100525 おもてなし

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 「左」ー駅の構内から写した駅前の風景。来た・ちらっと見た・通り過ぎたというやつだ。せっかくだから「ハチ公」を見たかったといったら、わざわざ見るほどの価値はないよと言われてしまった。そうは言われてもね。一度は見たかった。
 「右」-これが彼のおもてなし。もっともっとたくさんの写真を撮ったんだけど・・・・・。
 

 羽田に着く。京急で品川へ。ところが、この電車は品川行きなのか不安になる。あわてて来た電車に飛び乗ったからである。田舎だとほかにないから間違えようがない。厚かましくも前に座っている男性に聞くとわざわざ外に出て確かめてくれる。彼の優しさにこちらの方が恥ずかしくなってくる。見るからに純朴な印象を与える人だったが、都会にもこういう人がいるのかとうれしくなる。というよりそう思うこと自体が偏見だとは分かっている。人が人である以上、都会の人は全て冷たくて、田舎の人間は全て優しいなんてあるわけがない。なのについそう思ってしまう。

 品川で乗り換え、渋谷へ。孫が外食できない(それだけ激しく動き回るそうだ)というので品川駅の地下でお弁当を買っていくことにする。渋谷に着くと、改札口の向こうに△△くんが待っている。こちらに気がついて走り出しこける。なにをしてもかわいい。降っているかどうか分からないくらいの雨の中を社宅へと急ぐ。女子大の横を通って大通りから数百メートル入ったところに何棟かの古いアパートが並んでいる。

 あとで聞いた話だが、今娘たちが住んでいる部屋は以前は二軒だったところを一軒にリフォームした棟で、夫婦と子ども一人にはまあまあの間取りである。ところが、前の棟では以前のままでそこに夫婦だけかそれに子どももいる家族も住んでいるとか。団塊の世代が辞めていったあとを埋めるために若い人たちを次々に採用しているために住宅環境の整備が追いつかないのだという。

 孫が私たちのためにいろいろと遊びを見せてくれる。ミニカーをありったけ出してくれる。ミニカーの写真集で母親の言葉にあった写真を指差してくれる。とにかく車が好きだ。パズルを始める。どうして覚えているのかあっという間に完成させる。連れ合いや私の膝にまで乗ってくれる。こちらはめったに会う機会がないので当然だと思っていたが、いつもいる娘は普段と違うという。わずか二歳にして必死になって私たちをもてなしてくれているのである。

 連れ合いはこのために簡単な録音機を買っていた。△△くんの声を記録していつも聞くのだという。(5/7) 

100523 いざ出発!

黒の機体はスターフライヤー。搭乗したのはJALでした。 小倉上空、けっこう撮れてます。帰りの機内からも素敵な写真が取れました。

 

 姪が結婚をする。住んでいるのは静岡県の掛川市である。若くして死んだ一番上の兄の子どもで、事情があって中学校から高校を卒業するまで私の母親が引き取って育てた。彼女は私のことを「ケンボニイチャン」と呼び、連れ合いも「ユリコネエサン」と呼ばれている。叔父・姪というより兄弟姉妹に近いのかもしれない。

 その姪がどうしたことかこれまで縁がなかった。身内びいきかもしれないが容姿もまあまあだし性格も明るくて、どうして縁がないのか七不思議のひとつだった。東京でずっと福祉関係の仕事についていたのだが、今から数年前に静岡にある同じような施設から呼ばれて移住してしまった。それが昨年突然連絡があり、結婚しますという。もうあきらめたというより全く考えていなかったので唖然としてしまったものだ。

 横浜に住んでいる彼女の双子の兄の下が一緒に行きましょうと声をかけてくれたので、甥の一家(4人)と私たち夫婦6人で行くことにする。そのために横浜で前泊し、ついでに東京に住んでいる娘、というより孫に会いに行くなど盛りだくさんの内容になってしまった。

 北九州空港で出発時間を待っていると、向こうから歩いてくる二人のうち、ひとりが笑いかけてくる。○○先生である。同じ飛行機で東京に行くという。10歳は違っていたが、昔から親しみを持っていた人である。昔むかし、連れ合いと行った「うしお」という居酒屋でばったり出会い、向こうからビールの差し入れをしてもらって恐縮したのはいまだに覚えている。まさかこういうところで巡り会うとは・・・・。こういうことがあるから人生は面白いし、そのためには家に引きこもってばかりではこうはならない。ブログを読んでもらおうと機内で名刺の裏にその旨を書く。羽田に到着した後、動く歩道で追い越していく彼に手渡す。さあ、結果はどうでるか?(5/7)

100520 藤とダイダイ

   
   

  通勤途上の道路沿いの山の中に紫色が目立つようになって、ある場所の藤の花のことが気になり始めた。宇佐市四日市にある千財農園には本業の茶畑に隣接して約180本の藤が植えられている。インターネットを見ると220本と書かれていたり、240本と書いてあるものまであってどれが本当か分からない。要はそれだけ多いということである。もとは新茶を買いにくる方に喜んでいただけたらという思いから始めたそうである。

 今回は宇佐の虎ファンの方の勧めもあったのと明るい初夏の陽ざしに誘われて・・・・。四日市インターを降りて案内板にしたがっていくとすぐに農園に着く。とにかく壮観である。5月3日、非常に暑い陽気だったが、藤棚の下は日陰になり、近くの小倉の池を渡ってくる風が心地良い。しかし、藤のにおいが強烈である。「むせかえるような」という表現があるがこれだけの藤の花に囲まれたら当然か。顔に触れるほど垂れ下がった藤の花がどこまでも続く。紫や白、そして八重の花まである。あまりのにおいに「トイレの芳香剤みたい」といった人がいたが納得である。それにしても見物客の多いこと。介護施設に入っているお年寄りが施設のマイクロで来ているのが目だった。

   三脚を出し、万全のつもりがリモコンが見つからない。思い切ってシャッターを押したが案の定ぶれてしまった。

 もうひとつ。夜、1時間ほど歩いているが3日ほど前から決まった場所でなにかのにおいがするのに気がついた。金星と月の大接近の日だったのでよく覚えている。それが今日(19日)、特ににおいが強くなった。久しぶりの雨の後なのでにおいがこもっているようだ。すでに暗くなっていたが辺りを見回すとあった、あった。道路沿いに植えられたダイダイの木にたくさんの白い花が咲いている。とてもこの強烈なにおいの元だとは思えない清楚な花である。

 藤にしろ橙にしろ、これだけたくさん集まるともはや「かおり」ではなく「におい」の方がぴったりである。

100517 有田陶器市(投稿151回目)

   

  柿右衛門窯を出ていつものスーパーの屋上に停める。この辺りはどこも千円である。少し離れると500円のところもあるがなにしろこの暑さである。そういえば陶器市に来て涼しかったという記憶はない。いつも照りつける日差しにジリジリと焼きつけられながら、犬のようにあえぎながら歩いてばかりだったような気がする。今日も温度計はすでに「29度」を記録しているが、実際は軽く30度は超えているはずだ。

 先ずはスーパーを出たところで冷たいビールを買う。キンキンに冷えた奴である。露天でテンプラを買って休憩所のテントにもぐりこんでビールを飲み、テンプラにかじりつく。これが陶器市での楽しみのひとつである。ほんとはこれで帰るはずだった(源右衛門と柿右衛門にさえ行けばあとは行かなくていいなんて話していたのに)のに、とうとういつものようにうだるような暑さの中を歩き出す。これこそが陶器市の醍醐味である、なんてね。さすがに以前のように一軒一軒しらみつぶしに店をひやかしてまわる元気はない。それでも有田駅から深川製磁までの距離を往復する。

 途中、以前七宝焼きの陶板を買った店を見つけたのが運のつき。店に入って作品をいろいろ見ていたらつい欲しくなってしまった。前回は「葡萄」を買ったのだが、今回はハーブが9枚も入った大きな額縁が気に入ってしまった。今は見本しかなくなったので2ヵ月後には送りますという話だった。その時止めておけばよかったのにという気がしないでもない。連れ合いのことをいう資格がありません。

   
   深川の前にある「辻修さんのお店」はぜひ見て欲しい。

 14時15分にスーパーの屋上を出る。波佐見有田から西九州道に入り長崎自動車道へ。ほとんど渋滞に出会うことなく、17時ジャストに家に着く。大分自動車道はスムーズだったが、同じ時刻、大宰府から小倉南の間では最大47キロの渋滞が起きたとニュースで言っていた。田舎道もいいもんだと笑う。 

 気がついたら前回の投稿で「150回」を記録していました。まさか1年間で150回も行くとは・・・・・。

100516 柿右衛門窯(5/4)

   

  ちょうど12時、有田に着く。まずは源右衛門窯へ。最終日前日だからなのか例年に比べると閑散としている。いつもは29日に行くのだが、それだと会計の所は行列が何列もできて大混雑なのに。早々に切り上げてお目当ての柿右衛門窯へ急ぐ。以前はこのために少しずつお金を貯めて、毎年一点ずつ器を買い揃えていくのをささやかな贅沢にしていた。初めて陶器市に出かけたのはたしか45歳頃だった。それから途中病気(陶器市に行く途中発作を起こし、引き返してそのまま入院なんてこともあった)で途切れたこともあったが、だいたい毎年出かけるのを楽しみにしていた。

 昨年は、「年金暮らしだし、もう陶器市は止めよう」と話し合ったのに、たった1年でしょうこりもなしに出かけてしまった。九年庵まで来たのだからというのが一番の理由なのだが、前日の夕方、テレビの番組に目黒祐樹が出ていた。九州の町を紹介する番組である。今回は佐賀県有田。それも柿右衛門窯を訪れるというものであった。それに14代と15代が出演しているのを目にしたのが運のつきであった。

   
 これが柿の木  風の吹き抜ける庭

 私が写真を撮るのに夢中になっている間に連れ合いは今年も器を買ってしまった。飾るためじゃない。これからはどんどん使うからと言っているがどうなることやら。その後はお茶とお菓子(今年は大原の松露饅頭)をいただき、ゆっくりと庭を眺める。縁側に出ると風が吹き抜けて、今日の厳しい陽ざしも気にならない。心穏やかになるだけでなく、心の「ぜいたく」を感じる。この贅沢を感じたくて年一回やってきているのかもしれない。

   
 この位置で毎年記念の写真を撮ってもらっている  私たちの買うのは小さなちいさな器です

100515 御船山楽園

御船山 これではサギだ!

 思いのほかスムーズにいったので、有田に行く前にもう一つどこに行こうか迷う。前日のテレビに同じ佐賀県にあるツツジの名所「御船山楽園」と「大興禅寺」が放映されていたのである。例の駐車場の若い係の人に聞くといろいろ調べてくれる。いつもニコニコしていて、こちらのわがままなお願いにもやさしく対応してくれる。おそらくこの連休にもかかわらず春の一般公開に狩り出された職員のようだが、こんな若い人がいるとうれしくて仕方がない。日本の将来もまんざら捨てたもんじゃない、なんて年寄りぶって思ってしまう。車の中で連れ合いとそんな話をしながら、写真を撮ればよかった、名前を聞けばよかったとつい思ってしまう。一瞬引き返そうかと思ったのだが。ブログを始めてからほんとに厚かましくなったと思う。

 彼の意見で有田の手前、武雄温泉にある「御船山楽園」に行くことになる。連れ合いは何年か前町内の旅行で行ったことがあるという。それは見事なつつじだったという。しかし、それは4月の20日過ぎだったからもう遅いよ、という。でもネットで調べると「20万本のツツジ」とか「樹齢150年の大藤」に「萩ノ茶屋を特別公開」とあったし、前日のテレビにあれだけのツツジが映し出されていたのだから大丈夫と反対を押し切って出かけたのだが・・・・・。入場券を買う時嫌な予感がした。800円が消されて600円になっていたのである。メインの御船山のふもとにはテレビで放映された一面のツツジはなく、上の方に少し残っているという状況である。その景色を観ても連れ合いは何も言わない。私も知らん顔をしていたが内心汗がどっと出た。

 これではあのテレビの映像はサギだ! 

100512 仁比山神社

   

 8年前は九年庵もだったが、すぐ隣にある「仁比山神社」の紅葉が素晴らしかった。私はこちらの方が見事だったと思っているのだが。この年は紅葉の当たり年だったようで、帰りに寄った大宰府の光明禅寺の紅葉がまた見事だった。ほとんど毎年出かけているのだが、時期を違えるのかもう二度と巡り会うことはない。

 今日もモミジの新緑が素晴らしかったが、今日はモミジよりも大楠のほうが目立った。2本あって1本は「樹齢800以上」と書いてある。もう1本も600年は超えているだろうとあるが、いずれにしてもその木の前に立つとつい頭を垂れてしまう。おそらくこの木が生きてきた長いながい時間への畏敬の念が理由だと思う。いや、ただ単にそのあまりの大きさへの畏れからだと言った方がふさわしいかもしれない。そのあまりの存在感・生命力に圧倒されたのである。

 天平元年に農業神として祭られたと神社の縁起に記録されている。天平といえば、奈良に都が置かれて今年で1300年。平城京の大極殿が再建されて今大々的に遷都1300年を祝っている。その当時に祭られたのである。この神社では12年に1度の申年の4月に、県の重要無形民俗文化財である御田舞が13日間奉納されるというが見てみたいものである。本殿の隣には「松尾社」がある。おそらく京都の松尾大社につながるものだろうが、とするとお酒の神様になる。佐賀県は銘酒が多いと聞く。磯屋の大将に教えられて、行橋まで買いに行った「雷神」も佐賀のお酒である。

   
   

 

100511 九年庵2(みどりの風)

   

  日田から高速に乗って東背振ICに着いたのは7時30分。8時30分開園なのに1時間も前に着いてしまった。前回(8年前)は仁比山公園の駐車場(九年庵のすぐ近く)に停めたのだが、今回は吉野ヶ里テクノパークに用意された臨時駐車場からシャトルバスが出ているという。駐車場係の若い人に公園の駐車場には行けないのかと無理を言うと(無理とは分かっていますが一応)、こちらのわがままにもやさしく対応してくれたが、もちろん無理である。

 本部テントでもらった入場整理券には32番とあった。まず、仁王門を見て、幕末の蘭学者、伊東玄朴の旧宅横を通り入り口まで。開園が15分早まる。だれもが一様に感嘆の声を上げるのはやはり緑のシャワーの見事さである。紅葉も素晴らしかったが紅葉は季節に左右される。特にここ近年は温暖化の影響か、どうもあざやかに色づいた紅葉を見た記憶がない。しかし、新緑のあざやかさはいつも変わらない。そして、それを眺め、緑にひたる人々の表情はとてもやわらかい。縁側に腰かけてじっと緑を見つめている人たち。今日の暑い日ざしも周りの木々にさえぎられてここまではとどかない。

 私の目はついつい新緑ばかりに向かうのであるが、「この時期、こんな緑はどこにだってあるわ。ここの素晴らしさはこの建物と一体になっていることよ」と連れ合いは言う。そういえば、我が家のモミジも若葉から深い緑に変わろうとしている。それはそれなりにすばらしいのではあるが。

  これは8年前の九年庵の紅葉である