111205 臼杵4(白馬渓)

 11時過ぎに白馬渓に到着する。石仏から何分もかからない。登り口の鳥居のところで歩こう会かなにかの団体が集まっている。ほとんどが年寄りだが少しだけ若い人から子どもが交じっている。それらの中に巻き込まれたので時間をかけてやり過ごしゆっくりと登る。大した登りではないのに息が上がりそうになる。同行の佐藤さんが、明日当たり足が痛くなりそうだとつぶやくのを聞いてにんまりとする。
 天保4年に創建されたという白馬渓神宮(現在はとても『大』のつくほどのものではないが)までの間には小さいが形のよいたくさん(8つ)の石造りの橋と鳥居、石灯籠が残されており、往時の参拝者の多さが偲ばれる。途中の紅葉はまだ色づいてなく、本殿の上にある池(説明図にもただ単に池とだけある)の周りの紅葉もいくらかは色づいていたがその赤も薄くてにごっている。おそらく池の水面に紅葉が映って素晴らしかっただろうなと思わせるだけに残念である。

 

111204 臼杵3(臼杵石仏2)

  最後は古園石仏。通称古園十三仏と呼ばれるが、特に中尊の大日如来像は日本石仏の中でも最高傑作のひとつといえる。高く秀でた眉、切れ長の伏し目に、ほのかに紅を刷いた唇が印象的である。資料によれば、「平成5年8月25日には中尊大日如来像の仏頭が復位され、昔日の荘厳な姿に復した」とあるが、個人的には修復前の仏体の下に安置されていた姿の方が様々な歴史を感じてよかったような気がする。
 古園石仏からは左手に満願寺が見え、周りの田んぼには刈り取られた稲わらがそのまま放置されている。手前を木材を満載したトラックが走る。だから、と聞かれても答えようがない。ただその景色が目に留まったのである。もうひとつ目に留まったものがある。送っていただいたパンフレットの中の「うすきがいど」の表紙に山頭火の作が載せられている。「しぐるるや 石を刻んで 仏となす」。

111202 臼杵2(臼杵石仏1)

 臼杵に行く以上、「臼杵石仏」を抜きにしての観光はない。高速を降りて左折。5分も走れば4群59体の磨崖仏が迎えてくれる。前に訪れたのは大日如来像の頭部が切り離されて仏体の下に置かれていた時だからずいぶん昔になる。
 駐車場にいた人の話ではゆっくり廻って30分ほどだということだったが、それこそゆっくりと心行くまで写真を撮りながら廻る。石仏は四つのエリアに分かれている。まずホキ石仏第一群20数体の仏が迎えてくれる。次のホキ石仏第二群では第一龕(がん)の阿弥陀三尊像、特に中尊阿弥陀如来像のどっしりとした豊かな姿が素晴らしい。次は山王山石仏。三体の石仏で中央の如来像は大きな身体の割には輪郭が丸く、目鼻立ちは童子のそれを思わせる。そのためか通称「隠れ地蔵」とも呼ばれているそうだ。

※「ホキ」=パンフには「岸險(がけ)」という意味の地名ですとある
※「龕(がん)」=断崖などを掘って仏を安置する場所 

111130 臼杵1(メール便)

     

 フランス紀行は一時中断します。27日、臼杵へ紅葉狩りに出かけたのでそちらを優先します。フランス紀行はまだ10回ほどが残っていますので、また後日。そろそろ飽きてきたって?まあそう言わずに付き合ってください。

 このメール便、今日届いたんだよね?と確認する。中に入っている「観光資料送付のご案内」の文書には「11月14日」の日付が打ってある。電話で資料を請求したのは10日過ぎだったか?白馬渓の紅葉を見たいのでついでに臼杵の観光資料を送ってくださいと電話した。担当の女性の方は「23日にはもみじ祭りがあり、甘酒の接待もあるのでぜひお越しください」とこうした電話自体をすごく喜んでくれ、直ぐに送りますと言ってくれた。
 退職する年だったか、県の指導主事に来てもらったことがある。その接待で食事に出た時、耶馬溪の紅葉の話から臼杵出身の彼に「臼杵には隠れたモミジの名所、白馬渓があります。ぜひ訪れてください」と言われたことがあり、それがずっと心に残っていた。今回、佐藤さんとの紅葉狩りの目的地としてここを選んだ。ところが23日は雨になり27日の日曜日に変更したのだが、資料が届いたのは前日の26日である。延ばしたから前日になったが、そうでなければ出かけた後に届いたということだ。
 中には丁寧なご案内の文書とたくさんの資料が入っている。しかし、繰り返すが届いたのは26日。「白馬渓もみじ祭り」の文書にある「日時 平成23年11月23日」の文字がちょっと寂しい。ご案内の文書の日付が「11月14日」であるだけになおさらである。佐藤さんとの話の中で、メール便は遅れることが多いんですよね、となったが、電話口での女性の明るい対応がうれしかっただけに少し残念な気分である。 

111127 フランス紀行23(モネの庭1)

 モネは43歳の時、ジヴェルニーに移り、代表作となる「睡蓮」の連作のために自ら庭を造り、手入れに没頭したという。モネ自身も人から「あなたの最高傑作は?」と聞かれた時、「この庭だ」と答えたそうだ。

 庭はふたつの部分に分かれている。まず出会うのは水の庭。深く垂れた柳が水面(みなも)に影を映している。小舟に池の手入れをしている人が乗っていて、それも絵になる。小さな太鼓橋が有名だが緑色というのも面白い。この橋は200点以上連作された「睡蓮」の中でも初期の作品の中に描かれている。晩年は視力が落ち、それからの絵には睡蓮のみが描かれるようになったそうだ。
 あれ!すいれんがつぼみをつけている。花の時期はたしか6月のはずだが・・・・・・ 

111124 若い人

   

 家をあたっている。築30年もなるとどこかここか不具合が起きてくる。ちょうど人間のようだねと言われたが、まるで自分のことを言われているようで、おまけにそれが当たっているいるだけにショックがある。
 連れ合いは2階の壁をやり替えたいと呪文のように言い続けていた。ところが、いつからか私の部屋の床までたわんでくるようになった。何が原因か分からないのが不安だったので思い切って床と壁のリホームをすることにした。結果的には大仕事になるような不具合ではなかったので一安心だが・・・・・。
 工事は真向かいに住んでいる大工さんにお願いしたが、いつも息子さんが一緒である。なんともうらやましい話ではある。小さい時から知っているが、ずいぶん大人になって(失礼!)頼もしい。なにより話ができるのがいい。なかなか話のできる人は少ないのに彼のように若い人となるとほとんど話す機会もないし、第一話が合わない。今日はずいぶん合わせてくれているようでそれもうれしい。そういえば、昨年の5月、甥の子どもの高校生と楽しい時間を持つことができたのを思い出した。話の合う若い人と話す時、決まって私の方が饒舌になっているのが気恥ずかしくもありうれしくもある。 

111123 フランス紀行22(セーヌ川クルーズ)

 セーヌ川クルーズ。オプショナルツアーで別料金。ちょっと高い気もしたがやはり参加してよかった。同行者の奥さんが、おそらく二度と来ないんだから行きましょうよと強く誘ってくれたので思い切れた。
 まだ明るいうちに乗船したが、すぐに夕暮れから夜へと、パリの二つの顔を見ることができた。もうパリは肌寒くなっていたが、岸辺には恋人たちが寄り添ってここにこんな風景がと願ってた通りのものを見ることができたし、周りの景色が闇に包まれていく時間の流れ。川面に揺れる光たち。船首に立って肌寒い夜風をまともに受ける。全てがウキウキした気分にさせ、ワクワクとした高揚感に包まれる。
 「オー!」という異様な歓声が起こる。左手を見るとライトアップされたエッフェル塔(それだけ十分に美しいのに)に青い光が点滅している。「定時になると光が点滅します。それはそれは見事ですよ」とガイドさんが言っていたが、まさに「見事」の一言に尽きる。 

111120 フランス紀行21(ルーブル美術館2)

サモトラケのニケ ミロのビーナス

 彫刻でルーブルの至宝と呼ばれているのは「ミロのビーナス」と「サモトラケのニケ」である。ミロのビーナスの方が圧倒的に知られているし、ルーブルでの人気も当然ながらこちらの方が勝っている。しかし、私がどうしても見たかったのはニケの方である。
 ニケは階段の踊り場に展示されている。当然私たちは彼女を見上げることになる。圧倒的な迫力で迫ってくるその姿に一瞬息が止まりそうになった。豊かな胸に下半身。そして、前かがみになって翼を広げるダイナミックな姿。今まさに飛び立とうと総身に風をはらんで立つ優美な姿。それが女性(勝利の女神ニケ)であること。そして、その一部(頭部)が欠けていることでかえって普遍的な存在になったといえる。この角度から見る彼女が最も美しく見えるがどうだろう。

 私もびっくりしました。これまでほとんどの美術館・博物館で写真撮影は断られてきました。だからそういう場所では写真撮影が許されるなんてありえないという考えが刷り込まれていました。最近ある美術館で監視の人がいなくて禁止の文字も見えなかったので恐るおそる写真を撮りました。今でもよかったのかと不安になります。それがルーブルでは何も言われません(フラッシュはだめだそうですが)し、誰もが当然のごとくカメラを向けています。日本でもどうにかならないモンだろうか。