091010 襲撃

珍しい写真を送ってくれました。
「先日、長者原の自然観察会に友だちと参加してきました。その時の写真の1枚です。
アケボノソウ
黄色い丸い点は蜜腺だとか」

 毎日毎晩、決まって夕食後、洗い物を二人でしてから、散歩に出ている。犬がいた頃は、たしかに散歩だったが、今ではウォーキングに格上げ(?)された。ファミリーマートまで2.4キロ。往復4.8キロを大体50分強で歩いている。

 雨以外休むということはほとんどない。習慣というのは恐ろしいものですね。ビールの酔いがきついなと思っても、連れ合いから強制的に歩かされる。こういうところで逆らわないのが、退職後の長続きの秘訣かもしれない。ところが、この頃生活のリズムが狂って、ここ2,3日、歩いていない。そこで、今日は昼間も歩くことにした。案内状の切手がほしかったし、いつもだと車で出るところを歩こうと・・・。

 米山橋を過ぎたところで、車道に鳥が落ちてくるのが目の片隅に入った。黒い大きな2羽の鳥が。カラスがじゃれあっているのか、あるいはけんかをしているのか。ところが、1羽はすぐに飛び上がって、近くの電柱に留まったが、もう1羽は落ちたまま。けがでもしたのかと車道に出てみると、なんと、落ちて飛び上がれないのは、上がらないのはカラスではなく、「野バト」。歩道の縁から車道にはみ出している草むらの中に逃げ込もうとしている。その慌てた様子に野バトの必死さが出ている。

 よかったな、がんばれよ、と、歩き出そうとすると、電柱に留まっていたカラスが降りてくる。それも、いつの間にか2羽になっている。あわてて石を投げると、また、電柱に留まって、じっとこちらを見ている。その態度のなんと横着なことか。にらみ合いになったが、もちろんカラスの方に利がある。ハトは動かず、私もいつまでも立ち尽くしているわけにはいかない。おまけに向こうには生きるためという立派な理由がある。

 帰りに見ると、もうカラスもいないし、ハトもいなかった。争った形跡はなかったが、もちろん何事もなかったとも思えない。あのカラスの執念深さからすると、どこかでエサになったと考える方が可能性は高い。それにしても、目の前で生存競争の闘いを見るのは何十年ぶりかである。とんびにカラスが向かっていくのを見たことはあるが、あれは縄張りを主張しての数を頼んでの襲撃。今回は、生死を賭けた襲撃である。ハトがなんとか逃げのびていてくれたらと願うのみである。

091007 「おとこの秘図」・二人の女

 池波正太郎に女性を描かしたら、彼の右に出る作家はいないのではないかと思っている。この小説でも、二人の魅力的な女性が登場する。ひとりは京都で出会う「お梶」。そして、もうひとりは、江戸で妻となる「勢以」。そうか、司馬遼太郎の小説は、いくつかの例外を除いて、そう繰り返し読もうという気になれない理由は、案外ここにあったのかもしれない。彼の小説には女性が、それも魅力的な、生々しく生きている女はとんと出てこない。

 「お梶」。明日、京都を密かに旅立とうという日、運命の(やはりここは女性ではしっくりこない)、お梶と出会う。三人の浪人に難癖をつけられたお梶を権十郎が助ける。お礼にお茶など、という言葉にことわる理由もなく、お梶の営む茶屋「東林」に導かれる。

 「女という生きものが、化粧もなしに、かほどまでに美しく見えたことは、いまもってない・・・・」(202p)というお梶との出会いと狂おしいほどの逢瀬。この場面、つまり、201pから241pまで何度繰り返しくりかえし読み返したかしれない。しかし、お梶は、権十郎はいずれは江戸に帰ることになると知っており、知っているからこそ「権十郎をさそったので」ある。「山口さま。同じ夢は、二度、見るものではないと申しまする」とささやくお梶の声がほんとに聞こえてきそうである。

 「勢以」。江戸に帰り、徳山家を継いだ権十郎が妻として迎えた女性(今度は女ではしっくりこない)。お梶とは全く対照的な、女としての魅力を欠いた妻。その勢以に振り回される権十郎。「なりませぬ」であり「何をなされます」であり、「そのようなことを、あそばしてはなりませぬ」である。なんどもふきだしてしまう。そして、同情する。その勢以が、最後のさいごになって、ある意味、お梶にも負けない魅力的なに変身する。昔、初めてこの本を読んだ時には、お梶の方にしか目がいかなかったが、、ようやくそれが分かる年になったのかなと思う。

 もうひとつ、題名になっているおとこの「秘図」が重要な狂言回しになっている。そのことについても書きたかったが、「秘図」である以上、おおっぴらにはできない。池波正太郎の得意のせりふではないが、「すべてをあかしては、味気ない、あじけない」である。

091004 「おとこの秘図」・二つの道

安曇野通信
ナナカマドの赤、ダケカンバの黄、ハイマツの緑。上の方は少し盛りを過ぎていましたが、見事でした。これから11月下旬までは紅葉を楽しみたいと思います。

 池波正太郎を読んだ。以前書いた「鬼平」ではなく、書棚から題名に惹かれて読み始めた。最初は1巻だけのはずが、読み始めたら巻を置くことができず、とうとう夜が明けてしまった。「おとこの秘図」全6巻。気力がなくなったなんて前には書いたが、とんでもない。一睡もしないというのはこの年には大変なことなのに、この裏切りは自分で自分を褒めてやりたい。

 前回このシリーズを読んだのはいつのことだろう。退職してから読んだ覚えはない。なんといってもこれは「おとこ」の小説である。題名がそうじゃないか、と言われそうですが、それだけではありません。男が生まれ、生き、そして死ぬ。その全てが6冊の中に詰められている。望まれて生まれたのではなく、というより生まれたことを実の父に疎まれ、遂には亡き者にまでされようとする。そんな絶望の中での唯一の救いが剣の道である。

 堀内道場での激しい修業に明け暮れる主人公「権十郎」。その彼へ、師・堀内源左衛門の遺言を伝える場面での佐和口忠蔵の言葉が、なんとも味があっていい。

「わしとても、同じことよ」
佐和口忠蔵は、あらたまった口調を変えて、
「わしにも、道が二つあったのだ。その一つを選んだがために、いま、おぬしが見ているわしが在る」
立ち上がったかとおもうと、
「別れにのぞみ、わしが権十郎どのへ申し伝えることは、これのみだ。さらば・・・・」
とめる間もなかった。(第2巻38P)

 人は一生のうちにどれだけの選択をしているのだろうか。その無数にあった二つを、一つでも違えていたら、今の私は存在しない。そう考えると、今在る自分が愛おしくなってくる。それでも、あの時、こうしていたらと考えるのも面白いが、結局はこうなっていただろうなとも思う。あの時、もう一つの道を選んでいたら、と考えるのが、布団に入ってからの習慣になりそうだ。

091001岩藤千晴(4)やんちゃなオヤジ

 今、目の前のパソコンの画面に、雪の降る画像が映し出されている。どうしてこんな映像が撮れたのか。降ってくる雪のかけら(?)が大きく映し出されている。タイトルは「040222雪の求菩提」となっているので、今から6年前の出来事になる。まだ現役だったので、この日は土曜日か日曜日のはず。朝早く、まだ布団の温もりを貪っていたはず。電話がかかる。「雪が降ってるよ。今から求菩提に登るから準備して!迎えに行くから」と、有無を言わさない電話だったはず。

 彼の車はCRV。4駆の威力で、雪の山道をぐんぐん登る。自分だったら絶対に来ないだろうなと密かに思いながら、いかにも信頼しきったふうをしながら・・・・。雪の重みで木が倒れたところで車を乗り捨て、歩き始める。ケモノ以外の足跡は全くなく、寒いのは苦手なのだが、くせになりそうな清々しさだ。

 途中、岩場を落ちる水が凍って、滝のようになっている場所などもあって、やはり夏場の山の姿とは全く違った姿を見せてくれている。そうそう、彼の愛犬バトラーも一緒だったが、先導するバトラーは時々振り返り、時々駆けもどっては、新人はちょっと心配だなとでもいうように私の顔を見上げる。そのバトラーも12月に死んだと聞く。合掌!

 帰りに何を思ったのか、彼は雪の降り積もった駐車場へ車を乗り入れる。雪道でスリップした時の対応の仕方は、実地で、身体で覚えるしかない。さあ、やるぞ!と、車を発進させる。わざとブレーキをかけてスリップさせる。そして、また立て直す。何度もなんども、あきもせずに繰り返す。ここでも彼のやんちゃな子どもの一面が顔を出してくる。彼は自分のことを「遊び人」だというが、私に言わせると、彼は「子ども心をたっぷり持ったオヤジ」だ。

090928 原尻の滝と池山水源

 七ツ森を出て、もうひとつの目的地、「原尻の滝」へと向かう。大分に住んでいて、近くの緒方中学校の研究会にも来たことがあるのに、教頭会の県大会で竹田に来たこともあるのに、何年か前、連れ合いと二人で「用作公園」のもみじを見に来たこともあったのに、まだ、原尻の滝には行ったことがありません。なんで~と呆れられたこともあります。汚名挽回と今回は絶対に行こうと決めていました。

 ここも人出が多く、さすがにシルバーウイークと感心。ここはあまり写真を撮る人はいなく、親子連れ、孫連れが多かった。この頃の日照りで、期待したほどの水量もなく、うたい文句の「東洋のナイアガラ」が、それでなくても恥ずかしくなるくらいだった。ここでは、カメラの扱いを変えてみた。これまではほとんどオートで撮っていたのだが、連れ合いの写真集のための写真を撮ってくれた方が、一眼レフを操っていたのを見かけ、同じ一眼ならばまねをしてみようと大それた考えを起こし、いろいろと試してみた。特に、水の流れ、落下の姿をさまざまに表現してみようとシャッターモードで撮ってみた。結果は・・・・・。これから勉強します。

 帰りも442号線を通る。しかし、今度は久住高原を通って。途中で「池山水源」の看板を見つける。ここには懐かしい思い出がある。慌てて引き返し、昔通った道なき道(?)をたどり、やっと到着。昔と違って、今は水を求める人でごった返している。車から一人が何本、どうかすると何十本ものペットボトルを運び込んでいる人もいる。順番を待つ人がいっぱいで、いざこざが起きなければと心配になる。実際、あからさまにイライラを見せる人もいる。なんで日本人はこうなるのかな。 それにもかかわらず湧水の水は相変わらず美しい。写真に撮ると、水底の水草が写るだけで、まるで水がないように見える。

 帰りは玖珠を通ってと思ったら「夢大吊り橋」のことを忘れていて、その渋滞に巻き込まれてしまった。連休はおとなしく家にいることですね。

090925 七ツ森古墳

 ひとりで7時20分に家を出る。連れ合いは、自分の布花の30周年を記念して展示会をすることにしている。そのための作品づくりでてんてこ舞い。そろそろひとりで遊ぶことも覚えないと、という思いから、新聞に掲載された彼岸花を見に、竹田の七ツ森古墳に出かけることにしたのである。

 ナビをセットすると、高速を使うほうが使わない方よりも1時間も早く到着と出る。自分で作成したCDを聞きながら、のんびりと運転しようという気持ちもあったが、さすがに1時間の違いは大きい。四日市から高速に乗り大分の光吉インターまで。あとは442号線を使って竹田へ。途中まではこんな田舎に、こんな立派な道路が、のはずが、山にさしかかると途端に道も狭く、険しくなっていく。そういえば、このあたりに「香りの森博物館」というのがあったはず。できてすぐに友だちと来たが、行けども行けども山の中で、よくもこんな人里はなれたところに造ったものだと呆れたものだ。平松県政の最大の無駄遣い。最大の汚点といっていいものである。

 着いたのは9時30分。七ツ森古墳自体は想像していたよりも小ぢんまりとしている。駐車場が狭く、停めるところを探すのに手間取る。昨日は彼岸花まつりがあったとかで、今日よりずいぶん人出も多かったそうだ。それでも観光客と写真愛好家でいっぱいで、人の姿が写らないように撮るのが大変だった。20万本と新聞には載っていたが、ちょっとオーバーな気がした。私の住んでいるところは今が満開だが、ここはもう盛りを過ぎていた。ちょうどぴったりという時に巡り合うのはなかなか難しい。しかし、古墳と彼岸花。いい取り合わせだと思う。

 古墳といえば、宇佐の風土記の丘には古墳群がある。なかでも、福勝寺古墳を取り囲む木立は、薄暗くて、静かで、ゆっくりと一周すると気持ちが落ち着く。反対に、鶴見古墳は周りが開けてあっけらかんとしている。たっくん(孫)と来た時、飽きもせずに登っては駆け下り、登っては駆け下りていたのが、つい昨日のようである。

090922 迦楼羅

 阿修羅の人混みからはずれると、他の場所は意外とあっさりしたものである。八部衆と十大弟子の像はそれぞれ4対ずつ安置されている。残念ながら十大弟子の方は素通りする。お目当ては何といっても八部衆である。インドで古くから信じられてきた異教の(バラモン教か?)八つの神を集めて、仏教を保護し、仏に捧げ物をする役目を与えて八部衆とする。仏教に取り入れられてからも、異教の神の姿のままに表現される。

 その中でも「迦楼羅(かるら)」。まず目につくのはなんといっても「くちばし」であろう。そして頭にはとさか。これは明らかに人間ではない。インド神話上の巨鳥、ガルダという。たしかガルーダ航空という航空会社がインドネシアにあったはず。何年か前福岡空港で事故を起こし、それでこの名前を記憶している。龍を常食とする。害を与える一切の悪を食いつくし、人々に利益をもたらすところから、家内安全等の修法の際にこれをまつる、という説明を読んですぐに浮かんできたのが「孔雀」である。

 孔雀は羽を広げた時のその鮮やかな印象が強いが、よく見るとその顔は肉がたるみ、首の辺りは毒々しい青色に光り、その首をくねくねと動かしている。向かい合っていると、鳥類でも哺乳類でもなく、どちらかというと爬虫類のようでもあり、分類不可能な生きものを見るようで気味が悪い。鳴き声も不気味で一度聞くと忘れられるものではない。

 そして、悪食である。その巨体を維持するために、毒蛇も毒蜘蛛も容赦なく食ってしまい、解毒できるらしく死ぬことはない。このアジア大陸、特にインドは瘴癘(しょうれい)の地である。その過酷な自然の中で生きてきた先住民(ドラビダ族)の人たちにとって、その光景を目の当たりにした時の驚きは、いつしかあこがれへと変わっていったはずである。その、解毒、毒にあたらないということを発展(抽象化)させて、孔雀そのものを形而上の世界にまで高め、ついには、諸仏の仲間までに昇華させた。それが「孔雀明王」である。

 ここはとにかく、迦楼羅。阿修羅展のCMを見るたびに、いつしか阿修羅だけでなく、いや阿修羅以上に迦楼羅への憧れが強くなっていった。その迦楼羅がいま目の前にある。だれに邪魔されることなく見続けることができる。一体だけ横を向いて、くちばしとそのギョロメの顔が、いつしか見慣れた、なつかしい顔へと変わっていった。

090918 阿修羅

 昨日、文化の森大学の現地研修で、阿修羅展に出かける。9月に入って、入る情報が「3時間待ち」や「4時間待ち」といったとんでもない話ばかりなので、急遽役員会を開き、9時出発を6時半にした。あまりの早さに取りやめた人も出たが、開場までの1時間半を待つだけであとはスムースにことは運んだ。だれもが喜んでくれたので、いっぺんに肩の荷が下りた。

 阿修羅の写真をと思ったが、もちろん撮影することは許されていない。インターネットからダウンロードしようかと考えたが、今回は私の好きな文庫本を掲載してみた。

 薄暗い展示場に、そして、抑えた照明の中に、天平の美少年と称される国宝・阿修羅像がたたずんでいる。三面六臂の、少年のように細く、しなやかな肢体。三つの顔は、それぞれに微妙に違う悩ましい表情で、見る者をひきつける。

 と、表現すれば、素晴らしい環境の中で鑑賞を楽しんでいるように思われるかもしれない。ところが、現実は、阿修羅の前は幾重にも取り囲む人の波で、とてもじゃないが、近づくこともできないし、たとえその波の中に入ることができても身動きできない。そこはよくしたもので、若い男性の係が二人ついていて、彼らの掛け声でその人波が左にわずかな歩幅で動いていく。16まで数えるとちょうど45度動くから不思議である。動かされるこちらは、苦笑しつつも内心では笑いが生まれてくる。表情は分からないが、声の調子からすると、彼らも自分の掛け声で人波が動いていくことを楽しんでいるような気配である。

 「天平の美少年」といわれる阿修羅。闘いの神と呼ばれ、仏教に帰依するまでは、仏教の守護神「帝釈天」と何億年にわたって闘いを繰り返してきたそうだ。ところが、他の八部衆と違って、、彼だけが鎧をつけていないし、限りなく優しい(哀しい?)表情をしている。それをある人は、その彫刻を彫った(この時点でその人はすでに間違っているのだが)無名の仏師の信仰心が、これだけの穏やかな表情を作り出したのだと言った。私も今日まではそう思っていた。彼(仏師)は、たまらなく阿修羅が好きだったのだ、と。

 が、今はそうは思わない。今は、1300年という時間が作り上げたのだと確信している。それは・・・・。4階の常設展示場には、造られた当時の姿を復元した阿修羅が展示されていた。なんともいえない朱色でけばけばしく、なによりも驚いたのはあの少年の表情がどこにもないのである。代わってあるのは、口の上にうすく描かれた口ひげ。創建当時興福寺にあったのは、今私たちを魅了する少し哀しみを帯びた少年の顔ではなかったのである。1300年という時間の流れが、少しずつ少しずつ、けばけばしさやたくましさを削り取っていって、本来の阿修羅の姿が生まれてきたのである

 2階の本棚の、歳時記の陰に隠れていた1冊の文庫本を見つけ出した。光瀬龍の「百億の昼と千億の夜」。この本を読み始めてちょうど30年になる。読み終わるたびにいつもシーンとした思い(いい表現が見つからない)に囚われる。この本の中に出てくる阿修羅は少女として描かれている。この本を原作とした萩尾望都のコミックでも少女として描かれている。そして、光瀬龍の言葉のイメージに負けない、凛と美しい阿修羅を生み出した彼女に拍手を!