090915 彼岸花

彼岸花の写真の中で一番気に入っているもの

秋空と彼岸花

長安寺の白い彼岸花

彼岸花と戯れる2匹の蝶

若宮八幡の彼岸花

 月に一度、町内の地区公民館を巡回している。まず屋形に行き、山の中を通って東谷へ。東谷から、また、山道を通って西谷へ。とにかく山から山へである。その山道で見かけた彼岸花が、今はもう里まで降りてきていて、田圃の畦に赤く群れています。此花は昨日まで全く見えていなかったのに、唐突に地面から燃え上がるように立ち上がります。

 白い彼岸花が咲いているということを聞き、何年か前、国東の長安寺までわざわざ出かけました。たしかに沢山の白い彼岸花が咲いてはいたが、なぜかすっきりしません。やはり彼岸花は赤でないと。それぞれが持つ固有(ふさわしい)の色があるようです。冴えた青い空と緑の田圃の広がりの中では、赤が目立ちます。周りの色ときっぱりと色を分けて、華麗に天に伸びていきます。

 学校帰りの小学生が数人、棒切れでこの花をたたいています。赤い花が当たり一面に飛び散って、血の色のように見える。時代は違っても子どもは子ども。同じことをやってるな、と。曼珠沙華あれば必ず鞭打たれ(虚子)

 幼い頃、私たちは墓地を格好の遊び場にしていました。今は拓けてしまって、まわりは駐車場になっていて、あっけらかんとしています。その頃は田圃の中にぽつんと置き忘れられた状態で、子どもたちにとってはちょっとした別世界でした。ちょっぴり怖かったが、男の子たちは不思議とそこに集まってきた。そして、思い出すのは「彼岸花」とその赤い色。

090912 岩藤千晴(3)粋な師匠

エゾナデシコ マツムシソウ

13・14・15日、上京。人混みと蒸し暑さにうんざりして帰ってきました。安曇野の風の爽やかさを改めて実感。< 中略 > ヤナギランの草紅葉、ハクサンフウロウ、ハナイカリ等々の花も咲いて、気温16℃の高原を満喫。
これは、昨年のメール。

 

 はじめて岩藤氏と出会ったのは、私が36の時だったと思う。なぜ覚えているかというと、その時、私の勤務していた下毛郡(もうこの地名もなくなった)の図書館部会が県大会の当番に当たっていて、ちょうどいい年齢だからと、半ば強制的に事務局をさせられた年だったからである。彼もいたのだが、大阪から帰ってきたばかりであまり知られていなかったのと、反対に私は実権を握っていたおばちゃん先生たちとは、同じ学校に勤務したりして知られていたので、「健三さん、あんたがやり!」の一言で決められてしまった。あとで、彼が私よりひとつ年上ということが分かって悔しがったものだ。

 その後は、中学校と小学校と勤務が違っていたので、接点はなかったが、40の年から4年間、組合の執行委員をやった時、彼と一緒になり、ふたりで教文を担当したのをきっかけに仲良くなった。その当時は、二人ともタバコは吸うが、飲みごとはとんと苦手で、飲み会にいてもいつも二人で何とか逃げ出すことはできないかと策を練っていた方だし、とにかく群れるということを嫌っていた。こんな二人がなぜ気があったのか。家内に言わせると、「あんたは変わった人と仲良くなる特技がある」そうだ。

 教文担当の執行委員として教組教研の世話をしていた時のこと、彼との会話の中で二つのことが、未だに忘れられずに残っている。

 ひとつは、「落葉松」の話。九州ではほとんど見ることができないが、むかしアルプスで見た落葉松の美しさは忘れることができない。新芽の時(と言ったと思う)、落葉松林に入り、下から見上げた時の、あのきらきら輝く葉の美しさは例えようもない。あの姿をもう一度見るのがおれの夢なんだ、と。前にも書いたが、そういう話をする時の彼の表情は、分別のあるおっさんの顔ではなく、子どもが自分の宝物について語るような表情をしていた。

 もうひとつは、「杜鵑」。鳥は知っていたのですが、その時までそんな植物があることも知らなかった。名前はもちろんのこと。湯布院の町まで二次会のお酒を買出しに行った時のことだった。道路沿いの家の軒下にあったその草を見て、「これは杜鵑。花の咲く時期に沢山の斑点が出てくるが、その斑点が粋で、好きな花のひとつだ」と。覚えていますか?斑点が「粋」だと言いました。その言葉が妙に印象に残って、それ以来、庭のあちこちに植えてみました。

 私にとって彼は、植物についての師匠になりました。

090908 白露

 白露にふさわしい写真がないので、「八重のどくだみ」で代用します。ちょうど、ある方にどくだみの絵を送るついでがありました。このどくだみはほんのりと赤い色が浮き出てきます。貝殻に入った紅を小指の先にのせて、花びらに映したようだといったら、笑われました。

 9月8日、暦では「白露」。歳時記をひらくと、「二十四気の一、陰暦八月の節で・・・・・陰気ようやく重なり、露凝って白き意である」とある。中国の秦の時代に作られた24節気というものがある。1年を24の季節に分け、およそ15日間の節気ごとに2字の名前をつけたもので、日本にも輸入され、今日でも使われている。立春、夏至、大寒など、今日でも親しまれている。

 盆トンボが群れをなして飛び回っていたのがつい先ごろ。いつの間にかいなくなったと思うと、季節はすでに仲秋に入っている。そういえば、夜、畦道を歩くと、足元が夜露でびっしょりになっている。「白露」。それにしてもなんという美しい言葉だろう。「蜘蛛の井の穂草をつづる白露かな」。

 秋を色で表すと、何色がふさわしいか。人それぞれに自分なりの色を持っているでしょうが、私はやはり「白」です。純粋、清らかさ、爽やかさ、無垢、はかなさ、涼しさ・・・・いろんな言葉が浮かんできます。それらをトータルした季節はやはり秋。そういえば、言葉の魔王とまで言われたのは北原白秋。彼の号「白秋」はどうして生まれたのか。

 季節の移り変わりほど面白いものはない。夏の暑苦しい濁った空気を、秋の爽やかな空気が少しずつ押しのけ、やがて澄み切った空気が大地を満たすようになる。「夏果てて秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気をもよほし、夏よりすでに秋はかよひ」といったのはたしか兼好法師。季節は「目にはさやかに見えねども」確実に動いています。夜、歩きに出ると、まだまだ明るかったはずが、もうすっかり暗くなってしまっている。つるべ落としの秋の夕暮れがすぐにやってきます。

090905 くろいちょう

公民館で仲良しになった斉藤テルさんにいただいた。木の下に吊るしておけば、あとは放っておいても大丈夫と聞いて、さっそく銅線を買ってきて吊るしてみた。写真を撮りにいったら、いつの間にか白い可愛い花が咲いていた。

黒い蝶といえば、孫も庭の中で見ている。「おーちゃん、くろい大きなちょうが飛んでいるよ」。そして、ただじっと見ているだけだった。たしかに大きな蝶がゆったりと飛んでいる姿は、子どもだけでなく、かつては子どもであった大人をも魅了する力がある。
ところが、かつての子どもたちは、ただ見ているだけでは我慢できず、なんとかそれを捕らえようとする。そっと近づき、うまく捕らえ、蝶の震える感触を感じた時の喜びは、うまくは言えないけれど、ヘッセの「少年の日の思い出」に出てくる、あの少年の思いと同じものだった。
今はどうか。蝶を捕ってはかわいそう。死んでしまうよ、である。たしかに、捕らえられた蝶のほとんどは(いや、全部か!)死んでしまう。そして、すぐに忘れられてしまう。しかし、美しいものを見た時、それに触れたくなる感情を抑えてしまうことがいいことなのか。触れてみて、極端に言えば、殺してみて、はじめて美しさを実感できると思う。眺めるだけでは、アゲハチョウという名前を知ることもなく、ただ「くろいちょう」が飛んでいるだけになってしまう。
学生時代(遥か、はるか遠くになってしまったなあ)、わが町にもたくさんの映画館があった。その中に洋画だけを上映する映画館があった。あるアーケードの奥にあった、小さな映画館だった。入場料は20円位だったような気がするが、だれか覚えていますか?そこでいったいどれだけの映画を見たことか。「理由なき反抗」のジェームス・ディーン。「暴力教室」には、コンバットのヴィック・モローが新人で出ていた。。「夜の大捜査線」のシドニー・ポアティエ・・・・
映画が文化であった時代である。その時見た映画の中で、「西部戦線異状なし」のラストシーンが心にしみた。若い兵士が塹壕から身を乗り出して、小さな白い蝶に手を伸ばす。そこに一発の銃声。彼の捕まえようとした白い蝶は、いったいなんだったんだろう。

090902 一番わがままなのは・・・


訂正があります。この写真の花が「ツリガネニンジン」で、前に掲載した花は「ツリガネツツジ」だそうです。お詫びして訂正します。写真をクリックしますと、拡大されます。

 選挙が終わって2日が経つ。こういう選挙(政権交代をうたった)は初めてだし、これほどの結果が出た歴史的な選挙をじかに肌で体験して、興奮未だ冷めやらず、である。しかし、ある面では面白くもなかった選挙であった。たしかに、民主党が300議席を超えようという現実は驚きだったし、そして、小沢ガールズたちが自民党の大物、、お年寄りを追い詰めていくというスリルはあったのだが、そうなるだろうという予想は早くからあったし、その予想通りになったのだから、当然といえば当然の結果。 

 落選した人の中で一番楽しい(というか、あほらしい)コメントを残したのは、福岡3区で見事落選した太田誠一氏。敗戦を問う報道陣に、「我々に対する拒絶反応は選挙中に感じなかった。なぜこうなったのか。分からない私が問題なのだろう」ととまどいを見せたそうだが、その言葉のほうに「とまどい」を覚える。この人は、たしか、集団強姦した若者たちを、そのくらいの元気があったほうがいい、とか発言して、大臣を辞任(結果的には辞めさせられた)した人だ。こういう人がこれまで何度も当選して、農水大臣になっていたという自民党の現実の方が問題ではなったか。

 それにしても、国民も、よくぞここまでみごとに自民党を滅多打ちにしたものだと思う。しかし、考えてみれば、戦後、半世紀もの長期政権(いえば一党独裁ではなかったか)を許したのはだれだったのだろう。だれがみたっておかしい、派閥政治と官僚依存政治とむだのはびこる政治を見過ごしてきたのはだれだったのか。簡単に政権を投げ出す首相(国のリーダーですよ)を抱え(それも2代続けて)、その首相だった人がしゃーしゃーとでしゃばってくるのを許してきたのは、だれだったのだろう。

 議員だって、選挙で選ばれなければなれないのだから、選んだ国民にこそその責任の大部分があるはずだ。たしかに、こんなのが、というような人が議員になっているが、繰り返す、そういう人も選ばれなければなれないのだ。この2日間、テレビでインタビューに応える人のコメントで、また、新聞でこの選挙の結果を憂えてみせる評論家たちのなかにも、ひとりも自分たちを、選んだ自分たちを反省した言葉が聞かれなかった。

 一番、わがままなのは、国民だ! と、自戒をこめて。

090830 夏逝く

 香港の孫からの電話。家内と話している。どうも、何かをねだっているようだ。後で聞くと、「稲妻イレブン・ゴールド」とかいうソフトだった。おーちゃんに代わってというので電話に出ると、私にも「シルバー」をという。早くも始まった学校の話などをしていると、唐突に「おーちゃん、もう、夏もいったね」という。あとで彼の言った「いく」という言葉の意味を考えた。おそらく母親か、あるいはテレビかなんかで言ってた言葉を使ってみたのだろうが、なんとなくおかしいやら、なんとなく引っかかるというか、子どもは時々自分の身に余る言葉を使いたがるものだが。

 今日(29日)は、朝早くから草取り。おそらくこれで今年の草取りも最後にならないか、とこれは希望的観測。。8月も終わりというのに、今日の暑さは半端ではない。暑さというより蒸し暑さが堪える。日陰を探して木の下を這い回る。ところが、何か今までとは違っている。もみじの木の下までやってきた時その理由が分かった。蝉の鳴き声がない!あれだけ自己主張していた蝉がまったく鳴いていない。鳴いていないはずだ。木の下にはあちこちに蝉のなきがらが落ちている。

 その上を何かの影が通り過ぎる。目を上に向けると、二匹の黒アゲハ。我が家の庭では意外と、アゲハよりも黒の方を見る。まるで我が庭とでもいうように、ゆうゆうと飛んでいる。これだけゆったりと飛べるということは、敵がいないということ。何かで読んだが、黒アゲハは体内に毒を持っていて、敵であるはずの鳥たちもそれを知っていて襲ってこないとか。今日のテーマの「夏が逝く」には黒アゲハの方が似合うと思うがどうだろう。

 飛んでいくその先には、メランポジュームが今年も咲き誇っている。今年のその花の下には、昨年の8月18日に死んだ愛犬「シロ」が眠っている。シロについてはまた書こうと思っている。

090827 岩藤千晴(2) 縄文人

ツリガネニンジン キヌガサソウ

(山でうまいはオケラにトトキ 嫁にやるのもおしごたる)
「トトキ」とはツリガネニンジンの別名。

 前回の投稿後、何もクレームがつかなかった。ない以上勝手ながら、積極的ではないが消極的な了解とみなして、今回も実名で投稿する。

 1年間と期限を限って安曇野に行った彼は、その後帰ってきたという連絡はないままだった。それがいつだったか、「こちらに本格的に移住することにした。家も建てた」と電話してきた。あっけにとられてしまった。思わず「中津の家はどうするの?」なんて、私が心配してどうすんの、という訳の分からない返事をしてしまった。

 ほかの事は忘れてしまったが、その時「あんたは縄文人だ」と言ったことだけは覚えている。だって、そうでしょう。私の好きな番組に「人生の楽園」というのがある。土曜日の夕方6時から30分番組で放映されている。「人生には楽園が必要だ」というナレーションから始まる。今の西田敏行もいいが、やはり「いかりや長介」のナレーションが抜群だった。新たな第二の人生を見つけ、夢に向かって努力し、そして現在がある・・・・そんな自分だけの「人生の楽園」を見つけた人々の生活を伝える、というのだが、番組になるということはそれだけ人気があるということだが、それだけではなく、そういう人生を送れる人がめったにいないからこそ番組になるのだと思っている。

 ふつう誰もが、家があり、付き合いがあり、お金の問題もあり、健康の問題があり・・・・さまざまな引きつり引張りがあり・・・・、それらをクリアして、なにもかも投げ出していける楽園を見つけたとしても、最後にそれらを実際に投げ出す「決断」が必要。それをいとも簡単(?)に「・・・・家を建てた」といってくるのだから。

 それのできるあなたはやはり、土地に執着しない狩猟採集生活を送る縄文人であり、山を愛し、下界から超然として生活する山岳民族だ。といったら縄文人が腹を立てそうだ。私たちが習った縄文人は髪やひげは伸び放題で、動物の毛皮を身にまとい、石器で作った槍を小脇に抱え、食糧を求めて野山を駆け巡るイメージだが、今では、縄文人も定住し、集落を作り、田畑を管理し、時には現代人もびっくりする高度な、たとえば、楼閣を造っていたということが発見されている。

 その点、私は弥生人だ。農耕民だ。土地にしがみついて、その土地から離れるなんて飛躍はこれぽっちも思い浮かばない。思い浮かばない以上、楽園はあなたからの写真に変えようと思う。とうことは、あなたは楽園に値する写真を、いつも私に送ってくる義務が生じたということです、よ。

090824 気力


 我が家にはじめて咲いた「吾亦紅」

 このごろ「気力」ということをよく考える。

 それを思い始めたきっかけは、夜、熟睡できなくなったこと。休みになると、それまでの睡眠不足を取り戻すように朝遅く、というより昼近くまで寝ていた。それがいつの間にか朝まで覚えていないなんてどこへ行ったのやら。途中で起きるようになりそれが一度や二度ではなく、また、一度起きるとそのままいろいろなことを妄想し始め、そのまま朝までなんていうことがおきてしまった。寝るのも体力がいるということがよく分かった。

 それから気づいたら、何を始めるにも「よいしょ!」「どっこいしょ!」という掛け声がないと取り掛かれなくなっていた。母親がいつも声をかけていたのを笑っていたのだが、見事に私もそうなってしまった。不謹慎ながらその私の掛け声を母に聞かれなくてよかったと思う。どれだけバカにされたことか!
 
 それから、「鬼平」で書いたが、長編小説が読めなくなった。どうかするとページを閉じることができなくて、気がついたら外は白々と夜が明けていた、なんていうこともけっこうあったものだ。それがまず12時を過ぎると自動的にまぶたが重くなり(家内はお子様の時間なんてバカにする)、どんなに面白いものも読み続けることができない。それでついつい短編やドキュメント関係のものに手が出てしまう。

 映画もそう。今ではよっぽど気に入ったもの(例えば、ボーン・スレマシーなど)以外は、シリーズ物(ボーンズやCSIなど)に嵌まっている。シリーズ物には、長編の大味なものより短い時間で中身の濃いものが多い。

 アンチエイジングという言葉をよく聞く。たしかに逆らう努力も大切だが、受け入れてそれに合った生活を考えるのも楽しいかも知れない。