090821 帰ってうれしい?・・・・・・


 春に約束したグローブ。休みのたびに公園まで出かけ、暑い中で野球をする。

 今夜は、いつも歩く距離がどうしてもきつくて、とうとう半分ほどの距離で引き返してしまった。いつもは文句を言う連れ合いも今回だけは何も言わずに引き返した。それだけ疲れていたということか。二人の孫が昨日、今日と、一度に帰っていった。その反動からか、二人とも疲れがどっと出てしまったようだ

 香港の孫は、直行便がなくなってからは朝(?)の3時に起きて、4時前には家を出て福岡空港まで送っていくようになった。4月の時は、空港に着いたのが6時前で、空港の玄関が閉まっていて入れずに、外で待っていた。今回は、気持ち遅く、4時10分に家を出た。孫と連れ合いは後部座席で寝ており、娘と取り留めのない話をしながら運転をする。

 幼い頃はあっさりと(こちらにはそう見えていたのだが)搭乗口のゲートを通り抜けていた彼だったが、この頃は別れるのが辛いのか、いつまでも振り返りふりかえり、手を振るようになった。今までは私もできるだけあっさりとしてきたはずなのに、今回はなぜかそれも上手くいかない。とうとう彼を呼び寄せてハグ(「抱いて」とは言えないのでつい格好をつけてしまった)してしまった。彼の方もびっくりしていたようだが、そんな私に一番驚いているのは私の方だった。

 見送った後、「阿修羅展」に行くはずが、あまりに早い時間なのでそのまま家に帰ってしまった。疲れが出たのか、この頃全く記憶のない昼寝をしてしまった。2階の書庫の隣にある畳の部屋で、気持ちのよい風に誘われて、吸い込まれるように・・・

 今日は下の孫。夜中に何度も夜泣きをして、その声でとうとう眠れなくなってしまった。昼寝のせいもあったかな。しかし、こちらは北九州空港。ゆっくりと出かけられので助かった。この子は現在1歳と5ヶ月。なにをしても可愛い盛り。二人とも6日に帰ってきて2週間。それなりにお相手をしてきたので疲れが溜まっていた。普段は夫婦二人の静かな(?)生活なのでそのギャップに戸惑う。「来てうれしい」が、たしかに「帰って」もうれしいはずなのに、なぜかさみしくもある。今晩は二人ともほとんど口を利かずに歩いている。疲れだけではなさそうだ。

090818 ビバ!ブログ


〔 安曇野通信 7 〕
 100m前方の私の車の前を黒い子犬がうろうろしている。丁度バトラー(12月に死んだ愛犬)の子犬の頃の感じで可愛らしい。ところが、よく見るとなんと小熊だ。

 今月の3日の新聞の一面に「万引きした高齢者/「孤独で」24%」とあった。中を読むと「万引きした高齢者の40%は独り暮らしで、53%は「友人がいない」と回答。孤立した生活実態が背景にあることが浮き彫りになった」とある。前から、そういう話は少しずつ聞いてはいた。たしかテレビでも特集があったはず。

 65まであと1年とちょっと。「孤独で」とか「生きがいがない」なんて言わなくていいように何かを見つけなくては、とよく考える。友達の中には、念願の安曇野に移り住んで、山登りにスキー、渓流釣りetcと充実した毎日を送っている人もいる。動けるのは70までと思い定めて、毎週のように臼杵や米水津まで獲物を求めて通いつめている漁師のような友もいる。自分も何かを・・・・と思い続けていた時、この「ブログ」に出会うことが出来た。

 そのおかげで毎日が充実している。今までただ漫然と見過ごしていたようなことも、鵜の目鷹の目でこれはブログの材料になるのではないかと考える。題材が見つかったら、これをどう表現するか。どう料理したら美味しくなるかを考える。それも独り善がりではなく、どう書いたら見てくれる人が喜んでくれるかを考える。文章だけでは自分でもうんざりする。それを避けるためにどんな写真を載せようかと考える。それもこれまでは単にAUTOで撮っていたのに、露出も勉強した方がいいのではなどといっぱしのことを考える。こんなに「考える」ことに囲まれた生活はいつ以来だろう。これではボケる暇もないかもしれない。

 それに何より、これを通していろんな人とつながりを持てるようになったということ。そして、再会できた人がいるということ。

090816 鬼平犯科帳

〔 キバナヤマオダマキ 〕 〔 ビーナスの丘 〕

 夏休みに入ると、
昔は夏休みは休みでした。というと語弊があるが、今でこそ夏休みも勤務時間のうちなどといわれているが、勤めている私たちはあまりそういう感覚は持っていなかった。本来感覚の問題ではないのであるが、目の前に子どもたちがいないものだから、つい休みのように思ってしまっていたのである。これは私たちだけではなく、ずっとずっと昔からそうで、当たり前のような感覚でした。それで、例えば部活の時間に合わせて学校に出かけて(出勤という感覚はなかった)ていたりした。優雅というかのんびりというか、個人的には、古き良き時代だったと思う。

 決まって読んでいた本がある。まるで約束事のように休みになればこの本を読むんだ・・・・と。それは、池波正太郎の「鬼平犯科帳」と「剣客商売」である。「鬼平」はそれまでの捕り物帳とは全く違った、チームワークを生かした警察小説といっていいものである。せりふを上手く生かしたスピード感溢れる展開も目新しかったし、タイトルの「犯科帳」を筆頭に「急ぎ働き」や「盗みの三か条」などの言葉も斬新だった。なによりも作品の基調に流れる「善事を行いつつ、知らぬうちに悪事をやってのける。悪事をはたらきつつ、知らず識らず善事をたのしむ。これが人間だ」という池波の人生観がふと落ちて心地よかった。

 「鬼平」-25巻180話。「剣客商売」-番外編「黒白」と「ないしょないしょ」を入れて18冊112話。これをひと夏で読み上げ、それを何年繰り返しただろう。どうかするとその上に「仕掛人・藤枝梅安」シリーズが入った年もあった。同じ頃、司馬遼太郎の本も集めた。好きな作家だったが、そう何度も読み返そうという気にはなれない。それが池波正太郎の本となるとどうしてなのだろう。いろいろ理由はあるのだろうけど、この理由で、と意識したことはなかった。まあ、どちらにしても同じ本を繰り返し読んだので、本代が安くてよかったのはたしかだ

 その習慣も教頭になったころからいつの間にかなくなってしまった。その上に60歳を超えると、ずっと読み続けるということが困難になってきた。視力も落ちたし、なにより気力がなくなった。しかし、時間だけはたっぷりとある。また、2階の畳の小部屋で、クーラーもなく、吹き抜けていく風の中で、それも寝転んで「鬼平」を読んでみよう。

090814 岩藤千晴(1)


〔  常念岳  〕

 私の数少ない親しく付き合っている友だちの中で、「安曇野」に移り住んだ人がいる。名前を「岩藤千晴」という。タイトルをどうしようかと迷ったが、この名前しか思いつかなかった。実名を出すことにもほんの少しためらいがあったけど、なぜか実名でなければ意味がないと勝手に思ってしまい、許可もなくつけてしまった。

 彼は、昔から退職したら1年間は長野に家を借りて、とにかく山に登り続けてやると言い続けてきた。退職してそのまま「耶馬溪風物館」に勤め始めたが、会うたびに「嫌だ、いやだ。ここは俺のいる場所ではない。長野に行きたい」と言っていた。

 その彼に「長野に行くことにした」と打ち明けられたのは歓送迎会の席だった。「行ったらああしたい、こうしたい」と、まるで子どもが夢を語るみたいに張り切っていたのを思い出す。出発の前、我が家にやってきて、これから出発するが、中津の家に咲いていた八重のドクダミを持ってきたのでどこかに植えておいてくれ、とぶっきらぼうに置いていった。まるで形見のようで、ちょっとしんみりとなったものだ。そのドクダミはそれ以来我が家の土になじんだのか(ドクダミは強くて場所を選ばないよという声もあるが)、どんどん広がって時期になると可憐な白い花を咲かせている。我が家を訪れる人に人気で、いろんな御うちに嫁いでいる。またその時期になったら写真で紹介しよう。

 住んだのは長野でも「安曇野」というところ。名前がいい。古代の海の民、「安曇氏」に関係する地名だと思うが、言葉の響きだけでロマンを感じてしまう。いかにもいつまでもロマンを求める、いかにも子どものように遊び心いっぱいの彼が選びそうなところだと勝手に思ってしまう。おそらく、そんなことは考えたこともない、たまたまだよ、と少し照れながら言いそうな彼の顔が浮かぶ。

 それ以来、たくさんの花や山の写真を送ってくれている。パソコンの中にはもう何百枚とたまっているはず。その彼が先ず最初に電話で話したのは、その花や山のことではなく、「ここは、湿気が少ないので過しやすい。最もうれしいのは『蚊』がいないことだ」ということだった。中津の粘りつく夏の蒸し暑さと夕方になると大群となって突進してくる蚊に悩まされてきた彼にとっては、なによりの幸せだと思う。と同時に、いまだに蒸し暑さで寝苦しい夜を過し、夕方の花の水遣りの時作業着の上からも蚊に刺されて閉口しているこちらとしたら、うらやましいを通り越して腹立たしさを覚えてしまう。その思いを知ってか知らずか、先日の電話では、「食事のあと、家内と二人でテラスに出て、ひんやりとした空気の中で、目の前の常念岳に沈む夕陽を眺めながら、紅茶を飲んでいる」と言ってきた。もう腹立たしさを通り越して「あ~あ」である。                                                        《 続く 》

090813 さくら草はいらんかえ!

6月23日 種まき

3週間後

取り出した苗

1回目の移植

昨年、公民館の生きがい教室(文化の森大学)の講座の一つとして、9月に園芸講座「さくら草を植えよう」を実施した。1回だけの講座なので、講師の井上南部公民館長が育てた苗を鉢に植え替えるだけでした。それが好評で、今年は講座ではなく、独立した教室として年3回の「さくら草クラブ」を立ち上げた。4月の呼びかけたところ15名の希望がありました。
第1回目は6月23日。この日は、まずさくら草についての講義があり、そのあと先生が用意してくれたさくら草の種を鉢に蒔いた。一人ひとりに赤と白の種を用意してくれていたのだが、始めて見るものだからそのあまりの小ささに、あまりの軽さにみんなびっくりしていました。うっかりすると鼻息で飛んでいってしまいそう。それでもなんとか均等に蒔くことができました。
第2回目は7月28日。今回は、鉢の中で育った小さな苗を育苗箱に移し変える作業。先生から繰り返しくりかえし注意されたのは、とにかく根を痛めないこと。生まれたばかりの苗だからその根は非常に繊細なので、土から取り出す時には優しくやさしく扱うこと。このことでした。何とか全員植え替えることができたけど、たしかに細いほそい、か細い根でした。それでも苗が2cmなのに、その下の根の部分が8cmも伸びているのもありました。生命力のたくましさを感じました。
第3回目は9月にあります。育った苗をビニールポットにもう一度植え替えます。育苗箱の苗はみなさん順調に育っているようです。この暑さですから、水を切らさないように注意しています。一応赤と白に分けていますが、実際には入り混じっているそうです。ある程度成長すると、赤は茎の部分に赤みが出てくるので判別できるということですので楽しみです。
それはそうと、「苗はいりませんか?」。このままいけば200本くらいの苗ができそうです。公民館と家と、予約の人をいれてもずいぶん余ります。プランターに3本が目安です。連絡してくれたらポットに植え替えて、ある程度成長したらお譲りします。

090809 寺町とうろう祭り

赤壁の合元寺 和 傘

暗い中で、眼鏡もつけずに操作したため、モードを間違えたようだ、と言い訳。

今年初めて「寺町とうろう祭り」に出かけた。ウォーキングに出たのは7時半。やっと暗くなり始め
た頃だ。途中で急に振り返り、「今日はとうろう祭りの日」だという。だったら行こう、ということになっ
た。そのまま引き返し、カメラを取ってくる。夜間撮影はあまり経験がないので自信はなかっ
たのだが、案の定いい写真は撮れませんでした。まあ何事も経験。
ここ何年か、寺町は折角の古い町並みを生かそうととうろう祭りを始めた。ということは聞いていた
のだが、これまく行く気は全くなかった。それがなぜ変わったのか。そう、それもブログのため。今では何事もブログ。ブログに載せるネタ探しで鵜目鷹の目。何か変わったことがあるとすぐに飛びつく。入れ食いというか、ダボハゼというべきか。 中津商業の正門前を通り、豊後町から左に曲がって寺町へ。曲がるとずーっと道の両側にとうろうが灯っている。そのとうろうの中を歩く人が思った以上に多い。浴衣を着た若い女性から夫婦連れ。孫たちを連れたおばあちゃんから若い外国の人たちまで。さまざまな人で、所によっては道いっぱいに溢れるほどで、通り抜けるのも大変な場所もある。こんなに多いとは。こんなにも市民に支持されているのなら、もう少し「とうろう」も工夫して欲しい。ちょっとした工夫でもっと「とうろう祭り」の名前にふさわしい、魅力的な灯りが生まれると思うのだがどうだろう。
今日は全てのお寺が開放されていて、お参りをする人でごった返している。西蓮寺から浄安寺、円龍寺・円応寺・・・・合元寺に明蓮寺。寺町というだけあってお寺の多いこと。この小さな通り沿いに12ものお寺がひしめいている。西蓮寺では若いお坊さんたちのコンサートが境内で行われていた。すごく優しい甘い声で、若い女性の人気はすごいだろうなと思う。合元寺は赤壁で知られているだけあってカメラマンがいっぱい。私も撮ってみたが、どうもパッとしない。
帰り、「朱夏(新しくできた食事処らしい)」の隣の空き地に、いっぱいのとうろう(ひょっとして文字か何かの意匠がデザインされているのかもしれないが、歩く目線では何かは分からない)と和傘が展示されていた。昔使っていた番傘なんかとは違って、色も柄もあざやかで、暗闇の中で灯りに浮かび上がる様は幻想的でもある。昔、中津には和傘作りで有名な人がいたが、ずいぶん前の話。とすれば、この和傘は誰が作ったものだろう。知ってる人がいたら教えてくれませんか?

090809 弱肉強食はたまたグルメ

毎朝蝉の声で起こされる。今年は少ないのではなんて言っていたのだが、やはり夏はなつ!
ものすごい鳴き声で叩き起こされる。この家で育ったはずの娘たちもびっくりしてしてしまい、こ
んなに凄かったかなと呆れてしまっている。
上の写真は生垣で繰り広げられた生存競争のドラマ。わずか10分ほどの時間で繰り広げら
れた。以前切り取った、勝手に生えた木の枝が枯れてきたので燃やしやすいように短く切って
いた時のこと。上でバタバタ音がするので見上げると、セミがクモの巣に引っかかっている。す
ぐに大きなクモがやってきた。そしてあっという間に糸でがんじがらめ。これでもかというくらい厳
重に。一度どこかに行ったクモはすぐに帰ってきて、今度はゆっくりとセミの体液を吸いはじめた。
けっこう我が家の庭ではこうしたドラマが繰り広げられている。
たっくんを呼んでこのドラマを見せようとしたのだが、怖がって寄り付かない。こういうことこそ大
切なことだ、子どもは興味を持つものだと思うことも一方的な思い込みか?

090807 舞姫

〔 安曇野通信4 〕

山の雪解けと共に雪形が現れる。雪形ウォツチングツアーも開催されている。・・・中略・・・誰が名付   けたのか、なるほどと感心する。舞姫は槍ヶ岳の横の中岳に現れる。来年も彼女の舞姿を見に6時間かけて登るか。

こんなにくっきりと舞姫の姿が現れるものなんですね。凄く色っぽく見えたのはどうしてでしょう。
昔、むかし、中学校で国語を教えていた時に、この雪形の話と同じものが教材として載っていました。それは春になると、「跳ね馬」や「種まき男」の姿が浮かんでくるというものでした。たしか、少年が夜、外の暗闇の中を馬が走り去る音(子どもたちと話し合う中で、その音はおそらく雪崩の音だろうとなりました)を聞いて、翌朝、目の前の山肌に「馬」が跳ねる姿を見た、という話でした。
大好きな教材の一つで、教科書からその教材がなくなってもプリントして使っていました。その授業のあとに「私の春の足音」を探して書いてみよう、と発展教材にしたことがあります。思い出した。たしかその授業の内容と子どもたちの作文(春の足音)とで、「学級だより」を作ったはずです。いま、書庫に行って掻き回してきたのですが、どうしてもその原稿が見つかりません。 冬のあいだ、雪に閉ざされた人々の春を待ちわびる思いをなんとか伝えようと四苦八苦したものです。そういう経験のない私がいくら言葉で言っても迫力ないですね。あなたの写真で一気にあの時のことが思い出されました。感謝、かんしゃ!

そうだ、これもブログに使えそう! ということで、メールの返事をそのまま使わせてもらいます。ネットで「雪形 舞姫」で検索したら凄い数の雪形が出てきました。教材の中に出てきた雪形は、妙高山の「跳ね馬」と南羽山の「種まき男」と判明しました。