100510 九年庵1やわらかな陽ざし

   

 5時に起床。6時に家を出るためである。つい最近、テレビで九年庵のことが出ていた。佐賀の実業家、伊丹弥太郎が明治25年から長い年月をかけて築いた別荘と庭園である。その年月、9年をかけたところから「九年庵」の名前がついたといわれる。ここは秋の紅葉の時期に9日間に限って一般公開されている。毎年わずか9日間の一般公開を守り続けてきたその希少価値から人気は高く、多くの人が訪れる。

 その訪れた人たちからたくさんの要望が寄せられたそうである。その一つは、公開の日数をもう少し延ばしてほしいということ。桜と違って紅葉である。たしかに9日間というのは短すぎるという気がしないでもない。しかし、建物の保全と庭園の植物、なにより庭一面に広がる苔を維持していくためにはこれくらい厳しい方がいいのかもしれない。

 もう一つは新緑の時期の公開の要望である。もみじを中心とした植栽である以上紅葉はもちろんのこと、若葉のあざやかさはだれもが待ち望んだものであろう。佐賀県の女性観光課長さんがその辺の事情を説明していたが、思い切って決断したものである。

 タイトルの「やわらかな陽ざし」はもらったパンフレットに書かれていたものを借用した。 

100506 老い

友達のブログに載っていたのを「アガパンサス」と言ってしまった。正しくは「シラー」です。

姉にもらった花だがどうしても名前が出てこない。どなたか知りませんか?

  姫路城に行った時にも書いたが、駅に着いたとたん右足のふくらはぎに激しい痛みが走り、動くことができなくなった。アキレス腱断裂の時に「後ろからバットで叩かれたような」という表現をよくする。経験がないので分からないがその表現に似た「バリッ!」という感覚だった。さいわい「姫路医療センター」での診断は軽い肉離れということだったが、その1週間後に脚立から右足を下ろした時にまたやってしまった。それ以来ふくらはぎがいつも張ったような感覚である。

 昨年孫が帰ってきて、男の子だから外での相手はほとんど私の役目になる。グローブとバットを持って、米山公園に行くのが日課になっていた。いつだったかはっきりとは思い出せないが、遠投をした時やはり右肩が今回と同じように「バリッ!」と音を立てた。それ以来オーバースローでは投げられないし、ふだんの生活でも右手は肩よりも上に上げるのが苦痛である。それでもやっと「五十肩」になったか。若い証拠だなんて粋がっていたが、もうそろそろ1年が近づこうとしているのに全く良くならない。

 昨夜は夜のウォーキングから帰って風呂に入ろうと衣服を脱ぎ始めた時に、右手首に違和感を覚えた。まあ風呂につかって身体をあたためて、手首をもみほぐせば良くなるだろうと湯の中で手首のマッサージを始めた。ところが、いつまで経っても痛みは治まらない。どころか激しくなっていく。それでも我慢をしたが真夜中の2時過ぎに痛みで起きてしまう。ふくらはぎの時のシップを貼ってもらったが、とうとうそのまま一睡もできなかった。

 今は(13:30)は落ち着いて、手首を回してもそんなに痛みはない。それでも原因がはっきりとせずに痛みが次々と起きるのには閉口した。おそらく「老化」であろう。いま私の身体は若さ(まだあったかな)と老いとが激しく入れ替わっている状態だと思う。そうでも考えないとこの理由なしは理解できないし、そうでも考えないと気分が滅入ってしまいそうだ。

 今度はどこに「老い」は現れるのか。

100503 館長、がんばります!

村上記念病院の東側 これが日曜日の午後2時の新博多町

 

 25日(日)、先週に引き続いて小幡記念図書館に出かける。今日もいろいろと用事を頼まれたので、例によってyoumeタウンに車を停める。できれば家からずっと歩いていきたいのだが・・・・。下の駐車場はいっぱいなので屋上に停める。NTTの横を通り、妙連寺の前を通って福沢通りを横切り、南部小学校を回って図書館まで。どうもこのコースに決まってしまったようだ。途中、いつの間にか「扇城タクシー」の車庫が取り壊されて更地になっている。太陽タクシーに吸収されたとは聞いていたが、私たちの年代には「扇城タクシー」が中津のタクシーの代表だったのでちょっと寂しい気もする。

 久しぶりの穏やかな(この頃ほんとに天気がおかしい)陽気の中をのんびりと歩く。こうした歩き方をしているとふだん見ることのない景色が目に飛び込んでくる。特に、通りや門や塀の中にあるさまざまな草花が気になる。木々もあざやかな新緑で、ほんとに目にやさしく、心を穏やかにしてくれます。

 本を受付で返し、新しい本を探しに書棚まで行こうとしてびっくり。すれ違った若い男性に声をかけられる。○○君である。「いい若いもんがこんないい天気になんで図書館なんか(失礼!)にくすぶっているの?」と聞くと、「館長、忘れたんですか!館長に食事に連れて行ってもらおうと頑張っているんですよ」という。話せば長くなるのだが、歓送迎会の時、隣に座った彼との会話の中で約束をした。彼は今臨時なんだが、合格したら私の一番お気に入りのお店に招待して合格を祝ってあげるよ、と。

 その約束がうれしかったらしく、次の日会った時に「館長、絶対に連れて行ってくださいよ。そのために頑張ります!」と力をこめる。順序が違っているような気がしないでもないのだが・・・・・。(4/26) 

100430 人の見えない町

   

 昼から町に出る。こうした時はできるだけ歩くようにしている。今日は荷物が多くなる予定なので、車をyoumeタウンにおいて、そこから小幡記念図書館まで歩く。来年からは図書館に通うことが多くなると思う。ここは市立なので蔵書はそこそこあるほうだが、読みたい本、新しい本は少ない。それでもここのいいところは希望する本を申請すると購入してくれる制度のあることだ。こちらが知らないだけどこにでもあるのかもしれないが・・・・。これまで何冊か頼んだがダメだったことは一度もない。この頃、警察小説に凝っているのでこれからは申請していこうと思っている。今日は夢枕獏の陰陽師シリーズ「大極の巻」を借りた。彼の小説は好きなほうだが、これまでで一番良かったのは「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」全4巻である。

 図書館を出てグッデイに向かう。諸町から日の出町を通り駅へと向かうが、見事なくらい人を見ない。日の出町の入り口で高校生らしい(3人ともだぼだぼのトレーナーの下に、どうかすると素肌の腰が見えるほど短いTシャツ である)女の子が3人、地面に置いたラジカセから流れる音楽に合わせて踊っている。もちろん、手足や腰をくねくねさせる今流行の踊りである。それを遠巻きにして男の子が何人か座り込んで見ているが、ほとんどはちらっと見ただけで通り過ぎていく。

 日の出町の中に入ると、通りの真ん中に桜のつもりだろう造花が並べられている。ところが、この通りを駅まで歩く間にすれ違ったのは自転車を押して歩くおばちゃん3人組みだけ。日曜日の昼間なのにこれである。30年前には「夜市」があって、この通りは人で埋め尽くされ、子どもの手を離さないようにするのに苦労したものである。その時は大変だったが、今は懐かしくて仕方がない。やはり、人がいてこそ、人の気配を感じることできてこそ「町」である。人間は「人の間」に生きてこそ人間であるとはよく聞く言葉だが、この頃物理的に人の気配が薄くなってしまい、それにつれて精神的にも人とのつながりが感じられなくなってしまった。

 歩きながらつらい半日だった。(4/18)

100427 イタチ

 3月の「にぎやかで、はなやかな」庭は、いつに間にか花も散ってしまい、静かな庭に戻っていた。花は落ち着いたが、代わりに緑が増えた。小学生の頃、下の娘が近くの男の子たちに「お前んとこはジャングルやの~」といじめられて嫌だったといつか話していたが、その話を聞いて私は娘には悪いが内心にやっとした。

 よく他人から、もう少し庭に石なんか置いて庭らしせなな、と言われたりもしたが、そうした庭は庭のような気がしなくて、木や草は植え、雑草は取るがあとはできるだけあるがままの姿で通してきた。生り物(柿や橙など)が多いなあとも言われたが、少しずつ植え替えてきたもみじや椿、利休梅にヒメシャラ、タツナミソウや十薬にワレモコウなど、ずいぶんお気に入りの庭になってきた。

 その代わり放っておくとこの時期毛虫だらけになって、木の下を通っただけで激しく反応してしまう連れ合いに文句を言われ、慌てて消毒することになる。土曜日と日曜日の半日を使って生垣(これには梅雨時になるとカタツムリがわいて出て、近所の男の子たちの遊び場になってしまう)の剪定と片付け、消毒に追われた。折りたたみの椅子を持ち出して袋に入れてごみに出せるように枝を小さく切っていた時のこと、「ユウ」のお墓のところをなにか生きものが動き回っている。黄色で、細長くて、顔はかわいい。イタチだ。

 時たま、夕方、道路を横切るのを見たり、水路に逃げ込むのを見ることはあったが、庭の中を、それも昼間に出てきて、顔を上げてこちらを見て逃げ出しもしないなんてのはこの家に移り住んで30年、初めてである。小さかったのでまだ子どもだったのか。それとも庭が彼らにとって我が家になってしまったのか。

100424 鹿

 

               鹿                      村野四郎

    鹿は 森のはずれの                 彼は すんなりと立って
    夕日の中にじっと立っていた            村の方を見ていた
    彼は知っていた                    生きる時間が黄金のように光る
    小さい額が狙われているのを           彼の棲家である
    けれども彼に                     大きい森の夜を背景にして
    どうすることが出来ただろう

  この作品は、村野四郎の「鹿」という作品の中にある一行である。佐伯城南中学校に勤めていた時、、中国研の城島集会で佐伯市の発表の資料として、詩の授業をしてその内容をレポートにまとめるという担当になった。当時使っていた光村図書の教科書にあったこの詩を使うことにしたが、授業をどう展開するかに悩み、仲の良かった二つ下の、それも社会科担当の先生と夕方生徒昇降口の階段に腰掛けて話し合ったことを覚えている。

 結局この詩の中心である「生きる時間が黄金のように光る」に少しでも迫るために、2行目の「じっと」と7行目の「すんなり」の違い、動きを考えさせてみようとなった。授業の結果は、ある女の子がこの詩の世界を「色」で表現してくれたことで救われた。それ以来、詩の授業を大事にしてきたし、この言葉、「生きる時間が黄金のように光る」はいろんな場面で使ってきた。たとえば、卒業のサイン帳に、結婚式での寄せ書きに、別れの言葉に・・・・・・。

 その言葉が目の前にある。そして、それを書いた人は私がある中学校で担任をし、国語を教えた人だと教えてくれた。ひょっとして、その言葉は、私が授業で使ったかもしれないし、ひょっとして、卒業の時書いてあげたものかもしれない。それがその子の記憶の中にずっと残り、今、形となってこの作品になったと考えると幸せな気分になっていく。(4/11)

100422 書道展

 
 

 「 ジャスコの2階で、私の習っている書道教室の展示会が今度の土・日にあります。見に来ませんか。抹茶とお菓子の接待もありますよ」とメールが入る。結局、最後の「抹茶とお菓子」という言葉が決め手になりました。

 素晴らしい作品が並んでいます。習い始めてもう10年になるそうだが、「ほ~!」と感心しきり。ところが、ほとんどの作品が漢字ばかり。なんと書いてあるのか全然分からない。意味が分からないと文字(あえて漢字とは言わない)は単なる記号になってしまう。いつだったか、「あなた、国語の教師でしょう」と言われたのがトラウマになってできるだけこういう場所には近づかないようにしてきた。

 そうした中でも親しみやすい作品もある。「平々凡々 生きるのが いやだった過去・・・・・・・」は好きな作品だ。まず、何を書いているのかがよく分かる。そして、「平々凡々に 生きるのが一番 むずかしいと わかった今の 自分」という心境も今の自分に重ねられて親しみが湧く。そしてなにより、この作品がメールで招待してくれた方の作品であるということが一番の理由かもしれない。

 もう一つ、記憶が一気に20代にまで飛んでいった作品があった。それについては次回のブログで。
 なんでもネタになるんですね、と言われそうだ。

100420 京都物語5(祇園・巽橋)

 銀閣寺のバス停で連れと別れる。私は17:52の新幹線まで時間があったので、タクシーの運転手が教えてくれた祇園にあるという巽(たつみ)橋までひとりで行くことにする。100番に乗って運転手さんに「このバスは祇園に行きますか?」と聞くと、女性の運転手さんは、このバスのすぐ横にいる203番に乗ったほうが早く着くから、次のバス停でそちらに乗り換えなさいという。おまけにこのバスの代金はいいから、遅れないように早く行きなさいとまで言ってくれた。こんなこともあるんだね。

 祇園のバス停に着くが巽橋の場所が分からない。こういう時はすぐ聞くことにしている。連れ合いも娘もそういう私をきらうのだが・・・・。客待ちをしているタクシーの運転手に聞くと、道筋を二度も丁寧に教えてくれた上に、「行くととにかく人が群がっているからすぐ分かるよ」とニヤニヤしながら教えてくれた。

 その言葉の通りたしかに人が群れていた。あとで聞くとここは観光スポットになっていて雑誌などで取り上げられているとか。広い通りまでのわずかな距離だが、桜と柳と白川(名前まで情緒がある)と古い町並みがなんともいえない風情をかもし出している。おまけに地名は「祇園」。おそらく夜になるとはなやかな通りに一変するのだろう。

 この時間になると、気温はぐんぐん上がり、日も差してくる。何日か前の予報では雨と出ていてがっくりしたのがうそのようだ。この旅はほんとに天気に恵まれた。《 おわり 》