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私には素直でイケメンに見えたシロだが、野良犬の時代に迫害を受けたのか、容易には人を信用しなかった。特に子どもが嫌いで、どうかするとうちの孫にも身体を触られることを嫌がった。よっぽどいじめられたのだろう。そして、家庭内の序列をきちんと守った。私と連れ合いは明らかに彼よりも上である。家庭内の私の立ち位置を良く見ているし、連れ合いにはえさをもらっているのだから、逆らうわけにはいかない。
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昨年の8月18日に亡くなったシロ(と、当時書いてます)は、我が家で15年もの間、番犬として過ごした。家の中に入れたのは、蚤を取った日と、その後何日かだけである。たとえ「家族の一員」であろうと「運命の出会いで巡り合った犬」であろうと、犬は犬である。というのが私の考え方だ。前の犬「ユウ」は、死ぬ直前に2日ほど家にあげて看病したが、シロはとうとうそれもなかった。見事に「犬」として全うしたと思っている。
ユウはお嬢さんで、あまったれで、すぐにお腹を見せて服従の姿勢を取った。ユウの時代はまだまわりも難しくなくて、けっこう放し飼いにできていた。洗ったあげた後、庭に放すとすぐに外に飛び出して近所の魚屋さんに出かけていた。えさを貰いに行くのではなく、魚の内臓を身体にこすりつけて、シャンプーのにおいを消そうというのである。それが犬の本能だろうと大目に見たが、その強烈な臭いともう一度洗う煩わしさには閉口した。シロは洗い終えると身体についた水を私に振りかけるか、せいぜい土の上で転げ回って私の努力を台無しにするくらいだった。
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勤務を終えて帰宅してみると、連れ合いと娘が洋間で犬を抑え込んで格闘している。見ると、テーブルの上には蚤の死がいがきちんと並べられている。あっけにとられたが、すぐに正気を取り戻し、風呂に水を入れるように指示をする。暴れる子犬を抱えて水風呂につけると、意外におとなしくしている。これ以来15年間、時々シロを洗う役目は私のものとなった。引き上げると水は濁り、水面に蚤が浮かんでいる。何度かシャンプーで洗ってやると、ようやく白い毛並みを取り戻した。ご褒美に牛乳をあげると何杯もお代わりをする。こうして、彼は我が家の一員になった。
家族は素敵な名前をつけようと張り切ったのだが、私の「シロ」という一言で決着はついた。これ以外に彼にふさわしい名前があろうか。名前は平凡だが、女たちにとって「シロ」との出会いは運命的な巡り会いであり、特別な存在になった。どうして女たちはこうした考えが好きなんだろう。その考えに懐疑的な私は、この件に関しては彼女たちから村八分の仕打ちを受けることになった。
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2008年の(あれからもう7年もなるのか)8月18日に亡くなったシロは、我が家で15年もの間、番犬として過ごした。彼がやって来たのは、前の犬「ユウ」が死んだ半年ほど経ってからだった。
その時、下の娘が高校3年生で、登校の途中から電話してきた。「おかあさん、今ね、豊後町で白い子犬を見かけたけど、どこに行ったのか分からなくなったの。早く探しに来て!」。 連れ合いはあわてて車をとばしていったが、その時にはとうとう見つけることは出来なかった。
その話を、花を習いに(彼女は布花を教えていてそろそろ40年になるんじゃないかな)きた生徒さんにしていたら、「先生、ひょっとして今の話の犬はそこにいる犬かもしれませんよ」という。びっくりして振り返ると、テラスに置いたままにしていた(なぜか片づけ難くてそのままにしておいた)ユウの犬小屋に、子犬がもぐり込んでいた、という。
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今年は暖冬といわれてきて、たしかにこの頃は暖かい陽気が続いていた。ところが、一昨日あたりから寒気が入り込んできて、夜歩く時、ひさしぶりにほっぺたや鼻が痛く感じられる。それでも日差しが出て風のない日中は、ぽかぽかして絶好の草取り日和だ。
座り込んで芽を出し始めた草をゆっくりと取る。草との長い格闘の始まりだ。庭の片隅にふたつ、土の盛り上がった個所がある。小さい方が「ユウ」。 大きい方が「シロ」の墓だ。そこにも草が生え始めたので取っていると、色の褪めた首輪が出てきた。シロを埋めた時にその土の上に置いたものだ。
090818(あれ!?この日付はちょうど一周忌だ)のブログに『クロアゲハの飛んでいくその先にはメランポジュームが今年も咲き誇っている。今年のその花の下には、昨年の8月18日に死んだ愛犬「シロ」が眠っている。シロについてはまた書こうと思っている』と書いた。ところが、原稿まで作ったのにそのことも忘れてしまい、首輪で思いだした。
受付から心電図、レントゲンを済ませ、担当医の診察が終わるまで1時間ほどしかかからない。森永というほんとに若い方で、野坂先生は私を担当した時にはすでに循環器科の部長だった。だから、何だという話なんですが。
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| 受付番号169番。担当医は森永先生。 | 待合室の様子。1時間もするとここが患者であふれかえる |
小倉まで約1時間かかる。時間つぶしに一応本を用意する。井沢元彦の「逆説の日本史1 古代黎明編」。「一応」と書いたのは本のほかにもうひとつ、「ipod」も用意した。こちらの方がメインなのだ。
昨年の3月、退職して困ったことの一つに、毎朝聞いていた武田鉄也の「今朝の三枚おろし」が聞けなくなったことがある。加奈さんの「おはようございます 水谷加奈です」という爽やかな声と何とも耳に心地よく響く笑い声が聞けないのだ。それが、佐藤さんの助けでyoutubeからダウンロードできるようになった。それもなんと、4月からこの1月までの全ての内容だ。これは夜歩く時にも活用している。前は自分で作った音楽CDを聞いていたのだが、さすがにこの頃飽きがきた。
小倉記念病院。こちらの方では循環器科、特に心臓の方で有名である。48の歳に心筋梗塞を患って以来、年に一度の検診を受けている。といっても、心電図とレントゲンだけだけど。「だけ」なんて不服そうですがそんなことはありません。感謝しています。19年間お世話になった野坂先生が退職した後若い先生に代わる。その先生の名前を覚えることなくまた担当医が代わった。
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| 雨に煙る記念病院 | 玄関を入った所にある受付 |
3年ほど前に南小倉から小倉駅の北側に移転した。前はけっこう不便な場所(駐車場も遠かった)にあったが、今度は駅から専用の高架道路でつながり、雨に濡れずに歩いて行ける。建物もホテルではないかと間違えそうなくらい豪華になっている。
機械も最新式。心電図なんかほとんど待つことがない。以前は30分はざら。1時間以上待たされることもあって、どうかすると9時半に予約を取っていても、終わるのが14時を過ぎるなんてこともあったくらいだ。
文殊仙寺から川中不動へ。山をひとつ越えるのだが、途中で雨になる。着いた時には雨も上がっていたが、どうも空模様が怪しい。今回はここで終わりにしようと佐藤さんと決める。
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天念寺。かつては12の院と坊とから成っていたそうだ。が、今は気を付けないと通り過ごしてしまいそうだ。写真は講堂というが、背後の崖にめり込んでいるような雰囲気だ。この前に長岩屋川が流れている。この小さな川もかつては何度も氾濫を繰り返しそれを鎮めるために川の中の大きな岩に不動明王と二人の童子が刻まれ、通称「川中不動」という名で親しまれている。
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何度か来た覚えはあるのだが、しっかりと間近に見たのは今回が始めてか? 「か?」なんて曖昧なのは、どうも間近で見た記憶があるのだがはっきりとはしないのだ。それでもふたりの童子のうち、左の童子は覚えがある。その時も今回と同じように彼のふっくらとした頬っぺを見てつい笑った記憶があるのだ。
これでやっと第一期「六郷満山」も終わりです。
