120723 リバーウォークサーカス1

 テレビで小倉のリバーウォークでサーカスが行われていると放映された。それも無料とでる。庭や畑の草取りに追われたこの連休のせめてものお出かけと、昼から家を出る。17時からの全員参加の「スペシャルステージ」が目当てだが、14時からのも覗いてみた。ただ人の頭を見るだけに終わる。これではと、15時のステージが終わると一番前の席を取る。・約90分間ひたすら待ち続ける。若い頃はこんな私ではなかったんだが・・・・・・・。 

120720 佐伯紀行8(蒲江)

 午後は蒲江にある「マリンカルチャーセンター」へ。外にはマンボウを飼育するプールがあって、ゴーデンウィークには多くの見物客でにぎわうという。ところが今年は寒かったせいかマンボウもあまり網にかからず、「ただいま3匹」という状態。これではちょっとさみしい。
 帰りにセンターのすぐ後の高台にある「たかひら展望公園」に登る。前にはセンターから、その先には深島が一望できる。そして、かすかにだがその先には宮崎の山並みが見える。振り返ると河内湾が眼下に見える。この旅を企画してくれた方は下に見える竹野浦地区にある河内小学校が始めての学校だったそうだ。 

120717 佐伯紀行7(真昼の決闘)

 満ち足りた気分で外に出ると、目の前で「真昼の決闘」が行われていた。何人もの人間が見ているのだが彼らはそれどころじゃない。本人(猫)たちは大変だったろうが、見てるこちらは面白かった。結果は予想通り左の「トラ」の勝ち!身構え方から迫力がある。ほとんどの人がトラに賭けていた。寿司の味は忘れたが、これは忘れられない。 

120714 佐伯紀行6(錦寿司1)

   

 佐伯の名物として、この頃必ず取り上げられるのが佐伯駅近くの「錦寿司」。「駅長おすすめのグルメ切符」として佐伯でここ「錦寿司」が選ばれている。シャリの倍もあろうかというネタで評判である。女性のためにとあらかじめ半分に切っているのだが、それこそ要らぬおせっかい。半分にすればただの普通の寿司である。
 めったに来ることはないのだからとだれが言い出したのか特上にぎり2,500円を頼む。昼真っから贅沢な話。ここの2階に上がって思い出した。現職の時、佐伯大会があり、お昼をここで食べたことがあった。その時もこの部屋だった。

 パソコンの調子がおかしい。といいながらずいぶん長持ちしているのだが、今回はもうだめだとあきらめた。ところが、あれだけうんともすんとも言わなかったパソコンが今朝になってためしに起動してみると動くではないか。おそらくもうすぐだろうががんばってみよう。もう1台のソフト「7」は使いにくくて仕方ない。

   

120710 佐伯紀行5(汲心亭)

   

 この通りで一番心に残ったのは、記念館のすぐ近くにある茶室「汲心亭」である。二つの建物からなっており、本館を「更深軒」、草庵を「五味庵」という。風情のある趣で、つい厚かましく建物の中に入り庭を眺めてしまった。亭の女性の方はゆっくりどうぞといってくれたが、お茶も注文せず見学するだけというのはやはりちょっと厚かましすぎた。

 

 

 ここは1年ほど前に連れ合いがお茶の会があったとかで訪れている。「素晴らしかったよ」と繰り返し聞かされていたがたしかにその通りだった。建物も素晴らしかったが、周りの若葉と草庵の横に咲く桜がよかった。花の下の女性たちも負けずに「華」がある・・・・・かな?おそらく秋の紅葉も若葉に負けないと思う。その季節(とき)にもう一度訪れよう。 

120707 佐伯紀行4(国木田独歩記念館)

 この町並みの中ほどに「国木田独歩記念館」がある。私がいた40年も前も何かというと「国木田独歩」という名前を聞いた。駅でも列車が到着すると独歩の「佐伯の春、先づ城山に来たり・・・・・・・・佐伯は城山のものなればなり」という言葉が流れていたような気がする。
 ところで、何かで知ったのだが、彼は22歳という若さにもかかわらず佐伯の学校に教頭として迎えられる。しかしわずか10ヶ月でこの町を追われたそうだ。彼のクリスチャンとしての思想・言動がこの小さな町(当時人口わずか5千人だったという)には合わなかったのだろう。なのに国木田独歩一辺倒です。この構図、「封建制度は親の敵でござる」といって二度と戻ってこなかったある明治人のふるさとに似ていませんか。
 されはさておき、「独歩記念館」そのものは一見の価値あり。天井の低い古い日本建築と城山のふもとの地形を生かした庭園が魅力である。魅力といえば、受付の若い女性の親切な対応が素敵だったのを付け加えておく。 

120704 佐伯紀行3(歴史と文学の道)

 城山のふもとに沿って「養賢寺」まで続く通りは「歴史と文学の道」と呼ばれ、日本の道百選にも選ばれている。道も建物も保存され整備されていて、わずか700mの程度の短い通りだが趣があってびっくりした。なにもないのに「城下町〇〇」と呼ぶどこかの市(まち)とは大違いである。
 佐伯鶴城高校の真向かいにある「養賢寺」は、旧藩主毛利家の菩提寺で禅宗の名刹である。大入島中学校に勤めた時、風呂をもらい、夕食のご飯をいつも炊いていてくれた「柴田のばあちゃん」が亡くなった時に駆けつけたが、葬儀の行われたのがこの寺であった。この機会にゆっくり見学をと思って訪れたが、なんと「拝観禁止」の立て札が。

120701 佐伯紀行2(城山2)

 頂上までは少し急な登りなので負荷がかかってちょうどいい運動になる。昔も登る人が多かったが、今も健康ブームだろう、多くの人と出会う。その中の一人の方と話をしたが、「佐伯は地獄だ」という言葉が今も胸に突き刺さっている。
 私がいた40年ほど前に御三家と呼ばれた「興人・二平」はすでに倒産し、唯一残った「佐伯造船」も瀕死の状態らしい。穏やかな気候とこじんまりとした町並みと穏やかな人情とで、私たち夫婦には今も懐かしさで胸が熱くなる土地だけにその言葉が哀しい。本丸跡のある頂上から眺める佐伯の町は、眠っているように見える。