091025 ライブ(2) 色気

何かいい写真がないか探したが、内容にあったものが見つからない。
そこで、最近撮っておいた杜鵑を使ってみた。
いつも思う。
なんでこんな形・色をしてるの?

 ライブ(1)の続き。上田正樹までなら素晴らしくて当たり前なんだが、ここからが拾い物。といったら失礼に当たるが、上手い表現ができない。とにかく素晴らしかった。

 Piano 堺敦夫。上田正樹の歌声に負けないくらいだし、どうかすると「喰って」しまったと感じる時さえあった。正樹が彼を紹介するのに「アジア最強のピアニスト」と言うだけある。細身の身体からびっくりする力強い音が生まれる。ピアノを弾きながら、歌手を見つめる。二人の視線が挑むように絡み合う。弾き終わって、ふっと緊張が解け、表情が穏やかになる。これをなんと表現すればいいのか。そう、色気がある、とでもいうしかない。

 もうひとり、Yoshie.N。正樹に呼ばれてステージに上がってきた彼女を見て、なんとなく違和感を感じた。それまでの男っぽい雰囲気にそぐわない、いかにも女性というひとだからだ。それが歌いだすと一変。とにかく絵になる。声は正樹じゃないが、ブルースにぴったり。そうだ、私の好きな「ノラ・ジョーンズ」によく似ている。しかし、声量はYoshieの方があるし、情感も素晴らしい。まだ20代後半と聞いてまたびっくり。

 約2時間半のステージがあっという間に過ぎてしまった。なんども「素晴らしい時間」だったねと繰り返し、余韻に浸りながら駅まで歩く。

091024 ライブ(1) クール

ホームページに掲載された写真を拝借。雪の降る時に撮られたもの。滝ともはる曰く。いつもは写真撮影はOKなのですが、今回はだめだといってくれといわれ ているとか。残念!

 昨夜(23日)は、ほんとにいい時間を過した。場所は宮島町にある「リル・ドリーム」。「上田正樹・滝ともはるジョイントライブ」の招待券を友だちにいただいた。連れ合いが、22日は食事会で、24日は北高同窓会で、と夜の出ごとが続くので気乗りしないそうだ。さっそくこの頃パソコンでお世話になっている佐藤さんを誘った。

 会場のリル・ドリームは席が115とかで、ほんとにちいさなステージは手が届くほどのこじんまりしたものだ。その分、ステージと客席が一体となった感じがする。入った時には半分ほどだったのが、すぐに満席になる。いつか文化会館で因幡晃のコンサートに行った時、半分も埋まらず、こちらの方が恥ずかしくなったのを今でも覚えている。

 まず滝ともはるから。デビュー曲という「千羽鶴」がすばらしかった。スタイルは純日本人の体型だが、50を過ぎてそれなりに味が出ている。いい年のとり方をしていると・・・・。

 次に、上田正樹。やはり違う。そこにいるだけでその場を支配してしまう。もちろん「悲しい色やね」もすばらしいが、私はアニマルズの「朝日の当たる家」の方がよかった。彼はアルバムよりもライブステージが似合う。それも何百人や千人以上入る会場ではなく、今日のように手を伸ばせば届くような、小さな、ちいさなところがいい。声はブルースにぴったりだし、表情がいいし、一つひとつの動作が様になっている。顔を流れる汗やシャツににじむ汗までがクールだ。

091021 われもこう

写真集の中で一番の人気。
日本人の感性を刺激するものがあるのでしょう。
作るのは難しかっただろうと聞くと、そのものの形をしたもの(ペップ)があるからそうでもないと。別な答えを期待していたのですが・・・・・

 われもこうとの出会いは何年前だったか。実物よりも、本の中での出会いが先だった。その奇妙な日本語の響きと、思いを寄せる若者を遠くからせつない思いで見つめていた。その足元にわれもこうが揺れていたと、おばあさんが語る本の中の情景が重なって、まだ見ぬその花への憧れが続いていました。

 この秋、すすきを折りに出かけた林道で、その花に出会いました。人気のない荒れた道の傍らで、ひっそりとさりげなく紅の地味な花を細い茎につけていました。その紅は、燃え立つ炎のような思いを、心の奥底に沈めこめてしまうような暗い紅色。湧き上がる思いをそのつど重ねて、たたみこんでしまうほどに紅が深くなる、おばあさんの想いの色だと思いました。吾木香よりも「吾亦紅」の方が、ずっとこの花らしいと思います。

 “自転車いっぱい花かごにして”という本でしたが、それ以来、渡辺一枝さんは私の大好きな作家の一人になりました。暮らしの中の優しさや悲しさ、満ち足りた幸福、そして、時には阿修羅のような人の心の有り様を野の花や木、風や雲などに映して描くその人の本は、私の中にすーっとしみこんでいき、慰められます。

 “空ゆく雲を追いかけて”“気が向いたら風になって”ーこんな題名を見ただけでも、素敵だなと感じませんか。(89,10,3)

091019 かほり(1)

 公民館に着いて、車から降りるとすごい匂いに包まれる。ほんとは「香り」といいたいところなんだが、この匂いはそんな生易しいものではない。昔から、前の家の生垣からこの季節になると、きまっていい香りがしてきた。下の娘が中学生の時、「この匂いがすると秋だなーって思う」と、ちょっぴり大人びて話していたのを思い出す。

 もう分かりましたね。そう、キンモクセイです。ここにはいったい何本あるのか今日は数えてみました。樹高3m.ほどの木が駐車場の上、体育館の一角にちょうど10本も並んでいる。その全てが今を盛りと花をつけて、匂いを放っている。目には見えないけれど、その匂いに包まれているのがよく分かる。しかし、ここまで強烈だと嫌味になってくる。やはり、キンモクセイの香りは、「ほんのり」とか「かすかに」でなければ・・・・

 一番似合っているのは、雨上がりの夕方。辺りが暗くなったくらいがちょうどいい。昨日、お通夜があって、暗くなってから近所の家に出かけました。行きには気がついていたのですが、帰りに生垣に手を伸ばし、一枝折り取る。花盗人の心境です。家で、コップに挿し、鼻を近づけても、歩きながら感じたほどの香りはしない。木全体でゆっくりと時間をかけて、香りを広げているのでしょう。面白いですね。香りをかごうとすると、どうしても目を閉じてしまう。全ての神経を鼻に集中させようとするからでしょう。

 「かほり(1)」と題をつけました。当然、次は「かほり(2)」となります。

091016 コクゾウムシ

 もったいないと思っていつも失敗するので、今年は思い切って切り戻した。
8月の終わりに約3分の2を切る。
それこそ、来る人ごとに「もったいない」や「思い切ったね」と言われたが、ご覧の通り、ほんとに鮮やかな色になってくれた。
そろそろ終わりに近づいたので、これからは来年用の種を採取しようと思う。

 今年の小作米が届いた。米のカンから残った古米を取り出し、半日ふたを開けて風を通した。いつからか、小作米が30キロが5袋になった。それと同時にそれまで自分たちで食べて、兄姉にもいくらか送ることもできたのだが、それ以来、自分たちの食べる分も少し足りなくなった。原因は小作が少なくなったことなのだが、シロ(犬)が毎日1合も食べるからだと、責任をそちらにかぶせたりした。彼も肩身の狭い思いで食べてたのかな。
 しまった。新米がくればやはり古米は食べたくはない。どうしたものかと思案していたら、それでも欲しいという人が現れた。同じ会社に中国から出稼ぎに来ている若い人たちがいて、日本の物価の高さに生活するのも困っている様子なので、もらえるなら彼らにそのお米をあげたいという。冬にも使わなくなった布団をその人を通してあげたので、今回も喜んでもらってもらった。

 それでもカンから取り出す時、いくらかこぼしてしまったのでそのうちのゴミのない玄米を集めたまではよかったのだが、何を勘違いしたのかそれを精米した白米の中に入れてしまった。この頃、こういう「ついうっかり」ということが増えてしまって、我ながら怖くなる。

 時間はたっぷりあると、白米と古米を一粒ひとつぶ分けることにした。初めは要領が悪くいったいいつまでかかるのかと心配になったが、だんだんと要領がよくなる。そういえば、昔、母親から玄米に入っている不純物(小さな石やゴミ、もみがらなど)をこうして取らされていたな、と思い出した。お盆に入れて、それをゆするときれいに並ぶ。それを指ではじいて不純物と分ける。思い出すと、こうした気の遠くなる作業もなつかしいものになっていく。

 昔はこうしたゴミだけでなく、たしか虫もいたなと思い出す。玄米の色と似た、大きさも同じくらい、見分けが難しかった。その当時は、けっこういた(と勝手に思っているだけなのかもしれないが)虫が1匹もいない。いないのもなんだか気になってくる。虫も居れないほど消毒してしているのかと。そうこうしているうちに、虫を2匹だけ見つける。見つけた虫をつぶしながら、ほっとする自分がなんだか笑えてしまう。

 ネットで調べると、「コクゾウムシ」と出ていた。

091015 布花物語(2)

写真集の扉にある映像。
昨日載せた表紙の対抗馬として、連れ合いが最後までこだわったものである。
たしかに前回の展示会ではこの花がメインだった。
こうしてガラスの花器の納まると、気品さえ感じられる。
「しかし」と生徒さんたちは云う。
「先生、上品さも大切だし、こだわるのも分かるけど、やはり、インパクトがないと、だれも手にとってくれませんよ」と。
今回、展示を見送ったのだが、この花を覚えていた人がいて、その方からどうして展示しなかったのですかと言われたそうだ。
明日は持っていくとはりきっているが、作家冥利に尽きる話だ。

091014 布花ものがたり(1) 表紙


30周年を記念しての写真集出版。
写真家の萩さんと巡り合うことで、夢だと思っていた写真集が出来上がる。
口の悪い古くからの生徒さん曰く、「実物よりも美しい」。
写真もだが、その写真からどこを切り取るかで腕をふるってくれた、せいうん印刷の岡本さん(素敵な女性だと聞くがまだ会ったことがない)がいてこその写真集でもある。
その岡本さんがいくつか作ってくれた表紙の見本の中で、だれもがこれこそと言ったのがこの表紙である。
布花と写真とデザインが見事に融合して出来上がった写真集だと、身内ながら誇らしい気持ちである。

これから、自分のブログの合間に、1ページずつ紹介していこうと思っている。

091013 阿修羅展(3) 邪鬼

 阿修羅展に行ってから、1ヶ月が経とうとしている。今更という気もしないではないが、原稿は書いていたのでやはり掲載することにします。けっこう書くことがあるのに、自分で驚いています。それにしても、コメントが来ないなー・・・・

 八部衆、とくに「迦楼羅(かるら)」から離れ難く、何度も後戻りをした。
最後に四天王を見る。寅さんで有名になった帝釈天の家来で、仏教世界の中心に聳える須弥山を守る役目を持つ。東西南北を守るのは、東に「持国天」、西に「広目天」、南に「増長天」、北に「多聞天」。重量感のある筋肉質で、守護神にふさわしい威容を誇る。「広目天」・「多聞天」という文字を見ると、情報収集のスペシャリストで、仏教界のCIAか、それとも、設置された視覚と聴覚のセンサーかなどとついいらんことまで考えてしまう。

 ところが、私のお目当てはカッコイイ四天王ではないのである。お目当ては四天王に踏みつけられている「邪鬼」の方だ。いつの頃からか、この邪鬼の方が気になって、気になって・・・・。邪鬼というからには、当然のことながら“悪しきもの”なんだろうが、四天王の踏みつけ方がどうも気に入らん。顔を踏みつけられてひん曲がっているもの(持国天)。踏みつけられて身体が二つ折りになったもの(広目天)など、まるで虫けらみたいな扱いである。ところが、よく見ると、踏みつけられて苦しいはずの邪鬼の表情が、少しも苦しんでいるようには見えないのである。どうかすると、踏みつけた四天王に見つからないように舌を出しているようにさえ見える。もちろん私の勝手な思いではあるが・・・・。

 これまで気になっていたのは、ここまで虐げるのか、かわいそうではないかという思いであった。ところが、今回、自分の目線の上にある四天王よりも、目の前で、そして、ぐるっと全てを見ることで、気になり方が変わってしまった。待てよ、虐げられた彼らにも、一寸の虫にも五分の魂。ただ負けてばかりでいるものか。今に見ていろよ、という敗者のたくましさを感じて、正義の味方に踏みつけられた彼らの方に親しみがわいてきた。