111107 卓球部同窓会

今年は記念の年だそうだ。つまり、10回目=10周年である。集合写真は会の始まる前に撮ることが決まりだ。そう、酔う前にということ。たしかにみんなまだまともな顔をしている。今年はいつものメンバーの中から二人が欠席した。一人はおじさんの法事だとか。もう一人は「ヒロさん」だ。やはり参加することは叶わなかった。しかし、れいこさんの話ではずいぶん良くなっているとか。何日か前に電話で話した時にはずいぶん元気がないなというのが正直な感想だったが、れいこさんはもっとひどかった時を知っているので「これからだんだんと良くなるよ」と自信たっぷりに言う。その気持ちがこちらにも伝わってきてずいぶん気持ちが明るくなってきた。ヒロさん、みんな心配しているし、元気なあなたに会えることを楽しみにしていますよ。来年こそは会いましょう!
ところで、10年も経つと同窓会の雰囲気もずいぶん変わってきたなと思う。昨年も書いたが、この同窓会は「参加できるのは幸せであり、だれもが幸せを求めて参加しているはずである」と私は思っている。お互いを思いながら集まり、楽しい時を過ごすのが同窓会のはずだ。話変わるが、4年に一度開かれている中学校の時の同窓会に60歳の還暦同窓会以来出席しなくなった。中学校の時、お前にいじめられたことがある。いまだに恨んでいるなんて、からまれてうんざりしてしまったからだ。いじめられることはあってもいじめるなんて、とは思うが、50年近くそう思って生きてきたんだろうからいまさらそんなことはないなんていっても聞く耳はもたないだろうし・・・・。ということでこちらのほうで縁を切ることにした。それにしてもこんなに長いとその思いはすでに「怨念」になっているのではとこわくなってくる。
書き換えようとするのに内容はあまり変わりません。この辺で止めておきましょう。

111105 フランス紀行16(パリへ)

 8:00にホテルを出発。一路パリへ。2時間で休憩。こちらではガソリンスタンドにコンビニが併設されている場合が多い。バスを降りるとひんやりとする。乾燥した空気なので心地いい。バスの温度計では17℃である。この話は9月の16日のことだからあれからもう50日は経っている。それなのに九州は毎日20℃を超えて夏日になることもある。
 誰かが言っていた。「山がねえなあ!」。モン・サン・ミシェルを出てすでに3時間が経とうとしている。その間、時々森らしきものが農地の合間に見え、農家が点在し、牛が寝転がっているのをのぞいて、ただひたすら平地が続いている。見方を変えればのっぺらぼうで代わり映えのしない自然ともいえる。だからこそ、わずか200mにも満たない岩山に特別の思いを寄せるのだろう。そして、ちょっと高いところがあると「OOのスイス」と名づけるのだそうだ。

〔閑話休題〕 これは11月の2日に掲載する予定でした。この日は私の66回目の誕生日でした。だからどうだというわけではないのですが・・・・・。

111103 セ・ン・パ・イ 2

白い秋明菊のつぼみ。掲載する写真がないので、と思っていたら安曇野通信があった。
日本一美しい「涸沢」の紅葉だそうです。たくさんの写真の届くことを期待して! 

 

 タイトルを「センパイ2」としたのだが、とりたてて書く内容がない。「1」でも書いたが、ヒロさんから携帯が入っていた。何日も見ないことが多いのに(ということは何日もかかってこないということにもなる)今日は虫が知らせたのか。胃を全摘したそうで「食べることが仕事になってしまいました」と。
 今日は普段になく用事が重なった。年金のことで市役所に、持病の薬をもらいに内科まで、そして、パソコンを買い換えたので受け取りにやまだ電機へ。ところが、今日は3日。つまり「文化の日」だ。全く忘れていたのではない。何度かカレンダーを見ては3日は赤い色になっているなとということは記憶にあるのだが、それが祝日で、病院や市役所はお休みなんだということに結びついていなかったのである。3月に完全退職して家にいることになったら脳細胞の神経細胞、ニューロンの働きが鈍くなってしまったようだ。それを世間では痴呆症の始まりというのではなかったか?

 NECからパソコンの修理の見積もりがきた。54.000とある。いつも世話になっているやまだ電機の方の情報で、「Lenovo」という機種なら5万から7万でお勧めのものがあると教えてもらった。その方自身が5万のものを購入しているのだという。私のパソコンはすでに7年経っているし、これだけの費用をかけても修理代と変わらない値段の今のPCの性能には到底及ばない。なんでこんなに安くなってしまったのかとありがたいのだが、これでメーカーは、ひいては日本経済は大丈夫なのかと心配になってくる。
 タイの洪水やギリシャのことで、私のPCのことから日本経済の先行きが不安になってしまった。以前だとこういうのを取り越し苦労と言っていたのだが、「取り越し苦労」で終わればいいのだが・・・・。 

111103 セ・ン・パ・イ 1

「あれ!?」と思うことでしょう。31日にアップしていたものです。これまでたくさんブログを書いてきましたが自主的に削除したのは2回目です。プライバシーに関わることかな思い始めたら気になってしまって・・・・。それなのに当の本人は、「センパイ!書いてくれてありがとうございます。それはそうとコメントを書いたのに消えてしまいました。センパイのPC、故障していませんか?」とわざわざ電話してきてくれました。下書きがありますのでもう一度アップします。

  知多のあっちゃんが26日から29日まで帰ってきた。91歳になる叔母さんが気になるのでと言う。彼女との思い出の最初は小学生の時。そろばんを習っていた中津経理学校(とっくの昔になくなったが)でのピンポンだった。それ以来、中学・高校と卓球部でともに遊び、帰ってくるといまだに連絡をくれる。
 27日夜、ヴォライユで食事をする。昨年の同窓会以来だからもう一年が経つのか!会って話すことときたらいつの間にか病気のことが主となってしまった。それだけ年をとったんだから仕方にとは思いながらやはり寂しくなる。あらかた出尽くしたところで、「さて」と身構え、「ヒロさんがね、ガンになったんだって」というとあっさり「知ってるよ」と言われてしまった。彼とのメールのやり取りの中で「先輩、実は・・・・・・」と教えられたそうだ。
 翌日ブログを開くと、なんと話題の主「ヒロ」さんからのコメントが入っていた。6月以来なので懐かしくてなつかしくて・・・・・。6月で途切れてしまった時は何かあったのかなと思ったきりで、あとはたまに思い出すだけで深く考えもしなかった。そんなもんだと思いながらもやはり「この薄情者!」と反省しきり。やはり同じように「先輩、実は・・・・・」。彼の「セ・ン・パ・イ」という言葉は、聞いてもこうして目にしても心がほんわかとしてくる。あっちゃんもそうだと言う。ヒロさんの人柄が感じられてうれしくなるのだと。あの元気印のヒロさんのことだから必ず元気になるよよ言いながら分かれる。
 来年こそ、彼の元気な姿を見て、彼のあの独特の「セ・ン・パ・イ!」ということばを聞きたいものだ。

 なぜ、また掲載する気になったのか?ヒロさんのことばともうひとつ、このブログの始めにその動機として書いた「私をおーちゃんと呼ぶ彼のために(というより自分のためなんだが)何かを残しておきたいと思ったこと」というのが大きな理由である。変に気にせず、こんなこと書くこともおーちゃんなんだと思ってくれたほうがいい。、ひょっとして掲載したほうが私とヒロさんとの思い出もネットがある限り残るのでは、とカッコつけて思っても見た。

111101 フランス紀行15(モン・サン・ミシェル4)

ブレブレ ネットから

 私たちの部屋からちょうどモン・サン・ミシェルが見える。建物と建物のわずかなすき間からだから隣の部屋ではもう見えない。
 20:00からライトアップされるというので江尻さんに引率されてホテルを出発する。といっても遠くから眺めるだけなのだが。12名参加で男は私ひとり。とにかく台風のような風が吹き付けるし、その上、時々雨までが斜めに吹き付ける。
 ああ、なんで出てきたのか?夜景には絶対必需品の三脚も持っていないのに・・・・。案の定写真はブレブレ。橋の手すりにばっちり固定したつもりがこの強風下。まともに撮れたのは一枚もない。
 それでも一言付け加えておくと、なんで出てきたんだろうかと思いながらも、闇の中に浮かび上がるモン・サン・ミシェルは、喜びに包まれながら死ぬほどではないが、やはり神々しい。 

111030 フランス紀行14(モン・サン・ミシェル3)

 モン・サン・ミシェルにいる間、激しい雨風に遭ったかと思うとまた晴れ間がのぞくといった繰り返しだった。海辺だけに天候の変化が激しいが、特にここはそうだ。
 今はわずか数名の修道士と修道女が近隣の町から通ってきて管理しているそうだが、これだけの観光客に押しかけられたら落ち着いて瞑想にふけるなんて夢のまた夢。それにしても土産物屋が坂道に軒を連ねていたりしていて6月に行った台湾の九份(台湾紀行14)を思い出す。最上階にある回廊はちょうど出発前にテレビで特集を見た。よくいう空中庭園といった趣だ。明るい光と優美な柱とがおそらく厳しい修行の合間の安らぎを与えただろう。 

111028 フランス紀行13(モン・サン・ミシェル2)

     

 サン・マロ湾に位置するわずか200mにも満たない岩山に8世紀の始めに修道院が築かれる。当時のオベール司教が夢の中で大天使ミカエルに「この地に聖堂を建てよ」とのお告げ(奇跡)を受けた。三度目にやっと信じた彼が礼拝堂をここに建てたのが始まりという。
 もともと当時の人々は、ほとんど平地のこの地に、しかも海の中に浮かぶ岩山に何か異様(=神聖)なものを感じていたのだろう。そこにこの奇跡が結びつくことによってモン・サン・ミシェルという信仰の地が生まれたのである。この湾の干満の差は最大で15mもあり、最も大きい満ち潮の時には猛烈な速度で潮が押し寄せ、多くの信者たちが亡くなったという。ここまでは全て江尻さんの受け売り。ここからは私。
 彼らは押し寄せる海水に恐怖を感じながらこのモン・サン・ミシェルの地で、この崇高な姿を見ながら生を終える幸福感を覚えていた。こうした岩山にこれだけの修道院を建てた信仰心とここにたどりつこうとただひたすら歩き続けた信仰心とその姿を見た喜びと、大天使ミカエルの愛に包まれ、恍惚とした想いで溺れていった、と思いたい。

 モン・サン・ミシェルといえば、海の中に浮かぶ修道院を思い浮かべる。ほとんどの人はそう思うし、だからこそ憧れの地でもある。ところが、現在のモン・サン・ミシェルは島と陸地の間に陸続きの道路が造られ、潮の干満に関係なく渡れるようになったのだが、これによって潮の流れがせき止められ、今では島の間際まで潮が満ちてくることはほとんどなくなっている。そこで、かつての姿を取り戻すべく道路を取り壊し、新たに橋を架けることが計画されているそうだ。これだけ陸地化が進んでいるのにかつての姿を取り戻すことなんてできるのだろうか。それこそ「奇跡」なのでは・・・・・ 

111026 フランス紀行12(モン・サン・ミシェル1)

  ホテルを8:00に出発。モン・サン・ミシェルまで300キロ、5時間の行程。5時間というとたしかに長いのだが、フランスの田園風景に見とれて長いとは感じなかった。時間というのは気持ちしだいでどうにでも感じられる典型例。
 途中、農家を改造したレストランで昼食。外からは古く見える(馬車などを置いて)が、中はリニューアルしたばかりで洒落た清潔な造りになっている。若い娘さんたちが声を上げて写真を撮っているのにつられて何枚か撮る。
 料理も素朴ながら美味しい。ふだんあまり食べようとしない野菜がおいしい。特にニンジンが甘くて連れ合いの分までもらって食べた。ビールも銘柄は分からないが口当たりのすっきりとした味である。ラベルを見るといよいよモン・サン・ミシェルが近づいたなという感じである。これまでのところ日本でいうフレンチというほどのものではないが、フランスでふだん食べられているものがほんとに美味しい。