100411 妙な夢

「花海棠」。今年はきれいな花をたくさんつけてくれた。

 

 時々妙な夢を見る。その代表は、大学を卒業できていない夢を見て慌てふためくというものである。これは1・2年に1回は必ず見ていて、汗びっしょりになって飛び起きてしまう。よっぽど不真面目な学生生活を送っていたのだろう。そのつけが今回収されているようだ。昨夜の夢は学校で(小学校なのか中学校なのかが曖昧)私が道徳の授業をしているという新たなパターンである。その時は授業の内容まで鮮明に覚えていたのに、朝になるともうぼんやりとなってしまった。

 きっかけは、おそらく新しく指導員としてやってきた方との会話にあると思う。もちろん私が以前教員をしていたことを知っていたので、自然とそういう方面の話になっていった。その中で、今の教育でいいのか。このままで子どもたちの将来は、ひいてはこの日本の行く末は、なんて話になっってしまった。

 それからある現役の先生と話をする機会があって、その方が言われた言葉が心に残っていたのも夢の原因だと思う。彼の言う小学校の荒れた状況は考えられないことばかりだった。その中の一つ、教育委員会の学校訪問の時、「歓迎!」ということで2階から小学生がトイレットペーパーを投げたというのである。その後に続けた彼の言葉が忘れられない。「こういう子どもたちをそのままにして中学校に送り込むなんて、これこそ人権侵害だ」と。

 こういう状況にしっかりと向き合って、しっかりと腹を立ててくれる教員がいることがうれしかった。(4╱9) 

100410 キランソウ

キラン草(別名 地獄の釜の蓋) となりではアザミが蕾を用意していた

 公民館ではほとんどの時間をパソコンを前に椅子に腰かけている。で、できるだけ昼休みには身体を動かすようにしている。以前は、上のグランドでジョギングをしてみたり、保健センターにあったエアロバイク(この言葉が出てこなくて事務所の人がすぐネットで調べてくれた)をこいでみたり、212号線から支所までの坂道を歩いたり走ってみたりと、あれこれやってみた。今はグランドに上がる石段(35段ある)を上がったり降りたりしている。

 最近肉ばなれを起こして中止していたのを今日から再開した。すると、あちこちに紫色をした花らしきものが見える。スミレにしては花色が強いし、オオイヌノフグリでないことは一目瞭然。支所のタバコ組合の人たちに聞いたが分からない。ひとりが風物館の河野さんが知ってるかもしれませんよというので電話をする。言葉だけでは要領を得なかったが、「地面にべったりくっついた」という言葉が決め手になった。「おそらく○○でしょう。ファックスで図鑑の絵を送りますから確認してください」となった。

 届いたファックスの絵は見事に真っ黒で、かろうじて「キランソウ」という名前が分かったので、ネットで検索してみた。画面にはきれいな写真と『キラン草(別名地獄の釜の蓋) ずいぶん大層な別名ですが、このキランソウは薬効が高く、「病気で死にかけている人でもこの草で生き返り、一度開いた「地獄の入り口に蓋をする」というのでこの名前がついているという説もあります。「医者要らず」という別名もあるらしいので、「地獄の釜の口から死にかけた人を連れ戻す」という由来が正しいのかもしれません』と、丁寧に説明してくれていた。そういえば、小さい頃「地獄の釜の蓋」という言葉は聞いたことがあったな。

 今日のタイトルは別名「便利なネット」としてもよかった。(4/9) 

100409 春告鳥

この花の名前を「シャガ」と知ったのは20年以上も前のこと。山道を歩いている時教えてもらいました。そのあとすぐ庭に植えました。それ以来、増えもせず減りもせず、春になると生垣の陰でひっそりと咲いています。

 

 孟浩然の詩に「春眠暁を覚えず 処処啼鳥を聴く 夜来風雨の聲 花落つること知る多少」というのがある。「春暁」である。起句の「春眠暁を覚えず」は人口に膾炙(かいしゃ)したもので、ある一定の年齢の方であれば口にしたか聞いたかしているはずだ。

 ところが、そうした状況から遠ざかってもう何年になるだろう。たしかに昔は休みになると昼前にならないと起き出さなかった時代もあった。空腹になってしかたなく起きていたのである。それがいつからかよっぽど疲れた時以外は暗いうちから目が覚めてしまうようになった。寝るのも若さ、つまり体力がいるということを思い知らされた。

 そんなに早く起きてどうするのか。いくつかのパターンでいろいろ考える。つまり、「妄想」である。ところが、この頃朝早くからいい気分になっている。鶯の鳴き声である。ぼーっとしながらただひたすら鶯の鳴き声を聴く。鳴き声の中に身を置いてみる。なんともいえない幸せな時間である。妄想もいいけどやはりこちらの方がずっと幸せである。

 その鶯の声も三月の始めに比べたらずいぶん変わってきた。鳴く鶯の得意そうな気持ちが良くわかる。以前だと、おいおい、もう少し勉強してから出直して来い!という程度の啼き方だった。それが今では得意そうに鳴くし、ひょっとすると自分で自分の声に酔いしれていないかと言いたくなるくらいまでになった。高く低く、早くゆっくり、節回しまで変えてくる。あまりのいい声に誘われて庭に出たが、姿は見えない。椿の木の間でガサゴソしているのは分かるのだが。

 あと2回ほど書きためたブログを掲載します。そのあと、またシリーズ物が5回ほど続きます。  

100408 ガイドさん

 

いいコンビでした

 はじめはなんか冗談っぽい、どうかすると不真面目な話し方に思えたのだが、途中から慣らされたのか妙に楽しくなってきた。ゆったりとした、それでいて滑らかな話し方が心地良くなってきたから不思議だ。そういえば私の好きな落語家に似た話し方だ。そして、商売とはいえあとからあとから言葉が出てくる。それもほとんど間違いがない。ガイドさんによっては中途半端に覚えていて、名前や年号、その他の固有名詞を間違えることがけっこうある。いったん気になるとイライラする。我ながらなんといやらしいツアー客なのかと思う。 

   
 これが「みっちゃん」。  広島風お好み焼き

 出雲大社から広島へ縦断する。三次ワイナリーでトイレ休憩のあと、一路広島駅へ。まだまだ春まだきで、山道で雪が降り始めたのにはびっくりした。広島駅には18時に着く。新幹線まで約1時間。こんなに時間があってどうするんだなんて思っていたが、駅構内で夕食をとってちょうどいい時間になった。

 添乗員さんお薦めのお店「みっちゃん」に入る。ここはお好み焼きの専門店。期待していったのに味はいまいち。なにより店員、特に女の子の接客態度が最悪だ。こんなお店を勧めた添乗員の味覚、人を見る目を疑った。ここは広島駅構内。いわば顔である。そして、広島のお好み焼きといえば全国ブランドである。それがこのざまでは広島の名折れになるのだが・・・・。(3/29) 

100407 出雲大社

   

 注連縄に硬貨を投げ込むとご利益があるとかで、若い女性たちが必死になっていた。

 後ろに見えるのが本殿を囲む素屋根。25年5月に工事が終わる。
   
 巨大建築を支えた幻の柱の遺跡が見つかる。  君が代に出てくるあの「さざれ石」
   
「婚儀殿。ここで式を挙げるといくらかかるか?  鏡の池。恋占いの池として有名だとか。

 

 出雲という言葉には特別な響きがある。遠く、淡く、湿り気に覆われた、ぼんやりとしたイメージの響きである。「出雲」という沸き立つ雲の連想からだと思う。歴史のかなたに消えていった種族のことが気になる、そんな年になったようだ。

 たとえば、「出雲族」。営々と築いてきた父祖伝来の地をヤマトの神々に奪われ、隠れた(滅んだ)後もなお監視されるという屈辱を受ける出雲族。いったいどれだけの激しい戦いと多くの血が「国ゆずり」というおだやかな言葉の後ろに隠されているのだろう。たとえば、「物部氏」。天皇家がやってくる前の大和の支配者であり、平和裏(出雲の国ゆずりとそっくりである)に政権交代したと伝えられる物部氏の祖、ニギハヤヒノミコト。彼は、天の磐船に乗ってどこかから舞い降りてきたという。日本書紀には、出雲神・大物主神が天皇家よりも先にヤマトに入り、ヤマトを建設してきたと記されているが、出雲と物部氏はどうつながるのか。ものの本に寄れば、天皇家をも凌ぐ勢力を誇ったといわれる物部氏もいったいどこに消えてしまったのか。

 平安時代の「口遊(くちずさみ)」に「雲太・和二・京三」という言葉があって、日本で最も大きい建造物が出雲大社であったと記録されている。現在の本殿も高さ23m.で迫力があるが、かつてはその2倍・3倍もあったという。あまりの大きさにただの伝承にすぎないと思われていたが、2000年の4月にその証拠となる「心御柱」が発掘された。

 なぜ滅ぼした敵のためにこれほど豪壮な社を建てなければならなかったのか。なぜこれほど恐れなければならなかったのか。なぜ、ナゼ、NAZE・・・・。(3月29日) 

100406 足立美術館

  「いつかは行こう 足立美術館」が私の近年のスローガンであった。気持ちだけはあっても生来の出不精。思うだけで過してきたが、やっとその思いが成就した。足立美術館のスローガンは創始者の足立全康氏の言葉である「庭園もまた一幅の絵画」であろう。この言葉はパンフレットの第一に書かれている。

 ここの庭園の素晴らしさはとてもじゃないが、私の言葉では言い尽くせない。そこで写真の出番である。その写真も館内で販売している写真集にあるものはあまりに美しすぎる。私が撮ったものくらいがちょうどいい。「美術品の撮影は禁止ですが、庭園はどうぞ」ということで、撮ったとった!ここだけで121枚。「生の双幅を通して観る白砂清松と一服のお抹茶」といわれて、美術館内にある茶室「寿楽庵」に入る。

 茶菓子と抹茶で850円。秋月での350円にくらべたら倍以上。松平不昧公の「不風流所亦風流」などがさりげなく床の間にかかっており、かわいらしい女の子が金の茶釜で点てたという抹茶を飲んで、あとはひたすら写真撮影。たしかに双幅の掛け軸のように見えて素晴らしい。次に訪れる時には「喫茶室・翠」に入ってみたい。枯山水から亀鶴(きかく)の滝まで独り占めにできるという。

 ここは横山大観の絵画で知られているが、7年連続日本一になった庭園も見事である。また、それ(日本一)を維持するための努力は並大抵のものではない。たとえば、今ある松が生長するにしたがって、今の形と違ってくるのは当然である。しかし、それを今のままの形に保つために、今から植え替えるための松を別の場所で準備しているという。今年の10月29日に新館がオープンするそうだ。秋の紅葉の季節に合わせて訪れたいものだ。(3月28日)

100404 風土記の丘・宇佐神宮

 桜の時期になると必ず訪れる場所がある。国東半島の香々地少年自然の家の手前、夕陽百選にも選ばれた「粟嶋神社」の参道である。ある方に連れられて出かけたのがもう四半世紀も前になる。この頃は孫を連れて出かけている。海沿いのため1週間ほど満開が遅れる。今年は横にやせっぽっちの男の子が座る。案の定、満開には程遠かった。その代わり菜の花が咲き誇っていた。この頃では菜の花の方が有名になりつつある。

 帰りに「風土記の丘」に立ち寄る。ここは今日の強い風も吹くのを避けてくれたようで、あたたかな陽だまりでは桜はもちろん満開。多くの花見客が飲んで食べて、大きな木の下では大正琴の演奏が行われていた。

 もう一箇所、「宇佐神宮」に向かう。ここでは十号線沿いの桜並木が見事なのだが、私は境内の池のほとりに立つきれいな桜が好きだ。この池では時々カワセミを見ることができる。獲物を求めて水面に飛び込む姿はまさに「飛ぶ宝石」である。この池には6月頃から黄色の小さな花が水面からのぞく。名前を「コウホネ」という。この名前を教えてくれたのは粟嶋神社の桜の君である。

 ここでの一番いい場所に先客がいた。年老いた夫婦が寄り添って弁当を食べている。うらやましくなる光景だが何かが引っかかった。引き上げようとするとその夫婦も立ち上がった。男の方を見て「あっ!」と声を上げた。なんと一つ先輩の元校長さんである。こっちも驚いたが相手もまさかである。こんなことがあるから人生は楽しい、とは大げさか。 

100403 鳥取砂丘

これで砂丘の全て カニが好きでない者には・・・・ 季節の良い時,ゆっくりと

 

 たしかに砂丘ではある。家の近く、三百間の浜にあった砂浜のちょっと大きいやつ、ではない。大きい おおきい。しかし、これからは砂漠は絶対に想像できない。する方が悪いのだが。砂丘といえば、なんか夢があった。ロマンティックな姿を期待していたのに・・・・。これでラクダに乗せてという商売もやっているのだから、悲しくなる。書けば書くほどむなしくなるので、もう、これで、お、わ、り!
 
 砂丘から宿泊先の大山ロイヤルホテルまでは2時間。途中で大荒れの天気になる。嵐といっていい。ガイドさんからは、「だれか今までしたことのない悪いことをしませんでしたか?」と言われてしまった。ところが、それも10分ほどで、始まった時と同じに急に終わってしまった。明日、天気がよければいいのだが。

 2時間かけてということで一昨年の上高地ツアーを思い出した。こういう離れた場所でないと格安のツアーは組めないと理解しているつもりだが、さすがに遠いなあ。ところが、そのロイヤルホテルは満員で、風呂は芋の子を洗う状態。部屋はひとりということで、5千円の追加料金をとられたが、たった一人にベッドは3つ。ぜいたくというか、さみしいというか・・・・・。

 翌朝、素晴らしいとは言わないまでも昨日の夕方に比べたらまさに天国。目の前に見える大山は山頂が雲に覆われているが、そのすばらしい下半身を見せてくれている。夜目・遠目・傘の内というが、「雲の内」もいい。とこれは完全な負け惜しみ。なのに、初めの休憩地(というより、「お土産買え地」)に着く頃には少しみぞれ交じりになってきた。前途多難。