120909 大楠紀行9(昼食)

 川古から武雄市内に移動する途中で洒落たレストランを見つけていたのでわざわざそこまで戻る。この頃、どこでもいいやでなく、こうしたところで食べましょうと思うように二人ともなった。臼杵あたりから変わってきたようだ。進歩である。
 いかにもこだわりのお店といった雰囲気で、すべてが個室になっている。佐藤さんとなんだから個室でなくて全然いいのだが、まあ気兼ねなく話はできる。今日のお任せランチはハンバーグ。ふつう食べることはないので美味しく頂いた。 
 さあ、午後は福岡県は宇美町。宇美八幡宮の大楠が目的である。

120905 4歳5ヶ月

前回のブログはこのブログに付いていたものだったのに、書き始めると4枚の写真だけでも1回のブログになるじゃないかとつい思い、2回になるとともに順番までおかしくなってしまう。いまさら作り直すのも面倒とそのままにする。

 

 「4歳5ヶ月」-年齢?それとも魔法の言葉?
 8月20日、東京の娘が孫を連れて帰ってきた。帰ったのは30日。この10日間は孫のためにあった。昨年はまだ幼くて元気はいいが言葉も少なかったが、今年はよくしゃべる。いろんな名言(?)を残したが、もっとも印象に残ったのは「4歳5ヶ月」である。
 これを上手く利用したのが連れ合いだ。泣きそうになった時、シャワーで湯が顔(これを一番嫌がるという話だった)にかかった時、おかずを残しそうになった時、「〇〇くん、何歳?」という。かれは元気よく「4歳5ヶ月!」と答える。かれの中では「4歳」ではなく「5ヶ月」というのが大きな意味を持っているようだ。それがエネルギーになって泣くのをがまんするし、シャワーもなんとかガマンできたし、ご飯も完食。なんとも便利な言葉である。来年は「5歳5ヶ月」。魔法の言葉となるか。それとも魔法が必要でなくなっているか。

120902 〇〇くん

   
かれの役目は「りん」を鳴らすこととろうそくの火を消すこと。  土曜日、母親と祖母は博多までコンサートに行く。後を追うでもなし、夜になっても寂しがるでもない。ひょっとして私が面倒を見てもらっていたのかも。 

 

   
昨年は「うみたまご」。今年は「到津の森公園」へ。とにかく乗り物に乗せておけばゴキゲン。  前日熱を出したので小倉駅で新幹線に乗るまで見送る。乗り換えにわずか9分しかないので遅れないように急いでいたらゆっくり別れを惜しむ間もなかった。 

5

120831 大楠紀行8(塚崎の大楠3)

   

 大楠までのわずかな距離だが、登りは急である。そうすると視線はどうしても下を向いてしまう。視線の先にカタツムリを見つけた。佐藤さんは、この頃カタツムリを見ることが少なくなりましたねと言う。その言い方が先ほどの「虫捕りに夢中になる子どもが少なくなりましたね」とそっくりである。
 目を近づけるとそのカタツムリの背中に妙なものが付いている。ハエである。家蝿とは違うようだが確かにハエだ。疲れたからとタクシー代わりに使っているわけでもなさそうだし、カタツムリの方も迷惑がっているようでもない。この関係はいったい何なんだろう。
 誰かに踏み潰されてもかわいそうなので、つまんで脇にどける。それでもハエは動かない。見ている(暇だね)とかすかにだが動いてはいる。

120826 大楠紀行7(塚崎の大楠2)

   

 幹周り13.6m。高さ18メートル。根回り38m。昭和38年に落雷で主幹の9m以上が失われたという。その根回りの大きさからするとかつては雄大な姿だったと想像できる。上部がなく、洞のできた姿からまだ見たことはないが屋久島のウイルソン株に例えられるそうだ。その洞の中から見上げると、空の姿も木の肌も違った形で見える。
 それにしてもこれだけの巨樹が、それも3本も市街地にあるというのは珍しい。これらの巨樹たちが生まれた3000年前のことは想像の外にあるが、思うだけで心がときめいてくる。当時の人々はこうした巨樹をどんな思いで眺めていたのだろう。

 途中で「同窓会」の話を優先したことで大楠紀行が半分で途切れてしまい、やっと元に戻すことができました。話は全く違った内容になりますが、ニックネーム「遊ぶ人」が誰なのかずっと気になっていました。普段は誰かなと思ってもそれを追求しないのがこうした時のエチケットだと思っていたのですが・・・・。私にとって「遊び人(あえてこう呼びます)」と呼べる人は一人だけです。遊びに出かけたままとうとう帰ってこなかった人です。彼かなと思う根拠は「7月29日の「リバーウォークサーカス3」でのコメントです。「チャップリンもクラウンのことを描いていた」と書いていたことです。遊び人もたしかこうした映画の話が大好きだったからです。
 もしそうだったら、また写真を送ってくれないかな?!

120822 35年ぶりの同窓会3

夏水仙の花の中にもぐりこんでいました。

 

 古典の学習では、奥の細道、徒然草、方丈記、枕草子の冒頭を二つ以上暗記することを課題にした。これは中学校にいる間ずっと続ける。だから、shalalanさんではないが「何を習ったかほとんど記憶に残っていない」が、古典の暗唱を未だにできる生徒は多い。そして、同窓会に呼ばれるたびにマツバくんではないが、私の前で暗唱大会が始まる。いずれにしろ授業の内容なんて残るはずないんだから、このやり方は正解だったと自慢できる。授業でパスできなかった生徒は自信がついたら職員室にやってきて他の先生のいるところで合格するまでやらされた。何てイヤミな教師だったんだろう。
 「静かに怒る先生がとても怖かった」とは、静かで、穏やかで、気配りのケンと呼ばれた(?)私としてはどう解釈していいのやら。たしかに大声を出して怒るタイプではない。くどくど叱るのも嫌いだから手っ取り早く罰(耳回し・ブタ握り・ケツバットから)を選ばせて早めに終わらせていました。だから扱い易い教師だったと思うんだけど、shalalanさん、どうでしょう?

120820 35年ぶりの同窓会2

庭の草をとっているとカエルがあっちこっちからやってくる。あいさつではないからひょっとして私の動きがエモノ(虫)の動きと思ったのではないだろうか。

 

 shalalanさんのコメントの中に「何を習ったか、ほとんど記憶に残っていないけれど、朗読していた声が今も思い出されます。静かに怒る先生がとても怖かった生徒です」とある。他の生徒にも、それも何人にも同じことを言われた。その当時の国語の教科書に井伏鱒二の「山椒魚」があった。それを私が朗読したそうで、冒頭の部分「山椒魚は悲しんだ」が特に印象に残っているのだと言う。よっぽどカッコウ付けて読んだんだろうな。「ほとんど記憶に残っていない」にしては何人もの人たちの記憶に残っているなんて、なんて幸せな教師人生なんだろう。
 記憶に残っているということがもう一つあった。「先生に習った古典の暗唱、今でもできるで」と言いながら「ツキヒハハクタイノカカクニシテ、ユキコウトシモマタタビビトナリ」と始める松葉くん。隣では「行く川の流れは絶えずして、しかも本の水にあらず」と、ごめん!名前を思い出せない。(つづく)

120818 35年ぶりの同窓会で

夜に撮ってみた「夏水仙」です。

こんにちは!35年ぶり(注1)にみんなに会うことができました。佐伯から帰ってきて下毛郡(注2)での初めての学校が耶馬渓中学校でした。その時みなさんは3年生でした。だからわずか1年だけの触れ合いでしたが、思い出に残る学年でした。今日の幹事の中島くんには会うたびに「なんで同窓会をしないんだ」と文句ばかり言っていたので、ホントに今日という日が楽しみでした。
これまでの35年間にはいろんなことがありました。50になる前には生きるか死ぬかの大病もしました。いまでは病気の前より元気になり、年に2回は久住に登る仲間もできました。だから、今ここにこうして立てて、みんなに会うことができたことに感謝しなければとつくづく思っています。
恩師あいさつも長くなると嫌われます(注3)。それではこの後の時間を楽しみたいと思います。

(注1)実際は15年前にも同窓会はあったし、私も出席したそうです。中島くんにあとで言われて愕然としました。
(注2)大学の友だちに「下毛」にある中学校に転勤したと連絡したら、「お前にぴったりのところに行ったな」といわれてしまいました。九州校長会の鹿児島大会の時、佐多岬での昼食会場の看板に書かれていた「下毛郡校長会御一行様」に誰がいたずらしたのか「したげ」とフリガナが打たれていました。
(注3)私の前の恩師あいさつが長くてながくて正直うんざりしたので、俺はすっきりしたあいさつにするぞと張り切りました。もちろん、実際にはこんなに短くもすっきりとしたものでもありません。