091102 卓球部同窓会

集合写真ですよ。みんなこっちを向いて!

 この会が始まってたしか今回で8回目だったと思う。始まりは、H・Yさんからである。彼女が大病をし、同級生のK・IやK・Kが見舞ったことがきっかけだと聞いている。お見舞いの話の中で、高校時代の卓球部のみんなに会いたいと彼女が言い出し、その言葉を受け止めた彼らがその当時の部員たちに連絡を取った。

 彼女のためにと集まったのは、一つ上の学年(つまり私たち)とひとつ下の学年の3学年である。それでも集まれたのはやっと10人。それ以来、この人数は多少の増減はあったが、ほとんど変わっていない。私たちの学年はもともと少なくて、部員は6人しかいなかった。その中で参加できたのは二人。あとは、一人は神奈川、ひとりは愛知と遠く、一人は体調を壊し、ひとりは行方がはっきりしない。

 あの生きいきとした、夢に包まれた若者たちに、47年の歳月が与えたものは一体なんだったんだろう。そんなことを思いながらこの同窓会に集まった友を見ていると、こうして参加できたことの幸せがしみじみと胸に湧いてくる。だって、あんなにみんなに会いたがっていた彼女は4年前に亡くなってしまった。最期の同窓会では、ただみんなの話を静かに聴きながら、疲れると隣の部屋で休んでいた。心配していくと、横になったまま「大丈夫よ」ともらしたあの静かな微笑が今も忘れられない。

091101 外食(そとしょく)ビストロ・ヴォライユ

 22日、誕生日の仕切り直しで外に食事に出かけた。お店は「ビストロ・ヴォライユ」。この頃この店に嵌まってしまった。まあ雰囲気もいいし、こじんまりとしていて、ゆっくりと食事をするのにはもってこいのお店だ。以前書いたように、注文を受けてから作り始めるので待つ時間が大変だ。特に、連れ合いと行った時には話す内容がない。ただひたすら彼女の話すことを受け止めるだけである。これに耐えるのが長続きの秘訣かもしれない。

 何を頼んだのか記録しておいたのに、その紙がどこかにいってしまった。「きまぐれピザ」と「ガーリックトースト」までは覚えているが、あとは名前が定かでない。生ビールのあとはワイン。といっても、飲んだのは連れ合いの方だが。なんといってもこの日は彼女の誕生日祝いなんだから。そして、支払いは私。

 帰りは車を南口の駐車場(1回300円)に置いたまま、風に吹かれながらてくてく2キロの道を歩く。こういう気持ちのいい季節もあとわずか。残りの人生も文字通り「余生」。気持ちのいい季節を過したいものだ。

091030 三光のコスモス

 ある人に三光のコスモスを勧められた。2年前には行ったが、どうせそんなに変わらないだろうと行く気はなかった。それが絶対行くべきだと、行っていないのは悪だとでも言われたような気になってしまった。

 2年前の時は初めてということもあって、すごい人出で大変だった印象が強く、人のいない時に行こうと、公民館に出勤するついでに朝早く出かけた。ちょうど8時頃だったので、出勤する車もひと段落で、ほとんどすれ違うこともなかった。子どもたちも登校したあとで、ゆっくりと廻ることができた。

 今回の会場は2年前とは場所も違っていて、おまけにずいぶん広くなっていた。種類や色で分けていて、今回の方が整理されていた。残念なのは時期が少し過ぎていたのと、朝早かったため靄(もや)がかかった状態で、例えば、背景にした八面山がかすんで見えてしまった。来年は斜に構えずに、できるだけいい状態の時に行こうと反省している。

091028 かほり(2)

07年10月18日とある。三光のコスモスがあまりに評判になったので出かける。八面山を背景に。 コスモスだけでなく、ひまわりも。今年はまた一段と広くなったというので、人出を避けて朝早く行ってみようと思う。

 今度の「かほり」は昔、むかしの話。記録を見ると、これを書いたのは86年とある。もう23年前も前になるのか・・・。

 高校を卒業して、愛知県に就職した友だちが久しぶりに帰ってきた。この前会ったのはいつだったろう。たしか彼の父親の葬式の日だった。前の夜から振り出した雪が積もって、その頃耶馬渓の職員住宅に住んでいた私は、国道までのわずかの距離、車を出すのに苦労したのを覚えている。

 近くにいるもう一人の友だちを呼び出し、連れ合いも入って4人で夜遅くまで飲んだ。それぞれの近況を話しながら、結局、話は昔にもどる。20年以上も昔に。あの頃の話になると、表情まで若く見えるようになるから不思議だ。

 1杯60円のコーヒー代をなんとかひねり出して「くるみ」に通った高校時代。愛知県にいった友だちは、毎晩のようにやってきては、ふたりで、自転車で、あてもなくぶらぶらしてまわった。不思議と警察にとがめられた覚えもなく、いわゆる「徘徊」をしていた。おふくろも黙認していたみたいだが、あれは信用していたのか、それともあきらめていたのか。いま、自分の子どもにそうできるかと考えると、とてもじゃないが許すことはできない。といっても、子どもは娘二人だが。

 こうして昔の友に会い、思い出にふけると心が落ち着く。胸おどるような刺激はさらさらないが、ゆったりとした気分になって、思い出の中に溶け込んでいける。4人とも同じ思いなのか、静かに飲み、静かに言葉が続く。

 今はコーヒー1杯300円。静かに流れる時とは違って、その香りの中で思いを募らせる。

 もう1回、「かほり」について書いた覚えがある。それを探して、「かほり(3)」としよう。もうコーヒーを飲みに行くという習慣もなくなったが、今は、たしかコーヒー1杯、500円はするはず・・・。

091025 ライブ(2) 色気

何かいい写真がないか探したが、内容にあったものが見つからない。
そこで、最近撮っておいた杜鵑を使ってみた。
いつも思う。
なんでこんな形・色をしてるの?

 ライブ(1)の続き。上田正樹までなら素晴らしくて当たり前なんだが、ここからが拾い物。といったら失礼に当たるが、上手い表現ができない。とにかく素晴らしかった。

 Piano 堺敦夫。上田正樹の歌声に負けないくらいだし、どうかすると「喰って」しまったと感じる時さえあった。正樹が彼を紹介するのに「アジア最強のピアニスト」と言うだけある。細身の身体からびっくりする力強い音が生まれる。ピアノを弾きながら、歌手を見つめる。二人の視線が挑むように絡み合う。弾き終わって、ふっと緊張が解け、表情が穏やかになる。これをなんと表現すればいいのか。そう、色気がある、とでもいうしかない。

 もうひとり、Yoshie.N。正樹に呼ばれてステージに上がってきた彼女を見て、なんとなく違和感を感じた。それまでの男っぽい雰囲気にそぐわない、いかにも女性というひとだからだ。それが歌いだすと一変。とにかく絵になる。声は正樹じゃないが、ブルースにぴったり。そうだ、私の好きな「ノラ・ジョーンズ」によく似ている。しかし、声量はYoshieの方があるし、情感も素晴らしい。まだ20代後半と聞いてまたびっくり。

 約2時間半のステージがあっという間に過ぎてしまった。なんども「素晴らしい時間」だったねと繰り返し、余韻に浸りながら駅まで歩く。

091024 ライブ(1) クール

ホームページに掲載された写真を拝借。雪の降る時に撮られたもの。滝ともはる曰く。いつもは写真撮影はOKなのですが、今回はだめだといってくれといわれ ているとか。残念!

 昨夜(23日)は、ほんとにいい時間を過した。場所は宮島町にある「リル・ドリーム」。「上田正樹・滝ともはるジョイントライブ」の招待券を友だちにいただいた。連れ合いが、22日は食事会で、24日は北高同窓会で、と夜の出ごとが続くので気乗りしないそうだ。さっそくこの頃パソコンでお世話になっている佐藤さんを誘った。

 会場のリル・ドリームは席が115とかで、ほんとにちいさなステージは手が届くほどのこじんまりしたものだ。その分、ステージと客席が一体となった感じがする。入った時には半分ほどだったのが、すぐに満席になる。いつか文化会館で因幡晃のコンサートに行った時、半分も埋まらず、こちらの方が恥ずかしくなったのを今でも覚えている。

 まず滝ともはるから。デビュー曲という「千羽鶴」がすばらしかった。スタイルは純日本人の体型だが、50を過ぎてそれなりに味が出ている。いい年のとり方をしていると・・・・。

 次に、上田正樹。やはり違う。そこにいるだけでその場を支配してしまう。もちろん「悲しい色やね」もすばらしいが、私はアニマルズの「朝日の当たる家」の方がよかった。彼はアルバムよりもライブステージが似合う。それも何百人や千人以上入る会場ではなく、今日のように手を伸ばせば届くような、小さな、ちいさなところがいい。声はブルースにぴったりだし、表情がいいし、一つひとつの動作が様になっている。顔を流れる汗やシャツににじむ汗までがクールだ。

091021 われもこう

写真集の中で一番の人気。
日本人の感性を刺激するものがあるのでしょう。
作るのは難しかっただろうと聞くと、そのものの形をしたもの(ペップ)があるからそうでもないと。別な答えを期待していたのですが・・・・・

 われもこうとの出会いは何年前だったか。実物よりも、本の中での出会いが先だった。その奇妙な日本語の響きと、思いを寄せる若者を遠くからせつない思いで見つめていた。その足元にわれもこうが揺れていたと、おばあさんが語る本の中の情景が重なって、まだ見ぬその花への憧れが続いていました。

 この秋、すすきを折りに出かけた林道で、その花に出会いました。人気のない荒れた道の傍らで、ひっそりとさりげなく紅の地味な花を細い茎につけていました。その紅は、燃え立つ炎のような思いを、心の奥底に沈めこめてしまうような暗い紅色。湧き上がる思いをそのつど重ねて、たたみこんでしまうほどに紅が深くなる、おばあさんの想いの色だと思いました。吾木香よりも「吾亦紅」の方が、ずっとこの花らしいと思います。

 “自転車いっぱい花かごにして”という本でしたが、それ以来、渡辺一枝さんは私の大好きな作家の一人になりました。暮らしの中の優しさや悲しさ、満ち足りた幸福、そして、時には阿修羅のような人の心の有り様を野の花や木、風や雲などに映して描くその人の本は、私の中にすーっとしみこんでいき、慰められます。

 “空ゆく雲を追いかけて”“気が向いたら風になって”ーこんな題名を見ただけでも、素敵だなと感じませんか。(89,10,3)

091019 かほり(1)

 公民館に着いて、車から降りるとすごい匂いに包まれる。ほんとは「香り」といいたいところなんだが、この匂いはそんな生易しいものではない。昔から、前の家の生垣からこの季節になると、きまっていい香りがしてきた。下の娘が中学生の時、「この匂いがすると秋だなーって思う」と、ちょっぴり大人びて話していたのを思い出す。

 もう分かりましたね。そう、キンモクセイです。ここにはいったい何本あるのか今日は数えてみました。樹高3m.ほどの木が駐車場の上、体育館の一角にちょうど10本も並んでいる。その全てが今を盛りと花をつけて、匂いを放っている。目には見えないけれど、その匂いに包まれているのがよく分かる。しかし、ここまで強烈だと嫌味になってくる。やはり、キンモクセイの香りは、「ほんのり」とか「かすかに」でなければ・・・・

 一番似合っているのは、雨上がりの夕方。辺りが暗くなったくらいがちょうどいい。昨日、お通夜があって、暗くなってから近所の家に出かけました。行きには気がついていたのですが、帰りに生垣に手を伸ばし、一枝折り取る。花盗人の心境です。家で、コップに挿し、鼻を近づけても、歩きながら感じたほどの香りはしない。木全体でゆっくりと時間をかけて、香りを広げているのでしょう。面白いですね。香りをかごうとすると、どうしても目を閉じてしまう。全ての神経を鼻に集中させようとするからでしょう。

 「かほり(1)」と題をつけました。当然、次は「かほり(2)」となります。