110522 津和野紀行(番外編)

   

 津和野土木事業所
   管理課長  △△ △△ 様

 今年も昨年のように猛暑になるのではないかと今からいらぬ心配をしています。
 先日、つわぶき街道に架かる橋の名前について依頼した◇◇です。送っていただいたファックスの内容を元にブログがやっと掲載できました。途中別な旅行が入ったのもあってずいぶん遅れました。あと2回ほどで津和野紀行も終わりです。作ってみて、あの橋の記事があるのとないのとではずいぶん価値が違うなと、これは感謝と同時に少しうぬぼれも入っています。もし、その記事を見ていただけたらと、これは淡い期待です。

 ブログのアドレスは「https://studio-reve.com/harada/blog/」です。
            「おーちゃんの写真紀行」をクリックしてください。

 勝手なことばかり書いてしまいました。恥も掻いたような気がします。繰り返しますが、ほんとうにありがとうございました。

  5月16日                                                        
                                                                  

110521 中津城たにし祭

  中津に、ではない。中津城に「たにし祭」という祭りがある。中津城の城主だった奥平氏が信昌の時、長篠の戦いの前哨戦、長篠城篭城戦で武田軍を迎え撃ち、堀の「たにし」を食べて飢えをしのいだという故事に由来しているという。
 21日にお城でこんなものがあるよとパンフレットを渡された。「10時30分からSちゃんの神楽があるから行ってみたら」というのである。「Sちゃん」とは連れ合いの同窓生であり、私にとっては卓球部の後輩に当たる。この先輩・後輩という関係は一度そうなると互いがどうなろうと変わることなく続いていくので、私はいつまでも先輩である。ちょっと割りのいい話か!年に一度の卓球部の同窓会で会うくらいだが、連れ合いとはいまだに親しくしている。
 彼女が神楽を舞うと聞いたのはどのくらい前だろう。一度は見てみたいものだとずっと思い続けてきたが、やっと実現した。一言で言えば、「Sちゃん、カッコイイ!!」と、まるでオリエンタルラジオの決め台詞である。女性の神楽は始めてだが、男以上に決まっている。やはり「カッコイイ」としか出てこない。

 追伸  なぜか「出雲阿国」のことが頭に浮かんだ。

110520 閑話休題(パソコンのトラブル)

斎藤さんにいただいたフウランが今年も花を付けました。 紅葉の木の枝にぶら下げただけ。それでもうすピンク色の可憐な花を付けました。

 17日に、珍しくパソコンを扱っていた連れ合いが、「ネットに接続できません」ってメッセージがでてるよ、という。またかと思いながら佐藤さんに教えられたモデムの接続を一度切って時間を置いてからつなぐとという方法をやってみた。今回も1回で復旧できた。
 ところが、その後が大問題発生。接続は回復できたのだが、スピードが極端に遅くなってしまったのである。これも佐藤さんに教えてもらったことだが、自分でスピードテストできるソフトをお気に入りに入れておいてもらった。何も問題がない時には大体「2Mbps」位なのだが計測したらなんと「24Kbps」。これまででもっと低い数値を記録した。
 すぐにyahooの担当者に電話をして調べてもらい復旧してもらったのだが、こういったことがこれまで何度も起きているので慣れてしまった。しかし、ちょっと腹が立ってきている。

110516 津和野紀行9(橋の名前)

   

 津和野は「つわぶきの生い茂る野」をその名のルーツに持つといわれている。遠い昔、この地に住み着いた人々は、群生する「つわぶき」の可憐な花に目をとどめ、自分たちの住む野を「つわぶきの野」から「つわの」と呼ぶようになったというのである。そのことばの響きの中にはこの地に対する彼らの誇りとツワブキの葉の艶やかさに通じる美意識とかすかな自慢めいたものが感じられて好ましい。
 そうした美意識は今も残っているようだ。帰りは県道13号を通る。別名「つわぶき街道」と呼ばれている。運転しながら気がついたことがある。それは橋とはとうてい言えないほどの小さな橋に名前がついており、それぞれに大きな標識が立てられているのである。それも普通使われる地名に由来するものではない。「つわぶき橋」など津和野に由来することばを冠するところに美意識と誇りがにじみ出ていて、「感じいいね~!」とこちらの気持ちも明るくなってきた。ところが、帰り着いたら覚えたはずの名前をほとんど忘れてしまっていた。
 なんとかこの感動を伝えたくて、厚かましくも津和野町の観光課に電話して教えを請う。応対に出た若い職員の方が調べてくれて、県道なのでと「県・津和野土木事業所」を紹介してくれた。土木事業所では管理課長さんが丁寧にファックスで地図まで送ってくれ、おまけに「橋梁の看板に目を留めていただき、連絡をいただいたことを大変うれしく思います」とまで言ってくれた。
 私の厚かましいお願いを受け止めてくれて、丁寧に対応してくれた観光課の職員さんと土木事業所の管理課長さんに、改めて感謝の意を表したいと思う。これだから人とのふれあいは止められない! 

110515 津和野紀行8(四季の詩)

     
全景  レストラン  朝食 

 5時前に今日のお宿「四季の詩」に到着する。山の中にあるペンションだ。まず豆茶の接待を受ける。とにかく歩き疲れて汗をかいたので、何はさておいても風呂に入る。風呂に入って「ほっと」するのは久しぶりだ。
 チェックインする時、ここにはテレビはありませんから、といわれた。始めは戸惑ったが時間が経てば慣れるもんだ。夕食は6時半からなので、ベッドに寝転んで今日一日のことを思い出しながら、キーワードになる言葉をノートに書き出している。こうしておくとあとでブログの原稿としてまとめるのにずいぶん助かる。
 

     
     

 4組、9人の宿泊である。夫婦でやっているのでこのくらいがちょうどいい。夕食はレストランで。美味しかった。それにしてもビールとワインを2杯も飲んだので、奥さんの言うメニューの名前が全く頭に入らなかった。もう一度風呂に入ったらあとはただ眠るのみ。 

110514 津和野紀行7(SLと源氏巻)

 「いい写真が撮れたら○○くんに送ってあげたいね」という。東京に住む下の娘の子どもは3歳になったばかりだ。昨年、姪の結婚式で東京に行き彼に会った際、ミニカーをありったけ持ち出してきて名前を教えてくれた。とにかくミニカーが好きだ。今は車だけでなく電車にも興味を持ち出したという。
 3月から11月までの土・日・祝日に、山口線のうち新山口から津和野まで一日1往復、蒸気機関車が運行されている。SLやまぐち号(貴婦人)の愛称で親しまれている「C-571」。駅に停まっている姿や動き出して煙を吐いている姿も踏切から撮ることができた。

     
     

 4月25日の「桜紀行(菊池公園)」の最後に、「30・1日に1泊で津和野に行きます」と書いたら、安曇野の住人からさっそくメールが届いた。「津和野ですか。名物源氏巻が懐かしい」と。公民館も辞めたのでお土産を買う機会がなくなったが、津和野の名物は「源氏巻」一色のような雰囲気だったので、自分のために「源氏巻」をお土産として買った。
 美味しかった。これならもうすこし買って帰ればよかった。

 

110513 津和野紀行6(太鼓谷稲荷と鷲原八幡宮)

 鷺舞で有名な「弥栄神社」の先の山に日本五大稲荷の一つといわれる太鼓谷稲成が見える。ここは願望成就の「成る」を使って「稲成」としており、日本全国でここだけだそうだ。朱塗りの拝殿が見事で五大稲荷の一つといわれるだけのことはある。参拝道には信者が奉納したその数が実に千本といわれる「千本鳥居」がトンネルとなって壮観である。
 気がつくとたくさんのカメラマンが集まってきている。三脚をセットしたり本格的だ.聞くと、もうすぐ下の津和野の町の中を「SL」が通るというのである。ここが絶好のスポットだそうだ。SLについてはまたあとで取り上げる。

     
     

 町外れには鷲原八幡宮があり、ここには日本で唯一原型を留める「流鏑馬の馬場」が保存されている。保存されているだけでなく、毎年4月の第2日曜日に流鏑馬神事が行われ、多くの見物客で賑わうという。上で書いた「鷺舞」とこの「流鏑馬神事」は一度は見ておきたい伝統文化である。

     
     

 

110512 津和野紀行5(安野光雅と森鴎外)

 鯉の米屋のすぐ近く駅前に、この町で生まれた世界的な絵本作家「安野光雅」の美術館がある。作品を展示するだけでなく、小学校の教室、図書室、はてはプラネタリウムまでが併設されている。こうした何々施設というのにはあまり興味のない私もここだけは必ず訪れようと意気込んでいた。司馬遼太郎の「街道をいゆく」の挿絵を前任者の須田剋太画伯のあとを受けたことでしっていたかである。

     
     

 津和野といえば「森鴎外」である。小説家としても文豪として呼ばれ、医者としては軍医として医務局長にまで登りつめた鴎外も、生前から「津和人、森林太郎として死にたい」と望んでいたという。永明寺にある墓にはたしかに「森林太郎之墓」とのみ刻まれていた。