究会の準備から発表の原稿作りに、おまけに自分自身の公開授業にまで取り組まなければならなくなってしまった。大変な1年だったが、そのおかげで38年の教師生活中で最高に充実した時間を過すことができた。自分には戻れる自分の学級があったし、支えてくれる学年があった。その時間があったからこそ、そのあとに素晴らしい季節(とき)を持つことができた。

 そして、当時の各校の研究主任と会長・副会長・事務局長の8名で作った「道人会」が25年も続いたのである。しかし、やはり25年は長かった。8名の会員のうち、Y小学校の研究主任だったN先生が亡くなり、昨年は事務局長だったT先生が長い闘病生活の末旅立った。会長も今年で85歳になったという。毎年「高野」に集まって、思い出話にふけり、また来年の再会を約しながら分かれる。

091124 さだまさし(2)

 

前回書いた有名な人を見つけた。彼の名前は「辻邦生」。文庫本「さだまさし 時のほとりで」のなかで、さだのことを「現代の吟遊詩人」といっている。さだへの評の中で最大の褒め言葉だと思っている。

⑤「飛梅」。昨日も大宰府に行ってきました。この歌にはいろんなことが詰まっている。
⑩「検察側の証人」。面白い設定。こんな歌は初めてです。悲しい歌なのについにやっとしたくなります。
⑪「神話」。この歌の題名をCDの題名に使いました。昔聞いたはずなのに全く覚えていません。それが今回聞いて、胸にグサっと  突き刺さって抜けません。「あたし 少しバカだけど・・・・・」-なんとも辛く、悲しい歌。下の娘がさだまさしは暗いから嫌いだと言ってたのも無理ないか。そう思うけどついついこんな歌に惹かれてしまう私はなんなんだろう、と。
⑫「モルダウ」。上の2曲があまりにも暗いので、せめて次の曲は心は洗われるものをと。彼にはこの歌を使った「男は大きな河になれ」というのがあります。今回は元歌を。
⑬「掌」。この曲はたしかピンクレディの恵ちゃんに提供した歌だった。その時は、さだまさしが作ったのかとしか思わなかったのに、30年経って今、そして本人が歌うのを聞くと、心に沁みるものになっていました。
⑭「晩鐘」 ⑮「風の篝火」 ⑯「ほおずき」 ⑰「線香花火」 ⑱「雪の朝」
最後の2曲はいかにも「グレープ」って感じ!

 今ではウォーキングの時、このプレイリストを聴くのが日課になっている。