101206 太宰府歴史紀行(都府楼跡・市民の森)

   
 都府楼跡 石碑の前で 

 27日。耶馬渓や山国を通る時には一面の霜だった。日田ではすっぽりと霧に包まれて、いかにも盆地らしい情景である。冷え込んだ分、天気は上々。日中は暖かく、空には雲ひとつない素晴らしい一日になった。今回の幹事を担当した以上、なんといっても天気が気になった。これさえ良ければ80%以上は成功である。あとはそれぞれ気に入ってくれるかだが、自信はある。

   
 市民の森  鮮やかな紅葉 葉を落とした姿もいい 

 都府楼跡では前に山が迫っていながら広々としていて、きれいに整備された史跡にびっくりしていた。ここには妙な古代の政庁を模した建物など一切ない。すっきりしたものである。それでいてだれもが古代の空気を感じているようだった。市民の森は私も初めてである。お決まりのように決める前に太宰府市の観光課に電話を入れると、光明禅寺とここを推薦してくれた。23日に佐藤さんと太宰府を訪れた時が最高だったので、少々心配したが紅葉はまあまあだった。

   
 ちょっと大げさ   山頂は暑かった

 計算外だったのは、市民の森からすぐに観世音寺に行く予定が狂ったことである。途中、「岩屋城本丸跡」という看板を見つけた人がそこに行こうと言い出した。すぐ近くのはずがけっこう時間がかかってしまった。正直な話、行ってよかった。適度に苦しくもあり、その分頂上からの眺めも太宰府の街が一望に見えて素晴らしかった。戦国武将「高橋紹運」の墓も見ることができた。ところが、あんなに苦しかったはずが、頂上で見つけた目印には「岩屋山 281㍍」とあった。 

101203 フグ三昧

 昨年もこのタイトルでブログを書いている。変わり映えのしない日々を送っているということか。お店はもう10年以上もここ「福わ内」である。昨年は料理一品ごとに写真にコメントまで付けてみた。今年もたしかに美味しかったが、気分的にそれを考える状態になかった。やっと作り出した時間がダメになったのである。今は、それはそうだろうなと納得できるが、その時は始まりはそっちだったじゃないか!と思ったものだ。とはいえ、冷静になってみると、ちょっと有頂天になりすぎていたなと反省しているし、翌日は検診日だということに気がつき、これはこれでよかったと今は自分を納得させている。
 何年か前、母親の法事のあと、みんなで国東にある三国屋という宿に泊まったことがある。姉がどこかに行きたいと言ったこととみんなの接待を我が家でするのも大変だということと、ここがフグを食べさせるというので出かけたのである。結論からいうと「これがふぐ料理?」と言いたくなる代物だった。やはりフグは臼杵でしょう!
 先ほども書いたが、今年はコメントなしで、写真だけ掲載する。

     
     

 

     
     

101205 紅葉紀行4(光明禅寺)

   
   

 清水寺の後、筑後市にあるというハゼ並木に行くはずだった。高校の後輩に教えてもらった場所である。「久留米のハゼ並木も素晴らしいけど、ここは隠れた名所です」と。ところが、清水寺で時間を取りすぎて残念だが次回に譲ることにした。
 次の目的地は太宰府の「光明禅寺」である。このブログを読んでくれている人は、おそらく「またか」と思うことだろう。確かに何度も書いたし、何度も訪れたし、最も好きな場所のひとつである。4日後にはもう一度ここを訪れることになっている。佐藤さんには嫌になるくらい何度もこの庭の素晴らしさを吹聴している。である以上、一度は一緒に訪れないことには口先だけになってしまう。

   
 8年前  強烈な赤だった

 8年前の紅葉は素晴らしかった。通り一遍の「素晴らしさ」ではない。暗い本堂の障子越しに見た紅葉は光り輝いていた。それ以来二度と見ることはない。ところが、今年は最近になく鮮やかであった。佐藤さんには少し強引だったかもしれないが、今日ここにやってきてよかった。それにしても今日の見学者の多いこと。脱いだ靴の置き場もない。ゆっくりと庭を眺める場所も時間もない。私だけの光明禅寺というわけにはいかなくなった。 

101203 紅葉紀行3(清水寺山門・三重塔)

   
   

 本吉山清水寺は伝教大師(最澄)によって開かれたそうだ。どこにでも出てくる弘法大師ほどではないが、似たような話か。本堂までの山道はけっこうきつい。途中、小さな水の流れの暗闇の中に五百羅漢が佇んでいる。いつの頃か心ない者によって首がことごとく落とされ「首なし地蔵」と呼ばれた時があったという。最近になって再び首が付けられたそうだが、暗闇の中の五百羅漢にふさわしい(?)話ではある。
 木々に覆われた中に急に山門が見える。「ぬっと」出てくるという表現がぴったりだ。小ぶりながら見事な造りである。これまで見てきた中で最大のものは知恩院の三門である。円山公園を過ぎると右手の森の中に巨大な伽藍が見えてくる。その存在感は圧倒的であった。ところが、不謹慎なことだが狭い山道に突然現れた建造物に、つい「知恩院以上だ!」と佐藤さんに言ってしまった。その私の言葉の方に彼は驚いたことだろう。三重塔への道の途中からこの山門を上から見ることができる。その姿も素晴らしい。

   
   

 本堂は素通りする。そこから少し登ると三重塔が見える。現在の塔は、昭和41年に復元再建されたもので、その朱塗りの塔は緑の山の中にあって華やかである。塔の傍らに立って上を見上げると、青空の中にその朱色がなんとも軽やかな印象を与える。

101201 紅葉紀行(清水寺本坊庭園)

   
   

 久留米から高速に乗り、福岡県みやま市にある「本吉山清水寺」を目指す。前々日「みやま市観光協会」に電話したところ、担当者は「例年になく紅葉が見事で、今日が最盛期だったようです」と元気な声で答えてくれた。みやま市という地名は始めて聞く。ひらがなというのもなじみがなかった。今度の合併で生まれた地名のようだ。みやま柳川ICで降りて5分です、というのだが、私のナビにはそのICは載っていない。できたばかりのインターチェンジらしい。
 たしかに真新しい。そして、清水寺までは5分もかからなかった。まるで清水寺のために造られたインターチェンジのようだ。みやま市瀬高町の清水山の中腹に位置し、近辺は大きな公園になっている。観光客や散策の人、そして、JRのウオーキング大会が行なわれていて、多くの人で賑わっていた。まずは昼食をということで茶店でうどんを頼んだが、麺とわずかな肉が浮かんでいるだけなのにその美味しいこと。

   
   

 まず訪れたのは「本坊庭園」。前庭の銀杏の落ち葉が地面を埋め尽くし、舞い落ちるたびにみんながため息をもらす。部屋の中から庭を望む。若い(坊守さんのイメージとしては若すぎるのだが、かといって単なる事務の人ではない)女性の方が庭の説明をしてくれる。その言葉もうろ覚えなので説明板に載っていたものを転載する。『本坊庭園は室町時代の作で、作者はその作風から雪舟ではないかといわれています。特に正面の愛宕山から昇る中秋の名月はすばらしく、その月が庭の中心となる「心」の字を象った池に映し出される様は言葉では言い尽くせません。傍らには北原白秋の自筆による碑が立っています。「ちち恋し 母恋してふ 子のきじは 赤と青とも そめられにけり」』。
 昭和4年 国指定名勝地。 

101128 紅葉紀行1(柳坂曽根櫨並木)

   

 8時に佐藤さんと待ち合わせる。前回の彼岸花に付き合ってくれた私のパソコンの師匠である。書き出しも前回と同じになってしまった。前回は星野村がメインだったが、今回は永年の憧れだった「柳坂曽根のハゼ並木」。途中、吉井町を通ったが旧い建物が保存されていて風情がある。それもどこか特別に隔離されて残されているのではなく、ふだん多くの車が行きかう道路沿いにあるのがいい。こうした風景を残すためには、残すものへの愛着とそれを残そうとする強い意思に不便さに耐えようとする大勢のエネルギーの結集が必要になってくる。どこかの町には一番欠けているものだ。雛祭りにはぜひ出かけよう。

   
   

 ハゼ並木は見事なものだった。多くの見学者で賑わっていた。きれいに整備されていて「新・街路樹百景」に選ばれているとか。約200本の古木が続く様は見事である。ハゼの紅葉には「燃えるような」という形容詞がよく使われるが、山の中の1本のハゼが赤く色づいても目立つのに、200本となったら文字通り「息を呑む」景色となる。上手の方にはこうしたハゼ並木にぴったりの、というか、あまりにぴったり過ぎて違和感を覚えるほどのワラ屋根の家が残っている。建物に付随して水車らしきものまで見えるから念が入っている。

   
   

 唯一残念だったのが太陽である。予報では晴れだったのに、雲が切れ間なく通り過ぎる。このハゼの紅葉も青空の中に浮かんでいたらどんなに素晴らしかったことだろう。何度も空を仰ぎながらわずかな晴れ間を見つけるのに必死で、佐藤さんとため息ばかりついた。 

101126 卓球部同窓会 2

6時に始まった会も8時半にはお開きとなる。送迎用のマイクロがユメタウンまで送ってくれる。また来年の再会を約束してみんなと別れる。私は「あっちゃん」をホテルまで送ることにする。ふたりで夜の街に消えることをだれも冷やかしもしない。昔からこうだ。練習の後、よく二人で帰っていた。時には彼女の自転車に二人乗りで。その姿はけっこう有名だったが当たり前の景色だったのか、ほとんどうわさになったり冷やかされたりもなかった、と、記憶している。
彼女の家があった所は区画整理でほとんどの建物が取り壊されて、いったいどこに何があったのかも分からないほどだ。時間が経つとはそんなものだとは思いながら、自分が育ったところの景色が消えてしまうとはどんなことなんだろうと思ってしまう。立ち尽くす彼女の後ろ姿が小さく見えた。
途中、「フォーシーズン」というお店に寄る。昨年の30周年以来だから1年以上のご無沙汰だ。ここはカウンターの壁一面に洋酒が並べられている。以前マスターに聞いてびっくりしたことがあった。数は忘れたが、その数、千ではきかなかったと思う。1本として同じ物はありません、と言って(自慢して)いた。私たち以外にお客がいなかったので静かな時間を過すことができた。
ホテルまでの道、最後の学校で一緒に勤めた若い先生に出会った。もう遅くまでは飲めないんですよと嘆いていたのが可笑しかった。彼とは1年きりだったが、最後の年、いい出会いだったと懐かしく思う。

101125 卓球部同窓会1

   
   

 9回目の同窓会。今年は「知多のあっちゃん」が帰ってくるというのでみんなが楽しみにしていた。2年前、みんなに会いたいというので、急遽その時集まれる者だけで会を持つことにした。ところが、その本人が体調を壊してしまってその会もお流れになった。今回は私のブログに書いてくれたゲゲゲのヒロさんの「先輩が参加してくれると、みんなへの最高のプレゼントになると思うのですが・・・!」という言葉が決め手になって、今回の帰省になった。何度か中津に帰省しているそうだが、卓球部の仲間とは高校時代以来会っていない者がほとんどである。
 もうひとり、何年か前の会に参加して以来、都合でご無沙汰していた「なべちゃん」も今回参加してくれた。やはり新しい風が吹くとみんながウキウキしてくる。なんとか沢山の人に参加してもらいたいのだが、やはりそれぞれが様々な事情を抱えている。今回参加した人の中にも連れ合いを亡くした人、別れた人、家族の介護で忙しい人もいる。それを考えたら参加できたのは幸せな方である。体調を壊して自宅療養している者もいるし、全く音信不通になった者もいる。

 先ほども書いたが、参加できるのは幸せであり、だれもが幸せな思いを求めて参加しているはずである。そして、遠い遠い昔を懐かしむのである。あの時代に戻ればだれもが幸せになれるのである。ところが、ひとりだけ今までと雰囲気が違っていた。今ここにいない人に「あの人は嫌いだった。あの人のこういうところが嫌だった」と何度も繰り返すのである。その言葉を何度も聞かされてなんとも嫌な思いになってしまった。
 誰もがいろんな現実を抱えて生きている中で、唯一幸せ一色なのがこの会であったはずだし(少なくとも私には)、それを維持するために誰もが努力していると思っていた。その幸せをいとも簡単に壊されたのが、簡単に壊れたのが無性に腹立たしい。