120918 大楠紀行11(大楠の森)

ここには25本もの大きなクスノキがあって、その中に巨木が2本あり、ともに国の天然記念物に指定されている。本殿に向かって右にあるのが「湯蓋の森」、左後方にあるのが「衣掛の森」。この木(湯蓋の森)の下で産湯を沸かし、そこで産まれたのが後の応神天皇で、その時の産衣を掛けた木が衣掛の森と呼ばれている。と、あくまでも伝承。
幹周りの大きさでは衣掛の森のほうが大きいが、湯蓋の森のほうはほとんど傷もなく、もちろん洞も見当たらない。根の張りや株もとの力強さに大枝を四方に伸ばした均整のとれた姿の美しさでは湯蓋の森には敵わない。
そうそう、「大楠」ではなくなぜここでは「森」と呼ぶのか。遠くから見ると1本の木がその大きさからまるで「森」のように見えるところからだそうだが、たしかにその大きさには圧倒される。

大楠紀行も残すところあと1回となりました。長々と付き合っていただきまことにありがとうございます。このあと、11月まで旅の計画がありません。できましたら読者の方で写真とコメントをメールで送っていただいたら「〇〇通信」として掲載しますのでお願いします。以前は「安曇野通信」があったのですが・・・・。
期待を込めて私のメールアドレスは「
kenzou432@yahoo.co.jp」です。

120914 大楠紀行10「宇美八幡宮」

 宇美町の中にあって静かな環境の中に鎮座している。宇佐八幡宮の広大さには劣るが、平日にもかかわらず参拝客も多い。それも観光客ではなく子どもの幸せを願う「お宮参り」の参拝客がほとんどである。ここは古事記に「その御子生み給える地を、宇美とぞ謂ける」とあるように神宮皇后が後の応神天皇を産んだ土地なので、この地を「産み⇒宇美」というようになったとか。
 したがって、ここには神宮皇后・応神天皇ほかを祀る。上の事蹟から安産の神として崇拝され、子安の石、子安の木、産湯の水などが点在している。というのは帰ってきてからネットで知ったことで今回の目的は「大楠紀行」なのでせっかくの見るべきものが目には入らなかったようだ。酉年なのにどうも亥年の傾向が顕著になってきている。しかし、これは個人的なものでなく、単に年を取って柔軟性が衰えてきただけのようでもある。   
 教訓「年はとってもいつまでも予習は大切だ」

120909 大楠紀行9(昼食)

 川古から武雄市内に移動する途中で洒落たレストランを見つけていたのでわざわざそこまで戻る。この頃、どこでもいいやでなく、こうしたところで食べましょうと思うように二人ともなった。臼杵あたりから変わってきたようだ。進歩である。
 いかにもこだわりのお店といった雰囲気で、すべてが個室になっている。佐藤さんとなんだから個室でなくて全然いいのだが、まあ気兼ねなく話はできる。今日のお任せランチはハンバーグ。ふつう食べることはないので美味しく頂いた。 
 さあ、午後は福岡県は宇美町。宇美八幡宮の大楠が目的である。

120905 4歳5ヶ月

前回のブログはこのブログに付いていたものだったのに、書き始めると4枚の写真だけでも1回のブログになるじゃないかとつい思い、2回になるとともに順番までおかしくなってしまう。いまさら作り直すのも面倒とそのままにする。

 

 「4歳5ヶ月」-年齢?それとも魔法の言葉?
 8月20日、東京の娘が孫を連れて帰ってきた。帰ったのは30日。この10日間は孫のためにあった。昨年はまだ幼くて元気はいいが言葉も少なかったが、今年はよくしゃべる。いろんな名言(?)を残したが、もっとも印象に残ったのは「4歳5ヶ月」である。
 これを上手く利用したのが連れ合いだ。泣きそうになった時、シャワーで湯が顔(これを一番嫌がるという話だった)にかかった時、おかずを残しそうになった時、「〇〇くん、何歳?」という。かれは元気よく「4歳5ヶ月!」と答える。かれの中では「4歳」ではなく「5ヶ月」というのが大きな意味を持っているようだ。それがエネルギーになって泣くのをがまんするし、シャワーもなんとかガマンできたし、ご飯も完食。なんとも便利な言葉である。来年は「5歳5ヶ月」。魔法の言葉となるか。それとも魔法が必要でなくなっているか。

120902 〇〇くん

   
かれの役目は「りん」を鳴らすこととろうそくの火を消すこと。  土曜日、母親と祖母は博多までコンサートに行く。後を追うでもなし、夜になっても寂しがるでもない。ひょっとして私が面倒を見てもらっていたのかも。 

 

   
昨年は「うみたまご」。今年は「到津の森公園」へ。とにかく乗り物に乗せておけばゴキゲン。  前日熱を出したので小倉駅で新幹線に乗るまで見送る。乗り換えにわずか9分しかないので遅れないように急いでいたらゆっくり別れを惜しむ間もなかった。 

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120831 大楠紀行8(塚崎の大楠3)

   

 大楠までのわずかな距離だが、登りは急である。そうすると視線はどうしても下を向いてしまう。視線の先にカタツムリを見つけた。佐藤さんは、この頃カタツムリを見ることが少なくなりましたねと言う。その言い方が先ほどの「虫捕りに夢中になる子どもが少なくなりましたね」とそっくりである。
 目を近づけるとそのカタツムリの背中に妙なものが付いている。ハエである。家蝿とは違うようだが確かにハエだ。疲れたからとタクシー代わりに使っているわけでもなさそうだし、カタツムリの方も迷惑がっているようでもない。この関係はいったい何なんだろう。
 誰かに踏み潰されてもかわいそうなので、つまんで脇にどける。それでもハエは動かない。見ている(暇だね)とかすかにだが動いてはいる。

120826 大楠紀行7(塚崎の大楠2)

   

 幹周り13.6m。高さ18メートル。根回り38m。昭和38年に落雷で主幹の9m以上が失われたという。その根回りの大きさからするとかつては雄大な姿だったと想像できる。上部がなく、洞のできた姿からまだ見たことはないが屋久島のウイルソン株に例えられるそうだ。その洞の中から見上げると、空の姿も木の肌も違った形で見える。
 それにしてもこれだけの巨樹が、それも3本も市街地にあるというのは珍しい。これらの巨樹たちが生まれた3000年前のことは想像の外にあるが、思うだけで心がときめいてくる。当時の人々はこうした巨樹をどんな思いで眺めていたのだろう。

 途中で「同窓会」の話を優先したことで大楠紀行が半分で途切れてしまい、やっと元に戻すことができました。話は全く違った内容になりますが、ニックネーム「遊ぶ人」が誰なのかずっと気になっていました。普段は誰かなと思ってもそれを追求しないのがこうした時のエチケットだと思っていたのですが・・・・。私にとって「遊び人(あえてこう呼びます)」と呼べる人は一人だけです。遊びに出かけたままとうとう帰ってこなかった人です。彼かなと思う根拠は「7月29日の「リバーウォークサーカス3」でのコメントです。「チャップリンもクラウンのことを描いていた」と書いていたことです。遊び人もたしかこうした映画の話が大好きだったからです。
 もしそうだったら、また写真を送ってくれないかな?!

120822 35年ぶりの同窓会3

夏水仙の花の中にもぐりこんでいました。

 

 古典の学習では、奥の細道、徒然草、方丈記、枕草子の冒頭を二つ以上暗記することを課題にした。これは中学校にいる間ずっと続ける。だから、shalalanさんではないが「何を習ったかほとんど記憶に残っていない」が、古典の暗唱を未だにできる生徒は多い。そして、同窓会に呼ばれるたびにマツバくんではないが、私の前で暗唱大会が始まる。いずれにしろ授業の内容なんて残るはずないんだから、このやり方は正解だったと自慢できる。授業でパスできなかった生徒は自信がついたら職員室にやってきて他の先生のいるところで合格するまでやらされた。何てイヤミな教師だったんだろう。
 「静かに怒る先生がとても怖かった」とは、静かで、穏やかで、気配りのケンと呼ばれた(?)私としてはどう解釈していいのやら。たしかに大声を出して怒るタイプではない。くどくど叱るのも嫌いだから手っ取り早く罰(耳回し・ブタ握り・ケツバットから)を選ばせて早めに終わらせていました。だから扱い易い教師だったと思うんだけど、shalalanさん、どうでしょう?