250805 鎌倉紀行11(楼門)

大石段を登り詰めると、思わず見上げてしまう大きな門が視界にかぶさってくる
「楼門」である
ここでは二つのものが目に付く

一つは、真正面の上部に掲げられた「八幡宮」の扁額である
黒をバックに金色で書かれている
そして、「八」の文字は神聖な神の使いとされる二対の鳩(つかわしめの鳩)で表現されている
この文字から鎌倉名物の「鳩サブレ」が生まれたというわけである

もう一つは、普通「仁王像」が鎮座しているところに人間が置かれています
「隋人」(貴人を護衛していた武人)と呼ばれている
それを初めて見たのが、佐賀県にある「祐徳稲荷」をお参りをした時だ
きれいな置物だなと思って、よく見たら有田焼で作られたものと書かれていました

※ということで、左が「鶴岡八幡宮」、右が「祐徳稲荷」です

250801 鎌倉紀行10(大石段)

膝に来なければいいのだがとつい思ってしまうほどの急な坂である
ところが、肝心の石段の写真を撮るのを忘れてしまったようです
ということで、前回の写真の中から良さそうなのをアップしてみました

大石段を挟んで右に若宮(下宮)が祀られ、
左にはかつて樹齢千年を超える大銀杏がありました
3代将軍実朝を暗殺した公暁が隠れていたと伝えられ、「隠れ銀杏」と呼ばれていました
長い鎌倉の歴史を見続けてきた大銀杏の樹は、
2010年(平成22年)3月10日未明に強風によって倒れてしまいました
倒れた大銀杏の幹は切断されました
前回見たのはそれから7年後の姿でした
その時はほとんど幹だけの姿だったのですが、
その2年後には「ひこばえ(若芽)」が確認されたそうです
今は枯れた幹を覆い隠すように新しい枝が出ています

千年後には、どんな姿になっているのだろう

250725 鎌倉紀行9(舞殿)

流鏑馬の馬場を渡ると、すぐ左に手水舎がある
今年は口を漱ぎ、手を清める人は全くいなかった
あまりにさみしいので、前回(17年1月)の時の写真を添えておきます

そのすぐ先、大石段の真下に美しい朱塗りの建物がある
「下拝殿」とも呼ばれる「舞殿」である
各種儀式が行われる場所で、現在ではここで結婚式を挙げることもできるそうだ

この場所は、かつて若宮の上棟式で、馬引き役を命ぜられて快く思わなかった義経が兄頼朝に叱責された場所だと伝えられている
「兄妹は他人の始まり」とは今に始まったことではないということか
また、頼朝に舞を命ぜられた義経の愛妾「静御前」が
義経を慕う歌を歌いながら舞って、頼朝が激怒した言われている
その場は政子がとりなしたそうだが、
政子はいい役どころだが反面、頼朝は小さい男だななんて思ってしまった

250720 鎌倉紀行8(左右の池)

太鼓橋を渡ると参道を挟んで左右に池があって、右の池が「源氏池」と呼ばれ、
池の中に「旗上弁財天社」があり、そばにある石は「政子石」と呼ばれている

左の池は「平家池」と呼ばれ、もともとそれぞれの池には4つの池があったそうだ

ここで、「政子」登場
政子の命で、源氏池の一つを壊して処分した(ここからが少し怖い話になる)
つまり、平家池の4つの島は平家の滅亡を願う「死」を表し、
源氏池の3つの島は発展を願う「産」を表したという

単なるお話だと思うが、
少し前には「安倍晴明」が活躍し、
言霊信仰が信じられていた時代の話、
怨霊とともに生きた時代の人々には、単なるお話には思えなかっただろう

250715 鎌倉紀行8(太鼓橋)

三の鳥居のすぐ先には「太鼓橋」が見える

現在の「太鼓橋」はコンクリートと石で造られた橋で、
鎌倉時代に架橋された当初は「赤橋」と呼ばれ、もちろん朱塗りの板橋だったとか
今では橋そのものは安全と保存ため通行禁止になっているが、
横に通路があって、そこから見える橋はけっこう反りがあって素敵です
橋のはるか向こうに見えるのが本殿です

250710 安曇野通信2

今年の異常な暑さに参っています
私以上に参っているのは、畑の野菜たちです
今朝も家の横を流れる農業用水路から水中ポンプを使って畑の水やりです
重いポンプを運ぶだけでへとへとです

ハガキの最後に、私が載せた今年の「四月の花」写真名の訂正がありました
彼は私の植物に関する師匠なので、ひょっとしたらと思っていたら、
作戦通り二つも訂正がありました 感謝! かんしゃ!

スズラン⇒スノードロップ フウラン⇒セッコク

そういえば思い出した。
昔、右の写真を載せて、やはりフウランと書いたら、
「違ってるよ、セッコクだよ」と散歩のついでに寄った先輩が教えてくれたことがあった
その先輩も昨年亡くなった

今書いている「鎌倉散歩」が終わったら、私のブログも終了です
あと少しなので頑張ってブログを開けてください

250710 安曇野通信1

何年振りかの「安曇野通信」が届きました
今回は暑中見舞いの形でハガキが届きました

この頃、誰が死んだという知らせが届くことが多くて気が滅入っていましたが、
私の唯一の心の友と言っていい「岩藤千晴」の元気な姿を知らせる便りにホッとしています
「昨シーズンスキーに50回行きました」なんて
私の一つ先輩ですからもう80歳なんですよ どれだけ元気なんですか?|
安曇野に移り住んだ彼がたくさんの写真を送ってくれましたが、
ずっとブログの載せてきました
その中の大好きな写真を二つだけ再掲します

一つは自宅から見える「常念岳」の姿
もう一つは私の一番好きな写真 「ワタスゲ」です
「090725クーラー」にあげた写真で、その姿を「風の姿が見える」と書きました
彼の姿や私の思いは、「090814岩藤千晴(1)」と「090827岩藤千晴(2)縄文人}に詳しく書いています
今読み直して見ると、なんだかラブレターのような気がします
興味のある方はブログの右にある「アーカイブ」で下から3番目にある
「2009年8月」という言葉をクリックして、そこから探してみてください
<次に続く>

250701 鎌倉紀行6(段葛)

八幡宮まで一直線に伸びる参道にでる
若宮大路と呼ばれている
鎌倉時代にこれだけ広い、おまけに「一直線」の道路を造る発想が凄いと思う

今は二の鳥居から三の鳥居の500mだが、
造られた当時は一の鳥居から三の鳥居まで1.25キロあったそうだから恐れ入る
二の鳥居から大路の中央に一段高い通路が造られている
これが有名な「段葛」である
両側に植えられた桜の若葉が暑い日差しの中、心地いい

左側には土産物屋やカフェが並んでいる
そして、右側には前回の時から気になっていた建物がある
「カトリック雪の下教会」と看板がついている
おそらく「雪の下」という言葉に惹かれたのだと思う

三の鳥居越し 遠くに八幡宮の姿が見えてくる