100322 はなやかな3月の庭

 「」の木もたくさんの花をつけたがすぐに落ちてしまった。同じ時期だったか、「マンサク」が咲き、今も咲きつづけている。図鑑では「早春に黄色の花が・・・・・」とあるが、我が家のマンサクは赤である。もう一本「白のマンサク」も隣にあったが、5年前に突然枯れてしまった。

 そうそう、忘れてならないのが「椿」。母親が植えた椿が大きくなっていたが、変な誤解から切り倒されてしまった。それ以来、機会を見つけては植えてきた。ほんとは母親が植えた「藪椿」が好きだったのに、庭にある6本のうち5本は大振りなはなやかなものばかりである。一本だけ「恋」の文字のついた名前とその名にふさわしいはかなげなピンク色に誘われて植えた「侘介」がある。昔、宇佐神宮の裏の暗い小道を通っていた時に、イチイガシの林の中に見た「藪椿」の紅い色が忘れられない。ひんやりとした空気の中で、その道の南側には置き忘れ去られたような小さな集落があって、そこだけが冬の中の陽だまりを作っていた。ただ歩いていく私に林の中から春告鳥の声が届いてきたのを昨日のことのように覚えている。 
 野鳥が運んできた種から大きくなった名も知らない木の下に「クリスマスローズ」が咲いている。ある方からいただいたものだが、砂地の我が家の庭ではこれまで定着したことがなかった。今回はなんとか一株だけ頑張ってくれたようだ。色は薄い小豆色で、できたら白い花があれば、と思う。催促のつもりだが、こうしたことから友情は深まっていくのではないだろうか。

 北側の台所の窓から見る背戸には「雪柳」がこぼれるほどの小さな白い花をつけている。名前の通り「雪」が降り積もっているように見える。そばには鮮やかな黄色の「レンギョウ」。その下には「ツルニチニチソウ」。

 はなやかな3月の庭である。

100320 にぎやかな3月の庭

   
     

 冷たい空気の中でロウ細工の花をつけていた「素心ロウバイ」と「満月ロウバイ」が散って、後には甘酸っぱい香りで存在を知らせていた「沈丁花」も色あせて、一時のにぎやかさも落ち着いた庭に戻っていった。 

 それが3月の声を聞くとにぎやかな、そして、はなやかな衣装を身にまとって春はやってきた。まず「ミズキ」たち。「土佐ミズキ」と「日向ミズキ」。いつもどちらか分からなくなる。次に「サンシュユ」。葉の出る前に黄色の小さな花をたくさんつける。別名「春黄金花(ハルコガネバナ)」と呼ばれるが、朝の光を浴びて輝く様子はその名の通りだ。その横には「キブシ」。これも葉の出る前に、淡黄色の小花がたくさん集まり、長さ3~10㎝の房状になって枝先から垂れ下がる。これはある方がさかんに吹聴するものだからそれにつられて植えてみた。それらの木の下にはやはりかわいい房状の小花をつけた「アシビ」が2本。これはさだまさしの「まほろば」という歌にあった歌詞「・・・・あせびの森のマヨイギに・・・・」の「マヨイギ」が「馬酔木」をそのまま読んだものだと分かって、その記念(?)に植えたものである。もう10年以上は経っているのに植えたときのまま大きくならない。

 「姫コブシ」。これもその名の通りいつまで経っても大きくならない。だけでなく3年前には危うく枯れてしまう寸前までいった。気がついたらほとんど枯れていて、慌てて枯れた部分を切り取り、3分の一ほどになった木に肥料をやり、乾き過ぎないように周りにワラを敷き、水を絶やさないようにした。そのおかげか、ようやく今年、やわらかいうすべにの花を咲かせた。

 キブシの間からは「利休梅(これだけは漢字を使いたい)」が白い蕾をのぞかせ始めた。

100318 子どもたちの公民館まつり

ZENKAI少年太鼓「和」 津軽三味線・丹山流範将会 本耶馬溪子供神楽

 3年前からだった。公民館まつりに子どもたちが参加し始めた。「子どもたちが」ではなく「子どもたちに」参加してもらうことになった、というのが実際の話である。9時から文化の森大学(成人講座)の修了式をした後、公民館まつりの開会行事をするというのが恒例である。ところが、開会行事に参加する人が少なく、ひいてはメインの記念講演まで観客が少ないということになって、事務局はいつもこのことに頭を悩ませてきた。それを解消するために考え出されたのが子どもたちの力を借りるということである。子どもたちの懸命な姿は見る人に感動を与えるし、子どもたちの家族・親族・近所の人たちまでの動員が見込めると踏んだわけである。

 そして、3年前にオープニングを飾ったのが「ZENKAI少年太鼓『和』」である。事務局が期待していた以上の動員力であった。専門的な見方はできないが、たしかに子どもたちが精一杯頑張っている姿は見る人に感動を与えたし、昨年は県の大会で優勝し、静岡県で行われた全国大会に出場し、9位の浜松市教育委員会賞を勝ち取っている。

 これに味を占めて昨年は、宇木優太・高野太輝の中学生従兄弟三味線。中学生でここまでできるのかとだれもがびっくりしたはず。息の合った軽快かつ力強いバチ捌きに拍手!そして、今年。二人の演奏姿はとても中学生には見えない、大きくおおきく見えた。

 今年のオープニングは「本耶馬溪子供神楽」。S49年に東谷小学校の児童を対象に始めた子供神楽も、現在では子どもたちの数も減って、本耶馬溪全域から募集している。指導も昔子供神楽に参加して今も地域に在住している方が引き継いでいるとのことである。今回も子どもたちのかわいらしい演技に見物席から「おひねり」が飛んだ。いろんなイベントに参加しているというが、みなさんにかわいがられる子供神楽だと思う。

 タイトルを「子どもたちの」としたが、このままでは子どもたちが主役になってしまいそうである。  

100316 ちひろのまなざし

     

 13(土)14(日)と二日間にわたって公民館まつりが開催された。日頃取り組んでいるサークル活動の発表の場としての公民館まつりである。13日は作品展が中心で、今日(14日)は太極拳や踊りなどが披露される。

 先ず開会行事があって、その後今年のオープニングは「本耶馬溪子供神楽」であった。これについてはもう少し述べたいので次回に詳しく紹介する。そのあとに記念講演が行われる。今年は作曲家で歌手でもある「ちひろさん」を迎えて行われた。「心の歌~金子みすゞのまなざし~」と題して約1時間半の語りと歌。彼女は郷土の詩人・金子みすゞの詩に曲をつけ、歌うことを通して「みすゞ」の思いを広く世に知らせることをライフワークとしている。この本耶馬溪との縁は6年前の西谷村からで、こちらでコンサートをするのも6回目である。こちらで音響を担当する彼が「今年はちひろさんか~。張り切らんといけんな!」という。それくらいファンが多い。

 やさしい語り口。金子みすゞとその詩にふさわしい声と語り口。しっとりとした、深みのある、いかにも女性らしいきれいな声。やさしい容姿。棟方志功の版画に出てくる女性に似ていると言ったら彼女はどう思うだろう。あの「ふくよかさ」はそうとしか言いようがない。私としては最高の褒め言葉なんだが・・・・。

 2曲目「大漁」。みすゞの人間以外のものに向けるやさしいまなざし。「・・・海の中では何万の 鰮のとむらいするだろう・・・」というかなしく暗い歌のはずなのに、みすゞのやさしいまなざしとまるで海の底から聞こえてくるようなちひろさんのやさしい声が一つになって、おだやかな明るい世界へと昇華されていく。3曲目「星とタンポポ」。「・・・見えぬけれどもあるんだよ 見えぬものでもあるんだよ・・・」。見えるものを形づくっていく、しかし、見えないものへのやさしいまなざし。

 ふくよかで、きれいで、そして、やさしい、ゆっくりゆっくり流れていく、「ちひろのまなざし」。

 ちひろさうんどホームページ   www.chihirosound.com

100314 CM(わんぱくでもいい・・・)

適当な写真がありません。マイ・ピクチャを探していたらこの写真が出てきました。
保存名を「哲学するサギ」とつけました。

 

 どこかでも書いたが、テレビのCMが好きだ。生半可なドラマでは太刀打ちできないものさえあるくらいだ。ましてや今流行のバラエティでは比較にもならない。だからといってバラエティ亡国論に組する気もないし、子どもに悪影響を与えるから画面から消し去るべきだとも思わない。こうした話は人類が生まれて以来繰り返されてきたことだし、だれもが立派だという番組だけになったとしたらそれはそれで大変だし、不気味だし、怖くなってくる。

 CMは時代を映し出すというが、そうした意味で印象的なキャッチコピーがけっこうある。その最たるものが60年代の「オー!モウレツ(丸善石油)」ではないか。駆け抜ける車の風で小川ローザのミニスカートのすそがひるがえり、「オー!モウレツ」と一種独特のイントネーションで発声する。当時の“猛烈主義”を茶化していたような響きだった。今ではどうってことないのに、彼女のそのしぐさに目を奪われていたものである。

 次の年(S45)には富士ゼロックスがCMで「モーレツからビューティフル」と言わせている。ここから70年代に入る。時代の大きな変化をとらえたコピーである。

 私の一番好きなコピーは「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい(丸大ハム)」である。掛け値なしの傑作コピーだ。しかし、こういうCMが作られもてはやされたということ自体、「わんぱく」な子どもたちが少なくなり、そういう環境が急速に子どもたちの周りから消え始めていたことを意味していたような気がする。今では外を走り回ってなんていう子どもの姿を見ることがない。「わんぱく」はすでに「死語」と化した。

 似たものに「たまにはけんかに負けて来い」という東雲堂の二0加煎餅のコピーがある。このコマーシャルは32年間も続いたそうだが、どうも九州限定のようである。 

100311 ダイハツ・コルテオ

   

 6日、福岡千早のビッグ・トップで開催されている「ダイハツ・コルテオ」に出かけた。テレビに明日から先行予約とCMが流れた次の日に申し込んだ。流れたら大変だと、その次の日にはファミリーマートでチケットを獲得する。そんなに慌てなくても良かったようだが、なにしろずっと憧れていたショーなので必死だった。マートの店員さんに羨ましがられた。それくらい知る人ぞ知るというイベントである。

 NHKのハイビジョンでも放映されたセリーヌ・ディオンのラスベガスのショー「A New Day」はシルク・ド・ソレイユの監督がプロデュースしたことでも有名である。全てのダンサーがソレイユのメンバーなのか狂言回しのような役をしていた二人がそうなのか、はたまた違うのか、とにかく今までのショーとは趣が異なっていた。その後、小栗旬が案内役をした民放の番組も観ている。

 ショーの最中は絶対に写真撮影はお断りしますと再三にわたって注意されたので、言葉でしかその素晴らしさを伝えることができない。もちろんできるはずもないので、機会があったらぜひ一度は見てほしい。それだけの価値はあります。

 開演直後の場面、50名を越える出演者が華やかな衣装を身にまとい、バイオリンや太鼓の後に続く。サントリーロイヤルの有名なCMを思い出した。あのランボーをテーマにしたものである。あれをもっと大きく華やかにしたもので、その場面とともに「祝祭」という言葉も浮かんできた。同じサーカスなのにこれまでのサーカスとは全く違っている。たとえば、動物が全く出てこない。人間中心である。たとえば、空中ブランコでもブランコは使わず、人間の身体だけでブランコが行われる。たとえば、身体を自在に曲げる軽業も中国雑技団のものとは違って非常に芸術性が高い。たとえば、マットを使ったり、ベッドを使ったり、天井から下がった長い布を2枚使ったのも(連れ合いはこれがいたくお気に入りである)など、いつも中心には人間があった。 

 満足した一日でした。そうそう、日本人の青年も一人出演していました。 

100309 小椋佳(CD)

3月3日 綱敷天満宮(浜宮)の梅 先輩の送ってくれた写真です

 
 やっと小椋佳のCDができた。この1枚に19曲も入った。
  ①木戸をあけて ②ゆれるまなざし ③白い一日 ④いつの間にか少女は ⑤思い出してください ⑥少しは私に愛を下さい  ⑦春の雨は優しいはずなのに ⑧飛べない蝙蝠 ⑨時 ⑩俺たちの旅 ⑪めまい ⑫愛しき日々 ⑬さらば青春  ⑭六月の雨 ⑮花化粧 ⑯風の鏡 ⑰シクラメンのかほり ⑱しおさいの詩 ⑲木戸をあけて

 「愛燦々」をどうするか迷った。何で入らないんだという人もいるかもしれない。私もそう思う。小椋佳の代表作だと思うが何か引っかかるものがある。私が自分のCDに入れた曲と比べるとどうしてもその中に入れるのを躊躇ってしまった。なんか違うのである。ひょっとすると美空ひばりの影が付きまとうからかもしれない。

 当然入るべき曲が入っていないのとは反対に、1曲だけ小椋佳のものではないものがある。4曲目の「いつの間にか少女は」である。この曲はご存知のように井上陽水の歌である。それなのになぜ?昔々、この曲を小椋佳が歌っていたのを聞いているのだ。陽水の歌を選ぶ時にはこの歌は当然入っている。しかし、小椋佳の「いつの間にか少女は」の方が忘れられないのである。もしかして知っている人がいたら教えてください。

 そこで探し回ったがどうしても見つからない。代わりに、Every Little Thingの持田香織の歌った「いつの間にか少女は」が見つかった。陽水の歌もいいし、小椋佳ももちろんいい。しかし、この持田香織の歌も切なくて心に沁みる。彼女が椅子に座って、小さく丸まってけだるく歌っている姿が想像できて鳥肌ものです。
    

100307 小椋佳(木戸をあけて)

3月1日、「春のような陽気かと思えば今日は雪が降りました」という便りと一緒にこの写真が届きました。久しぶりの「安曇野通信」です。雪が解け、山に登れる日を今か今かと首を長くして待ち望んでいることでしょう。安曇野に行ってからもう4年が経ったはずです。

 
 小椋佳はこれまでに2,000曲を超える歌を作ってきたという。無茶な話だと思うが、あえてその中から自分の1曲を選ぶとするとこの「木戸をあけて」になる。これも自分だけの1曲だからできたことで、また、理由はと言われても好きだからとしか答えようがない。いつの間にかこの曲が私にとっての小椋佳になっていたのである。本当のところ、理由として考えられることはいろいろと浮かんではくるのだが、それを言葉にしてしまうと全てが嘘になってしまいそうで・・・・。

 作られたのは1972年という。とすれば40年近く前の歌である。副題に(副題なんてついた歌があるなんてそれまで私は知らなかった)ー家出する少年がその母に捧げる歌ーとある。私も二十歳を過ぎたばかりで、まだこうした甘い言葉に動かされた年代である。いまでもその傾向は残っている。というより、年を重ねるごとにその思いは深くなっている。それで、自作のCDを作った時、「木戸をあけて」を最初と最後に入れておいた。
 
 あなたの後ろ姿に そっと別れを告げてみれば
 あなたの髪のあたりに ほっと灯りがさしたような
 裏の木戸をあけて ひとり夜に出れば
 灯りの消えた街角を 足も重たくなるけれど
 僕の遠いあこがれ 遠い旅は捨てられない