091215 東京物語(浅草)

 12:45.国会議事堂を出てから始めて添乗員は、浅草寺の本堂が改修工事で全体が覆われて外観を見ることが出ませんと知らせてくれた。さすがプロ(?)というべきか。雨脚も激しくなり、おまけに風まで出てくる。いわゆる最悪の状態。おまけに朝が早かったので、朝食は空港で買ったおにぎりが一つ。

 本堂から雷門への道、仲見世通りに入ってすぐ左にある「今半」に入る。すき焼きで有名だそうだ。昔むかし、新婚旅行で京都に行った時、寺町通りのすき焼きのお店に行ったのを思い出した。それも二日間も通った。昼間からとは思ったが「上肉すき焼き」を注文する。もちろんビールも。これが旅の楽しみでもある。関西風とは違って、関東はあっさり味。ほとんど砂糖は表面に出てこない。用意された割下を使うという。家では味が薄くなると砂糖を足し、醤油を継ぎ足す。「すき焼き」が好きな下の娘のだんなさんも、うちで食べた時はさぞやびっくりしたことだろう。

 外に出るともう集合の時間が近づいている。これがツァーの困ったところ。浅草に来たのに雷門を見ずに帰えるわけにはいかないと急ぐ。この雷門は昔、例えば江戸時代からあるものではなく、戦後、松下幸之助によって寄進されたものだそうだ。知ってましたか?添乗員もたまにはためになることを言う。

 雨の中、大急ぎでバスにたどり着いた(わずかな距離なのにそんな雰囲気)のは、約束の14:25の15分前。駐車場にバスを入れられないかもしれないので、早く来ないで下さい。早くて15分前。遅くても3分前、と添乗員は言ったのに、やはり遅れてくる人は必ずいる。二人組みのおばちゃん、どこにでもいるなー。

091214 東京物語(国会議事堂)

今日は全体的に暗い。一日中雨だったので仕方ない。おまけにけっこう雨足も強かった。
冬には珍しい雨の降り方だ。

 5:50にホテルを出る。ANAのカウンターに行く途中、声をかけられる。大分のNさん夫妻である。連れ合いの11月にあった記念パーティーでスピーチをしてもらった大事な人である。それでも全く考えていなかったので始めは誰か分からなかった。娘さんと3人でパリに行くとか。同じ旅行でも内容は少し(?)違っている。

 雨の中を飛行機は定時に離陸する。厚い雲を下に見ながら飛んでいく。時々、雲の山が見えたりするので携帯で写真を撮る。写真を撮ったはいいが、その写真をパソコンに取り込む方法が分からない。羽田に到着する寸前、揺れにゆれて気分が悪くなる。あまりの揺れに、大体こんな重いものが空を飛ぶこと自体、重力の法則に反している、と一人で憎まれ口を利いた。

 添乗員がやっと間に合う。環状線で人身事故があったため、全ての道路が渋滞を起こしているので、と言うがホンマかいな?都市機能ってそんなにもろいのか。レインボーブリッジはわずか800メートル。それを渡るのに15分かかるとか。時速3㌔。どう表現すればいいのか。お台場辺りにたくさんのビルが建っているが、そのおかげで二つの問題が起きているそうだ。一つはビル風。もう一つはヒートアイランド現象。それが回りまわって、群馬などで記録した40.9℃のひとつの要因になっていると言う。あらゆる所で、あらゆる工事が行われているが、いったいいつになったら東京の開発は止まるのだろう。

 二重橋を駆け足で見学。次は国会議事堂。雨の中を待たされたが、たくさんの小学生の団体に出会う。添乗員さんの話だと、東京では小学校5年生の社会見学の目的地になっているのだという。全てのバスの、全ての小学生が、全てマスクをしていて、一種異様な光景だった。ここはあまり印象に残っていない。ただ全体的に古臭いなということくらいか。

091213 東京物語(前泊)

 いよいよ東京物語の始まりです。「9夜1夜」の物語になる予定です。どうか、「うんざり」せずに付き合ってください。

 いつもは当日、車で、朝早く起きて、たとえば3時起きの4時出発で、空港にはやっと開く寸前に到着というようなことを繰り返してきた。以前はそれが当然だと思っていたが、高速が土・日千円になるし、友だちのように乗るまでに5分しかかからないとまではいかなくても、せめて30分以内に高速に乗れるようだとずいぶん助かる。

 今のように小倉に出るか、日田まで行くか、いずれにしても約1時間はかかるので、空港に行くだけでエネルギーの大半を使ってしまう。仕方なく今回は前泊することにしたが、ずいぶんな出費である。

 16:00発のソニック40号。博多に付いたのは17:15.1時間ちょいで着いてしまう。泊まったのは筑紫口に近い「センチュリーアートホテル」というところ。何がアートなのかよく分からないけど。荷物を置いてすぐ「キャナルシティ」へ。夕食とテレビで紹介していたイルミネーションを見るために。

 食事をしたお店の名前を記録するのを忘れた、と思ったら、なんとお店の入り口を写真に撮っていた。記録にはこの方法がいいね。食べたのは「野菜いっぱいのサラダ;骨付き子羊のグリル;モッツァレラチーズのピッツアマルガリータ」。もちろん生ビールは欠かさない。この頃、ブログを書き始めたらこうした食事のメニューを記録するのを忘れないようになった。それにしても舌を噛まずに発音するのに苦労するものばかりだ。

 食事のあとはお店の冷やかし。何年か前、愛用しているライダースジャケットを買ったお店を覗く。買ったお店にその服を着ていくのはちょっぴり抵抗があるけど、「どうだ!(何がどうだか分からないけど)」という気持ちもある。当時の店員さんがすばやく気づいて声をかけてくれた。やはり、「どうだ!」である。

091212 ふぐ三昧(2)

 ふぐでは下関が全国的に知られているが、大分県では下関より臼杵である。12年ほど前、忘年会で門司港のホテルに泊まり、そこから下関のかの有名な「春帆楼」でふぐを食べるという経験をしたことがあるが、新鮮さが命のふぐ刺しは造り置きなのかラップに包まれ、刺し身同士が粘っこくくっついているという悲惨な目に遭った。名前だけで行くもんじゃないという貴重な体験をさせてもらった。

 ここはそんなことは絶対に起きない。もちろん下ごしらえはしているのだろうが、こちらの進み具合に合わせて次の料理を運ぶという、当然の心遣いをしてくれているのでほんとに美味しい。私はグルメレポータではないので、味について上手く表現できない。写真も美味しく撮れているか自信はないが、ぜひ写真を拡大して鑑賞してください。ひれ酒(別注文)を入れて10品。出された順番に掲載します。
⑥「白子に寿司」-口の中でとろける白子は絶品。
⑦「水炊き」-この辺になるとだんだんとペースが落ちてくる。
⑧「唐揚げ」-おそらくこの順番はお店の失敗だと思う。
⑨「吸い物」-みんなは中に入っているふぐの口の部分(おちょぼ)が美味いというが、姿を見るだけでもうだめだ。
⑩「雑炊」-腹がいっぱいだと言いながら、どうして2杯も食べたのか!これが食べたくてここまで来ているのかもしれない。

091212 ふぐ三昧(1)


 私が耶馬溪に住んでいた時、子ども会の行事を通じて仲良くなった何軒かで、まず子どもたちを連れて海水浴やキャンプに行ったり、、クリスマス会などをしたりした。子どもが大きくなってからも今度は大人だけで旅行をするようになり、いまだに旅行と臼杵にフグを食べに行くことだけは続いている。

 このフグ三昧は、正確な数字は分からないが、一昨年、もう10年は来ているだろうということで、お店から記念品をいただいた。だから、12・3年は続いていることになる。臼杵はふぐ料理で有名なところで、たくさんの料亭がある。特に、山田屋とか喜楽庵などが昔からの有名な老舗であるが、私たちの行く店は「福わ内」という。
①店名「福わ内」-階段を上がったところでこの置物が迎えてくれる。
②「ふぐ刺し」-臼杵のふぐ刺しは少し厚め。身がこりこりしている。
③「塩焼き」-と誰かが言ったが、私には「照り焼き」に思えた。
④「肝」-インターネットを見ていたら、こんな文章が出ていた。

 「臼杵、あるいは大分県に行けばふぐの肝が食べられるというような誤解が一部にあるようですが、そのようなことはありません。有毒部位の提供は全国一律に禁止されております」と。私も大分県だけは肝の調理が昔から許されていると思っていたし、一緒に行ったみんなもそう思っている。長崎で板前をしている姪のだんなさんからもそう聞いたことがある。それが違うとなれば、この「肝」だと思っているものは実際にはそうでないことになる。ではなんだろう?
⑤「ひれ酒」-やはり香りがいい。ビール一辺倒の連れ合いもどうしたことか、今日は2杯も飲んだ。

091210 政庁跡に遊ぶ

 大宰府にお参りした後はできるだけ政庁跡に立ち寄るようにしている。まずは観世音寺。大宰府政庁の東に接して建てられた観世音寺は、大宰府の庇護の下、九州の寺院の中心となり、「府の大寺」と呼ばれた。万葉集や源氏物語にも登場する西日本随一の大寺院だったという。隣には奈良の東大寺、下野の薬師寺と並んで日本三戒壇の一つに数えられる戒壇院が左手に見える。クスノキの茂る境内からその裏の田んぼや僧玄肪の墓辺りは古(いにしえ)を感じさせ、散策を楽しみたい。

 ここから10分も歩けば、政庁跡にたどり着く。かつてここは「遠の朝廷(とおのみかど)」と呼ばれ、九州を治める役所であった大宰府の政庁があった場所である。きれいに整備され、広々とした史跡公園になっている。数多くの礎石が残り、地元の人はここを「都府楼跡」と呼ぶ。それは菅原道真が詠んだ漢詩「不出門」の中にある「都府樓纔看瓦色」が由来だという。ちょうど周りを山に囲まれた地形をしていて、ずっと向こう(政庁跡の背後)には大野山がそびえ、その左手の山、四王寺山頂(410)に政庁の北の守りとして造られた日本で最初の山城、大野城があるという。山に囲まれながら広々とした印象を与え、つい「まほろば」という言葉が浮かんでくる。

 ここに来る条件。
その1、「晴れた日」というのが絶対条件。その2、「風のない日」が必要条件。その3、「5月の若葉の季節」が十分条件。つまり、「5月の風のない晴れた日(そのままか)」となる。そんな季節は訪れる人で賑わう。だれもが裸足で歩こうとする。若い夫婦が幼い子どもを連れて、その子どもは裸足で土の感触を楽しむ。ここはそんな風景が似合う。

 余談   都府楼について調べていく中で、道真の「不出門」と「愁思(九月十日)」に出会う。こういうところがブログでの思わぬ拾い物。

091209 お石茶屋から竈門神社へ

 裏庭にはたくさんの茶店が並ぶ。さらに坂道を進むと、「お石茶屋」が見えてくる。筑前三美人のひとり「お石さん」が開いた由緒あるお茶屋さん。看板娘だったお石さんに一目会いたくて、文化人がこぞって通ったという。他の茶店と違って、古びた佇まいに土間づくり。こうした雰囲気に惹かれて一番奥にあるにもかかわらず多くのお客がやってくる。

 土間に入って食べるもよし。できたら外に紅い毛氈を敷いたテーブルがあるので、そこに座るのがお勧め。新緑と紅葉の季節には、ゆっくりと風に吹かれながら、景色を眺めながら「お抹茶と梅ケ枝餅」をいただく。ここの梅ケ枝餅はパリッと香ばしい皮とたっぷりの餡の加減が絶妙で、抹茶との相性も抜群で、何度でも通いたくなる。

 以前はすぐ上に弓道場があった。高校生たちが胴着に着替えて的を射ていた。特に女学生が居ずまいを正して的に向かう姿は、凛々しくてつい見とれていたものだ。ところが、いつからだろう。道場はなくなり、ただ草が生い茂っているだけだ。

 その先にはレンガ造りのトンネルがある。いつもはそこで引き返していたのだが、今回はその先に進む。このトンネルには「お石しゃんトンネル」の名前が付いている。炭鉱王麻生太吉が、美人のお石しゃんが遠回りをせずに自宅から直接店に通えるように造ったトンネルだという豪華な伝説もあるが、そういう伝説ができるほど美人だったということか。実際は、竈門神社や宝満山登山の人たちのために造ったというのが真相らしい。

 今回はその竈門神社まで足を伸ばす。駐車場のお兄ちゃんには40分ほどかかりますよ、と言われたが、歩くのは苦にならないからと頑張ってみた。すぐに登りになったが、実際は20分ほどで着いてしまった。歩いてよかった。途中から駐車場へ入ろうとする車が数珠繋ぎで、引き返そうにも道が狭くてどうしようもない。神社には紅葉狩りの人もいたが、大部分は宝満山に登る人たちのようだ。紅葉は他と同じで鮮やかさがなく、期待はずれだった。

091208 梅ケ枝餅

三軒のお店の写真にしようと思ったのですが、「松屋」の庭、柿の木を中心にしました。ほんとに柿の実がきれいです。

 太宰府といえば梅ケ枝餅。太宰府に流された菅原道真を慰めようと土地の人が作ったお餅だと言い伝えられている。参道にはたくさんの梅ケ枝餅を売るお店があるが、この頃雑誌に載せられると行列ができてしまい、まわりの店は閑古鳥が鳴くという現象が起きている。載ったお店はホクホクだが、周りは迷惑な話である。だって、そんなに味が違うわけでもないのに、雑誌に載るか載らないかが勝負を決めてしまうのである。

 私はその参道では、三軒ほどのお店をその時の気分で使い分けて買うことにしている。参道の入り口右手には「松屋」。中に茶房があるが、その奥にこじんまりとした素敵な庭がある。その庭でもお茶を飲むことができる。特にこの時期は柿が見事である。柿の葉も大振りで、色がなんともいえず美しい。この店では水盤に柿の葉を入れていた。ただそれだけなのに草花をたくさん飾ったものよりも遥かに素晴らしい。また、実が美しい。柿の実に美しいは似合わない気もするが、ほかの表現が見当たらない。空の青の中に浮かんだ柿の実をなんと表現したらいいのだろうか。
それと中ほどにある「かくだ商店」。ここは上品なおばあちゃんがひとりで焼いていて人気があった。連れ合いも好きで、彼女はほとんどここで買っている。そのおばあちゃんも4年ほど前に亡くなってさみしくなった。

 もう一軒は「きくち」。以前は行列のできる店だったが、今ではそれも他の店に移り、ゆっくりできるようになった。ここはお土産に買うよりも、2階にある喫茶でお抹茶を飲みながら梅ケ枝餅を食べるのがいい。