100614 ホタル1

 八面山を屋形から見ました  この橋のたもとを降りていきます  河鹿の鳴いていた岸

 ホタルの写真が撮れませんでした。次の日の昼間に現地に行きました。何か気が抜けた状況でした。 

 ホタルの季節になると血が騒ぐ、と言ったのはだれだったか?そうか、自分だったか!昔からホタルには格別の思い入れがあって、その時期が近づくとワクワクしてくる。高校生の時(遥かはるか遠くになったが)、近くの同級生が毎晩のようにやってきて二人で自転車でそれこそ中津中を徘徊してまわった。なんで親は知らん顔をしていたのだろう。そういえば不審尋問されたこともない。古き良き(?)時代だった。今の中津警察署の辺りは水田の水路が縦横に走っていて、この季節ホタルが溢れるほど出ていた。
 昨年は登山の打ち合わせ会と称して山国で食事をした後、2ヶ所ほどホタルがよく出ると評判のスポットに行ってみた。ところが、雨の後のため思いのほか少なくて残念だった。その時のブログにこう書いている。「それでも宇佐からの仲間は喜んでくれたが、自分としては物足りないし、私が感動したあのホタルの凄さをぜひ体験してもらいたかった」と。
 昨日、事務室ではホタルの話で持ちきりになった。指導員の方が息子と前日屋形に見に行ったというのだ。今年は例年になく多かったと言う。私も退職するまでは何度か蛍狩りに出かけた場所である。一度は山に登る前のホタルの灯りとそれが水田に映る灯りとが重なって幻想的な情景を作り出していた。繰り返しその場所に出かけるが二度と見ることがない。
 連れ合いに声をかけると久しぶりに出かけてみようかとなった。家を7時20分にでて、目的地に着いたのは8時前。まだうっすらと明るさが残っている。それでもすでに何組もの人たちが来ている。8時を過ぎる頃に川沿いの藪の中に光が見え始める。それが徐々に増えていき、気がついたらあたり一面にホタルが飛び交っている。川に沿って歩く。まるでホタルの光の中を漂っているような不思議な感覚である。「ワー!」「キャー!」「スゴイ!」と感嘆の声がうるさいと思っていたら何のことはない、自分も負けずに声を上げていた。
 今日は下見である。昨年の宇佐の仲間は少ないホタルにもあんなに喜んでくれた。ぜひこのすばらしいホタルを体験してもらおうと思っている。(6/8)
 

   
   

日本三大雪渓の一つ「鉢の木雪渓」だそうです。

100612 森田童子2

   

 タイトルに合う写真がありません。雨が近づいているのか、南東の温かい風が強くなりました。気がついたらこの風で熟れた「すもも」が落ち始めています。拾ったり脚立を出してもいでみたりしましたが我が家では食べる人がいません。眺めて、写真に撮って、ブログに載せるくらいです

 夜聞く音楽が変わった。ずっと小椋佳ばかりだったのにおそらく厭いたというのが本音だと思うが、今は作ったばかりの「森田童子」を聞いている。作ったはいいがこんな暗い歌、聞く気になれないなと思っていたのに豈(あに)はからんや、嵌まってしまった。
 理由は三つあるようだ。歩きながらこんなことばかり考えている。ひとつは言葉がそうだ。前回にも書いたがなつかしい言葉があちこちに散りばめられている。かっこよくいえば、同じ時代に生きた者の連帯感か。「球根栽培の唄」という題名もそうだし、「トランジスタラジオ」や「ガリ版刷りのアジビラ」なんてのも出てくる。今の若い人には死語に近いものだろう。「ストーブ代わりの電熱器」になると“パンがなければケーキを食べればいいのに”と誰かが言ったように“ストーブがなければクーラーをつければいいのに”と言われそうだ。ましてやこの言葉に目がうるうるした私の気持ちは理解不可能だろう。
 学生時代、友だちの下宿に行った時、彼の部屋にコタツがあったのを見て「金持ちだー!」とうらやましくなる前に感激したのを覚えている。だれもが貧乏な時代だったとはいえ、我ながら信じられない生活を送っていたと少しジマン(?)さえしたくなる。
 ふたつ目は曲である。全ての曲に共通するのは今の唄ではないということだ。当たり前の話だがこの唄が歌われた時でさえその時代の歌ではなかった。一言でいうと「大正ロマン」という言葉がぴったりだ。「菜の花あかり」や「まぶしい夏」、「サナトリウム」にいたっては昭和を通り越して完全に大正である。
 みっつ目は声である。「今にも消え入りそうなか細い声」と書いたがなぜかなつかしい。この声には女や女の子が感じられない。彼女がよく使う「僕」という言葉のせいもあるが、「少女」を通り越して「少年」の面影が色濃い。そうか、「阿修羅」に似ているんだ。だからあんなに暗い情念を歌っているのに暗さよりも繊細さが強調されるのか。

100610 森田童子1

彼女の写真はあまりないそうです

 新しいCDができた。何がきっかけなのかはもう忘れてしまったが、「あがた森魚」の「赤色エレジー」を聞きたくなった。あるのはあったが別の歌の方が気になってしまった。たまたま土曜日の新聞に彼女の歌が特集されていた。歌い手は「森田童子」。歌は「僕たちの失敗」。1993年に真田弘之主演の「高校教師」の主題歌として使われたのは覚えている。しかし、ドラマの方はとうとう見ることなく終わった。当時えらく評判になったが内容を聞いたらとてもじゃないが見る気にならなくなってしまった。事務室でその話をしたら、「見た、みた!でもドロドロしてて観ていて気持ちが悪かった。あの頃あんなドラマが流行ったよね」ということになった。
 ドラマの方に話はいったが歌はそういうドロドロさは感じさせない。どちらかというと今にも壊れそうな繊細さを感じさせる。今にも消え入りそうなか細い声に、どこか世の中を捨てたような歌詞。調べてみると音楽活動は二十歳くらいからの10年間だけである。それもはっきりと宣言して歌を捨てたのではなく、いつの間にかいなくなったのだからいかにも彼女らしい。
 彼女の歌の中に、懐かしいといおうかなんでこんなところにという言葉を見つけた。「球根栽培の唄」である。どこかで聞いたことがあるなと思って調べると、あった。50年代の日本共産党の火炎瓶闘争などの武装方針を示した秘密出版物の書名「球根栽培法」である。
 

100609 サルビアの苗

3週間後 できすぎました! 赤・白・紫 売りに行くほどあります

 魚釣りでできなかったタマネギの収穫をする。今回は150ほど植えたが収穫できたのは130個。おまけに肥料をやる時期を間違えたようで形のいいものが少ない。朝一番に畑から引いてきたが、ひもで縛って陰干しをするのは連れ合いに任せる。とにかくひもを使うのは得意なのである。私はサルビアを掘りあげてポットに移植する。

 5月の11日から2日ほどかけて、赤から白、紫まで昨年取って置いた種をトレーに一粒ひとつぶていねいに蒔いた。どうしてそんなに几帳面にするのかとよく言われるが、こうしたことを教えてくれた教頭さんがそうしていたのでと答えるようにしているが、おそらくそういう性格なのだと本人は理解している。

 どのトレーも時期こそ少し違ったが、すべて恐ろしいくらい発芽して順調に育った。順調すぎて赤のサルビアの一つのトレーは徒長してしまい、ポットに移すのが大変だった。家では全てが終わらなかったので公民館に持っていって作業するが、今度はポットが足らなくなってしまった。来年はあまり密集しないように蒔こうと思っている。それでも赤は350ポット。白は175ポット。紫と薄紫はそれぞれ140ポットになりそうだ。というよりそのくらいで止めないと移植すること自体にうんざりしてきているのだ。残った苗は昨日の釣りの師匠でもあり花の師匠でもある漁労長に持っていくことにする。その電話をすると、喜んで始末してやるよという。

 家と公民館に使って、約束していた人たちにあげたとしても、それでもだいぶ残ってしまいそうだ。桜草の時にも言ったが、欲しい方はいませんか。連絡していただければ差し上げます。とはいっても生きものですからどの位あげられるか今から約束はできませんが。今朝(7日)見にいくともういくらか食べられている。かごの下にはだんご虫みたいなのがたくさんいたがそれだろうか。それともナメクジか?(6/7) 

100607 キス釣り

     
 たしか熊毛の海?  後姿に哀愁漂う漁労長  だれだ!こんなの釣ったのは

 
 土曜日にはなんとしてでもタマネギの収穫をしなければと思っていたのに、こんな時に限って携帯がかかってくる。久しぶりの釣りへの誘いである。もう何年ぶりになるだろう。前回はいつだったのか忘れてしまった。最近こそ連れ合いに「もう忘れられたみたいね」と言われたばかりなのに、それが聞こえたのか「明日、キス釣りに行こうと思うちょっけどどげ~すっかや?」といつもの口調でかかってきた。どげ~するも何も行くに決まっちょるやないか。聞くだけ野暮というものです。

 彼は毎日魚を釣っていたいというくらいの釣りキチというよりも・・・・漁師といった方がいいくらいだ。仲間内では「漁労長」と呼ばれている。現職のころからだったと思う。年に2~3回だが決まって携帯にかかっていた。「こんどはどげかや~?」と。道具からエサまで、夜になることが多かったから頭につけるライトまで何もかも彼が用意してくれて、坂ノ市から米水津まで出かけていた。いつも足手まといになっていたのによくもまあ腹も立てずに誘ってくれていたものだ。

 今回は私にとっては始めての高田から国東にかけての海岸で、目当てはキスである。初めは呉崎の干拓地、1号地の堤防である。暑くなりそうだからむぎわら帽子は忘れんなよと言われていたが、とにかく暑い。堤防の上だから照り返しが半端でない。海風が吹いている時はいいが、そうでないと海面がキラキラ輝いて頭がふら~っとする。おまけにはじめにかかったきり全く当たりがない。こんなはずはないと場所を移動する。次は熊毛の海岸である。ところがここでも引きがない。そうこうしながらいったい何ヶ所移動しただろうか。5ヶ所までは覚えているが後は思考停止。
 「キス釣りでこんなに釣れないのはあまり覚えがない」と漁労長が嘆くのだから仕方ないか。それでも一番形のいいのと一番小さいのを釣ったし、責任を感じたのだろう、釣れたキスは全部私にくれた。こういうところから友情は深まっていくと思う。(6/5)

     
     

 北アルプスは何度訪れても感動をくれる、と書いてありました。

100606 温かさ

日本アルプスか? コイワカガミ

 ほんとに今回の旅では横浜の甥一家にお世話になった。甥夫婦もその大学生の娘も高校生の男の子も見事なくらい温かい一家である。有くんは「特には気を使っていませんよ、これが素です。」というが、児童虐待のあまりの多さ、殺人の簡単さ・むごたらしさを感じるこの頃、なおさら温かさがうれしい。羽田まで送ってくれ、別れるとき二人の若者と握手をしたがその手の温かさが心地良かった。今これを飛び立つ前、空港をタキシングしている機内で書いている。年をとって気が短くなったと自覚しているが、その分涙もろくなってしまった。そろそろ飛び立とうとしている。走りが早くなったしエンジン音も大きくなった。そして、大きく揺れだした。

 そうそう、搭乗口前のイスで待っている間、少し離れたところに思いがけない人を見つける。二日前に同じ飛行機に乗った先生である。おそらく向こうも気がついたのではないかと思うがあえて知らないままにする。行きと違って少し疲れている。こういう時にはむしろ知らん顔をする方が礼儀だと思う方である。彼も気持ちの良い週末を過すことができただろうか。

 羽田を出て20分ほど過ぎた頃、眼下に雪山を見る。こんな景色を見るのは始めてである。おそらく日本アルプスではなかろうか。デジカメで撮ろうとすると動かない。「カードがいっぱいになっています」というメッセージが出ている。あわてて一眼レフを取り出すが、上手く取れていればいいのだが・・・・・・。

 何かイベントがあるたびにできるだけそれを利用して会うようにしてきたが、だんだんとそのイベントも少なくなってきた。これからは別れのイベントが中心になりそうだ。3日間の旅、少し疲れていると書いたが確かにもう若くない。(5月9日)
 
 今回の静岡への写真紀行はこれで終わりです。長々お付き合いくださいましてありがとうございました。今のところ7月にまた旅行を考えています。それまでは身辺雑記にお付き合いください。右の写真は久しぶりの「安曇野通信」です。夏の北アルプス登山に備えて「里山歩き」に励んでいるそうです。熊との遭遇が心配なのですがと書いているが、熊がそんなに身近にいるなんて・・・・。

100602 三渓園

   
 ねむの木こども美術館  富士SAからの富士山

 帰り、行きに見つけていた「ねむの木子ども美術館」に立ち寄る。「吉行淳之介文学館」にも興味があったがそんなに時間は取れない。美術館に入ってびっくりした。みんなもびっくりして声も出ないという状態だ。子ども(?)たちの作品が並んでいる。どの絵にも共通しているのが、同じ部分が繰り返し描かれていることだ。その繰り返しが半端でない。延々と・・・・・、細密画というべきなのか。それとも少し違っているような気がした。絵を教えている人が言っていた。こういう障害を持つ子どもだから描くことのできる絵ですよ、と。

 帰りも行きと同じくスムーズである。途中昼食に立ち寄った富士サービスエリアでは目の前に富士山が見える。行きの飛行機から見えたのは雲ばかり。前日の高速でもすっぽり雲に覆われていたのが、今日は見事にその美しい姿を惜しみなく見せてくれている。その富士を見ながら名物の「ひつまぶし」を食べ、高校生の有くんと話をする。大人の会話に合わせてくれるし気を使ってくれているのがよくわかる。楽しかった!

   
旧燈明寺三重塔   旧矢篦原家住宅

 思いのほか早く横浜に着いたので以前も連れて行ってくれた「三渓園」を全員で見学する。前回は時間が足りずに駆け足で見てまわったが、今回はゆっくりと鑑賞することができた。5万3千坪の広さの中に京都や鎌倉などから集めた歴史的建造物が散りばめられている。その中でもなんといっても「旧燈明寺三重塔」が一番目を引く。近くで見るのもいいが、遠く池越しに、それも岸につないでいる小舟(わざわざ絵になるように置いてあるそうだ)越しに見る三重塔が風情があっていい。もうひとつ、岐阜県白川郷にあった江戸時代の庄屋の家を移築した合掌造りの建物がすばらしい。近くにこんなすばらしい場所を持てる人がうらやましい。一年を通じてその時々のすばらしい季節を堪能できるし、様々なイベントを鑑賞できる。さっそく6月の初めには「蛍の夕べ」があり、午後8時30分まで開園しているとのこと。(5/9)
 

   
 小舟越しの三重塔  カワセミがいるのが分かりますか?

100601 三鞍の山荘

   
   

  式の後、全員で遠州森町三倉にある「三鞍の山荘」へ向かう。掛川の町を通り抜け山の中に入ること約1時間。こんな山奥にという山の中にフランス料理・今井シェフの経営する山荘がある。この方は最近もテレビに出たとか。知る人ぞ知るフランス料理界の大物である。

 今井シェフがあいさつで言う。「16年前、なんでこんな山奥にと言われたが、前の谷は風が通り、後ろの山からは美味しい水が集まってくる。そんな土地をここに見つけてお店を作りました。つまり、お客様のことは全く考えずに自分の思いを大切にしました」と。そして、今日のために作る料理「海の幸とパイ包み焼き」のことを話してくれました。さまざまな料理と美味しいワインが出たが、やはり「海の幸」のすばらしさが際立っていた。レポーターのようには上手く表現できないけれど「幸せを感じる料理」(結婚式にかけた苦心の作はどうですか?)というものを食べたのは始めてである。

 
   

 約2時間の素敵な料理と楽しい会話の食事会も終わる。今晩はそのままこの山荘に泊まる。夜、一部屋に集まって二次会というか、原田家恒例のトランプが始まる。

 翌朝、みんなは食堂で朝食を食べるが、山荘の人が声をかけてくれたのでテラスに出て風に吹かれ、鳥の声を聞き、目の前の斜面に広がる茶畑を眺めながらゆったりといただく。何にも考えずにただひたすら眺め、ただひたすら食べる。

 食事後、現地解散のはずが新婚さんの新居を見ようということになった。家のすぐ裏には大きな川が流れ、土手には桜並木が続く。前の田んぼはすでに田植えも終わり、水を張られた田んぼからはかえるの鳴き声が聞こえる。ある意味、東京での生活に疲れていた彼女にとってはここは理想的な癒やしの環境かもしれない。ただひたすら彼女の第二の人生(ちょっと遅くなったけど)の幸せを願わずにはいられない。(5/9)