130814 イタリア紀行46 (コロッセオ)

ローマ市内観光。まずは「コロッセオ」。ローマ観光では絶対にはずせない遺跡の一つ。古代ローマ帝政時代の円形競技場。競技場といえば穏やかだが、完成後の百日間、毎日以下のような「競技」が行われ、人々が詰めかけたという。

午前中は猛獣狩りか猛獣同士の闘い。12時には犯罪人(おそらくキリスト教徒だと思う)の公開処刑。午後は剣闘士の試合、つまり、殺し合い。それを見ながら楽しみ、食事も楽しんだ。これでは猛獣たちから、お前たちの方が性質(たち)の悪い猛獣だと言われそうだ。

ここもヴァチカンに劣らずものすごい数の観光客だ。いったい何時間待ちなんだろう。これではツアーではとてもじゃないが中にまで入る時間がない。このあとコロッセオ以外にも絶対外せない観光地が目白押しだ。ということで、外から見て、この旅行唯一の集合写真を撮る。けっこうな値段がした。そして、ほとんど見ることはない。ここでみんなが争って買った「日本語版の写真集」も同じ運命をたどっている。

そうそう、コロッセオのすぐ横には「コンスタンティヌス帝の凱旋門」があった。

130811 イタリア紀行45 (マリオットホテル)

ツアー8日目。最後の観光地、ローマへ。4日目にもローマへ行ったが、あの時はヴァチカンがメイン。前日、ナポリからローマへ戻る。最後のホテルは「マリオットローマパーク」。4つ星ホテルだそうだ。最後になってやっと最上級クラスのホテルに泊まることができた。すぐ隣にトヨタの工場があって、我が車はホンダなんだが、こういうところで日本に関係したものを見るとつい胸が熱く(?)なる。やはり私も日本人なんだ、とはちょと大げさか。

4枚目の写真はホテルとは何の関係もない。どうしてこんな顔をして、周りの女性が手を叩いてくれているのか。二人分の荷物とお土産全部を一つのスーツケースに入れていけば楽だと大きなスーツケースを買ったら、「重さが23キロ以内のスーツケースがお一人様1個」という規則に引っかかってしまった。しおりに書いてあったのは読んだし、忘れていたわけじゃないが安易に考えていた。川上さんが持っていた簡易式の計量器(?)を借りて、夜遅くまでかかってなんとか二つに分けることができた。みんなが心配してくれていて、見事合格した時の写真である。川上さんに感謝、カンシャである。

ところがである。肝心の空港の手荷物検査では、ふたつで31キロあったのにスーツケースの重量を調べようともしなかった。あれだけ苦労して23キロ以内を守ったのに、この苦労はいったいどうしてくれるんだ!!

130808 イタリア紀行44 ナポリ

ポンペイのあとは「世界三大美港のひとつとして有名なナポリへ」とパンフレットにはある。「三大夜景の街」とも言われる。私たちの想像するナポリのイメージは「輝く太陽、温暖な気候、陽気な人々」だが、実際のナポリはずいぶん違っていた。

車窓からの観光というハンデーがあるのだろうが、一言でいえば「薄汚れた街」だ。建物も古びて街の薄汚さに一役買っている。なによりも街中にごみの散乱しているのが決定的だ。何年か前には排水溝にたまったごみから虫が大量に発生し、タケダさん曰く、その時にはさすがの(何がさすがなのか分かりませんが)ナポリ市民もたまらず、数日で片づけたそうだ。これでは「三大美港」より「三大夜景」の方がいい。少なくとも「夜」になれば散乱するごみも目立たない。

夜といえば、この街にはカモッラが多いそうだ。日本でいうところの「ヤクザ」である。イタリアでは「マフィア」というのかと思っていたが。そして、ストリートギャングが多く、子どもたちも安心できないという。少なくともカモッラの方がストリートギャングよりも安心できますというが、何を基準にしているのだろう。

ナポリにならってこのツアーの「三大ミス」というのを挙げておこう。
①ナポリの車窓観光  車窓観光をするくらいならポンペイでの時間を増やした方がずっといい。
②エメラルドの洞窟  何度も言うが、あんなものは日本にだってあると思う。
③カンツォーネディナーショウ  あんな訳のわからん、体格のいいおばさんが声を張り上げる歌を聞きながら、食事なんてどうしてできるんだい。

130805 イタリア紀行43 (ポンペイ遺跡3)

発掘されたものの中で特に人気(?)なのが「娼館跡」である。ほかの場所と違ってこの建物の入り口はきれいに修復されている。2000年前の、おまけに火砕流で埋まってしまったのに、木材がきれいに残っているはずがない。何箇所かすでに発掘後に崩壊した建物があるという。ということで、たくさんの人が押しかけるのに備えてのことなんだろう。

ここからは男女の交わりを描いた、いわゆる春画が発掘されている。壁に大きく残されていて、今でもはっきりと分かる。これは客が相手を選ぶためのものではなく、してもらいたいサービスを告げるものだったとか。港町だったので異国の船乗りも多くいて、言葉の違う、分からない彼らのためのものだった、とこれはタケダさんの説明。さらっと言うところがにくい。

イタリアから帰って10日後、橋下さんの発言が飛び出した。それ以来報道されない日はない状態である。2000年前のポンペイの市民はこの状況をどう思うだろう。と書こうとしたら、失言王、麻生太郎がまたやってしまった。情けな過ぎて言葉も出ない。

向こうに見える山が「ヴェスヴィオ火山」。

130803 イタリア紀行42 (ポンペイ遺跡2)

火砕流の速さは時速100キロ以上だったという。一瞬のうちにという表現は大げさでも何でもない。発見された時には遺体部分が腐ってなくなり、火山灰の中には空洞ができていたという。ここに石膏を流しこんで死んだ時の姿が再現された。なんともうまいことを考え出したもんだが、降り積もった火山灰の成分がそれを可能にしたのである。

鉄柵で仕切られた収納庫があり、様々な掘り出された遺物の中に混じって人型の石膏像が置かれている。その置き方はいかにも無造作で、埃まみれで見ていて切なくなった。こういう感情はいかにも日本人らしいそうだ。発掘現場でたくさんの人骨が出てきた時、精神的に不安定になるのは日本人で、ヨーロッパの考古学者には何の影響もないそうだ。お腹の赤ちゃんを守ろうとしたのだろう、うつぶせのまま死んだ女性(写真あり)や飼われていた犬の姿が有名である。「鎖につながれたままもがき抜いて死んだ犬」と書かれていたので怖いもの見たさである。ところが、このポンペイの石膏犬は非常に有名なのだが、有名過ぎていつもどこかの展示会に貸し出されているそうだ。案の定、今回もどこかに出張していた。

もちろんこの犬は「鎖につながれたままもがき抜いて死んだ飼い犬」石膏犬ではない。私たちと同様に「暑さでばててぐったりとしている飼い犬」である。

130801 イタリア紀行41 (ポンペイ遺跡1)

今回のイタリア紀行の二つの目玉(個人的にだが)のヴェネチアとポンペイ遺跡。昔、「ポンペイ最後の日」とかなんとかいう映画を見た記憶がある。西暦79年(タケダさんが何度も強調していたが、その頃の日本はまだ弥生時代ですよ)、ヴェスビオ火山の大噴火による火砕流であらゆるものが一瞬のうちに地中に埋もれる。1784年に再発見されるまで、約1700年もの長い時間、タイムカプセルとして静かに時を待っていたのである。今でも発掘は続いているというのだから驚きだが、なに、眠っていた時間に比べれば何ほどでもない。

まず驚かされたのは道路である。石を敷き詰めた道路は、馬車の通る車道と歩行者のための歩道とが見事に区別されている。そして、ところどころに車道を横切る(横断歩道だ)ように丸い大きな石が置かれている。それも車輪のために隙間も用意しているという芸の細かさである。脱帽! 多くの馬車が行き来した証拠に車道の石にくぼみまで残っている。

通りの両側には浴場やサウナも備わった運動施設やパン屋さんや居酒屋まである。その居酒屋にはなんとメニューが残されており、「お客様へ、私どもは台所に鶏肉、魚、豚、孔雀などを用意してあります」と書かれているそうだ。

4枚目の写真に映っている蛇口は現代のものです、念のため。そして、ペットボトルを持っているのはほとんどしゃべらない現地のガイド。

130729 イタリア紀行40 アリベロベッロ2(SHIRAKAWA-GO)

この人の多さ、今日は特別ですとタケダさんは言う。今日はこの町のお祭りとかで、町の広場には特設のステージが設置され、若い人たちのバンドの演奏やダンスが行われていた。夜もにぎやかだったと出かけた人が話していた。こちらはホテルのすぐ近くにアリベロベッロ(なんだかこの言葉、癖になりそうだ)の駅があるとかで見に行ったのが精一杯。

その駅の構内で面白いものを見つけた。ここに来た証拠にと地名の入ったポスターの写真を撮っていたら、なんとその中に「SHIRAKAWA-GO」という文字を見つけた。たしかに合掌造りの集落の写真も載っている。まさかこんなところで見るなんて。姉妹都市かなんかだろうが、何のつながりなんだろう。おそらくトゥルッリのとんがり屋根と合掌造りの家の形が似ているということなんだろうが・・・・・・・・・・・・。

130727 イタリア紀行39 アリベロベッロ1(トゥルッリ)

昼食のあと、アリベロベッロへ。
とんがり屋根に白い壁の建物(トゥルッリと呼ぶ)が立ち並ぶ。一度見たら忘れられない建物だ。「アリベリベッロの旧市街にはトゥルッリの家が密集し、坂道が迷路のように続いており、おとぎの国に迷いこんだような雰囲気に満ちている」と案内パンフレットには書いてあるが、おとぎの国どころか現実は観光客であふれかえり、彼らを迎えるために今ではトゥルッリのほどんどが土産物屋かもしくは飲食店になっている。これではおとぎの国の「こびと」たちも出るに出れないだろう。

それにしても、白い壁が南イタリアの太陽にほんとに似合っている。この色は日本のように湿気を帯びた空気の中では似合わない。昔むかし、「太陽がいっぱい」という映画があった、なんてえらい年寄りのセリフだ。ラストシーンでアラン・ドロンが「太陽が眩しい」とつぶやいたが、なんてキザなセリフだろうと思ったものだ。そうか、この太陽の下でならぴったりのセリフだ。