110405 筑後柳川 5
始めて「さげもん」を見たのは確か太宰府でだったと思う。名前は聞いていたのだが、言葉だけだったので目の前にした時にはその華麗さに驚いた。「さ・げ・も・ん」という言葉は、単に「下げたもの・吊るした飾り」という意味だろうが、私にはその響きにもなにか独特の感性が感じられて好ましかった。いかにも筑後の風土から生まれたものである。
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ネットで調べると、「さげもんは、福岡県柳川市に伝わる風習。吊るし飾りのひとつ。女児の生まれた家では、その一生の幸せを願い雛壇は父方の実家から、さげもんは母方の親戚、母、祖母が用意する」とある。いろんな型があるようだが、伝統的なものは紅白の布を巻きつけた竹の輪に、細工物とまりを交互に7列7個49個を吊るす。さらに中央に特大の柳川まりを2個加えて計51個とする。
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もともと雛壇を引き立てるものだったのが、どうかするとさげもんが主役になっている場合の方が多い。御花や白秋生家でも雛壇を飾った部屋に部屋を埋め尽くすようにさげもんが吊るされていた。変わったものとしては水引だけで作られたさげもんを見つけた。これはこれで味があっていいものだ。
今回もまた、楽しいひと時を過ごすことができた。佐藤さんに感謝である。帰りの車の中で早くも次回はどこに、ということになった。今候補に挙がっているのは「平戸」である。 |
110404 筑後柳川 4
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柳川に来たらどうしてもはずせない場所が二つある。「御花」と「白秋生家」である。「御花」とは、柳川藩主が家族と和やかな時間を過ごすための場所として設けた別邸を、その当時その場所が「御花畠」と呼ばれていたことから、柳川の人々は親しみをこめて「御花」と呼ぶようになったという。敷地内には池の周りをクロマツで囲った庭園がある。「松濤園」と呼ばれ、国の名勝に指定されている。
今から30年ほど前に一度訪れたことがある。当時それぞれの町には教進と呼ばれた組織があって研修を担っていた。いい時代というか、年に一度全ての学校を休業にして現地研修に出かけていた。今考えれば「とんでもない!」と批判されそうだが、おそらくその研修でここを訪れたのだと思う。
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記念館の入り口にいた着物と袴の若い女性に、一緒に写真を撮ってもらった。シャッターを押してくれた佐藤さんに「さすが、原田さん!」と、感心されたのか笑われたのか・・・・・・・。いずれにしても若い時にはとうてい出来なかったことだ。年を取るということには悪いことばかりじゃない、いいこともある。
110401 出会いの5年間
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| 左は図書館の小野さん。右も図書館の安永さん。その右は指導員の吉村さん。どうしてみんな、そんなに大きいの?安永さん、「焼きがき」が美味しかったよ。 |
教員を退職してから、そのまま本耶馬溪公民館の館長として勤める。その5年間が文字通り「あっと」いう間に過ぎてしまった。この写真は最後の日の勤務時間終了間際に、誰言うとなく記念写真を撮ろうということになって撮ったものである。朝、センターで最後の押印をした後、「照れくさいので後では挨拶に来ませんので、いまここでお別れをします。老兵は消え去るのみです。お世話になりました」なんてカッコつけたのに、肝心の事務室での別れはカッコがつかずいつまでもぐずぐずになってしまった。 これだけの美女たちに囲まれて過ごした5年間です。そう簡単には「はい、さよなら」といきませんでした。
指導員の吉村さんが前日、「館長、公民館って出会いなんですね」としみじみ言いました。この何日間か、いろんな方がお別れに来てくれました。それを見ての言葉だそうだが、なんとも素晴らしい今の自分にぴったりの言葉をもらったなと思いました。とにかくろいろ言うと思いがかすんでいきそうです。様々な出会いとその出会いを与えてくれた公民館長という仕事に乾杯!
110330 筑後柳川 2
「さげもん」を見たいというのが今回の柳川訪問の理由である。が、もう一つ理由はあった。ちょっと照れくさいので佐藤さんには言わなかった。ここに「北原白秋詩集」(新潮社文庫、昭和31年1月25日12版、定価70円)がある。31年とあるからおそらく古本だろう。その時ハイネ詩集も買って、今も本棚のどこかにあるはずだ。ちょうどそんなちょっとカッコつける年頃である。
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その本の中で今でも心に残っているのが、「邪宗門」の『われは思ふ、末世の邪宗、切支丹でうすの魔法』と「思ひ出」の自序にある『私の郷里柳河は水郷である。さうして静かな廃市の一つである』の二つのフレーズである。「邪宗門」ではなんとも官能的な言葉の魔法に夢中になってしまった。そして、「思ひ出」では廃市水郷柳川への強い憧れが残ったのである。
110327 大震災に思う 3
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| 新聞の写真を一度カメラで撮影し、パソコンに取り込みました。 どうしてもこの画が頭から消えません。 |
今度の震災は、その規模、その被害、その悲惨さ、いずれをとっても桁違いである。毎日まいにちほとんど一日中テレビは震災関連の報道一色である。新聞もまた然り。その報道量は未曾有のものとなった。
そうした中、14日の朝日新聞の一面に載った映像がどうしても心から離れません。場所は、宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区。周りは瓦礫で覆われ、遠くには津波で壊されてしまった建物の残骸がかすんで見える道路の上に、若い女性が座り込んで涙を流している。この映像の中に全ての悲しみ、全ての苦しみが凝縮されているように思えた。
いつだったか、海外でこの震災がどのように報道されているかという番組があった。たしか英国のBBCだったと思う。その番組の中でこの写真が映し出されていた。自分にこの写真に思い入れがあったからかもしれないが、その時、「あっ、これだ!これがこの震災の全てを映し出す1枚なんだ」と分かった。
110325 大震災に思う 2
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| 安曇野通信より 何ときれいな霧氷か!3月でもまだ見ることができるとは。 |
もう一つ言葉について書いてみよう。言葉というよりもその言葉が繰り返されることへの私の個人的な嫌悪感である。
「こころ」はだれにも見えないけれど、「こころづかい」は見える。
「思い」は見えないけれど、「思いやり」は誰にでも見える。
これは大震災が起きて以来、テレビで繰り返し繰り返し未だに聞かされている言葉である。1週間はどのテレビ局もコマーシャルを自粛してきた。その代わりがこれを始めとするいくつかのCM(?)である。
始めのうちは言葉自体も素晴らしいし、こういった状況にはぴったりだと好意を持って見ていたのだが、毎日まいにち、そして、どうかすると続けて映されると、「しつこいよ、もういいよ!」と思うようになってしまった。ついには、この映像の後に出る「AC」という文字と「エーシー」という音までが癇に障るようになった。
こんなふうに思う私の方がおかしいのではと反省したくなるのだが、どんなにいいことで繰り返し言われると、つまり強制されると中身まで胡散臭さを感じてしまうのだがどうだろう。
同じものに、
38歳の時、子宮頸がんを発病しました。
娘には同じ思いをさせたくなかったから
ず~と一緒に検診を受けています。
というのがある。我が家ではこちらの方が評判が悪い。





















