110813 わっしょい百万夏まつり3

幟山笠 飾りをはずす 先端部の取り付け
12段目の取り付け  両脇には頂上からたらした綱で
バランスを取るベテランがついている 
普段は見ることのできない 
他の山笠との競演
     

 お目当ては「戸畑祇園大山笠」だ。祭りの中日には4基の大山笠と4基の小若山笠(なんと中学生たちが担ぐとか)が一堂に会しての競演会が開かれる。一度は目の前で見たかったのだが、この会場には当番山の東大山笠と小若山笠が参加している。そして、ここでは昼の幟山笠から夜の提灯山笠への変化を目の前で見せてくれる。
 昼間の幟山笠の飾り物一切を外して、台上に4mの柱4本でやぐらを組み、この上に高さ3mの5段の提灯をつけた角錐形の先端が取り付けられる。ところが、今日は台風の余波で風が非常に強い。観覧席の後の木々が枝を大きく揺らしている。竹竿を使って一気に上げるのだが、正直、見ている方が悲鳴をあげそうになる。
 つづいて6段目から12段目まで組み上げ、提灯309個、高さ10m、重さ2.5トンの提灯山笠が完成する。約80人の担ぎ手が鉦や太鼓のお囃子に合わせて「ヨイトセ ヨイトセ」の掛け声と共に勇ましく動き出す。「ヨイトセ ヨイトセ」の掛け声で山笠が跳ねるように動く様は、なぜか身震いする。 

110812 篆刻

小林蒼舟先生 始めての作品
左の私を右は先生が直したもの  宿題をお願いした 
   

 今日(12日)から篆刻を習い始めた。三郷小学校に教頭で勤務した時、臨時の若い先生に教えてもらってかじったことがある。それ以来、10年以上音沙汰もなかったが、公民館を辞めたのを機会に思い切って始めることにした。小林先生には私の勤めた本耶馬溪公民館に作品を展示していただき、いつかはこの先生について勉強をしてみたいものだとずっと思っていた。
 その作品の見事さは・・・・いつかはこのブログでも紹介していきたい。いまも大幡公民館に展示している「般若心経」は見事の一語に尽きる。お年も喜寿とはとうてい思えない若々しさで、篆刻だけではなくこちらも見習わなければならない。引きこもり気味の私が一大決心で外に飛び出したのである。まずは、何が何でも続けていこう!  

110811 わっしょい百万夏まつり2

穴生祇園山笠
派手な飾りに 派手な動き 
八幡東ねぶた
台風の出方次第では参加も危ぶまれた 
   
大里電照山笠  小倉祇園太鼓 
   

 19時から市役所前の小文字通りを会場に「祭り大集合」が始まる。北九州市の各地区で行なわれている夏祭り(大里電照山笠、小倉祇園太鼓、若松五平太ばやし、八幡東ねぶた、穴生祇園山笠、黒崎祇園山笠、戸畑祇園大山笠)が集まって競演するのである。一堂に会するのはここだけである。「一粒で2度美味しい」というやつだ。 

110810 わっしょい百万夏まつり

     
一文字通り会場
朝からの雨が
みごと
晴れました 
草野キッズビクス
とにかく元気いっぱい
表情がいい
もう一度若くなりたい! 
井筒屋井和会
なんのためでもいい
井筒屋、がんばれ!
博多阪急に負けるな 
     
よさこい連ミズマ
久留米からやってきました
以前にも見たことがある
応援したい! 
夢追いたい
団塊世代が中心のチーム
それだけに表情が乏しい
元気出せ!
 
月華美人
大人たちが
たった一人のこの子に
喰われてしまった

 台風の影響で、昨夜から雨が降り続いている。今日は土曜日(6日)。小倉の「わっしょい百万夏まつり」へ行くことにしていたのに・・・・・。始めてのお祭りだし、ゆっくり見ることができるようにと観覧席の入場券を買ってまで楽しみにしていたのだが。祭り振興会に電話してみると、夕方にはあがる予報なので決行しますという。それを信じて15時の電車に乗る。
 西小倉で降りて会場へと急ぐ。雨はずっと降り続いている。ところが、リバーウォークを抜けて、小倉城にできた屋台村を過ぎて、勝山公園の会場に着くころには(この間、10分程度しか経っていないのに)雨が上がり、かすかに雲も白くなってきた。ひょっとして私は「晴れ男」なのかも!?
 この会場では43チームが参加しての「わっしょいYOSAKOI」の競技が行なわれ、これから上位8チームによる決勝戦が始まるというので、「まつり大集合」が始まるまで見ることにする。 

110809 孫2

いざ「うみたまご」へ セイウチの「みー」

 前回に続いてなので「孫2」とつけたが、孫の話はほとんどない。
 5日の未明、前の家のじいさんが亡くなった。救急車のサイレンの音で起こされたが、警察が我が家にまで事情聴取にやってきた。意味の分からないのが消防車までやってきたことだ。この頃、調子が悪いとは本人から聞いていたが畑には出てたし、2・3日前には大きくなったスイカをあげようと言ってくれたばかりである。全く寝込むことなく、家族が気がついた時には納屋の台にうつぶせになっていたそうだ。
 この頃はおばさんの勢いに押されていたが、他所様が見ても勝手気ままに生きた84年間だった。戦争に行った話から引き揚げ後の混乱の時代から韓国の話から色々聞いたが、ここには書けないことばかりだ。おかげで、その年まであと19年しかないのかとか、孫たちをいつまで見ることができるのかとか、妙にしんみりとなってしまった。
 そうそう、これでじいさんに貸していた畑が返ってくることになった。やれやれ・・・・・ 

110807 孫1

この真剣な目! 汗をかきながらのお馬さん
もう年寄りには無理だ
始めての花火
始めてつかんだ花火

 今朝(6日)、上の娘が帰っていった。まず下の娘が28日から夫婦と孫の3人で4日まで。31日には上の娘が孫と帰ってくる。ふだん年寄り二人の家に、一気にこれだけの人間が集まって、シッチャカメッチャカになってしまった。
 安曇野の住人はこうした状態を『民宿のおやじをやっています』と表現していたが、あちらは周りに広がる風景からも、「安曇野」という地名からも民宿は民宿でも「ペンション」と呼べるだろうが、こちらは「旅籠」が精一杯である。
 ありがたかったのは、昨年の夏に比べるとずい分と涼しくて(それでもやっと以前の夏に近かった)、寝苦しい夜が少なかったことだ。おまけに、6年生になった上の孫が3歳になった下の娘の孫を可愛がってくれて、年寄りを助けてくれた。おかげで一度も泣いた所を見ることがなかった。今はホッとした状態だが、今晩辺りからさみしさが募ってくるのかもしれない。

110805 台湾紀行20(ガイドさん2)

別れる「許」さん 出  国

 『なぜ、台湾人は日本人を嫌いじゃないのか』というすごいテーマを二人の日本人を取り上げて教えてくれた。その一人は「鳥居信平(とりいのぶへい)」。80年も前、台湾の最南端・屏東県で、伏流水を生かした独創的な地下ダムを造る。その工法は風景や生態系を壊さず環境に配慮したもので、いまでも地域住民に恩恵を与えている。
 もうひとり、「八田與一(はったよいち)」。当時アジア最大といわれた烏山頭ダムと1万6千キロにもおよぶ灌漑用水路を、10年の年月をかけて建設する。そのおかげでサトウキビすら育たなかった嘉南平野は台湾最大の穀倉地帯に変わる。今でも「嘉南大圳(かなんたいしゅう)の父」として畏敬の念をもって慕われている。
 ふたりとも台湾のために生涯をささげ、二人とも「私」ではなく「公」のために生きた日本人である。そして、日本ではほとんど忘れられた存在でありながら、二人とも台湾の学校の副教材に取り上げられて、今も慕われているという。「台湾 鳥居信平あるいは八田與一」で検索するとたくさん出てくる。
 この話をしてくれた後、許さんは「台湾人は日本人に感謝していますよ」という。こうした日本人がいたことを知り、そのことを教えてくれた許さんに出会い、『感謝』ということばを聞けたことが、今回の台湾紀行の最大の成果なのかもしれない。 

110802 台湾紀行19(ガイドさん)

名前を「」さんという。だから、皆さんが迷惑をかけてもすべて「」しますと。4日間私たち1号車のガイドを勤めてくれた女性である。年はいくつだろう。厚かましい私だが、さすがに女性には年は聞けない。日本語は独自に習ったというが、仕事(生きる)ためとはいえ見事なものだ。
単にガイドをするだけではない。歴史・政治・文化・・・・・に自分なりの意見を持って話してくれる。けっこうきついユーモアも持っているし、素敵な話(紀行4)も教えてくれた。中国人(大陸)に対する厳しい目もさらりと話してくれた。
 

その1.レストランのトイレで中国人の女性と目が合った。彼女は和式を使い、ドアを開け、こちらを見ていた。にらみ合ったきり何も言えなかったそうだ。
その2.中国人は何でも食べる。ただし、次の3つは食べません。空のもので「飛行機」、これは食べません。陸に棲むものの中で「机」、水に棲むものの中で「潜水艦」、これらは食べません。
その3.中国人はどこにいても大声でしゃべります。どこでも淡を吐きます。順番は無視します。そういう環境で生きてきたのだから、直りません。だから彼らに遠慮をしてはいけませんよ。