110810 わっしょい百万夏まつり

     
一文字通り会場
朝からの雨が
みごと
晴れました 
草野キッズビクス
とにかく元気いっぱい
表情がいい
もう一度若くなりたい! 
井筒屋井和会
なんのためでもいい
井筒屋、がんばれ!
博多阪急に負けるな 
     
よさこい連ミズマ
久留米からやってきました
以前にも見たことがある
応援したい! 
夢追いたい
団塊世代が中心のチーム
それだけに表情が乏しい
元気出せ!
 
月華美人
大人たちが
たった一人のこの子に
喰われてしまった

 台風の影響で、昨夜から雨が降り続いている。今日は土曜日(6日)。小倉の「わっしょい百万夏まつり」へ行くことにしていたのに・・・・・。始めてのお祭りだし、ゆっくり見ることができるようにと観覧席の入場券を買ってまで楽しみにしていたのだが。祭り振興会に電話してみると、夕方にはあがる予報なので決行しますという。それを信じて15時の電車に乗る。
 西小倉で降りて会場へと急ぐ。雨はずっと降り続いている。ところが、リバーウォークを抜けて、小倉城にできた屋台村を過ぎて、勝山公園の会場に着くころには(この間、10分程度しか経っていないのに)雨が上がり、かすかに雲も白くなってきた。ひょっとして私は「晴れ男」なのかも!?
 この会場では43チームが参加しての「わっしょいYOSAKOI」の競技が行なわれ、これから上位8チームによる決勝戦が始まるというので、「まつり大集合」が始まるまで見ることにする。 

110809 孫2

いざ「うみたまご」へ セイウチの「みー」

 前回に続いてなので「孫2」とつけたが、孫の話はほとんどない。
 5日の未明、前の家のじいさんが亡くなった。救急車のサイレンの音で起こされたが、警察が我が家にまで事情聴取にやってきた。意味の分からないのが消防車までやってきたことだ。この頃、調子が悪いとは本人から聞いていたが畑には出てたし、2・3日前には大きくなったスイカをあげようと言ってくれたばかりである。全く寝込むことなく、家族が気がついた時には納屋の台にうつぶせになっていたそうだ。
 この頃はおばさんの勢いに押されていたが、他所様が見ても勝手気ままに生きた84年間だった。戦争に行った話から引き揚げ後の混乱の時代から韓国の話から色々聞いたが、ここには書けないことばかりだ。おかげで、その年まであと19年しかないのかとか、孫たちをいつまで見ることができるのかとか、妙にしんみりとなってしまった。
 そうそう、これでじいさんに貸していた畑が返ってくることになった。やれやれ・・・・・ 

110807 孫1

この真剣な目! 汗をかきながらのお馬さん
もう年寄りには無理だ
始めての花火
始めてつかんだ花火

 今朝(6日)、上の娘が帰っていった。まず下の娘が28日から夫婦と孫の3人で4日まで。31日には上の娘が孫と帰ってくる。ふだん年寄り二人の家に、一気にこれだけの人間が集まって、シッチャカメッチャカになってしまった。
 安曇野の住人はこうした状態を『民宿のおやじをやっています』と表現していたが、あちらは周りに広がる風景からも、「安曇野」という地名からも民宿は民宿でも「ペンション」と呼べるだろうが、こちらは「旅籠」が精一杯である。
 ありがたかったのは、昨年の夏に比べるとずい分と涼しくて(それでもやっと以前の夏に近かった)、寝苦しい夜が少なかったことだ。おまけに、6年生になった上の孫が3歳になった下の娘の孫を可愛がってくれて、年寄りを助けてくれた。おかげで一度も泣いた所を見ることがなかった。今はホッとした状態だが、今晩辺りからさみしさが募ってくるのかもしれない。

110805 台湾紀行20(ガイドさん2)

別れる「許」さん 出  国

 『なぜ、台湾人は日本人を嫌いじゃないのか』というすごいテーマを二人の日本人を取り上げて教えてくれた。その一人は「鳥居信平(とりいのぶへい)」。80年も前、台湾の最南端・屏東県で、伏流水を生かした独創的な地下ダムを造る。その工法は風景や生態系を壊さず環境に配慮したもので、いまでも地域住民に恩恵を与えている。
 もうひとり、「八田與一(はったよいち)」。当時アジア最大といわれた烏山頭ダムと1万6千キロにもおよぶ灌漑用水路を、10年の年月をかけて建設する。そのおかげでサトウキビすら育たなかった嘉南平野は台湾最大の穀倉地帯に変わる。今でも「嘉南大圳(かなんたいしゅう)の父」として畏敬の念をもって慕われている。
 ふたりとも台湾のために生涯をささげ、二人とも「私」ではなく「公」のために生きた日本人である。そして、日本ではほとんど忘れられた存在でありながら、二人とも台湾の学校の副教材に取り上げられて、今も慕われているという。「台湾 鳥居信平あるいは八田與一」で検索するとたくさん出てくる。
 この話をしてくれた後、許さんは「台湾人は日本人に感謝していますよ」という。こうした日本人がいたことを知り、そのことを教えてくれた許さんに出会い、『感謝』ということばを聞けたことが、今回の台湾紀行の最大の成果なのかもしれない。 

110802 台湾紀行19(ガイドさん)

名前を「」さんという。だから、皆さんが迷惑をかけてもすべて「」しますと。4日間私たち1号車のガイドを勤めてくれた女性である。年はいくつだろう。厚かましい私だが、さすがに女性には年は聞けない。日本語は独自に習ったというが、仕事(生きる)ためとはいえ見事なものだ。
単にガイドをするだけではない。歴史・政治・文化・・・・・に自分なりの意見を持って話してくれる。けっこうきついユーモアも持っているし、素敵な話(紀行4)も教えてくれた。中国人(大陸)に対する厳しい目もさらりと話してくれた。
 

その1.レストランのトイレで中国人の女性と目が合った。彼女は和式を使い、ドアを開け、こちらを見ていた。にらみ合ったきり何も言えなかったそうだ。
その2.中国人は何でも食べる。ただし、次の3つは食べません。空のもので「飛行機」、これは食べません。陸に棲むものの中で「机」、水に棲むものの中で「潜水艦」、これらは食べません。
その3.中国人はどこにいても大声でしゃべります。どこでも淡を吐きます。順番は無視します。そういう環境で生きてきたのだから、直りません。だから彼らに遠慮をしてはいけませんよ。

 

 

110801 安曇野通信(チングルマ)

宝剣岳 シナノキンバイ
   
ハクサンイチゲとチングルマ  チングルマの実 

 28日には「明日掲載します」と書いたのに守れませんでした。その日に東京の下の娘が孫を連れて旦那と帰ってきました。3歳で一番可愛い盛りです。30日には香港の娘も帰ってきて現在我が家はシッチャカメッチャカな状態です。今、娘二人は出かけ、上の娘の孫(6年生)が3歳の子を弟のように可愛がってくれて仲良く遊んでいます。やっと、ゆっくりとパソコンに向かえています。
 『7時より登山開始。木曽駒が岳・宝剣岳を回って13時30分千畳敷カール駅に』とある。送られてきた写真の中の花の名前「チングルマ」が、正直変な名前だと気になった。ネットのWikipediaには「実の形から子供の風車(かざくるま)に見えたことから稚児車(ちごくるま)から転じて付けられた」とある。関連画像に実の写真が掲載されていたのでコピーしたが、なんとも爽やかな姿をしている。3年前に送ってもらった「志賀高原の風に揺れるワタスゲ」に似て軽やかである。

   
   

110730 台湾紀行18(忠烈祠)

 

     

 故宮を後に、最後の見学地・忠烈祠に向かう。やはり高尾の忠烈祠よりも大きい。白を基調として緑の瓦が涼やかな大門をくぐると、目の前には真っ白な石畳の広場がまぶしい。その先には赤い柱とオレンジ色の屋根の豪華絢爛な大殿が立つ。この華やかさは日本の寺院とは対照的だが、やはり同じように、いやそれ以上に荘厳な空気が漂っている。

     
     

 さて、衛兵交代だが、今回は青い制服ということは空軍の兵士ということになる。白は海軍、緑は陸軍と、三軍交代で守っているそうだ。まず、大門で交代があり、それから大殿まで行進する。大殿の衛兵と交代して戻ってくるのだが、一糸乱れぬ行進には思わず見とれてしまう。普段にぎやかな中国の観光客もここでは静かだ。左手を前にビシッと挙げる動作が印象的で、高く挙げた軍靴を踏みしめるたびにガチャン、ガチャンと響く音がかえってあたりの静けさを強調している。

    

 こうした機敏な動きと瞬き一つしないストイックさと荘厳な景色の中で繰り広げられる様式美というものは、なぜか見るものを惹きつけてしまう。

 
     

110728 安曇野通信

     

安曇野通信です。またまた素敵な写真を送ってくれました。場所は「霧が峰高原」。花はオレンジが「レンゲツツジ」、白が「コバイケイソウ」だそうです。素敵な暑中見舞いなので、一人占めはもったいない。みなさんにおすそ分けです。このあと、木曽駒が岳の方に回ったという連絡と一緒に写真が届きました。明日掲載します。