110125 小倉記念病院2

 

 10:55 心電図が終わる。早い。いったいどうしたことだろう。昨年は心電図が終わったのが昼を過ぎていた。
 この病院に通うようになって今年で18年目である。倒れたのは48歳の時だった。忘れもしない。有田陶器市に行く途中の車中で起きた。1ヶ月ほど風邪を引いたような症状があった。医者は風邪をこじらせたんでしょうという。胸というより胃の方が締め付けられるようで運転ができなくなった。となりに連れ合いがいたのが幸い。でなければそのまま発作を起こしたまま死んでいたか、岩にぶっつけていたか、崖から落ちていただろう。場所は下郷の先である。
 12:55 心電図は早く終わったのに診察はなかなかである。名前を呼ばれたのは2時間が経とうとしていた。心配しなくてもちゃんと昨年並みの時間になった。担当医は副院長の野坂秀行先生。18年前、私の手術を担当した時はたしか外科部長だった。診察は「お元気でしたか?」で始まり、聴診器を当て、脈を診て、血圧を測る。最後に「また来年、お顔を見せてくれますか?」で終わる。この声を聞きたくて年に1回やってきているのかもしれない。
 13:00 こちらでの医者が変わり、預かった手紙を渡す。「分かりました。賀来先生はよく知っています。返事をすぐ書きますので渡してください」と。18年間通ったこちらでの病院を変わらなければならなかったのでちょっと心配していたのだが、野坂先生の明快な声にホッとする。

110122 小倉記念病院1

   

 新しい写真がありません。「困った時の」の写真も底をつきそうです。どなたか写真を送ってください。

 毎年年に一回小倉記念病院に出かける。8:23分の普通列車に乗る。南小倉駅で下車。雨の中、どこをどう間違えたのか方向が分からなくなってしまう。得意の、人に聞くこともこの雨の中ではままならない。なんとか紫川まで出ることで記念病院独特の外観を見ることができた。
 10:37、まずレントゲン写真を撮る。順番を待つ人の顔は一様に深刻な表情をしている。というより努めて無表情を保っている。その中で係員が順番のきた患者さんの名前を呼ぶ声が響く。相変わらずすごい人である。おそらく大部分が年に一回の方だろうに、どこにこれだけの病人がいるのかとあきれてしまう。私もその中の一人なんだが・・・・。
 目の前を「となりのTちゃん(小さい頃隣の家に住んでいた一つ上の親戚の女性である)」が歩いている。そういえば昨年もここで彼女を見ている。ということは今日が彼女も私と同じように年に一度の検診日というわけだ。まさかこんなところで出会うことになろうとは。自分のことは棚に上げて思う、ずいぶん恰幅がよくなっている。受付で私も名前を呼ばれているので知らないはずはないのだがと思いながら、こうした場合の礼儀と思って声はかけない。

110119 ゴデチャ

いただいた苗 ネットから拝借した画像

 今朝はとうとうマイナス1度を記録した。これまでの最低温度は0度である。毎日毎日「今年一番の寒さが」とテレビで放送している。明日・明後日(15・16日)は最強の寒波がやってきて平地でも積雪の恐れがあるという。連れ合いは日曜日「初釜」である。どうなることやら。私の方は早々と月曜日の朝、2時間の代休を取った。いつも期限切れで流すことばかりなのでこの際である。こうして用意するとたいてい雪も降らないのであるが、それはそれ、準備完了!
 やはり大荒れにはなったが、我が家の周りは雪は大丈夫だった。しかし、本耶馬の方は大変だったようだ。図書館の方は日曜日、雪がぼっこり降ったので、梅ノ木瀬から歩いて出てきたという。
 見たことのある方が事務室に入ってきた。たしか多志田の遠入さんである。ちょうど樋田地区公民館の館長の相手をしていたので、対応は指導員がしてくれた。センターにコピーしに出かけたりして帰ってきた時にはすでに大会議室に入っていた。机の上には薩摩・蒸気屋と書いた紙袋が置かれ、中には鉢に入った何かの苗があった。遠入さんが館長さんにと持ってきてくれたというのである。あわてて遠入さんを探してお礼を言う。「館長さんが一番喜んでくれるので・・・・・」と。彼女がこれまでで一番きれいに見えた。
 教えてもらった名前「ゴデチャ」をネットで調べる。別名「イロマツヨイ(色待宵)」とある。待宵草の仲間で花色が紅色であることから付けられた名前だとか。アップされた写真を見ると待宵草に似ているけれどいろんな色があってもっと華やかなようだ。昨年は「タイマツソウ」や「ゲンノショウコ」をいただいた。5年勤めてやっとこんな関係ができた。できた頃には辞めなければならないが・・・・。

110116 タイガーマスク運動

   

我が家の庭の春はこのロウバイから始まる。昨年末撮っておいた写真が役に立った。次回ももうすこしアップした写真を掲載します。この時期、新しい写真がありません。2月には出かけようと思います。

 タイガーマスク運動がニュース番組を席巻している。朝起きれば、みのもんたがめくるボードで説明している。夕方はどのテレビ局もどこでどんな贈り物があったかをまくし立てている。この頃では、エスカレートしてこの現象の奥にあるものはから日本人論、はたまた寄付についての国の違いまでが取り上げられるようになった。ある意味平和な日本である。
 とうとうこの運動が日本全国に広がったそうである。こういう話は自分はしているのではないが、なんとなく照れくさくて聞くこと自体恥ずかしくなってしまう。ところが、熊本市では90歳の方が24万円を寄付したという。埼玉県草加市では小学6年生の女児二人が市役所にノートと菓子を寄付したと報道された。こういう話になると感激して涙もろくなってしまう。
 ところが、ある県では前もって伺いますと連絡があり、カメラが待機しているとタイガーマスクのマスクを被って、まるでヒーローのように話し、走り去っていく場面が映っていた。だから・・・・・と言われそうだが、やはりちょっとね、と思ってしまう。関係ないことだが、ある県とは「大分県」というのがひっかかる。こうした行為は、人に知られずに行うべきだという「陰徳の美学」という考え方が日本人にはあったように思うのだがどうだろう。
 いずれにしろこれも含めて今回の運動は素晴らしいものだし、できれば一過性のものでなく、こうした行為が普通に行なわれる社会になればいいと切に願う。

追伸  今回の報道を通して、昔々読んだ本を思い出した。学生時代だから45年は経っている。ルース・ベネディクトの「菊と刀」である。 

110112 山芋

     

 「今度また山に行きましょう」
いつ頃からか冬場になると山芋掘りに連れて行ってくれるようになった。ずいぶん足手まといになっているだろうにと気の毒なのだが、気持ちよく誘ってくれる。山に囲まれた所で育った彼は、ほんとに山のことをよく知っている。山芋に関して言えば、この時期になるとツルは枯れ、全てが途中で切れ、どこにつながっているのかは素人ではまったく分からない。それを推理してここだと見つけるのである。
 時間通り8時半に迎えに来てくれる。道路に設置されている温度計は1度を示している。始めに行った場所は左手に県の農業公園が、そして、すぐ上を湯布院への高速道路が通っている。手前の田んぼには氷が張っている。何年か前に何度か来たことのある場所だ。そろそろいい頃ですよ、と張り切ったのだが、登ってみて驚いた。あるはあるは、至るところ穴だらけである。イノシシではない、人間である。最近山芋掘りの人がずいぶんと増えたという。
 あきらめて移動。昼までに6本掘る。ほとんど彼が掘りあげたもので、私も見つけてもらったツルを手がかりに掘ってみたが、1本は途中で石に阻まれてあえなく撃沈。もう1本も掘るだけ掘って、最後は彼に掘りあげてもらった。
 気がついたら山の中はけっこう暖かい。何より風のないのがありがたい。そして、ただひたすら掘り続けるので汗ばんでくる。明日には身体が悲鳴をあげますよと脅されたが、たしかにすでに左腕が痛くて上がらない。しかし、妙に充実感がある。土と格闘して、汗をかいて、山の恵みを頂いて、悪いわけがない。 

110108 教え子

   

マッターホルン。私が撮った写真といいたいところですが、 困った時の「ひみこ」さんです。

 前回、「美人過ぎる教え子」について少し書きました。そうすると・・・・・あるんですねー。
 夜遅く、電話に出た連れ合いが楽しそうに話している。昼間来ていた彼女の友だちかな?娘からかな?と思っていたら、「お父さん、幸彦くんからよ」と受話器を差し出す。大入島中学校時代の教え子である。学校を出て一年間臨時講師をして、9月に正採用になって赴任した学校に彼はいた。定期便のように年に1回か2回は電話がかかって、いい年をした二人が長々と話すのが恒例である。
 教育事務所に呼び出されて、担当者から「島です!」と言われた時にはびっくりした。なかなか採用のなかった時だったので有りさえすれば御の字と思っていたのだが、それにしても島とは全く考えていなかった。佐伯の街で一泊し、翌日港から連絡船に乗った時はちょっと心細かった。ところが、島といってもその島は港から目の前に見える島で、佐伯管内で一番便利のいい島。異動の対象としては常に人気上位にランクされる学校であったと、後になって知る。
 学校は3番目の船着場(堀切)の目の前にあり、同じ敷地内に小学校もある小さな学校である。彼は当時2年生。ということは私とは10歳しか違っていない。この島での思い出を書けば尽きることがない。ここで結婚したし、上の娘も生まれた。こうしていまだに連絡をくれる教え子もできた。
教え子といっても彼にも孫が4人もできたという。今では教え子というより「同志」と言ったほうがぴったりかもしれない。なんの「同志」かはよく分からないけれど・・・・・。

110106 明けましておめでとうございます2

     
     

 席だけ予約して、さて、お店を冷やかすかとしたら、吹き抜けのホールから元気のいい音楽が聞こえてくる。何事かと1階に下りてみると、たくさんの人が集まっている。大道芸人と自分でそういっている二人の男女が、ティッシュの箱を使ってパフォーマンスをやっている最中だ。最初は遠慮していたが、だんだんと前に出て行き、とうとう一番前に陣取る。
 

     
     

 40は越えたであろう男性と年齢不詳の女性。ふたりともこれまで出会った事のある人に似ていて可笑しくなった。男性はお世辞にもイケメンとはいえないが味のあるあの人の顔。女性は私の教え子で、今はFMのパーソナリティをしている人に似ている。ということは美人だということである。ということで、当然女性の写真が多くなる。単に芸を見せるだけでなく、見物客を巻き込んだり、おしゃべりも楽しく、映画までの時間を楽しく過させてもらった。

     
   この時、彼女は男性の肩の上です  

 そうそう、残りの1000円はこの時使った。二人が最後に帽子を回わしてきた時、だれもが出て行かない。私もそうだが、日本人にはこうした習慣(=経験)がないので照れてしまう。思い切って私が帽子にお札(CMのように硬貨を缶に入れたかったのだが)を入れると、後からは我先にとお金を入れる。なかでも子どもたちが親にもらったのか、お年玉から出したのか、帽子の中に入れて、少し照れくさそうに、少し誇らしそうに帰ってくる顔が素敵だ。

110102 明けましておめでとうございます

今年の年賀状です。もうそろそろ止めようかと思うのですが、なかなか思い切れません。それでは今年もよろしくお願いします。

 元日、朝8時半に家を出るはずが、昨夜来の風と雪のために温かい布団の中から身体を引っ張り出すのが大変でした。家を出たのは2時間遅れの10時35分。ところが、家の周りに雪があったくらいで、中津も小倉も雪の小片(かけら)も見られなかった。井筒屋も思いがけずあっさりと駐車場に入ることができた。昨年は8時半に出たのに駐車場に入るのさえ大変だったのに。ひょっとしたら2時間遅れでかえってひと段落着いていたのかもしれません。
 まずは昼食。8階にある「手延五島うどん 椿亭」で「肉うどん定食」。帰るのは5時にはなるのでビールも少々。ここで連れ合いと別れる。今日は彼女のお買い物の日。車の中では肩が凝ってと不機嫌だったのに、いざ井筒屋に着くとその肩こりもどこかに消えてしまったようだ。これが女性の特権である。

     
     

 私はアッシーくんである。とてもじゃないが何時間も付き合いきれない。私はいつも本屋に出かけて、映画を観て・・・・・、時間をつぶす。まず、暖かいビルの中から雪の舞う通りへ。旦過(たんが)市場の近くにある「BOOK・OFF」へ。が、今回は交差点の向かいにある「QUEST」でスティーブン・ハンターの「蘇えるスナイパー」上・下を買う。これが1900円。リバー・ウォークで映画。「トロン・レガシー」を観る。3Dと宣伝していたが、昨年のアバターと一緒。ちょっとがっくり。眼鏡と合わせて1500円。今日使ったのはあと1000円。何に使ったかは次回に。